弁護士が教える医師のためのトラブル回避術

第5回 医師の残業代[その3]~裁判による残業代の請求~

前回は、残業代を実際に請求することになった場合、勤務先との直接交渉と、裁判(「労働審判」もしくは「民事訴訟」)による手続きがあることをお話ししました。そして、請求した場合にそれぞれどのような流れで進行するのかをお伝えし、直接交渉する場合の流れや用意するもの、交渉時の争点を紹介しました。
今回は、裁判による残業代申請方法について、実際に医師が起こした請求裁判を参考に説明します。

 実際に裁判になった場合、残業代をどのように請求し、またどのような問題が生じうるのか。第3回でご紹介した裁判(横浜地判平成27年4月23日、同控訴審判決平成27年10月7日)を参考に、残業代請求の中身を問題点とともに細かく見ていきましょう。
 ただし、非常に難しい問題もありますので、まずはご自身が把握している事実関係をもとに残業代を計算し、請求していけばいいと思います。
 ここで紹介する様々な問題は、受任した弁護士等が検討すべきものですし、相手方から争われて初めて争点化するものです。請求する前にいろいろ考えて二の足を踏むのは得策ではありません。
 究極的なことを言ってしまえば、以下の点は気にせず、残業代請求をしたいとお考えになったら、専門家にまず相談してみるというスタンスでいいと思います。

 

エピロギ残業代第5回分

 

1. 医師が起こした残業代請求の裁判

(1)裁判例の概要

 裁判の経緯に入る前に、前提事実を少し説明します。
 原告である勤務医は、平成9年に医師免許を取得した医師で、被告である医療法人が運営する病院の消化器外科に勤務していました。その病院自体には、医師と医師でない職員を合わせて当時898人職員が勤務していました。そして、原告と被告との間の雇用契約の内容は下記のとおりでした。なお、年俸契約額を1700万円として各月、賞与時期に下記のように支給する内容となっています。

    ① 雇用期間定めなし
    ② 休日及び休暇原則として週2日
    ③ 就業時刻午前8時30分から午後5時30分まで(休憩1時間)
    ④ 所定労働時間1日8時間
    ⑤ 給与月120万1000円
      基本給86万0000円
      役付手当3万0000円
      職務手当15万0000円
      調整手当16万1000円
      (初月調整8000円)
    ⑥ 支給日 毎月15日締め当月末日払い
    ⑦ 賞与 本給月額の3か月分相当額を基準とし、成績により勘案する。
  

 この裁判例の事案では、原告が被告に解雇されていたため、解雇無効や解雇期間中の賃金、賞与の支払、解雇等に伴う慰謝料の支払の請求がなされています。それに加えて、残業代請求、それに対する遅延損害金(支払が遅れたことに対する利息)、残業代と同額の付加金の支払などの請求も主張しています。
 事案としては多岐にわたる争点がありますが、今回は残業代請求部分のみ適宜説明していこうと思います。

⑵ 請求出来るのは残業代だけではなく、遅延損害金、付加金というものがある

 裁判例の事案では、原告は、残業代として400万円を超える金額とともに、支払が遅れたことに対する遅延損害金として年14.6%の割合による利息、さらに残業代と同額の付加金というものを請求しています。
 残業代の請求の場合、法律上、退職前であれば年6%、退職後であれば14.6%の割合(例外はあります。)による遅延損害金が発生することになっています。
 付加金というのは、簡単に言うと、いわば罰のようなものです。付加金は、労働者が請求する必要がありますが、その支払を命じるか否か、その金額をいくらにするかは裁判所が判断することになっており、必ず認められるものではありません。もっとも、労働者としては請求しておくべきでしょう。

⑶ 残業代請求の根拠となる実労働時間はどのように計算するのか?

 残業代請求において最も重要な要素はまさに時間外労働等がどのくらいあったか、つまり「実労働時間数」です。
 各病院で労働時間の記録方法は、タイムカード、パソコンを利用して入力させる電子管理、はたまた手書きの出勤簿など様々でしょう。
 裁判例の事案では、静脈認証システムが導入され、静脈を読み取ることが困難な職員については静脈未承認記載簿に手書きすることになっており、原告は後者の手書きで管理されていました。裁判において、原告は、病院内パソコンで利用する電子カルテシステムへのログイン・ログアウト記録をもとに実労働時間を認定すべきと主張していましたが、裁判所はこれを認めませんでした。その理由は、電子カルテシステムへは各職員個別のID等にてログインする必要があるものの、一旦ログインすれば他の職員もそのログイン状態を利用して作業することができてしまい、また実際に原告が静脈未承認記載簿上退勤した後に原告のID等によるログイン・ログアウトなされたこともあったため、信用性が無いと判断したからです。
 要するに、実労働時間は、信用性のある資料によって計算すべきということであり、究極的には手書きの手帳への出退勤のメモでも裁判所が信用できるとすれば、それでも構わないのです。もっとも、信用性の判断は厳しくなされる傾向にあるため、客観性の高い資料で実労働時間を計算すべきでしょう。

⑷ 時給単価はいくらなのか?

 残業代を計算するにあたって、時間外労働等の時間数と並んで重要なのが、ベースとなる基礎賃金額です。この基礎賃金額は、前回説明したとおり、一定の賃金を除き、名目を問わず支給されている金員全てを合計したものになります。
 裁判例の事案では、除外賃金に当たるものは初回調整手当のみですので、それを除いた合計120万1000円となります。
 この問題について、使用者側からは、「~手当」は時間外割増賃金として支払っており、基礎賃金に加えるべきでないというような主張がなされることとが多いですが、裁判例の事案と同様、認められることはそう多くはありません。というのも、最高裁判例(最高裁判決平成6年6月13日など)があり、賃金のうち、通常の労働時間に相当する部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができなければ割増賃金が支払われたとすることは困難であるとしているからです(一般に明確区分性などといわれています)。
 すなわち、ある手当が割増賃金の支払といえれば、その金額を基礎賃金にはできないですが、割増賃金の支払といえないのであれば、基礎賃金とすべきということです。
 残業代の根拠となる基礎賃金額がいくらになるかは、基本的には除外賃金以外の全賃金であるとして計算し、残業代を請求していけばよいでしょう。
 なお、時給単価は、基礎賃金額を月の所定労働時間数で除して計算されます。

⑸ 時間外労働等の時間全てに対して残業代が発生するのか!?

ア 原則 
  原則として時間外労働等の時間(割増賃金が発生する時間として法定されている時間)に対しては、1分単位で残業代を支払わなければなりません。 ちなみに、割増率は以下のとおりです。
① 法定時間外労働割増率:25%
② 深夜労働割増率   :25%
③ 法定休日労働割増率 :35%
①、③が深夜労働と重なる場合は、それぞれ50%と60%になります。その他、月60時間を超える時間外労働部分について50%に引き上げられています(ただし、中小企業は適用が猶予されています)。なお、裁判例の病院は月60時間割増率引き上げの対象とされている病院です。
 したがって、基本的には、上記割増率をもとに計算をして残業代を請求していけばよいことになります。

イ 例外
 裁判においてそう簡単に認められるものではありませんが、労働者と使用者との契約内容次第では、普段支払われている賃金に残業代が含まれているとされる場合もあります
 まさに裁判例の事案がそれに当たるものでした。
 裁判例の事案では、病院側と勤務医との間で、所定労働時間を超える労働時間であっても、時間外手当の対象とする時間外勤務の対象時間は21時から翌8時30分までの間と、休日の緊急業務時間のみであること、通常業務の延長とみなされる時間外業務は時間外手当の対象とはならないことなどが規定された時間外規程に従って、割増賃金を支給するとの合意が成立しているとされました。
 このような判断となったのは、病院側の時間外規程に前記のように割増賃金が発生する条件が詳細に規定されていたこと、その時間外規程に従って原告が病院側に割増賃金を請求していたことから、当事者に時間外規程に関する合意もあったと認められたからです。なお、深夜割増賃金と月60時間を超えた場合の割増賃金については、本件時間外規程に明示されていないなどの理由から月額給与に含まれているとすることはできないとも判断しています。
 このような判断のもと、裁判例の事案では、時間外規程に定められたとおり、21時から翌8時30分までの間と休日の緊急業務時間以外、そして深夜労働割増賃金、月60時間超えの割増賃金以外の残業代については、月額給与120万1000円に含まれていると判断しました。
 なお、先ほど基礎賃金のところで、明確区分性が無いので割増賃金の支払いとはいえないと判断されていると説明しましたが、裁判例では、時間外割増賃金に当たる部分を判別できないけれども、時間外手当を請求できる場合とできない場合は明確であるとして、上記のとおり判断を区別しています。

ウ 裁判例の事案の特殊性
 裁判例の事案は、もう一つの問題点があり、先ほど例外がそう簡単に認められないと言ったのもこの問題があるからです。それは、上記のような時間外規程を前提とする雇用契約が有効であるのか、労働者に不利益を及ぼすものとして無効なのではないかということも考える必要があるからです。
 この点は本当に難しい議論であり、深入りすべきではないので説明を割愛いたしますが、裁判例の事案では、詳細な理由づけのもと、原告の意思という業務の特殊性とともに、その勤務状況、待遇面などから月額給与に一部の割増賃金が含まれるとしても不合理ではないと判断しています。
 裁判例が医師の業務の特殊性を加味してこのような判断をしており、医師である皆さんにも同じような議論が起こり得ますので、触れておきました。

 

2. 残業代請求を決意したら早めの行動を!

 ここまで、実際の裁判例を参考に、残業代請求の裁判の流れと争点を見てきました。
 ただし、冒頭でもお伝えしたように、残業代の請求は非常に複雑で、専門家である弁護士に相談するのが一般的です。
 みなさんには、前回詳しく紹介しましたが、「残業代には時効があり、請求する権利自体が消滅してしまう」ということだけ、覚えておいていただければと思います。そして、もし、残業代請求を検討される場合はなるべく早く専門家にご相談ください。

 3回に渡って「残業代請求」について取り上げてきました。
 残業代を請求することは、法律で認められた労働者の権利であり、労働に対する正当な対価の支払いを求めるものであって、正当な権利行使です。 今回参考にした裁判例のほかにも、医師の残業代請求が認められた事例はあります。また、残業代を請求したところ、裁判にならずに使用者から支払われて解決したという事例もあるはずです。
 ご紹介した手続きは実際には弁護士が行いますが、今回の記事を通して、医師でも残業代が請求できるのだということを知っていただき、ご自身の労働時間に興味を持っていただけたなら幸いです。

  

 

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船越 雄一(ふなこし・ゆういち)

弁護士・ 護士法人戸田総合法律事務所所属。
インターネット法と労務管理の案件を多く取り扱い、高度な専門性を有する。著書に 『ブラック企業』と呼ばせない!労務管理・風評対策Q&A」(共著 中央経済社)。

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