ノーベル賞で辿る医学の歴史

第10回 医学×洋裁から始まった血管外科の歴史

「その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるものとする」
アルフレッド・バルンハート・ノーベルの遺言によって創設されたノーベル賞。その一分野である医学・生理学賞の受賞を振り返ると、人類と病の闘いの歴史であることがわかります。いまでは当然と思われている医学の常識が成立するまでに、研究者たちは多くの困難を乗り越えてきました。
今回は三角吻合術や人工血管をはじめとした血管外科の歴史についてご紹介します。

 

「神の手」を持つ男、アレクシス・カレル

いまから約100年前、「神の手」を持つ男として世界から尊敬を集めた人物がいます。彼の名はアレクシス・カレル。フランスの外科医で、複数の血管をつなぐ「三角吻合術」を発明した人物です。 三角吻合術は臓器移植やバイパス手術に欠かせない技術であり、現代まで多くの人々の命を救ってきました。カレルが血管縫合術に興味を持った背景には、研修医時代の衝撃的な体験があります。

1894年、フランス第三の都市リヨン。20歳のアレクシス・カレルは研修医として病院に勤めていました。そこに当時のフランス大統領マリー・フランソワ・サディ・カルノーが緊急搬送されます。カルノーは博覧会場で暴漢に腹部を刺され、瀕死の重傷を負っていました。傷は主要な血管の一つである「門脈」まで到達し、大量出血している状態です。それを見た医師たちは救命が不可能だと判断しました。患者の血管縫合が難しいと考えたのです。

当時、血管縫合の成功例が無いわけではありませんでしたが、その技術を持つのはごく一部の医師のみで一般に広まってはいませんでした。医師たちが右往左往する中で、「血管を縫合しましょう」と声をあげた青年がいます。それがカレルでした。彼は皮膚や臓器の縫合が可能なら、同様に血管の縫合も可能であると主張したのです。しかし、その場に血管縫合の技術を持った医師はおらず、研修医の意見が受け入れられるはずもなく、大統領はそのまま亡くなりました。

 

リヨンの刺繍師たちに学んだ縫合の技術

目の前で患者を亡くす悲痛な体験。カレルはこの出来事をきっかけに、血管縫合の研究を始めます。研究といえば大学などで教授に学ぶのが一般的ですが、彼が縫合の師匠に選んだのは腕の立つ外科医ではなくリヨンの刺繍師たちでした。

18世紀から19世紀にわたり「絹織物の街」として栄えたリヨン。その織物はフランスの王侯貴族に納められるほどの質を誇り、街には腕利きの刺繍師やレース編み職人である女性がたくさん住んでいました。カレルは彼女たちを裁縫の師と仰ぎ、運指や刺繍の技術を学んだのです。

女性ばかりの工房で若い研修医が一人刺繍を習う姿は、はたから見れば滑稽だったことでしょう。周りの医師はこぞってカレルのことを馬鹿にしました。しかし、カレルはぐんぐんと縫合のスキルを磨きます。最終的にはマッチ棒よりも細い血管を縫い合わせてみせるなど、周囲の医師たちを驚かせました。その神業的な技術には誰もが舌を巻いたと伝えられています。

 

39歳という異例の若さでノーベル賞を受賞

1904年にアメリカに渡ったカレルはロックフェラー研究所に招かれ、病理学者のサイモン・フレクスナーの研究室に所属しました。そこで縫合技術の研究を進めます。

血管吻合は細かな作業を必要とするだけでなく、複数の立体(管)を縫合しなければなりません。さらに少しでも隙間があれば血液が漏れ出し、生命の危険につながります。立体である血管を隙間なく縫うにはどうしたら良いか……。彼は研究の末に、チューブ状の血管を吻合する三角吻合術を発明します。これは血管の3点に糸を通して引き合うことで血管の円周を三角形に変え、その一辺一辺を縫い合わせていく縫合術です。現在でも、切断された血管を修復するために使われています。

また、彼は緻密な手術を行うために自ら繊細な針を開発し、手術の様子を詳細に確認できるように特製の拡大鏡も活用しました。これは顕微鏡を用いた現代の手術、「マイクロサージャリー」の原型といえるでしょう。こうして動脈のように太い血管から小指の先の毛細血管まで、あらゆる血管の吻合が可能になりました。これらの業績が下地となり、バイパス手術や臓器移植などの手術が可能になりました。

1912年、アレクシス・カレルは「血管吻合および臓器の移植に関する研究」によりアメリカ在住者として初のノーベル医学・生理学賞を受賞します。39歳にしてノーベル賞という栄光を手に入れたのです。

20世紀には血管外科の黄金時代が到来し、動脈瘤手術などに不可欠な人工血管が開発されました。さらに血管造影法など診断学の発展や血栓治療薬の開発などもあり、血管に関わる医学が大きく進歩した時代です。これにより血管外科で治療できる病気の範囲が広まり、現代まで多くの人の命を救っています。
医術と裁縫に長けた一人の医師によって築かれた血管外科の基礎。一つの分野に固執することなく、他分野の技術を身に付けることが医学の発展に寄与しました。現代でも、日常生活の思わぬところに医学進歩のヒントが隠れているかもしれません。

(文・エピロギ編集部)

 

<参考>
テルモ「医療の挑戦者たち(8)血管を縫い合わせる技術。繊細な針の運びはリヨンの刺しゅう師に学んだ。(アレクシス・カレル)」
http://challengers.terumo.co.jp/challengers/08.html
太田和夫「移植グラフィティー(8) カレルと血管吻合法」
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/history/hstr_008.html
安田慶秀「わが国における血管外科」
http://square.umin.ac.jp/jscvs/jpn/history_vascular_1.html
日本ライフライン株式会社「5.人工血管置換術 | 大動脈瘤の治療」
http://www.jll.co.jp/patient/aortic_1_5.html
公益財団法人 日本心臓財団「耳寄りな心臓の話(第11話)『ルルドの奇跡と血管吻合法』」
http://www.jhf.or.jp/bunko/mimiyori/11.html
橋本久義「大学から飛び出した医療機器ベンチャー、心臓手術訓練機で医師と患者を救う」(JBpress(日本ビジネスプレス))
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36836?page=2
国立循環器病研究センター 循環器病情報サービス「[80] 血液をさらさらにする薬」
http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/blood/pamph80.html

 

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