医師は人工知能と 明日を夢見ることができるのか
〜IBM「Watson」が拓く医療の未来〜
日本アイ・ビー・エム株式会社
溝上敏文 氏(ワトソン事業部ヘルスケア事業開発部長)
中野雅由 氏(アナリティクス・プラットフォーム&IBMワトソンマーケティング・マネージャー)
「人工知能が医療を変える」
この言葉に、医師の皆さんはどんな未来を想像するでしょう。
さまざまな研究が加速度的に進む未来?
人工知能が確度の高い術式を組み立てる未来?
実はいま、現実の医療の世界にも
人工知能やそれに類するテクノロジーが活用され始めています。
その中でもいま世界中で注目を集めているのが
IBMの「Watson」。
では、その「Watson」とは一体どのようなものなのでしょうか。
そして「Watson」は我々にどんな未来を見せてくれるのでしょうか。
そもそも、人工知能って何?
——人工知能というと、一般にはまだ「SFの世界」のような印象を持たれている方々が多いと思われます。そこでまず「人工知能」とはどんなものかお聞かせください。
中野:人工知能というのは昔からある言葉ですが、一般的に、あるいは広義的には人間の思考や一部の人格、機能などをコンピュータ上で実現しようという技術だといわれています。
こうした取り組みは70年代・80年代からありますが、最近なぜ人工知能が取り上げられているかというと、テクノロジーが発達したことにより、「ディープラーニング」や「ニューラルネットワーク」といった人工知能に活用される技術が飛躍的に向上してきたからだと思います。
こうした技術が実用化されたことにより、たとえば人の顔を認識したり、チェスをしたり、あるいは車を自動運転させたりといった成果がメディアで取り上げられるようになったからだと考えられます。
一般的に人工知能というとSF映画や鉄腕アトムなどを想像される方も多いと思いますが、人格や感情などを完全にコンピュータ上で再現するというところまでは、まだたどり着いていません。これが人工知能に関する技術の現状です。
ニューラルネットワークとは脳の神経細胞(ニューロン)が訓練や学習によってシナプスの連結強度を増し、最短(最適)の問題解決能力を持つに至る構造をコンピュータ上で再現しようとする数学モデルのこと。
このニューラルネットワークを多層化し、学習確度を高める技術のことをディープラーニングと呼ぶ。
◆人工知能に膨大なネコの画像を入力
▼
◆画像に共通する特徴(=“ネコ”と判断する条件)を選出
▼
◆以降、同じ特徴を持つものを自動的に“ネコ”と判断
→この特徴とネコの関係を多層的に行ない判断確度を高める技術が「ディープラーニング」
——IBM「Watson」は人工知能として一気に有名になりましたね。
中野:実は、IBMは「Watson」を「人工知能」と呼んでいません。
——この記事、「人工知能」をテーマにしようと思っていたんですが、取材開始数分で破綻してしまいました。
中野:でも、やはり「人工知能」ではないんです。
先ほど言ったディープラーニングなど「人工知能的なことをさせる技術」は使われていますが、一般にイメージされる人工知能のように「コンピュータ上に人間のような智恵や知能を持たせるというアプローチ」ではありません。
IBMでは「Watson」のような技術を「コグニティブ・コンピューティング技術」と呼んでいます。
コグニティブとは直訳すると「認知」といった意味ですね。
自然言語による質問を理解し、大量のドキュメントや画像といったデータの中から必要な情報を推論して、最適と思われる答えを返す。あるいはそれを繰り返すことによって学習をしていく。こういった機能を持つシステムが「コグニティブ・コンピューティング」と呼ばれるものです。
「Watson」はこの「コグニティブ・コンピューティング」を実現するための技術を備えたプラットフォームです。そのため、さまざまな分野に活用できます。SF映画のアンドロイドに入っているような「擬似人格」などとはまったく違ったものです。したがって人間の仕事が取られてしまったり、暴走して人間を支配するようになったり、なんてことは絶対にありません。
では「コグニティブ・コンピューティング」や「Watson」はどんな機能を持っているのか。
簡単に言うとビッグデータの中から、人間が必要とするような情報、知見、あるいはインサイトといったものを取りまとめ、人間に提供するというものです。
基本的には人間の質問に対して回答したり、人間が必要とするようなデータを探し出してくるという動きをします。人格を持ったり、自我に目覚めたりということは一切ありません。
——ビッグデータの中から人間が必要回答を探して来るということは、「これかな?」と類推できなければなりませんね。
中野:そうですね。類推・推論して「あなたの知りたいことはこういうことですか?」と返すことができる。それが重要です。
ではその中で「Watson」とはどういうものか。
「Watson」とはクラウド上に展開されているコグニティブ・コンピューティングのためのプラットフォームです。このシステムにそれぞれの分野の専門的な知見などを学習させ、そこから求められる回答を引き出します。
——「Watson」はどのようなデータを学習することができるのでしょうか。
中野:テキストや自然言語、音声、画像、動画も可能です。数量化しにくいデータの認識が得意です。
たとえば、医師向けの「Watson」は、医師の知見であったり患者のカルテであったり、治療の履歴や文献であったり。そういったものを「Watson」に学習させることによりお医者様向けに最適化された「Watson」がひとつでき上がるということです。
一般の会社だったらヘルプデスクやお客様向けのコールセンターといった業務とデータに特化した「Watson」をお作りすることもあります。特許情報や法律に関する情報などを学習させれば、法律や法曹界専門の「Watson」を作ることが可能であり、実際に存在します。
したがってクラウド上にあらゆる知識をため込んだ「全知全能のWatson」がいるわけではありません。それぞれの分野について徹底学習させた「Watson」を活用したシステムが多数でき上がることになります。
——法曹界の「Watson」であれば、法律の条文であるとか判例とか、そういったデータをまるごと記憶・学習した「Watson」がいるといったイメージですね?
中野:そうです。法律と判例を照らし合わせて、ある裁判に対する最適な判例を提示したり、どういった法律が適用されるかなどを提示したりできます。
また、自然言語の処理ができるというのも特徴です。
もうひとつの特徴が「マルチランゲージ」。多国語展開が可能です。
先日発表した通り、日本語の自然言語も認識できるようになりました。「Watson」自体はもともと英語に対応していましたが、日本語、スペイン語、ポルトガル語というような言語の展開を視野に入れ、拡張しているという状況です。
あらゆる言語、法律・判例、特許情報などを全部盛り込んでいければいいのですが、どれだけ先になるか分かりません。
特許情報なら、どこの国でどんなものが取られているのか、「Watson」に日本語で尋ねれば答えを提示してくれる。そんな状況が理想です。
IT系の話になりますが、いままでのコンピュータは数字の計算は得意でした。いわゆる個数とか売上とか原価とか。こういったものを大量に組み合わせて計算をしたり、あるいは受発注をしたり。そういった作業は得意だったわけです。
ですがビッグデータの世界になると、実は計算できるデータというのは非常に少ないのです。
皆さんパソコンをお持ちだと思いますが、その中に表計算ソフトなどで計算できるデータがどれくらい入っているかというと、ほとんど入っていません。こういうデータを非構造化データといいます。
計算できるデータなら普通のコンピュータでも十分取り扱うことができます。関数などを用いれば、データとデータの関係から答えを導くことも可能です。
しかし営業日報や論文、提案書、メールといった「計算できないデータ」だったらどうでしょう。取り扱うためには、中身をすべて見て理解しなければなりません。
写真などもそうです。全部見ないと理解できません。こういったデータがどんどん増えています。
たとえば医学の文献は現在約200万件あり、毎年20万件くらいずつ増えていくといわれています。
現場の医師がこれらすべてに目を通して理解するというのは現実的ではありません。
薬学・創薬の分野でも同じです。
現場のプロフェッショナルの方々、特に医師や薬学の研究をされている方々が、膨大なテータの中から必要な情報を抜き出す。こういうところで非常に役立つのが「Watson」でありIBMが目指しているコグニティブ・コンピューティングです。
——それが自然言語、つまり日常的に使っている言葉で使えるということですね。
中野:そうです。従来ですと検索には「形態素解析」という処理技術を用います。主語述語、文節などを区切り、単語として辞書に読み込んでいって検索に使いますが、これだと膨大にヒットしてしまいます。そこで、出てくる頻度や参照回数、位置関係などでヒットするようにアルゴリズムを書いたとします。それでも、おそらく何万件とヒットしてしまいます。
しかも単語を並べて検索するというやり方だと、ユーザが持つ検索の癖によって結果が大きく変わります。
一方、「Watson」は検索するわけではなく、たとえば「こういう特許を取ろうと思っているけれども、似たような特許はありますか?」と訊けば、登録済み特許の中から類似しているであろうものを類推して、複数個提示してくれます。
——なるほど。類推ができるわけだから、漠然とした質問でも、ちゃんと認識して答えてくれるわけですね。
中野:そういうことです。ちゃんと類推して返すことができます。
これを拡張するものとしてたとえば自然言語があります。テキストで打ってもいいです。今回発表された成果では「言語を理解する」というのがあって、スピーチ内容をテキストにして、それを「Watson」に投げて、返ってきたテキストの情報をスピーチに変えるというのも日本語に対応していますので、使い方はもっと膨らんでいくと思われます。
コグニティブ・コンピューティングの活用
——「Watson」の活用事例についてお聞かせください。
溝上: 海外での医療分野での取り組みは「がん」の研究領域から始まりました。
当時から医療の世界では電子カルテや、臨床試験の情報など、膨大なデータがあり、その量に圧倒されているがゆえにいろいろな問題が起きると言われていました。
逆にそうした医療ビッグデータをうまく有効活用できれば診療の正確性も向上し、たとえば創薬にもつながる。そうすると医療の質が上がり、医療費も削減できるかもしれない。製薬会社の人たちの技術も向上していく。
そんなプラスの連鎖がうまく機能していませんでした。
そこで典型的なビッグデータのエリアである医療・ヘルスケの分野で「Watson」の性能を活かしたらどうかという話になりました。
じゃあ医療のどの分野にしようかと考えると、がんの分野は研究者も多くデータも多い。
遺伝子情報の蓄積も含めてかなりあります。
遺伝子情報については次世代シークエンサーの出現でスループットが飛躍的にあがりました。確か1990年から2003年までの13年間かけて行われた「ヒトゲノム計画」では、数千人もの研究者が数千億円程のお金をかけてようやく人ひとり分の全ゲノムを解読することができました。今ではひとり分で大体10万円くらい。時間も1日くらいで読めてしまいます。
でも出てくるデータは非常にノイズが多くて読み取りもエラーが多い。
ATGCという4種類の塩基からなる配列情報の「解釈」も非常にむずかしい。
それでいろんな研究者が日々研究して、病気との因果関係などをたくさん調べて、新しい論文がどんどん発表されています。つまり非構造化データがどんどん増えています。
なので、こうした論文などを全部集めて、大きなひとつの「集合知」にしていくような「Watson」を作ろうと。
そういう「Watson」に何か訊けば、その時点での最新の情報を返してくれるわけです。それを簡単には作れませんが、世界の名だたるがん研究の機関と組むことによって、その先生たちにWatsonを鍛えてもらうことができると考えたわけです。
——「Watson」を鍛えてもらう。
溝上:はい。
彼らが持つ膨大なデータをコーパス(corpus=自然言語処理研究のために開発された大規模情報集積型データベース)で整理し、コーパスの上で質問したらちゃんと答えてくれるよう鍛えていきます。
そして「Watson for Oncology(ワトソン・フォー・オンコロジー)」という医師の意思決定を助けるものや、「Watson Genomic Analytics(ワトソン・ジェノミック・アナリティクス)」という東大医学研で使っていただいているがんの個別化診療の基盤などが作られました。
あとは治療が難しい患者さんと新薬の臨床試験を行いたい製薬会社や臨床試験プログラムをマッチングする「Watson Clinical Trial Matching(「Watson」・クリニカル・トライアルマッチング)」のソリューションなど、いろいろな成果を得ることができました。
——そういうものが今後日本でも使えるようになるんでしょうか。
溝上:それを目指しています。
東大医科研ではWatson Genomic Analyticsを研究領域で使っていただいています。
ただ、今の日本では改正薬事法によって、もし規制の対象になるのであれば、医療機器として認定を受けることも検討しなければならず、そうなればかなり時間がかかるでしょう。
——「Watson」にとって医療機器認定というのは可能性を狭めるものなんでしょうか。
溝上:そこは今後次第でしょう。
いままでコグニティブ・システムに対する法規制は存在しませんでしたから、法律をどう作っていくかにかかっていると思います。たぶんいまはどう作ったら良いか検討している状態だと思いますので。本当に未知の領域です。
IBMでは研究を深め、もしアメリカのように実用化を優先するという動きになれば、倫理審査委員会があってTumor Board(腫瘍委員会)といった会議体があるような大きな病院から展開していけるよう準備を進めています。
——全部がまだこれからなんですね。
中野:たとえば一般的の方が、いろんな症状をスマホで入れると「風邪です」といった診断ができるようになるのではないかという印象もあると思います。
技術的にはできなくもありませんが、法規制もあり、コグニティブ・システムで「診断」をさせることは難しいと思いますし、やはり医師の方を支援する方が現実的ではないかと考えています。
現場の医師が入力した質問への「こういう可能性があると思われます」といった回答を行うとか「こういう治療方法があります」といった可能性を提示して医師の診断を支援するといった具合です。
溝上:お医者さんをコグニティブ・コンピューティングのシステムで置き換えるという発想ではありません。
医師の方々は本当に多忙です。
学生の時は勉強ができても、医療の現場に立つ医師の方々が新しい論文を読むといった勉強はなかなか難しいと思います。また、たとえば遺伝子などの例をはじめ、現在50歳代の医師の皆さんと、20歳代の医師の皆さんでは、学校で学ぶアプローチが異なっていると思います。こうした医師のみなさんの代わりに「Watson」が論文を読み込んで、「訊けば分かる」という形で医師の判断支援を行っていければと思っています。
——こうしたコグニティブ・コンピューティングが実際に社会に参入してくるとして、我々の生活はどう変わっていくとお考えですか?
溝上:そうですね。たとえばアンダーアーマーというスポーツ産業企業では、スマホアプリを開発しました。
これに個人の身体情報を記入すると、その人に最もよく似たグループを抽出してくれるというもの。彼らがどんなトレーニングをしているのかを示すことで、自分のトレーニングの参考にしたり、モチベーションアップにつなげたりするというものです。
そうした例はすでに多く存在していると思います。
IBMではコグニティブ時代に重要なテーマのひとつは大量の非構造化データをどう扱うかだと考えています。そのフレームワークがUIMA(Unstructured Information Management Architecture)。要はコンピュータが保持できても理解はできないテキストや自由言語、画像や音声といった非構造化データを効率的に扱うにはどうしたらいいかという考え方です。
IBMはこれについてもう何十年も研究を重ねてきました。
今後はこの非構造化データを膨大に収集・保持して、データによって「Watson」などのコグニティブなシステムを鍛え、新しいサービスにつなげてこうと考えています。
医療関連でもこうした動きが活発で、たとえば数千万人分の電子カルテを持っている会社や、約七千もの医療機関で活用されている医療画像ビューアの提供会社だとか、膨大なデータを持つ会社を買収しています。加えて、最近ではApple社との提携や、グルコースモニタやインスリンポンプといった慢性疾患向けの機器を作っているメドトロニック社、膝関節の術後ケアのアプリケーションを作っているジョンソン&ジョンソン社など多くの企業と提携してデータを提携し、データを集めています。
人間ひとりから出るさまざまな健康データをセンシングできる技術が多くできてきました。体温・血圧だけでなく、心臓の圧力や血糖値、コレステロール値などを集めることもできる。声色や用いられる言葉から人間の気分まで類推するという技術もあります。
こうした病院の中のデータ、外のデータそれぞれを集めて、包括的に分析するというのは誰もやったことがありませんでした。
こうしたデータがあれば、製薬分野や医療機器分野でも新しい開発へのアプローチが見えてくると思います。こうすることでヘルスケア分野の在り方を変えていくことができると考えています。
——慢性疾患や精神疾患の治療に対するアプローチはどう変わると思われますか?
溝上:いろいろ道はあると思います。
たとえば、医療機器メーカーの方に伺った話なのですが、血圧計の測定値などを家庭で測って自己申告してもらうと、患者さんはつい「いい数字」を言ってしまうことがあるそうです。こうした情報は医療機器が直接計測データをクラウドに送り、時系列データとして血圧情報を把握しておくことができれば、より情報精度は高まります。こうした情報で「健康」を再定義することなども考えられます。
——日本では医療報酬制度改定が行われます。そうなると在宅医療が増加すると思われます。
こうした現場でもセンサが患者さんの近くにあれば病態管理を行うことができるという未来があり得るんでしょうか。
溝上:そうですね。IBMがアップル社と提携した理由のひとつにiPhoneのヘルスケア分野での活用があります。
iPhoneは国内で4,000〜5,000万台あるといわれ、「ヘルスキット」「リサーチキット」と呼ばれる開発環境が用意されていて、さまざまなセンサ・デバイスからワイヤレスでデータを吸い上げる開発環境が用意されています。こうしたもので収集されたデータは、ユーザの承認をとった上でクラウド上に集積されます。この時用いられるクラウドは、アップル社のクラウドではなくアプリケーションを提供した会社のクラウドで、IBMもWatson Health Cloudの開発を進めています。こうしたプラットフォームもしっかり整ってきていますので、可能性はさらに広がると思われます。
——精神科の診療領域でも大きな可能性がありますね。
溝上:そうですね。
これまで医師が問診で収集していた顔色や声色といった情報も取り扱えるようになるかもしれません。声色を判断する技術はすでにありますし。睡眠時間なども今はウェアラブルデバイスで常時収集可能です。
こうしたデータを使いこなすことによって診療の方法が変わって、医師の仕事を効率化していければいいと考えています。
——医師に取って代わるものではない、ということですね。
たぶん医師の中には「我々が不要になる時代がくるのか?」と思ってしまう方もいるんじゃないかと思われます。
中野:そうです。でも絶対、そんなことにはなりません。
IBMのWatsonは医師に取って代わるものではありません。
あくまでも診察・診断・治療は医師が行い、その医師の仕事を効率化していくことが目標です。
いま、IBMは医療関連のデータだけでなく、たとえば天候に関するデータなど、ありとあらゆるデータの収集を行っています。ビッグデータであれば、Watsonはそこから得られる知見すべてを学習していくことができます。天候データであれば気圧配置から災害発生を予測したり、災害発生時の避難経路プランや電力消費量の予測を行うといったことも可能です。こうした分野にいち早く参入するため、IBMが取り込んでいこうとしています。一企業としてここまでできる会社はあまりないと思われます。IBMがWatsonを発表したのは最近なんですが、そこに至るまでの歴史があります。IBMでは「データは21世紀のナチュラル・リソースだ」と捉えています。デジタル・トランスフォーメーションからコグニティブへ。これがいまの動きです。
経営資源といえばヒト・モノ・カネ。エネルギー資源のガスや石油は有限でいつか限界がきます。しかしデータは加速度的に増えていき、決して減ることがない。潜在的にも、すでに顕在化しているものでも、データはどんどん活用できるものです。活用する企業と活用できない企業では大きな差がありますし、国レベルでの競争力強化にも関わってくると考えています。こうした成長をたまたまコグニティブやWatsonというもので実現しつつあるという状況です。こうした環境が整いデータを取り扱うことができるようになると、そこで得られた知識や見識を次のビジネスやサービスに生かしていくことが可能です。ここでIBMが利益を産みたいということではなく、単純に「世の中のためになる」ということ。これがIBMの考え方です。
溝上:いま、医師の現場は医師不足などで非常に過酷になりつつあります。
仕事も非常に複雑で多岐にわたります。たとえば放射線医療の現場だと、人間ひとりをスキャンすると1,500枚から数千枚の画像になるといいます。こうした作業は、ディープラーニングで鍛えたWatsonのようなシステムに任せてもらえれば、もっと効率化できると思っています。
アメリカの例ですが、CTスキャンを行ない、影の種類と部位をWatsonに覚え込ませることで病気が懸念される画像を選別させるという活用のされ方もしています。
うした技術で医師の負担を減らしたり、ケアレスミスを減らしたり、医療コストを削減したり。こういうところでも貢献できると思います。これがIBMの考えているコグニティブ・システムであり、「Watson」です。
また、これからの超高齢社会ではがんが多くなります。がんは調べれば調べるほど一定の確率で出てくるものだといわれています。現段階ではがんと抗がん剤のマッチングにも限界があると思われます。こうしたところで医師の支援を行っていくことができればと思っています。
*
医療の世界では、日々膨大なデータが生まれ、蓄積されています。こうしている今も新しい薬が生み出されています。
世界中の医師たちが難しい病に挑み、今日も治療例も積み重ねています。
新しい治療方法の研究者たちは、その成果を論文として発表し続けています。
しかし、現場に立つひとりの医師が、これらの膨大なデータ全てに触れ、理解し、患者に施すことはできません。人間は常に有限であり、時間も、労力も、限られてしまうからです。
しかし、こうした情報を医師の代わりに「Watson」が学習してくれるとしたらどうでしょう。
知りたいことを訊くだけで、必要な情報を提示してくれるとしたらどうでしょう。
医師は新たな可能性を手に入れることができるのではないでしょうか。
これまで多くの医師が夢見てきた明日。
その明日が現実のものとして、広がりつつあるのかもしれません。
「Watson」と医師がともに見る明日。
その可能性の輝きが、多くの患者の希望となることを祈ってやみません。
(聞き手・佐々木 裕)
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