ノーベル賞で辿る医学の歴史

第9回 放射線医学の出発点~X線の発見~

「その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるものとする」
アルフレッド・バルンハート・ノーベルの遺言によって創設されたノーベル賞。その一分野である医学・生理学賞の受賞を振り返ると、人類と病の闘いの歴史であることがわかります。いまでは当然と思われている医学の常識が成立するまでに、研究者たちは多くの困難を乗り越えてきました。
今回は、医学・生理学賞から少し離れて、記念すべき第1回ノーベル物理学賞の受賞研究から、ヴィルヘルム・コンラート・レントゲンによる「X線の発見」を取り上げます。いまや放射線医学でおなじみの「X線」は一つの偶然から発見されました。その歴史を振り返ってみましょう。

 

X線の発見者、レントゲン

X線を発見したヴィルヘルム・コンラート・レントゲンは、1845年にドイツのレンネップ(現在のレムシャイト)で生まれました。物理や数学を得意とした彼はスイスのチューリッヒポリテクニクム(現在のチューリッヒ工業大学)に入学します。卒業後は物理学の講師を勤め、1888年にヴュルツブルク大学に移ります。1894年、ヴュルツブルク大学の学長に就任。その翌年、X線を発見しました。

彼の性格をよく表す逸話があります。レントゲンが17歳のときのこと。高校のクラスメイトが、“巨大な鼻”というあだ名を持つ教師の似顔絵を描きました。その絵が問題となり、絵を描いたのがレントゲンではないかと疑われたのです。全くの濡れ衣でしたが、彼は友人を守るために真犯人の名を明かすことなく、罪を被って退学しました。その後、レントゲンの優秀な才能を惜しんだチューリッヒポリテクニクムの校長により、入学試験を免除の上、大学に招き入れられたといいます。

 

偶然から生まれたX線の発見

X線の発見に話を戻しましょう。レントゲンがヴュルツブルク大学に在籍していた当時、物理学では「陰極線の研究(真空管の中で観察される電子の流れの研究)」が最盛期を迎えていました。そのスペクトル(エネルギーの大きさを示した波形グラフ)に興味を持ったレントゲンもまた、陰極線の研究に着手しました。

1895年11月8日、50歳のレントゲンはいつものように実験室にいました。スペクトルの観察実験の手順は非常にシンプルで、黒い紙で覆った陰極線管に高電圧を加えて発光させるというもの。数ある陰極線管のうちから一つを選んで実験すると、たまたま近くにあった蛍光板が淡い緑色の光を放ちました。
「覆い紙がずれたのだろうか」
実験器具を確認してみても、陰極線管は隙間なく覆われています。それでは見間違いだろうかと再び高電圧を加えると、蛍光板はやはり淡い発光反応を示しました。何度やり直しても結果は同じ。どうやら、目に見えない光線が覆いをすり抜けて蛍光板に作用しているようです。
レントゲンは陰極線管と蛍光板の間に分厚い本を挟んだり、部屋の壁を隔てたりして蛍光板を観察しました。この場合も同様に発光が認められました。

彼は最後に、陰極線管が発する光線を妻の手に当てて写真撮影を行いました。すると驚いたことに、写真乾板には妻の手の骨と指輪の影が映し出されたのです。

X線_文中画像【修正版】

レントゲンの妻の左手を撮影したX線写真。左手薬指に映っているのは指輪。

 

「本や壁を透過するのに、人間の骨は透過しないらしい。この不思議な放射線の正体はなんだろう」
人の骨を映し出した謎の放射線――これが未知の存在X線を発見した瞬間です。ちなみにX線という名前は、数学で未知数を意味する「X」からレントゲンが名付けました。

陰極線のスペクトルを観察するはずが、未知の光線を見つけてしまったレントゲン。その光線は偶然の産物とはいえ、学者の研究意欲を掻き立てるには十分魅力的な存在でした。レントゲンが実験室に引きこもって研究に打ち込んだのも無理からぬことでしょう。
X線の発見からわずか2カ月足らずの12月28日、彼は「放射線の一新種について(Uber eine neue Art von Strarhlen)」と題した研究報告書をベルリン物理医学会に提出。翌年1月に開催されたベルリン大学物理学教室で、妻の骨を映し出した謎の放射線について発表します。
レントゲンの論文は発表から1カ月後に早速英訳され科学誌『ネイチャー』に、その翌月には『サイエンス』にも掲載されました。
人類で初めてX線の存在を確認したレントゲンは、1901年に「X線の発見」の功績で記念すべき第1回ノーベル物理学賞を受賞しています。

ちなみに、「レントゲンは人前での講演が苦手だったため受賞演説をしなかった」というエピソードは有名ですが、実は最愛の妻の容態が思わしくなかったために早期の帰国を望んでいたことが本当の理由だとされています。

 

血管を映し出す~血管造影剤の開発

人間の骨が見えるという未知の体験は、科学者に限らず多くの人の好奇心を刺激したのでしょう。X線が発表された当時は、X線撮影で記念写真を撮る人や、足の骨を撮影して靴作りを行うなどのサービスが流行したといいます。

また、骨だけでなく血管のような軟部組織をX線で映し出そうという研究も進められました。いわゆる「血管造影剤」の開発です。
ウィーン大学の医師Lindenthalと研究室助手のHaschek E.は、X線が発見された翌年の1896年に、石灰やワセリンを混合した造影剤を用いて、手の動脈造影に成功しています。
この技術を臨床に応用するため、多くの科学者が造影剤の開発に臨みました。初期の造影剤は注入時の疼痛や熱感が強く、患者の負担が大きい点が課題でした。そこで開発されたのが浸透圧の低い非イオン性造影剤です。また、造影剤だけでなく注入器の改良も重ねられ、現在では患者の負担も少なく安全性の高い血管造影を行うことが可能になりました。

 

放射線障害に対する管理体制の整備

一方で、1896年には急性放射線障害が、1902年にはX線による発がんリスクが報告されました。X線の発見者であるレントゲン自身も実験の影響で髪の毛が抜け、皮膚に腫瘍ができるなどの症状に苦しんでいたようです。

これら放射線障害を防ぐため、当時の科学者はX線の使用について管理対策を打ち出します。1915年、世界初の勧告である「X線技術者の防護に関する勧告」がイギリスから発表されました。1925年には第1回国際放射線会議が、1928年には国際X線ラジウム防護委員会が設立されるなど、世界的に放射線を管理する取り組みが進められました。 現在は日本でも放射線の扱いに対して厳しく法律が定められています。例えば、医療現場では医師と歯科医師の他、放射線技師などの有資格者のみ放射線機器の使用が許可されています。

管理体制の整備に伴い医療での放射線利用は拡大を続けました。きちんと管理しさえすれば、放射線は人類にとって非常に有用な存在となったのです。

 

放射線医学の誕生とX線の応用

X線の発見から生まれ、大きく発達したのが放射線医学です。中でも画像診断学は飛躍的な発展を遂げました。

1967年、イギリスの技術者ゴッドフリー・ハウンズフィールドはX線を活用した断層撮影技術を開発しました。これはCT装置の原型となり、画像解剖学の進展に大きく貢献しています。以前のCT撮影は横断面の撮影が主でしたが、現在ではMDCT(Multi Detector-row CT)の開発により多断面での撮影が主流となりつつあります。医療用X線装置はもはや臨床の場に欠かせない存在です。

X線の発見はこれら画像診断学の基礎となっただけではありません。放射線同位元素を用いた核医学や、X線などを照射し悪性腫瘍を死滅させる放射線治療学もまた、X線の発見を元に発展してきた領域といえるでしょう。特に、組織を傷つけることなくがんを治す放射線治療は、高齢化によるがん患者が増える社会で大きな注目を浴びている研究分野です。

 

「私はX線を発明したのではない。X線はX線を必要とする方々のもの」

レントゲンはX線発見の功績から数多の賞賛を受けました。しかし「科学は個人利益のものではない」としてノーベル賞以外の受賞をすべて断り、貴族の称号すらも辞退しています。また、ノーベル賞の賞金は全額ヴュルツブルク大学に寄贈し、研究資金として活用するようにと遺書を残しました。X線の特許を取れば莫大な資産が手に入ると勧められたこともありますが、レントゲンはこう断っています。

「特許? わたしは特許権を獲得したいとは思いません。また必要でもありません。私はX線を発明したのではない。X線はX線を必要とする方々のものです」

引用元:山下一也『医療放射線技術学概論講義:放射線医療を学ぶ道標』(2007、日本放射線技師会出版会 P.75 l.21)

「科学技術は人類共通の財産である」という姿勢を貫いたレントゲン。彼が望んだものは富でも名声でもありません。X線を必要とする人がそれを平等に利用できる世界でした。

*

X線の発見を基礎に発展した放射線医学は、この120年間で飛躍的な進化を遂げました。その間に電子線や中性子などX線以外の放射線も応用されるようになり、現在も日夜新たな研究が進められています。WHOは今後20年間でがんの年間症例数が2200万件に増加すると推計しており、放射線医学の重要性は増していくでしょう。MDCTの発達や放射線治療の進歩など、これからの発展が大きく期待されます。

(文・エピロギ編集部)

 

<参考>
山下一也『医療放射線技術学概論講義: 放射線医療を学ぶ道標』(2007、日本放射線技師会出版会)
https://goo.gl/R5Ax5e
欅田尚樹「放射線・放射能の発見・利用の歴史と放射線衛生学」
http://www.jser.gr.jp/activity/JSER_report/201403_SI3.pdf
新庄徳洲会病院「院長のコラム Vol.4」
http://www.shin-toku.com/renewal/10column/column04.html
末廣医院「医療の歴史(25) X線の発見 - 医療あれこれ」
http://www.suehiro-iin.com/arekore/history/25x.html
首相官邸「放射線研究の幕開け ~レントゲンによるX線の発見~」
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g51.html
The Daybreak of X-ray Studies in Japan
天野良平「日本におけるX線研究のあけぼの―医学利用前史:物理学者が果たした役割―」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhps1966/30/2/30_2_113/_article
日獨医報 第56巻 第1号「造影剤の歴史」
http://www.bayer-diagnostics.jp/static/pdf/publications/nichidoku_iho/2011_56_01/56_01_07.pdf
JASTRO 日本放射線腫瘍学会「放射線腫瘍医になろう、パンフレット」
https://www.jastro.or.jp/juniordoctor/
IARC「PRESS RELEASE No.224」
http://www.iarc.fr/en/media-centre/pr/2014/pdfs/pr224_E.pdf
日本WHO協会「ファクトシートNo.297」
http://www.japan-who.or.jp/act/factsheet/297.pdf

 

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