今さら聞けない「TPP」をめぐる現状まとめ
TPPが日本の医療に与え得る影響とは
医療に関係する事柄としては、特に「バイオ医薬品データの保護期間」などについて議論されてきたTPP交渉。
今回は、「TPPが日本の医療にどのような影響をもたらすのか」について考えていきます。
- 目次タイトル
そもそもTPPとは
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)とは、アジア太平洋地域における多国間の経済連携に関する規定のことです。内閣官房のTPP政府対策本部のホームページには、「モノの関税だけでなく、サービス、投資の自由化を進め、さらには知的財産、電子商取引、国有企業の規律、環境など、幅広い分野で21世紀型のルールを構築するもの」と記載されています。
環太平洋戦略的経済連携協定とも呼ばれており、より簡単に表現すると“アジア太平洋地域の国々の間で結ばれるEPA(経済連携協定)”ということになります。
TPPは2006年にニュージーランド、シンガポール、チリ、ブルネイの4カ国で発効したもので、現在はオーストラリア、マレーシア、メキシコ、ペルー、ベトナム、カナダ、アメリカ、日本を含めた計12カ国で交渉が行われています。
各国には守秘義務が課されているため、具体的な交渉内容はこれまで明かされてきませんでしたが、2015年10月5日の大筋合意を受け、日本のTPP政府対策本部は「環太平洋パートナーシップ協定(TPP協定)の概要」を公表し、暫定的な規定内容を説明しました。
TPPの医療への影響〜大筋合意を受けて
農産物分野への影響ばかり取り沙汰されていますが、大筋合意に至るまでの交渉では、バイオ医薬品データの保護期間に関わる「知的財産」など、日本の医療に影響を与え得る分野についても議論されてきました。このほか「金融サービス」や「国境を超えるサービスの貿易」も、内容によっては現行の医療制度に影響を与えるとして注目されてきた分野です。
2016年1月4日現在、TPP交渉は最終合意に至っていませんが、ここでは大筋合意の内容のまま日本がTPPを締結したと仮定し、それが医療にどのような影響を及ぼすのかについて考えていきます。
現状、医療に関係する項目の1つとして、「知的財産」の分野において、医薬品に関わる以下の内容が規定されています(「環太平洋パートナーシップ協定(TPP協定)の概要」より抜粋)。
医薬品の知的財産保護を強化する制度の導入
- 1)特許期間延長制度(販売承認の手続の結果による効果的な特許期間の不合理な短縮について特許権者に補償するために特許期間の調整を認める制度)
- 2)新薬のデータ保護期間に係るルールの構築
- 3)特許リンケージ制度(後発医薬品承認時に有効特許を考慮する仕組み)
「特許期間延長制度」に関しては、「出願から5年、審査請求から3年を超過した特許出願の権利化までに生じた不合理な遅滞につき、特許期間の延長を認める」とされました。つまり、バイオ医薬品データの保護期間は実質8年。日本にとっては現状維持の形となったため、大きな影響はないと考えられます。
また、「新薬のデータ保護期間に係るルールの構築」については現行の薬事法を改正するなどの対応が考えられますが、上述のとおり日本の場合は保護期間に変更がないため、どちらかといえば他国にその対応が求められるでしょう。
「特許リンケージ制度」は後発薬(ジェネリック医薬品)を販売する企業がその製造承認申請を行う際、政府の医薬品規制当局が先発薬を開発した企業(特許権を持つ企業)に対して通知を行う制度です。特許権を持つ企業が異議申し立てをすれば、係争中はジェネリック医薬品の製造承認が保留となるため、「安価な薬」が出回りにくくなり、既存薬の価格高騰につながるのではないかと懸念されています(これに対する政府の見解は後述します)。
このほか、「貿易の技術的障害(TBT)」の分野では、医療機器の適合性評価などについて、海外の機関にも、日本国内の機関と同じ待遇を与えることが規定されました。TPP政府対策本部が公表している「TPP分野別ファクトシート:「医療等分野」」では、この規定に対する国内の対応として「新たに命令・監督規定を設けるための法律改正が必要」とされているため、他国の機関が承認した医療機器がそのまま日本で使用されるわけではなさそうです。
TPP批准に伴う懸念と政府の説明
ここでは、日本がTPP交渉への参加を表明する以前から懸念されてきた事柄を見ていきます。また、大筋合意を受けて公表された文書で示された、各懸念への説明もご紹介します。
(1)混合診療の解禁と国民皆保険制度の崩壊
「混合診療の解禁」については、以前より医療分野の規制緩和の議論の中で話題にされていましたが、政府がTPP交渉参加を表明した頃から「TPPを締結すれば、医療経営への株式会社の参入や民間保険会社の台頭により混合診療の全面解禁が促されるのではないか」という声が日本医師会などから上がるようになりました(※1)。
現在の日本では、選定療養を除けば、原則として混合診療は禁止されています。これが解禁されると、公的医療保険で賄える部分とそれ以外の患者の自己負担分(保険外)が併用できるようになります。
高額な医療費を払えばそれだけ良い医療を受けられることになるため、貧富の格差がそのまま医療の格差となり、医療の公平性と平等性を損なってしまうのではないか、高額な患者の自己負担分をカバーする民間の医療保険の台頭とTPPによる日本の保険市場への海外企業の参入の自由化により、民間保険会社の利用が一般的になり、現行の国民皆保険制度が崩壊する可能性が出てくるのではないか、という意見です。
→(1)に関する政府の説明
2015年12月24日にTPP政府対策本部が公表したQ&Aでは、以下のように記されています(※2)。
混合診療の全面解禁など医療保険制度に関する変更は行われません。
なお、我が国の公的医療保険はそもそも、金融サービス章の規律の対象にも含まれません。また、公的医療保険制度等の社会事業サービスは、サービス・投資分野において、内国民待遇等の自由化に関する規定の対象から除かれています。
(2)ISDS(投資家対国家の紛争解決)の採用
ISD条項とも呼ばれますが、これは、投資家や企業が他の加盟国の制度や法律などによって不利益を被った場合、その国の政府に損害賠償を求めることができる条項です。実際、大筋合意に至ったTPPの規定内容にはISDSが採用されています。
ここで懸念されているのが、日本の薬価制度と公的医療保険制度が参入障壁として提訴されることです。万が一これらが撤廃された場合は、混合診療の解禁と同様、国民皆保険の崩壊につながるのではないかという意見が上がっています。
→(2)に関する政府の説明
「ISDSの対象は、投資に関するルール、投資の許可又は投資に関する合意のいずれかに違反した場合に限られている」として、以下のように説明しています(※2)。
ISDS手続を通じて、国民皆保険制度、環境規制、食の安全に関する制度などについて、変更を行うことは想定されません。
(3)ラチェット条項の採用
ラチェット条項とは、いったん自由化した事柄について、「その自由化の程度を悪化させてはならない」という条項です。つまり、ある国がある程度市場を開放し、その結果として不利益を被ったとしても、その自由化の程度を後退させることはできないという規定です。TPPでは投資・サービス分野においてこの条項が置かれています。
例えば、仮にISDSで公的医療保険制度が参入障壁として訴えられ、日本が健康保険法などを改正した場合、それを元に戻すことができないということです。医療に限った話ではありませんが、こうした「一度決まったことを修正できない」点が、日本の現行制度に影響を与える恐れがあると懸念されています。
→(3)に関する政府の説明
ラチェット条項は「日本の過去のEPA(経済連携協定)でも通常採用されているもの」であるとして、以下のように説明しています(※2)。
政策上、将来にわたって規制を導入又は強化する必要があり得る分野については、将来とり得る措置を含めて包括的に留保することが認められており(「将来留保」又は「包括的留保」)、ラチェット条項は適用されません。日本は、例えば社会事業サービス(保健、社会保障、社会保険等)、政府財産、公営競技等、放送業、初等及び中等教育、エネルギー産業、領海等における漁業、警備業、土地取引等については、この「将来留保」を行っています。
このほか、上述した「特許リンケージ」の合意に伴う国内での対応については、「現行の国内関連制度の範囲内(※3)」であり、特に影響はないとしています。また、薬価については、以下のように説明しています。
日本の医薬品の再審査期間(実質上のデータ保護期間)及び保険給付における価格決定プロセスは変更されず、医薬品の価格に影響はありません。
※1 日本医師会プレスリリース「TPP協定交渉大筋合意にあたって」(2015.10.7)
※2 「TPPを巡る懸念や不安に関するQ&A」より抜粋。
※3 「TPP分野別ファクトシート:「医療等分野」」より抜粋。
医師のキャリアへの影響は?
ここまではTPPが日本の医療にどう影響し得るのかを見てきました。
では、一人ひとりの医師の働き方にはどのように関わってくるのでしょうか。
最後に、「ヒトの自由化」について触れたいと思います。
問題視されてきたのは、海外からの人材の流入です。人件費の安い外国人医師が日本で働けるようになれば、安価な医療を求める日本人からの需要が高まり、日本人医師の給与額の低下につながる恐れがあります。加えて、日本では医師免許を取得できないような、誤解を恐れずに言えば質の低い医師が増えるのではないかという意見も上がっています。
反対に、海外から大量の外国人医師が流入した場合、有能な日本人医師が海外に流出する可能性も指摘されてきました。先生の中には海外でのキャリア形成のハードルが下がるのではと、注目してきた方もいらっしゃるかもしれません。
これに対して日本国政府は「医師・看護師等の入国・滞在については、我が国は約束しておらず、医師免許等の相互承認も認めていません」という一文を「TPPを巡る懸念や不安に関するQ&A」で明記しています。
まとめ
2016年1月4日現在、日本がTPPを批准するにあたり、考えられる医療に関する懸念に対しては、おおよそ政府からの説明が与えられたといえます。
ただし、さまざまな意見やそれに対する反論が飛び交っているのが現状。「環太平洋パートナーシップ協定(TPP協定)の概要」や「総合的なTPP関連政策大綱」といった文書が公表されてはいますが、最終合意に向けて継続しているだろう具体的な交渉内容については依然として見えないままです。
果たして医療への影響はあるのか。その程度は大きいのか、小さいのか。
TPPについて、みなさんはどうお考えでしょうか。
(文・エピロギ編集部)
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