ノーベル賞で辿る医学の歴史

第8回 生命の基本システム~オートファジーの発見

「その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるものとする。」
アルフレッド・バルンハート・ノーベルの遺言によって創設されたノーベル賞。その一分野である医学・生理学賞の受賞を振り返ると、人類と病の闘いの歴史であることがわかります。
いまでは当然と思われている医学の常識が成立するまでに、研究者たちは多くの困難を乗り越えてきました。
前回は2016年のノーベル賞受賞速報として、「【番外編】大隅良典氏、『オートファジー』でノーベル医学・生理学賞を受賞」をお送りしました。今回はそのオートファジー研究の歴史を紐解き、大隅良典氏の功績を紹介します。

「オートファジー」の生まれはイギリス

ノーベル医学・生理学賞の受賞により一気にその名が知れ渡ることとなったオートファジー。その存在は、1960年代から主に科学者の間で認識されていました。

「オートファジー」という言葉の生みの親は、イギリスの細胞生物学者クリスチャン・ド・デューブです。彼はインスリンの研究を行っていた人物で、1955年に膜構造を持つ細胞小器官「リソソーム」を発見したことで有名です。
リソソームの発見により、真核生物の細胞にあるミトコンドリアなどの小器官は共生化した原核細胞に由来しているという「細胞内共生説」が、科学の世界で定説となりました。ちなみに彼はリソソームを発見した功績から、1974年にノーベル医学・生理学賞を受賞しています。

この発見のあと、マウスの腎臓から同様の膜構造体を持つ細胞小器官が見つかりました。この膜構造体はその中にミトコンドリアなどの細胞内物質を取り込んでいました。ミトコンドリアは呼吸によってエネルギーを生み出す機能を持ち、生命活動に欠かせない存在です。科学者たちはこの様子を見て首をひねりました。通常は細胞の中に存在し生命活動の要となるミトコンドリアが、謎の膜構造体に取り込まれている状態であったからです。

デューブはこの謎を解明するため膜構造体の正体を追います。その結果、謎の膜は「ファゴフォア(隔離膜)」といい、取り込んだ物質を分解する能力を持つことが明らかになりました。
ファゴフォアが細胞内の不要な物質を取り込み、分解して新たな物質に作り変える仕組み。彼はこのメカニズムに「オートファジー」と名前をつけ、1963年に論文を発表します。

オートファジーは細胞維持のために非常に重要な仕組みであると考えられましたが、研究者の多くはファゴフォアが持つ分解プログラムに興味を示しました。一方でオートファジーのシステムそのものに着目する学者は非常に少なく、デューブのオートファジーに関する研究は半ば埋もれるようにして科学の世界から忘れ去られてしまうのです。この発見を掘り起こしたのが、大隅良典氏の研究でした。

 

「細胞のゴミ溜め」観察から始まった液胞研究

大隅良典氏は、終戦直前の1945年2月、福岡県福岡市に生まれました。父は九州大学工学部の教授で、兄は東京の大学で史学を専攻するなど、学者一家に生まれ育ちます。
幼い頃から、兄が帰省のたびに買ってくる宇宙や生物、化学に関する本を愛読し、八杉龍一の『生きものの歴史』、ファラデーの『ろうそくの科学』、三宅泰雄の『空気の発見』などは挿絵を覚えるほど読み込んだそうです。高校に入学する頃には化学に興味を持つようになり化学部に所属、部長も務めています。

その後は東京大学理科二類に進学。大学院まで進んだ後、1977年に東京大学理学部の助手になり、大腸菌の膜輸送について研究する安楽泰宏教授(現・東京大学理学部名誉教授)の研究室に所属しました。
そこでは細胞膜の輸送に関する研究が中心でしたが、大隅氏は当時誰も手を付けていなかった「液胞の膜輸送」について研究を行うことにしました。もともと顕微鏡観察を好んでいた大隅氏は、光学顕微鏡で唯一観察できる小器官「液胞」に強い興味を持っていたのです。また、細胞膜輸送の研究は当時の流行であった一方で、液胞の膜輸送を扱う研究者が全くいなかったとことも決め手になりました。この出来事について、大隅氏は後にインタビューで「人のやらないことをやり、競争をしないで独自のものを出すという私のサイエンスのスタイル」とコメントしています。

当時、液胞は不活性な細胞小器官で、「細胞のゴミ溜めに過ぎない」と考えられていました。ゆえに注目する研究者はほとんどおらず、大隅氏が論文を発表しても評価されることは滅多にありません。
細胞を一つひとつ観察し、一人で顕微鏡を覗き込む日々。彼はこの生活を約11年続けました。普通であれば成果が出ないことに焦り、匙を投げてしまうかもしれません。しかし、彼は生来の学者気質で研究を苦に感じることがなく、自分のペースでコツコツと成果を積み上げることができる人物でした。ノーベル賞を受賞した際の「科学はそもそも見通しがつかないもの。すぐに成果は出ないかもしれないけど、人と違うことや面白いことに挑戦できる。」という言葉からも、彼の考え方が伝わってきます。その地道な努力が、彼を大きな発見へと導きます。

 

11年目の大発見

1988年、大隅氏は東京大学教の助教授になり、「酵母の液胞内での分解」のメカニズム解明に取り組みます。「細胞のゴミ溜め」と言われた液胞の分解システムを解明しようとしたのです。

このとき大隅氏は43歳。助教授になり研究室を持ったとはいえ、助手はおらず、研究を行うのは彼一人だけ。手元にあったのは、酵母の振盪(しんとう)培養機と顕微鏡、減菌装置、分光光度計のみだったといいます。

「自分の目で確かめる」というこだわりから、液胞内の分解現象を顕微鏡で観察できないかと考えた大隅氏は、酵母の仕組みに着目してある仮説を立てます。それは、酵母が飢餓状態のときに液胞の分解作用が最も活発になるというもの。もともと酵母は細胞内の物質で胞子を形成し飢餓状態を乗り切る性質があります。もし液胞に分解作用があるとすれば、胞子形成のタイミングで分解を止めることで、その構造が見えてくるのではないかと推測したのです。

この仮説を確かめるための実験は非常に単純でした。液胞内の分解酵素が欠損した酵母を用意し、それを飢餓状態にして何が起こるかを観察するだけです。その結果、飢餓状態の酵母において、液胞の中に小さな物質が蓄積し、激しく動き回る様子が観察されました。

これこそ、世界で初めてオートファジーの過程を肉眼で捉えた瞬間です。通常、液胞内への物質の取り込みと分解は瞬時に行われるため、分解酵素が活発な普通の酵母ではその様子を観察できません。「条件を満たす酵母を用意し、飢餓状態に陥らせる」という実験方法は至極シンプルなものですが、今まで誰も気付くことがありませんでした。根気強く酵母と液胞の研究を続けてきた大隅氏だからこそのひらめきといえるでしょう。助教授になってわずか2カ月後の出来事でした。

彼はこの発見を早速論文にまとめます。しかし編集者とのやりとりが長引き、速報誌「FEBS Letters」に受理されるまでに2年もの時間を要す事態に見舞われました。この間に論文のコピーがアメリカに出回り、「どうしてこんな重大な発見が今まで見つからなかったんだ」と大騒ぎになったというエピソードもあります。

 

病気治療への応用に向けて

1998年には8本しかなかったオートファジーの論文。それが2015年にはたった1年で5000本以上も発表されるようになりました。がんやアルツハイマーをはじめとしたさまざまな病気とオートファジーの関連性が判明し、応用研究が増えてきたことがその理由です。

例えば、乳がんや卵巣がんの患者の大部分は、BECN1という遺伝子に変異が見られます。この遺伝子は酵母のAPG6遺伝子に相当するのですが、APG6遺伝子はオートファジーの開始段階を制御する働きがあります。このことから、オートファジーとがんの発症に何らかの関わりがあると考えられています。

また、アルツハイマー病は折りたたみ構造に異常を持つタンパク質が原因とされています。そこで、薬品を用いてマウス細胞のオートファジーを活性化したところ、異常なタンパク質の有害性が抑えられることも分かってきました。

無限の可能性を秘めたオートファジー。その仕組みの解明が、さまざまな病気を治療する糸口となっています。ノーベル賞受賞で注目されたオートファジーの研究は、これからさらに発展していくことでしょう。

大隅氏の功績はオートファジーの発見だけにとどまりません。大隅氏は2013年度トムソン・ロイター引用栄誉賞を共同受賞した水島昇氏をはじめとして、多くの優秀な研究者を育成してきました。ちなみに、水島氏はもともと東京医科歯科大学に勤める臨床医でしたが、大隅氏の論文に感銘を受け、30代で研究者にキャリアチェンジしたそうです。大隅氏の下で学び40代でトムソン・ロイター引用栄誉賞のほか武田医学賞や上原賞などを受賞するなど、研究者としての才能を開花させました。

若者の科学離れが取り上げられる中、大隅氏は若い研究者たちを支える制度の拡充を訴えています。そして研究者の若手不足の問題は医学分野も例外ではありません。現に毎年医学生の多くが臨床医を志しており、基礎研究医や病理医のなり手が不足している状態です。患者の命を救う技術は、基礎研究があってこそ成り立つもの。医学の現場でも、いかに若手の研究者を育成し支えていくかが課題です。

(文・エピロギ編集部)

 

「ノーベル賞で辿る医学の歴史【番外編】2016年受賞速報|大隅良典氏、『オートファジー』でノーベル医学・生理学賞を受賞」

 

<参考>
サイエンスポータル「大隅さん支えた愛弟子水島さん ノーベル医学生理学賞受賞の偉大な業績に貢献」
http://scienceportal.jst.go.jp/news/newsflash_review/review/2016/10/20161005_01.html#
日教弘ライフサポートクラブ「《子供たちに聞かせてあげたいノーベル賞 2016》 2016 年ノーベル生理学医学賞 オートファジーのメカニズムの発見」
http://www.nikkyoko.net/nobel/medical2016.pdf
パリから見えるこの世界 Un regard de Paris sur ce monde「第 26 回 クリスチャン・ド・デューブという科学者、 あるいは『知的誠実さ』という価値」
http://hidetakayakura.webs.com/igaku%20no%20ayumi%20essai-26-fn.pdf
ロハスケ「2016年ノーベル生理学医学賞は大隅良典博士」
https://www.botanical.jp/library_view.php?library_num=518
高校理科 連載コラム かがくのおと 第93回 「オートファジーと細胞内タンパク質」
https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/ten_download/2016/2016101168.htm
医学部教育の今「医学・医療の高度化を担う基礎研究医の養成を強化」
http://www.igakubujuken.jp/column/detail.php?column=29
産経新聞「【大隅良典さんノーベル医学・生理学賞受賞】夜中に突然の電話も 「変わったことが好き」弟子が語る横顔」
http://www.sankei.com/life/news/161004/lif1610040016-n1.html
名言格言「大隅良典語録」
http://meigennooukoku.net/blog-entry-4078.html

 

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