メスを置き、リハ医として生きる 前編

リハ医と外科医は、別次元の医師である

石川誠 氏(医療法人社団輝生会 理事長)

「リハビリテーション医」がまだ一般的ではなかった1970年代に、脳神経外科からリハに転科し、以来日本のリハビリテーション医療の充実に尽力されてきた、医療法人社団輝生会の理事長、石川誠氏。
日本のリハビリテーション医療の確立とともに歩んできたこれまでのキャリアと、リハビリテーション医に求められる役割、これからのリハビリテーション医療の展望についてお話を伺います。
前編では、日本のリハビリテーション医療について、医師の果たす役割や魅力、展望についてご紹介いただきます。

生活を診る、地域医療としてのリハビリテーション

病気が治らなくても、障害を持っていても、人間が人間らしく一生を終えるためにはどうしたらいいか。それを支援するのがリハビリテーション医療です。

私はもともと脳神経外科医でした。当時の脳神経外科は花形で、猫の手も借りたいくらい忙しくて、仕事に燃えてもいたんですがあまりよくならないんですね。手術で命は助かるんですが、障害が残って寝たきりになってしまったりあっけなく亡くなってしまう。でも、当時は脳神経外科としての処置は終わったからと、後は知らん顔です。これはちょっとおかしいんじゃないか、リハビリを知らなくてはどうしようもないと思いリハビリテーション医になろうと考えました。脳神経外科が臓器別疾患を診る「臓器別専門家」だとすると、そうではなく「生活も診る医療」がしたいと考えたんです。

生活は時代とともに変わります。それとともにリハビリテーションの対象疾患も変化してきました。昔は骨折の後療法やリウマチや脳性麻痺など、整形外科医の方々がやるようなリハビリテーション医療が主流でした。それが脊髄損傷や頭部外傷、脳卒中になり、高齢者を対象とするリハが増え、廃用症候群や難病、がんや認知症も加わりました。これからは精神障害も対象になっていくでしょう。どんな対象疾患が出てきても、人間が人間らしく一生を終えるためにはどうしたらいいか? というリハビリテーション医学の根幹をなす理念に基づいて治療をします。だから「臓器別専門家」のように病気だけをみていてもダメなんです。臓器別の医学が「自然科学的な医学」だとすると、リハビリテーション医学は「社会科学的な医学」といえるかもしれません。他科でいうと、公衆衛生や総合診療科も「社会科学的な医学」といえるでしょう。

外科系にはゴッドハンドと呼ばれるドクターたちがいます。脳神経外科出身なのでよく存じあげている先生も多いんですが、彼ら「臓器別専門家」にはリハ医の気持ちはなかなか分からないでしょうね。専門家としては彼らくらい磨きをかけないとダメだと思いますが、同じ医師とは名乗っていても、我々リハビリテーション医とは別の次元、別の医師です。

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輝生会が船橋市の要望を受け開院した船橋市立リハビリテーション病院の一般病棟。ベッド脇には机や洋服ダンスを置くなど、家庭生活と同様の環境を用意している。患者は障害とともに生きるためのリハビリテーションの一環として、日中は普段着に着替え排泄はトイレで行うなど、入院中も日常生活を送っている。

 

患者、チームと共に治すのが、リハビリテーション医

もう一つ、リハビリテーション医療の大きな特徴が、患者本人がその気にならないと回復・改善が乏しいということです。

傷や肺炎は医師が縫ったり抗生物質を投与すれば、いくら本人が「俺は治りたくない」と思っても治ります。でも、リハ医療は本人がその気になってリハビリをしないと効果があがりません。本人にその気になってもらうためには、スタッフが一致団結して損得抜きに一所懸命アプローチする必要があります。一丸となってアプローチし本気で支えることで、患者の気持ちに変化が出るんです。

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船橋市立リハビリテーション病院の作業室には和室や台所なども併設され、生活するためのリハビリテーション医療を受けることができる。

例えば、比較的若いアル中に近いような生活をしていた人が脳卒中になってしまったケースがありました。本人は「ダメ人間になってしまった」と暴れる騒ぐで、暴力沙汰も起こす有り様でした。でも、やる気がないには理由があって、なぜそうなってしまったのか、彼の人生を、どこで生まれてどんな学校を出てどんな仕事について、どんな人と恋に落ちて年を重ね、今どんな状態か、そのプロセスを理解し「この人の気持ち分かるな」という思いでスタッフみんなで治療に努めた結果、信頼してもらえたんでしょう。彼も真剣にいろんなこと考えだして、打って変わったように生真面目人生になりました。
退院後、大手企業の障害者教育システムを経て正規職員になり、結婚して子どもも産まれました。家族旅行にいったりして、「僕は脳卒中になって変わった」「よかった」って言うんです。リハビリによって新しい人生が始まる、そういうことが沢山あるんですね。

スタッフが一致団結するためにはリーダーが必要です。そのリーダーがリハビリテーション医です。リハビリのプログラムを作って、他のスタッフと相談しながらチームのコントロールとメンテナンス、マネジメントをしていく。PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、ST(言語聴覚士)、看護師、介護スタッフ、MSW(医療ソーシャルワーカー)、管理栄養士といったいろいろなスタッフ全員を束ねて治療の方向性ややり方を示す。そのときに威張っているようでは、「この医者は何を言っているんだ」と逆にスタッフの力を半減させてしまいます。リハ医は、スタッフが「この医者と働きたい」と思えるような存在でないとダメなんです。

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船橋市立リハビリテーション病院のスタッフルーム。医師や看護師、作業療法士やソーシャルワーカなど、すべての職種スタッフ、チームメンバーが同じユニフォームを着て同じ部屋で業務を行うことで、職種の壁をなくす工夫がされている。

「自分が治している」のではなく、「スタッフと共に回復する支援をしていく」のですから、他科の医師がやっていることとはだいぶ違います。こうしたチームでアプローチするリハビリテーション医の取り組み方は、一部の大学以外では教えられません。私の場合は現場に出て「こういうことなんだ」と自分で学んでいかねばなりませんでした。私自身、脳神経外科から転科した当初はなかなか馴染めなくて、何度も辞めようと思いました。

医師になってリハビリテーション科に入ってくる人は、今の医療に対して「何か違うぞ」と疑問を感じて「チームでやらなくちゃいけないから気を遣うけど社会的に価値がありそうだ」と決断し、自分の意志で選んで来る人が多いですね。逆に、こうしたリハビリテーションの理念に共感できなかったり核心を掴めなかった人は辞めていきます。

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石川理事長自ら作成し、毎年、回復期リハ病棟協会の研修で使用しているプレゼン資料。リハビリテーション医に求めること5項目のうち3つがコミュニケーションに関する項目になっている。

 

自立支援のため、地域で重要性を増すリハビリテーション医療

今、国の医療政策は、入院医療の機能分化と地域包括ケア体制の整備という二本の柱を立てて、大改革路線を突っ走っています。

入院医療の機能分化については、急性期、回復期、維持期(生活期、慢性期とも言います)をきっちり分けて、急性期、回復期の在院日数を短くする。これが国家的なテーマです。入院が長引けば長引くほど医療費がかかってしまうためできる限り入院期間を短くする。そうすると、どうしてもリハビリの重要性が増してきます。回復期リハについては体制がもう出来ていますし、急性期についても、厚生労働省が充実させようということで、今回の診療報酬で新たな評価がなされました。これから点数はさらに上がっていきますよ。だからあまり心配していません。

問題は地域包括ケアに関わる在宅リハです。地域包括ケアとは、地域全体で医療も介護も一緒にやっていくんだ、という方針です。これまで医療と介護が明確に区別されていて、鉄のカーテンのような厚い壁がありました。この壁を壊して、医療スタッフも介護福祉スタッフも手を組んで取り組もうというものですね。この中で重要になってくるのが、多職種で患者さんの自立を支援していくチームアプローチです。これもまさにリハビリが重要になるところです。だから、リハビリテーション医はこれからますます必要になっていくでしょう。

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輝生会が元浅草で運営する在宅総合ケアセンター元浅草。今年4月には、維持期リハに力を入れるため、輝生会本部も初台リハビリテーション病院から元浅草に移された。

地域包括ケアの担い手として、私は総合診療医にも大きな期待をしています。総合診療科というのはプライマリケアとリハビリテーション、ターミナルケアが三本の柱だと思っています。総合診療科の先生方とタイアップしながら、地域のリハビリテーションの活性化をしていくのが、今後のリハビリテーション医にとっての大きなテーマだと考えています。

脳神経外科から転科しリハビリテーション医として歩んできた石川氏に、リハビリテーション医療の考え方や、今後のリハビリテーションの展望についてお話しいただきました。
後編では、石川先生がリハビリテーション科へと転科された経緯や、近森リハビリテーション病院や初台リハビリテーション病院を立上げ、日本のリハビリテーション医療体制を築きあげてきた、これまでの取り組み、今後の輝生会の活動についてご紹介いただきます。

後編:「この患者の人生はすべて君が責任を持つんだな」_一気にリハビリテーションの道へ進むきっかけとなった一言

(聞き手・エピロギ編集部)

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石川誠(いしかわ・まこと)
医療法人輝生会理事長。回復期リハビリテーション病棟協会常任理事(元会長)、日本リハビリテーション病院・施設協会顧問(元副会長)、日本訪問リハビリテーション協会初代会長。日本リハビリテーション医学会専門医・代議員・理事。
1973年に群馬大学医学部を卒業後、同年5月より同大学医学部脳神経外科研修医。1975年に佐久総合病院脳神経外科医員、1978年に虎の門病院の脳神経外科医員となる。1986年4月より医療法人社団近森会近森病院リハビリテーション科長、1989年12月より近森リハビリテーション病院院長に就任。2000年4月より医療法人新誠会理事長を務める。2004年4月より現職。
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