• エピロギTOP
  • その他
  • 第3回 女子医学教育の基礎を築いた秀才 エリザベス・ガレット・アンダーソン

“医”の道を切り拓く~世界の女性医師たち~

第3回 女子医学教育の基礎を築いた秀才 エリザベス・ガレット・アンダーソン

厚生労働省が2014年に発表した「医師・歯科医師・薬剤師調査の概況」によれば、医師数311,205人のうち、女性は63,504人(総数の20.4%)。若い年代ほどその割合は高く、29歳以下では34.8%と3割を超えるなど、日本における女性医師の割合は年々増加を続けています。

しかし、かつての日本には、男尊女卑の慣習から女性が医師になることすら許されなかった時代がありました。この事実は、国外に目を向けても同じことがいえます。
女性に対してのみ閉ざされていた医学教育の扉。それをこじ開けるように、時代の流れに逆らうことで医師となった女性たちが、世界各地に存在していたのです。

 

日本の女医を紹介するシリーズ「いばらの道を駆け抜けた女性医師たち」を承継し、舞台を世界に再設定した本企画。第3回の主人公は、イギリス初の女医であり、女性医師を育成する基礎を作った医師、「エリザベス・ガレット・アンダーソン」です。

 

エリザベス・ガレット・アンダーソン 女性医師の育成に尽力したパイオニア

生涯の師、エリザベス・ブラックウェルとの出会い

エリザベス・ガレット・アンダーソンは、1836年6月9日、ロンドンのホワイトチャペルに産まれました。
教育熱心な父親の意向でロンドンの学校に通い、幼い頃から都会の先進的な文化に触れていました。当時は女性運動の萌芽期にあったことから、アンダーソンもフェミニスト活動に参加するなど、若い頃から活動的な女性だったといわれています。

1859年、アンダーソンはロンドンで「女性にとっての専門職としての医師」という講演会に参加します。そこで、出会ったのが、第2回で取り上げた世界初の女性医師、エリザベス・ブラックウェル。当時ブラックウェルはアメリカからロンドンの聖バーソロミュー病院へ研修に来ており、講演会では女性医師の有用性を訴えました。その内容に、アンダーソンは大きな感銘を受けます。

「男性優位の社会で、女性医師が増えることは女性の権利向上につながるに違いない」

そう踏んだ彼女は、医者になることを決意します。アンダーソンが23歳のときの出来事でした。

医学学位の取得を目指して回り道

アンダーソンはさっそくロンドンのミドルセックス病院へ行き、外科看護師の見習いとして指導を受けます。そこでは多くの男性とともに、外科的処置を学びました。
勉強は順調でしたが男性たちとの折り合いは悪く、「どうして女なんかと一緒に勉強しなければならないんだ」と心無い言葉を投げかけられることもしばしばでした。

医学の世界はもともと男性社会ですから、女性への風当たりは非常に厳しいものです。アンダーソンは医師免許を取得しようとイギリスのあらゆる大学病院に入学を依頼しますが、そのすべてが「女性であること」を理由に拒否。「階級、宗派などの制限を設けない」と謳うロンドン大学すらも、女性に関する条項がないことを理由に入学を断っています。

しかし、アンダーソンは賢い女性でした。大学が女性の入学を拒むなかで、薬剤師会だけは女性の受験を禁止していないことを発見。上手く立ち回って試験を受け、29歳で合格します。こうして1865年に薬剤師となり、英国医事委員会から女性医療者として正式に認定されました。
ちなみに、薬剤師会は後に規約を変更し、女性の受験を禁止したそうです。この対応からも、当時の社会に女性差別が深く根付いていたことがわかります。

女性と子どものための病院を設立

男性優位の社会の中で心が折れてしまいそうな局面でも、アンダーソンは医師になる夢を諦めませんでした。

「女性だから実現できる医療があるはず。それを証明できれば、女性がもっと暮らしやすい社会になる」
その思いが、彼女を突き動かしていたのです。

1865年、アンダーソンはロンドンの貧困地域に「聖マリー女性診療所」を設立します。この診療所は老若男女どんな患者でも、1ペニー(およそ200円)で診てくれるので、労働者階級の女性や子どもが多く押し寄せました。「女医が診るなんてとんでもない」という声も珍しくない時代ですが、社会的弱者の女性や子どもにとって、偏見なく診療してくれる聖マリー診療所は救いの場となったのです。

パリで学位を取得、イギリス人初の女性医師に

アンダーソンはこの病院で1年間に1万回もの診察をこなすだけでなく、貴重な症例を見つけては学会で発表するなど、研究者としても医学に大きく貢献します。
こと産婦人科に関しては優れた能力を発揮し、1878年には世界初の卵巣の切除手術に成功しました。アンダーソンの熱心な研究は評判を呼び、次第に彼女の医療実践は男性からも評価されるようになったのです。

病院を運営する一方で、イギリスでは取得できなかった医学学位の獲得も目指していました。彼女は苦労してフランス語を勉強し、1870年にパリの大学に入学します。そして34歳のとき、ついに医学博士号を取得しました。エリザベス・ブラックウェルとの出会いから11年、イギリス人初の女性医師が誕生した瞬間です。

女子専門の医学校を開校

医師の仕事を軌道に乗せたアンダーソンは、1874年、エリザベス・ブラックウェルとその妹、エミリー・ブラックウェル、さらにイギリスの女医ソフィア・ジェックスブレークとともに、イギリス初の女子医学校「ロンドン女子医学校」を設立。1884年から1903年までは、同校の校長を勤めています。

この学校は、当時にしては珍しく「衛生学」「産科学」のカリキュラムを設けており、衛生学の先駆者としてエリザベス・ブラックウェルが教壇に立つこともありました。生徒は200人以上集まり、その多くがイギリス国内や植民地にある医療機関で活躍したといわれています。

学内では優秀な学生を育てるために学生自治を推進し、学生代表組織やクラブ活動が設けられました。また、自学自習の定着を図るため、手軽に持ち歩けるポケットサイズの教科書を採用。その教科書の巻末には、「いつ、どの講義で、何を見たのか」という内容を記録するメモ帳が付属していたそうです。

家庭と仕事を両立した職業婦人

アンダーソンは1871年、34歳のときに結婚し、学校を運営しながら3人の子どもを育て上げました。ちなみに、娘の1人はアンダーソンと同じく女性医師の道を歩んでいます。
当時、職業婦人といえばエリザベス・ブラックウェルのように独身を貫くことが多く、アンダーソンのように家庭と仕事を両立した人物は珍しかったといわれています。

この頃にはわずかながらも女性の社会進出が進み、世の中の女性には「結婚するから仕事を辞める」、あるいは「仕事のために結婚をしない」という考え方が生まれつつありました。アンダーソンは仕事と家庭を両立することで、その二者択一的な考え方に異を唱えたかったのかもしれません。

また、晩年にはオールドバラという海沿いの街に引っ越し、若い頃のように婦人参政権運動に参加しています。1908年にはオールドバラでイギリス初の女性市長になるなど、歳を重ねてもその行動力は衰えなかったようです。
そして、1917年12月17日、心臓病のため亡くなりました。81歳でした。

 

イギリスで女性医師のキャリアを示した先駆者

アンダーソンは、女性医師であっても勤勉に働けば社会から尊敬を受けられることを証明してみせました。
そして、あらゆる女性が医師という職業を選べるように、教育体制を整備し、後輩の指導や育成に熱心に取り組みました。

ロンドン大学は彼女の功績をたたえて、産婦人科病棟を「Elizabeth Garrett Anderson and Obstetric Hospital」と改名。彼女が特に力を注いだ産婦人科の名前として永遠に残ることになったのです。

2016年6月9日に生誕180週年を迎えたアンダーソン。
彼女はいまもオールドバラの聖ペテロ聖パウロ教会で、安らかに眠っています。

 

(文・エピロギ編集部)

 

<参考>
厚生労働省「女性医師の年次推移」
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000069214.pdf
厚生労働省「平成26年(2014) 医師・歯科医師・薬剤師調査の概況」
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/14/dl/gaikyo.pdf
伯爵カインシリーズ非公式サイト「伯爵館」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/9338/c_24.htm
Yukihisa Fujita Mystery World「エリザベス・ギャレット・アンダーソン ( 小説 )」
http://blogs.yahoo.co.jp/yfujita_mystery/27837957.html
世界のGoogleトップロゴ観察「エリザベス・ガレット・アンダーソン 生誕180周年」
http://www.googletop.info/?p=314715
英国便り「エリザベス・ギャレット・アンダーソン病院跡」
http://hirokowright.blogspot.jp/2015/07/blog-post_6.html
コトバンク「エリザベス アンダーソンとは」
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9+%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3-1617774
渡邊洋子、柴原真知子「イギリスにおける女性医療専門職の誕生と養成・支援活動 -パイオニア女性のキャリア確立プロセスに関する成人教育的考察から-」(京都大学大学院教育学研究科紀要 第59号、2013)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/173254/1/eda59_099.pdf

 

【関連記事】
いばらの道を駆け抜けた女性医師たち|第1回 与えられなかった女医と、与えられた女医
母で医師だからわかること~壁があったからこそ見えたもの|吉田 穂波氏インタビュー 前編
「自分らしく働ける環境が見つかる」女性医師特集

 

EPILOGI メルマガ会員募集中 人気記事ランキング エピロギ編集部おすすめ記事 会員限定アンケート 会員限定イベント情報

コメントを投稿する

投稿者名(12文字以内)
コメント
(100文字以内)

医師のためのビジネス選書

EPILOGI メルマガ会員募集中 人気記事ランキング エピロギ編集部おすすめ記事 会員限定アンケート 会員限定イベント情報
ページの先頭へ