弁護士が教える医師のためのトラブル回避術

第12回 転職時のトラブル防止術

「将来的に、転職するか、独立を考えています。その際、勤務先との間でトラブルにならないために注意すべきことはありますか。」
知り合いの医師から、このような相談を受けました。
そこで、今回は、転職や開業にまつわるトラブル回避について、ご紹介します。

 

転職・独立時、問題となり得る行為とは

 転職や独立をするとき、元の勤務先の患者をそのまま引き継げたり、一緒に仕事をしてきた看護師や職員と新しい職場でも一緒に仕事ができれば仕事がスムーズですよね。
 しかし、このような勤務先で得た情報の取扱いや各種働きかけ行為が元で、勤務先とトラブルにならないのか、不安な方もいらっしゃることでしょう。

 過去には、医療法人の院長であった医師が勤務先の医療法人から、主要な職員に転職を働きかけたこと(結果として看護師全員の移籍)、患者に転院を働きかけたこと(結果として患者の半数以上が転院)、患者を転院させることを目的に患者の住所録を持ち出したことを理由に訴えられたケースで、裁判所が数千万円の損害賠償義務を認めたものも存在します。

 結論から言えば、患者さんに新しい勤務先や開業先を伝えることは問題ありません。ただし、勤務先の悪口を言ったり、執拗な勧誘はNG。また、その患者さんのカルテなどを持ち出すことも守秘義務や個人情報保護法に抵触する可能性があります。
 また、同僚の引き抜きについては、原則法的問題は生じませんが、常識を逸脱する場合は損害賠償の対象になります。
 開業の場合、開設場所や診察内容、開業時期について、法的に制限が発生する可能性があります。
 なお、いうまでもありませんが、トラブル防止のためには転職や独立の際には、勤務先への事前申告、時期や場所のすり合わせが重要です。
 それぞれ、詳しく見ていきましょう。

 

従業員に課せられた義務と、開業や転職における制限

 労働者及び使用者は、労働契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に、権利を行使し、及び義務を履行しなければなりません(労働契約法第3条第4項)。
 退職後は原則として競業避止義務を負わないと考えられていますが,前記義務に付随し、もしくは、使用者(勤務先)が労働者(医師)との間で交わした契約によって、使用者が労働者に競業行為を禁止する義務が認められることがあります(競業避止義務)。
 どんな行為が禁止されているかは職場との契約内容によって異なります。雇用契約書、労働条件通知書、就業規則等の内容を確認しましょう。

 ただし、競業避止義務が課せられている場合でも、直ちに記載内容通りの効力が発生するわけではありません。というのも使用者は自らの利益のため競業避止義務の範囲を広くしようとする傾向があるからです。使用者が課した競業避止義務を無効と判断した裁判例も多く存在します。

 裁判所はどのような要素から有効性を判断しているのでしょうか。裁判例から見ていきましょう。

 裁判例が検討した判断要素としては

  • ・義務を課すことによる使用者の利益
  • ・時間的・場所的・業務内容の範囲が労働者に不当な不利益を与えるものでないか
  • ・代償措置の有無や内容

 等の諸要素が考慮されています。

 使用者、すなわち勤務先の利益については、競業避止義務を課すだけの保護利益が勤務先に存在することが必要とされています。勤務先にとって営業秘密の保護や顧客維持がその利益となりますが、単純に競争相手となる者を排除する目的や競業避止義務を課すことで退職しづらくさせるだけの理由では利益がないと判断される可能性があります。

 続いて期間に関しては、退職後一定期間競業を行わないという取り決めがあります。これは、無期限のものから数カ月間に限定するものまで様々です。期間が短いほど労働者に対する不利益は少なくなります。一般的に2年を超えると有効性に疑問が呈されるイメージですが、5年間でも有効とされたケースや6か月でも無効とされたケースもあり期間だけでは判断できないのが実情です。
 場所に制限がかけられているケースは少ないですが勤務先と同一地域内に限り競業を禁止する条項であれば有効性が高まるでしょう。
 業務内容についても裁判例の大半は競業他社という範囲の広い制限のケースですが、これについても既存顧客への接触等に制限すれば有効の可能性が高まります。
 代償措置とは競業避止義務を課すかわりに退職金の上乗せを行ったり、就労中手当てを追加で支給したりすることです。このような措置がとられることで退職者の不利益が補てんされますので契約が有効と判断される方向に働きます。

 以上の通り、競業避止義務にかかる契約が有効か否かは総合的な判断のもとに決定されます。
 医師の方の競業避止義務を考えてみると、医師としての仕事を行えないような競業避止義務は職業選択の自由の過度な制限として無効と判断されるでしょう。他方で、競業を禁止する年数と同一市区町村等地域に限定をかけ(人口密度によっては市区町村ではなく距離に制限を設ける等。)代償措置を講じていれば有効な契約といえるケースもあるでしょう。なお、期間制限がかけられている場合、その期間が経過すれば契約は効力を失います。

 では、競業避止義務が有効であることを前提に、約束違反をした場合どのようなペナルティーがあるのでしょうか?
 一般的に請求されるのは損害賠償請求と行為の差止め請求です。

 但し、損害賠償請求については損害と競業行為との間の因果関係が疑わしいケースもありますし、差止め請求についてもその必要性や内容が改めて検討されることになりますので、請求を受けたからといって直ちに請求通りの義務が発生するわけではありません。
 違約金や退職金の不支給が定められているケースもあります。しかし、これらも有効か否かは検討が必要ですので請求を受けられた方はまず弁護士に相談すべきでしょう。

 では、競業避止に関する契約を締結していない場合はどうなるのでしょうか? 約束をしていない以上どのような行為も許されるのでしょうか。
 裁判例は「社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なもの」と呼べるほどの行為であれば、契約を締結していない場合でも損害賠償責任が発生するケースがあるとしていますのでその点はご留意ください。

 

スタッフや患者を連れていくのはNG?~引き抜きに関する法的制限

 競業行為の一内容として引き抜き行為がなされるケースもあります。引き抜き行為は勤務先との関係を悪化させる典型的行為です。引き抜き行為に制限はあるのでしょうか。
 各個人には職業選択の自由があり、どのような職に就くかは自由に決めることができるのが原則です。したがって、引き抜き行為によって従業員が転職することになったとしてもそれを原因としては、原則、法的問題は生じないと考えられています。
 ただ、前記競業避止義務同様、引き抜き行為の態様が常識を逸脱しているような場合には損害賠償請求の対象となります。

 では職員の引き抜きではなく患者の引き抜きについてはどうでしょうか。例えば医療機関を新規に開設するような場合これまで診療してきた患者に対し、新しい医療機関を紹介しこちらの医療機関で受診を促す行為に問題はないでしょうか。
 診療行為を行ってきた患者に対して退職の事実を伝えたり、新たな勤務先を伝えたりすることは常識的にも問題のない対応です。しかしそれを超えて勤務先の悪評を伝えたり執拗な勧誘を行ったりすれば損害賠償責任を追及される可能性はあります。

 

勤務先の情報持ち出し~患者さんや病院の情報は持ち出し可能か?

 カルテや患者リスト、院内マニュアルなど、勤務先で知りえた情報を利用できれば転職先や独立後の医院でも有効利用することができそうですがそのような行為は許されるのでしょうか。

 医師は診療の過程で知りえた患者や家族の健康状態等の情報について患者との間で守秘義務を負っており、これに違反すれば民事上のみならず刑事上も責任追及されます。
 また、患者の住所や連絡先など、患者から知りえた情報の大半は個人情報保護法上の個人情報にも該当します。医師がこのような情報を第三者に提供すれば、原則として勤務先にとっては個人情報保護法上の第三者提供に該当し、勤務先が是正措置をとるよう勧告される可能性もあります。

 個人情報保護法で定められる個人情報以外の情報であっても、就職時等に秘密保持契約を取り交わしていれば職務上知り得た情報を第三者に提供したり、無断で利用したりすることが禁止されます。患者リストや医院の内部マニュアルはこのような情報に該当するでしょう。

 ですから、例えば開業時の挨拶状配布や冒頭の転院を促す理由で患者リストを持ち出すことはできません

 このように、安易な情報の持ち出しは情報を持ち出した本人や勤務先にとって重大な責任問題に発展する可能性がありますので注意が必要です。

 さらに、患者情報でもなく、秘密保持契約がない場合であっても、不正競争防止法における営業秘密に該当するものを使用した場合には不正使用の差止めや損害賠償請求の対象となります。
 不正競争防止法の営業秘密とは、当該情報が秘密として管理されていることを前提に客観的に事業活動に有用で一般的に知られていない情報をいいます(秘密管理性、有用性、非公知性の要件)。営業秘密の不正利用等には罰則もあります。ここでも該当情報がパスワード等で管理されていれば患者リストや内部マニュアルは営業秘密に該当するでしょう。

 

勤務先とトラブルにならないために

 転職や開業時の、スタッフや患者の引き抜き、情報の持ち出し、開業場所や診療内容等について概観してきました。
 勤務先とトラブルにならないためにはまずは勤務先との間で締結した契約書や就業規則等から勤務先との関係でどのような義務を負っているのか確認してください。
 なお、就職時雇用契約書等を締結することが一般的ですが、退職が決定したのちに、再度もしくは新たに契約書の取り交わし、または書面の差し入れを求められることがあります。仮に契約書を取り交わす場合には、その契約書によってどのような義務が課せられることになるのか確認してください。補償の有無や退職時に支給される金銭の取扱いなどは特に注意が必要です。

 

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松本紘明(まつもと・ひろあき)

弁護士 / 弁護士法人戸田総合法律事務所、第二東京弁護士会所属。
事務所は数十社のクライアントと顧問契約を締結し、医療関係も含む。注力分野はインターネット法務、労務、離婚や男女トラブルなど。

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