現状に満足せず、もっと質の高い医療を提供したい。
~症例数の多い海外の病院で学ぶという選択~
田端 実氏(東京ベイ・浦安市川医療センター 心臓血管外科部長)
田端実医師は東京大学医学部を卒業後、通例にならわず医局外の一般病院にてキャリアを積んだあと、2004年、29歳のときに最年少で米国の名門病院ブリガム・アンド・ウィメンズ病院の心臓外科フェローとなりました。
日本の大学病院以外で症例を積むという選択をし、帰国されてからも現状に満足せずに理想とする医療システムをつくるために転職するなど、高い目標をもって走り続ける田端医師に心臓外科医としてのキャリアの積みかた、必要とされる外科医のありかたについて伺いました。
手術は「頭でする」もの。手数を増やすためアメリカへ
—— 心臓外科医になろうと決めたのは大学5年生のときだったということですが、それまでは医師以外の道も考えていらっしゃったのでしょうか。よくいわれるような幼少の頃からの医師への憧れはなく、医学部へ進んだのは医師も含めたいろいろな選択肢について考える時間がもてると思ったからです。実際、他業種に興味を覚えた時期もありました。
外科医を志望するきっかけとなったのは、東大のある外科教授の手術でした。他の医師とはまったく違う、異次元の手技とオーラは衝撃以外のなにものでもなく、「僕も手術がしたい」「外科医の仕事は面白そうだ」と思いました。心臓外科を選んだのは、直感です。心臓は4つ部屋があって、電気が流れてポンプとして動いているシンプルな臓器。そのわかりやすさが自分に合っているように思いました。
—— 研修医を終えたあと、大学の医局に戻らずに新東京病院に勤務され、約1年後に米国の名門ブリガム・アンド・ウィメンズ病院に留学されています。医局を選ばなかったのはなぜですか。新東京病院も米国への留学も選んだ理由は、どちらも症例数が多かったからです。大学の医局は若い医師が手術をする機会が少ないため、経験を積むのは難しいと感じていました。海外留学への憧れは学生の頃からあったのでECFMGの資格を取り、新東京病院に入職したときにはその旨を伝えてブリガム・アンド・ウィメンズ病院への留学の準備を始めました。
若いうちに多くの執刀経験をもちたかったのは、多くを吸収できる時期に効率的なよいトレーニングをしたいと思ったからです。「手術は手でなく頭でやる」とはよく言われることですが、手術は手先の器用さよりも、シンプルで筋の通る論理的思考が重要です。手術が巧い外科医に共通しているのは、動きや思考がシンプルで無駄がないことと、刻々と変わっていく状況を的確に判断し行動する力です。病気の診断や治療はすべて、シンプルな論理的思考の組み立てですが、手術はそれを短時間で考えながらやる凝縮されたものであり、手技の研鑽以上に出来る手数を増やし、その組み合わせを瞬時に考えるトレーニングを積まないと巧くなりません。日本にいてはそれが叶わないと思ったのです。
—— 米国留学への不安や周囲からの反対はありませんでしたか。最年少でブリガム・アンド・ウィメンズ病院の心臓外科フェローになったときは、若さゆえの勢いがあったのか不安は感じませんでした。もちろん反対はされました。心臓外科2年目で、しかも臨床で留学する人はこれまでいなかったので。米国でやっていた先生にも「まだ何もできないのに早すぎる」「そんなに早く行っても通用しないよ」と言われました。それでもやはり「手術がしたい」という気持ちは揺らぎませんでした。
ブリガム・アンド・ウィメンズ病院では、渡米3日目から手術が入り、1日に1~2件の手術を執刀しました。1年目は80例、2年目は170例で、助手として入った件数はその2倍になります。2年目になると難しい症例に指名されたり、チーフ外科医の低侵襲心臓手術(MICS)に優先的に入れてもらえるようになりました。
渡米当初は騒々しい現場での早口の英語、日本と異なる薬の英語名や保険などの制度に苦労しましたが、カルテをていねいに書き、術前の準備を入念にするなど、自分のできることをしっかりやって自分は役に立つのだということをアピールしました。一つひとつ仕事をきちんとやって結果を出していればチャンスはまわってくると実感しました。
手術方法についても、さまざまな施設でトレーニングしてきたアテンディングからいろいろなやり方を学ぶことができました。日本でも複数のアテンディングがいて異なる手術方法をとるところもありますが、多くは施設が小さいため外科医は少数です。そうなると、「○○先生の方法を学ぶ」ということになり、1施設1パターンが多くなります。
米国では外科医が6~7人いてそれぞれ方法が違うので、手術の手数を覚えられます。例えば数学の問題でも、多くの定理と基本問題を学んで初めて難しい応用問題を解くことができますよね。手術も同じで、もっているパターンが少ないと、解けない問題が多くなってしまうのです。
「とにかく手術をしたい」という当初の目的を果たすと、自分に何が必要なのか、何を学ぶべきかという明確な目的が見えてきました。ブリガム・アンド・ウィメンズ病院での3年目は、本格的に臨床研究をしたいと考え、ハーバード公衆衛生大学院でクリニカルリサーチの方法論を学びながら病院でクリニカルリサーチフェローとして勤務しました。そのような前例はなかったようですが、周囲の支援も得て35歳までに筆頭著者として16本の英文論文を発表することができました。
コロンビア大学メディカルセンターへ移ったのは、ブリガム・アンド・ウィメンズ病院であまり経験できなかった心臓移植や心室補助装置という重症心不全の実績をもっていたからです。ベルギーのOLVクリニックへは、内視鏡下心臓手術を学びたくて3カ月間研修に行きました。ここで学んだ低侵襲心臓手術における内視鏡下心臓手術は、僕のライフワークになっています。
留学中、執刀医として約500例の経験を積むことができました。目的を明確にすると自分には何が足りないのか、それを習得するためには何をするべきかが見えてきます。あとはそれを全部やればいいだけです。
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日本の医療に貢献したいと思い続けてきた
—— OLVクリニックの研修後、ニューヨークの病院に就職が決まっていたということでしたが、米国でそれだけの実績があったのに帰国されたのはなぜですか。米国で実績を上げても、米国の実績にしかなりません。当初から、いつかは日本に戻ろう、帰国して日本から情報を発信し、日本の医療に貢献しようと思い続けてきました。
就職する予定だったニューヨークの病院は、リーマンショックの影響でいったん採用が保留になったため、榊原記念病院に就職しました。榊原記念病院を選んだのは、新東京病院時代の恩師から誘われて、という人のつながりと症例数の多さでした。その後ニューヨークの病院からは「改めて採用したい」と連絡がありましたが、帰国するよいきっかけをつくってくれたと思い、そのオファーは断りました。
—— 帰国されて米国と日本の違いをどう感じられましたか。違うところはあり過ぎるほどありますが、僕は米国が一番とは思っていません。日本の病院のほうが働きやすいですよ。手術室の掃除は早いし、スタッフの能力は高く、みんな効率を考えてよく働きます。
榊原記念病院も症例数が多いだけあって効率的でした。効率がよく、メディカルの質も高い日本の病院はいいなって思います。
榊原記念病院はすばらしい病院でしたが、既存の、とくに伝統のある病院はものごとを変えていこうとするとたいへんな労力が要ります。「ここをこうすればもっと医療の質がよくなる」と思うことがいくつもありました。僕がやりたい効率的なシステムをつくるには、ゼロベースからのほうがやりやすいと思ったのです。
もう一つの理由は、単科病院は視野が狭くなりがちなので、医者としての視野を広げるためには総合病院のほうがいいと思ったからです。高齢化によって心臓だけではなく他の臓器も悪い人が増えているのに、心臓しか扱えずに「心臓は治しましたが、胃潰瘍で出血したので送ります」みたいなのはちょっと無責任かなというのもありました。
渡米前と同じように、榊原記念病院から東京ベイ浦安市川医療センターに移る際も、それはもう反対されました。でも、現状に満足したくなかったし、もっといい医療のシステムをつくるために移るのですから、何の躊躇もありませんでした。
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「神の手」ではなく、「チーム」で質の高い医療を提供する
—— 東京ベイ浦安市川医療センターでつくられている新しいシステムとは、どのようなものですか。心臓外科医ができるだけ手術に集中できて、職員やスタッフ、患者がよりメリットを受けられる医療のシステムです。
現在、東京ベイ浦安市川医療センターの心臓血管外科には診療看護師が2人いて、同じチームとして朝のカンファレンスから医師と一緒に動いています。米国の診療看護師は病棟や外来、手術室などそれぞれに特化しているのですが、東京ベイ浦安市川医療センターの診療看護師には、初診から退院後の外来まで継続して患者を担当してもらっています。
僕たち医師には言えないこともあるでしょうし、患者にとって常に看護師が側にいるのは心強いと思います。
また、ICUは集中治療医が24時間365日管理し、外科医が術後ICUに張りつく必要のないシステムになっています。外科医は「手術して泊まって翌日また手術」という疲弊した状態にならず、翌日は心身ともにいい状態で手術ができます。
他には、低侵襲心臓手術(MICS)による早期退院があります。体に負担の少ないMICSを多く行っている病院でも入院期間は全国平均で2週間前後ですが、東京ベイ浦安市川医療センターでは4~5日で退院していただいています。かかる医療費は安く済むし、早く職場復帰ができるので生産性を落とさず、社会貢献にもなります。
これは僕の技術自慢ではなく、集中治療医や看護師、理学療法士などの優秀なスタッフがチームとして協働しているから、手術だけでなく術後管理までトータルな仕組みがあるからできることです。マスコミにも責任の一端があると思いますが、「神の手」だけではできないことだと自負しています。
半分以下に短縮される入院期間については、ときどきすでに元気になった患者さんから「もう少し入院していたいんですけど」と言われることもありますが、僕は「税金を使ってますからね」ってはっきり言ってしまうんです(笑)。
東京ベイ浦安市川医療センターで心臓血管外科を立ち上げて3年弱ですが、スタッフ全員で「スピード・効率・クリエイティブ」をキーワードに、「心臓血管外科のイノベーターになろう」とがんばっています。まだ道半ばですが、方向性は間違っていないと思っています。
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「実力主義」の時代に、必要とされる医師になるために
—— 2025年に団塊世代が後期高齢者になります。今後の高齢化においての必要とされる心臓外科医とはどのような人材でしょうか。外科医は今、いろいろな仕事をしなければならないのでたくさん必要ですが、優秀な診療看護師や集中治療医がいて効率のよい協業のシステムが整ってくると、本当の実力主義になり、必要な人数は減ってくるでしょう。とくに心臓外科医はそうなっていくと思います。
家庭医と専門医の分業という話も聞きますが、専門領域でも集中治療医は心臓だけを診るわけじゃありません。また、我々のチームは患者の病態がよくわからないときによく総合内科医に相談するのですが、深く広い知識と経験があるからこそ答えを出してくれるはずだと思って聞きにいける。どの業界でもそうだと思いますが、ジェネラルな分野でも浅く広くだと結局何の役にも立ちませんし、中途半端な人は必要とされません。一方で専門医は、さらに深い知識と高い技術を求められるでしょうし、どの医師もコミュニケーションやリーダーシップ能力などのスキルはより求められるようになるでしょう。
—— 最後に、目標に近づくためのキャリアの積みかたについてアドバイスをお願いします。明確な目的、ゴールを決めて、そこに向けてのプランを立てることがキャリア形成において大事だと思います。自分を振り返って、今だから言えることですけど。
普段から何も考えず、何をしたいのかなという人は、5年後に会っても何も変わっていなかったりしませんか。留学に関するアドバイスを求められることがよくありますが、「2~3年後に留学したい」という人にはその時点で「2年か3年かどちらかに決めなさい」と言っています。やりたいことと時期を明確にすれば、自ずとやるべきこと、方法が見えてきます。曖昧なゴール設定をすると、時間がただ過ぎていってしまうだけです。
転職については、いろいろな動機があると思いますが、アンテナを張り、「面白そうだな」と思ったら足を運んでみるなどフットワークを軽くしていると、ゴールに対して何が必要か、どこでならそれが手に入るのかをより明確にすることができるのでないでしょうか。僕もそうしてきたからこそ、「現状に満足できない」という気持ちになったときに、反対をされても「なんとかなる」と躊躇なく動けたのだと思います。
また、現状への不満を理由にする人もいますが、意見に耳を傾けてもらえるだけの影響力を持つために今の枠の中で結果を出してきたのか、不満の仕組みを変えるために手を打ったのか。厳しい言い方かもしれませんが、受け身的に自分に合うところ、与えてもらうことばかりを考えて探していると、どこへ行っても同じことの繰り返しになってしまうのではないでしょうか。まずは今の枠の中で結果を出す。結果を出してから、もしくは結果を出そうとしつつ、別の道を考えることが大切だと思います。
できる人はどんな環境下でも結果を出します。遠回りのように思えるかもしれませんが、それがチャンスを掴むための確実な方法だと僕は思っています。
(聞き手・よしもと よしこ/吉本意匠)
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- 田端実(たばた・みのる)
- 1975年大阪生まれ。1999年東京大学医学部卒業。国内で一般外科・心臓外科研修後、2004年に渡米。
ブリガム・アンド・ウィメンズ 病院(ハーバードメディカルスクールの教育病院)にて心臓外科フェローとなり、日本人で初めて同病院の心臓外科フェローシップを修了した。2006年からはフェローの傍らハーバード公衆衛生大学院にて学び、2007年にMPH(公衆衛生学修士号)取得。
その後、コロンビア大学メディカルセンター、OLVクリニック(ベルギー)、榊原記念病院で数多くの心臓・大動脈手術を執刀し、2013年9月より東京ベイ浦安市川医療センター心臓血管外科部長。慶應義塾大学、杏林大学医学部の非常勤講師を兼任している。
手術の傍ら多くの英文論文を発表し、2013年には最年少でAmerican Association for Thoracic Surgery(アメリカ胸部外科学会)の正会員に選出された。
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