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妊産婦の命を守りたい~“手洗い”の創始者 産科医イグナーツ・センメルヴァイスの生涯

現在、診療前や手術前の手洗いは医師の皆さんにとって常識です。
ただし、手洗いの概念が生まれたのは今からたったの150年前。それまでは病原菌の存在が明らかではなかったことと、「医師が汚れているはずがない」という考えから、手術前であっても手を洗う習慣はありませんでした。死体解剖を行った手を、ただ拭っただけで患者の診察にあたり、手術を行っていたのです。

そんな医学界で手洗いの概念を生み出したのは、ウィーン総合病院の産科医であったイグナーツ・ゼンメルヴァイス。しかし、それが認められ広く行われるようになったのは彼の死から10年以上たってからのことでした。

手洗いの普及に人生をかけた医師、ゼンメルヴァイスの生涯を紐解いていきます。

産褥熱に苦しむ母親たちのために

ゼンメルヴァイスは、1818年7月1日にハンガリー王国ブダ市で生まれました。ブダにあるカトリックの学校で学び、ペスト大学に入学。卒業後、ゼンメルヴァイスはウィーン大学で医師を志し、ウィーン総合病院の産科医として医療に従事します。
1840年代、ウィーン総合病院の第一産婦人科では、産褥熱で10%以上もの妊産婦が命を落としていました。ところが、隣に建設された第二産婦人科の死亡率は3%。多くの妊産婦が第二産婦人科での出産を希望したといいます。
ゼンメルヴァイスは、苦しむ妊産婦の姿を何度も目の当たりにしました。そして、産婦が産褥熱で死亡するのは仕方がない、防ぎようがないという当時の常識に疑問を抱くようになります。
この不幸を終わらせるために、2つの産婦人科の違いを探そうと病理解剖に励みましたが、手がかりはようとして得られませんでした。

 

産褥熱の原因は「死体の何か」だった

突破口が開けたのは1847年のことでした。
ゼンメルヴァイスの友人だった医師が解剖中に誤ってメスでけがを負います。軽い切り傷でしたが、その後合併症を起こし亡くなってしまいました。その症状が多くの産婦を苦しめている産褥熱に似ていたことから、「これまでの死亡者と共通する要因はないか」と考え、4つの事実に着目します。

1.第一産婦人科では医師、第二では助産師が分娩を行っていた。
2.医師の診察回数が多い妊産婦ほど産褥熱にかかっていた。
3.死体解剖室にいた医師が分娩に従事することがあった。
4.解剖室から出てきた医師の手には死体のひどい「臭い」が付いていた。

病原菌という概念がなかった当時、ゼンメルヴァイスは「死体の何か」が手に付着したことが産褥熱の原因であると仮説を立てました。今でいう接触感染の可能性に気付いたのです。
臭いでしか判断できなかったため、脱臭作用のある塩素水でそれを洗い落とせば、付着した「何か」も取り除けるのではないかと考えました。

試行錯誤の末、ゼンメルヴァイスは塩素水消毒とブラシ洗浄を組み合わせた方法を生み出しました。現代でも行われている消毒法の始まりです。

 

自分の「手」が妊産婦を苦しめていた

解剖室から出てきた全ての職員に手洗いを徹底させた結果、10%以上だった第一産婦人科の妊産婦の死亡率を、第二産婦人科と同水準まで引き下げることに成功します。死体に関わる医師や関係者が手洗いをすれば、死の連鎖を断つことができる。ゼンメルヴァイスはそう確信すると同時に、原因究明のために自分が行っていた病理解剖が多くの女性を死なせていたことにショックを受けます。
彼は著書『産褥熱の原因と概念及びその予防法』の中でこう述べています。

「当時の私はどの医師よりも多くの死体解剖を行った者です。この私の汚れた手で墓場に送られた婦人達の数はただ神のみが知りたまうところです。私は良心に従って告白します」

ゼンメルヴァイスが、これからの人生の全てを産褥熱予防に捧げると決めたきっかけだったのではないでしょうか。

 

時代に理解されなかった「手洗い」

彼の革新的な主張は、外国の医師やウィーン学派の一部の人間に大きな感銘を与えました。しかし、幅広い支持を受けることはありませんでした。

現在では手洗いの効果はもちろん、病原菌の存在についても明らかになり、手術や処置をする前に必ず手消毒を行います。 しかし、19世紀中頃までは、医師は汚れが目立たない黒いコートのような着衣で手術に臨み、血や薬品で汚れた手はその裾で拭われていました。「医師は紳士である、紳士は清潔である、よって医師が汚れているはずがない」という考え方が深く浸透していたからです。
それに加え、「患者を殺していたのは医師の手である」ということを認められない医師が多かったため、ゼンメルヴァイスの考えは支持されませんでした。当時は彼の論文を読んだ医師が、自殺する事件まで起きたそうです。

ドイツ語が苦手で講義や執筆がうまくできなかったために論文の発表が遅れたこと、頑固で横暴な性格だったことなどが、周りの医師から敬遠されていたことも関係していたのかもしれません。
医師にとって容易に受け入れられない学説を発表したゼンメルヴァイスは、上司や権威者から糾弾され、1850年にウィーン総合病院から追放されてしまいました。

 

志半ばで閉ざされてしまった想い

ゼンメルヴァイスがウィーン総合病院を去った後、手洗いは徹底されず産褥熱による妊産婦の死亡率は再び跳ね上がりました。 失意のうちに帰郷したゼンメルヴァイスは、産褥熱で苦しむ産婦のためにもう一度自説を広めようとします。ブダペストにある聖ロック病院の産科に無給で勤め、ここでも予防の成果を上げました。

1855年にはブダペスト大学の産科教授に就任します。手洗いだけではなく、手術で使う器具や病室のリネンの洗浄も徹底させ、病院内での産褥熱死亡者ゼロを達成します。しかし、自分の学説を認めない者に対してひどい批判を繰り返したため、またもやその職を追われてしまいます。手洗いの重要性を伝えようと数々の病院を回りますが、彼の指示は半ば強要や脅しに近いものでした。 医学会から危険人物として扱われたゼンメルヴァイスは、最後まで認められることなく、錯乱状態となり精神病院で47年の短い生涯を終えました。

 

ゼンメルヴァイスが報われた瞬間

ゼンメルヴァイスが生涯をかけて主張した手洗いは、彼が亡くなってから10年以上も後に「消毒法」と名を変えて世に普及します。それを広めたのはジョセフ・リスターというイギリスの外科医です。彼は消毒作用のある石炭酸(フェノール)を、患者の皮膚だけではなく医師の手や器具に使用することで、敗血症による死亡率を激減させました。
ゼンメルヴァイスの論文を偶然目にしたリスターは、彼を「消毒法の真の創始者である」と言明したといいます。リスターの研究に大きく影響を与えた細菌学者のルイ・パスツールも、「ゼンメルヴァイスが消し去ろうとしていたのは連鎖球菌という殺し屋である」と彼の主張が正当だったことを説いています。

ゼンメルヴァイスの学説は認められ、その功績をたたえたブダペスト大学はゼンメルヴァイス大学(センメルワイス大学とも)へと名前を変えました。

 

真実は疑問の先にしかない

ゼンメルヴァイスは自身の力で手洗いを広めることはできませんでしたが、現代の妊産婦が安心して出産できるのは彼の功績あってのことといっても過言ではありません。消毒法や院内感染防止の先駆者である彼は「母親たちの救い主」「院内感染防止の父」などと呼ばれています。

十字架を背負い、時代に抗い続けた医師ゼンメルヴァイス。
命を救うために必要なものは、プライドや時代が生んだ文化でもない。「仕方がない」と諦めていることに疑問を投げかけ、それを究明すること。

彼が人生をかけて教えてくれたことは、今も医学の根底にあるのではないでしょうか。

(文・エピロギ編集部)

<参考>
船橋市立医療センター「院内感染対策 資料」
https://www.mmc.funabashi.chiba.jp/safety/files/6_7.pdf
日本ベクトン・ディッキソン株式会社「感染制御の父」
http://www.bdj.co.jp/safety/articles/ignazzo/1f3pro00000sihs4.html
Medical Finder「手術管理,感染対策―産褥熱の征圧に挑んだSemmelweissの悲劇」
http://medicalfinder.jp/doi/abs/10.11477/mf.1407100475
日本医科大学多摩永山病院 女性診療科・産科 「産褥熱の概要」
http://www.nms.ac.jp/hahanet/sign1_5_2.html

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