医師とドーピング

実は身近な存在!?  医師の“うっかり”ドーピングを防ぐには

「難民選手団」の参加が認められ、オリンピックの歴史に新たな1ページを加えた2016年リオデジャネイロ五輪。
輝かしい側面を見せた一方、同大会では「ドーピング」という暗い影も浮き彫りになりました。ロシアが国家ぐるみで行ったといわれるドーピングには、医師が関わっていたという事実も明るみに出ています。

日本国内に目を向けると、オリンピックのドーピング検査で日本人から陽性反応が出た過去はありません。その一方で、禁止物質などについて定められた「アンチ・ドーピング規程」が医師に周知されていないという現状があります。日本人アスリートのなかには、「病院に行っても医師の意見があいまいだったから結局薬をもらわずに帰った」という人もいるようです。

そこで今回は、医師が関わったドーピング事件や、医師が「うっかりドーピング」をしてしまった際の処罰の有無、その防止方法などについてご紹介します。

そもそもドーピングとは?

ドーピングの歴史

1865年に開催された「アムステルダム運河水泳競技」が、ドーピングの使用に関する最も古い記録であるといわれています。当時ドーピング薬として主流だったのは、なんと麻薬や覚せい剤といった危険なドラッグだったそうです。

1960年に行われたローマオリンピックでは、覚せい剤を使用した自転車競技の選手が競技中に命を落とす事件が起きました。これをきっかけに、1968年のグルノーブル冬季オリンピック以降、正式にドーピング検査が実施されるようになったのです。

ドーピングの定義

■WADA(世界アンチ・ドーピング機構)によるドーピングの定義

ドーピングとは、以下のアンチ・ドーピング違反行為の1つ以上が発生すること

1.競技者の身体からの検体に禁止物質、その代謝産物あるいはマーカーが存在すること。
2.禁止物質、禁止方法を使用する、または使用を企てること。
3.正式に通告された後で、正当な理由なく、検体採取を拒否すること。
4.競技外検査に関連した義務に違反すること。具体的には、居所情報を提出しないことや連絡された検査に来ないこと。
6.ドーピング・コントロールの一部を改ざんすること、改ざんを企てること。
7.禁止物質および禁止方法を所持すること。
8.禁止物質・禁止方法の不法取引を実行すること。
9.競技者に対して禁止物質や禁止方法を投与・使用すること、または投与・使用を企てること、アンチ・ドーピング規則違反を伴う形で支援、助長、援助、教唆、隠蔽などの共犯関係があること、またはこれらを企てる行為があること。

(引用元:日本オリンピック委員会「ドーピングについて理解しよう」)

 

この定義からわかるように、アスリートが自らの意思で禁止物質を使用して不正に競技力を高めることだけでなく、医師がアスリートに禁止物質を処方したり投与したりすることも「ドーピング」と見なされるのです。

※WADA(世界アンチ・ドーピング機構):アスリートのドーピングを防止するための活動を推進する独立した国際機関。ドーピングに該当する禁止物質やその使用方法、ドーピング違反と認められた際の処分などについて細かく規定している(アンチ・ドーピング規程)。日本にも、WADAの規程に沿ったドーピング防止活動を行うJADA(日本アンチ・ドーピング機構)が存在する。

 

ドーピングに加担する医師

組織的なドーピングを行い、リオデジャネイロ五輪への出場資格を剥奪されたロシア代表の陸上選手たち。このドーピングに関与した重要人物として、WADAはセルゲイ・ポルトゥガロフという医師の名前を挙げました。

彼はロシアスポーツ医学界の権威であり、アンチ・ドーピング活動の主導者として知られていたようです。ところがその正体は、ドーピングを推奨する張本人でした。事実が発覚したあと、セルゲイ医師は陸上界から永久追放されることになりました。

他にも、医師が関わったドーピングとして、旧東ドイツの国家ぐるみのドーピング事件も有名です。旧東ドイツ時代に競技エリートを育成する国家政策の一環としてドーピングの研究が行われ、禁止薬物が推定1万5千人の選手に投与されていたことが発覚。2000年にベルリン地方裁判所で行われた裁判では、計画を指揮した医師のマンフリッド・ヒョップナーをはじめドーピングを指導していた科学者たちの刑事責任が問われました。ヒョップナーには18カ月の執行猶予付きの禁固刑が科されています。

日本とは異なり、フランスやイタリア、アメリカ、ドイツなどの欧米諸国では、ドーピングに関する法規制が定められています。違反者には偽証罪や詐欺罪が適用され、実際に逮捕された者もいます。
それでも、選手やチームから与えられる莫大な報酬に目がくらんだのか、ドーピングに手を染めてしまう医師は後を絶ちません。

 

もし誤ってドーピングをしてしまったらどうなる?

うっかりドーピングで医師が処罰を受けることはない

ドーピングには、意図的なドーピングだけでなく、誤って禁止物質を使用してしまう「うっかりドーピング」も存在します。この場合、医師は何らかの処罰を受ける可能性があるのでしょうか。

実は、医師がうっかりアスリートに禁止物質を処方・投与してしまったとしても、医師が処罰や制裁を受けることはなく、アスリートが責任を負うことになります。うっかりドーピングによって医師が罰されるという規程は存在しないのです。

一方で、アスリートに与えられる制裁は、たとえそれが「うっかり」だったとしても非常に重いものとなります。実際、個人のアスリートがドーピング行為をした場合、それまでの成績の取り消し、メダルや褒章の剥奪、最大4年間の資格停止処分といった制裁が科されています。

社会的な信頼を失う恐れはある

うっかりドーピングに関与してしまった医師に対する処罰はないものの、その後「何もしないで済む」ということは、ほとんどあり得ないといえます。
選手の立場から考えれば、医師の「うっかり」によってそれまでの成績を取り消され、資格停止処分まで受けて、不服申立てをしないはずがないからです。

当然、アスリートは医師に対して「アスリート本人が意図的にドーピングを行ったわけではないこと」「医師がうっかり禁止物質を投与あるいは処方してしまったこと」などの説明を求めるでしょう。

選手が所属するスポーツ協会などで聴聞会が開かれ、そこに医師が証人として呼ばれる可能性は十分に考えられます。医師は処罰を受けませんが、うっかりドーピングをしてしまった以上は、アスリートの無実を証明するために力を尽くさなければなりません。
それだけでなく、アスリートの知名度やその処分の重さ次第では、社会的な信頼を失う恐れさえあるのです。

 

うっかりドーピング行為を防ぐにはどうすればいい?

まずはアスリートからの申告がある

ドーピング行為に該当する禁止物質は200種類以上ありますが、そのほとんどは、もともと治療目的に開発されたものです。つまり、医師が一般の患者さんに処方する薬のなかにも、アスリートにとっては「ドーピング」となる物質が多く存在しているということになります。

とはいえ、新しい患者さんが来るたびに「アスリートかどうか確認しなければならない」という意識を持つ必要はありません。
アンチ・ドーピング規程では、アスリートに対して「あらかじめ医師に“自分は禁止物質の投与を禁じられている選手だ”と伝えなければならない」ということが義務づけられています。万が一、この申告義務を怠ったアスリートに医師が「これは禁止物質ですからね」と断らずに薬物を処方・投与したとしても、責任を負うことはありません。

ただ、前述したように、ドーピング行為に手を染めたアスリートに科される制裁は非常に重いものです。義務を怠る選手はほぼいないといえるのではないでしょうか。

うっかりドーピングを防止する方法

アスリートから申告を受けたとしても、そもそも「どの薬が禁止物質であるか」がわからなければ、対処のしようがありません。しかし、すべての物質を頭に入れておくというのも現実的ではないでしょう。 ここでは、うっかりドーピングを防止する方法をいくつかご紹介します。

■方法1:禁止表を確認する
WADAは毎年、国際レベルと国内レベルで共通適用される、禁止物質を一覧化した「禁止表」を発表しており、日本語ページも存在します。
WADAが開発した専用のアプリもあるので、診療時にタブレットを使用している場合はインストールしておくと便利でしょう。

■方法2:JADAが運営するアスリートサイトで確認する
JADA(日本アンチ・ドーピング機構)によるアスリート向けアンチ・ドーピング啓発サイト「PLAY TRUE」に、「病院で確認してもらおう」というページがあります。患者さんの症状ごとに禁止物質を確認することができるため、医師にも診察時の活用が推奨されています。
ただし、すべての禁止物質を網羅しているわけではないため、注意が必要です。

■方法3:JADAに問い合わせる
「禁止表の閲覧だけでは不安が残る」という場合は、JADAに直接問い合わせる方法もあります。上述の「PLAY TRUE」の問い合わせフォームから、薬についての質問をすることが可能です。
ただし、JADAからの返答には時間がかかるようなので、急ぎ確認したいときは薬剤師会が設置している「薬剤師会アンチ・ドーピングホットライン」へ連絡しましょう。各都道府県の連絡先一覧が公表されています。

■方法4:配慮できないことをアスリートに伝える
禁止物質かどうかを確認してから使用するのではなく、「ドーピングに対する配慮はできない」ということをアスリートに伝える方法です。 病気やけがの治療を行う医師の立場としては苦渋の選択ですが、アスリートの人生に関わるようなトラブルを避けるためには、ある意味最も確実な方法といえるかもしれません。

禁止物質でも使用できるケースがある

禁止物質が含まれている薬でも、治療目的であればその使用が認められる「TUE(治療使用特例)」という制度があります。2016年9月、WADAのデータベースにハッカー集団が浸入して流出させた、卓球女子日本代表の福原愛(ANA)の治療履歴などの個人情報も、このTUEに関するものでした。

アスリートはTUE申請用紙に必要事項を記入のうえ、大会を主催する国際連盟やJADAに提出して特例を認めてもらうことになります。申請用紙には診察所見や映像所見などの「診断根拠を客観的に証明する書類」の添付が必須とされているため、医師の協力が不可欠です。

また、TUE申請を行ったからといってすべての禁止物質の使用が認められるわけではなく、以下の条件を満たす必要があります。

a.禁止物質又は禁止方法を用いなければ競技者の健康状態に深刻な障害がもたらされるというような、急性又は慢性の疾患を治療するために当該禁止物質又は禁止方法が必要であること。
b.禁止物質又は禁止方法の治療目的使用により、急性又は慢性の疾患の治療の後に回復すると予想される競技者の通常の健康状態以上に、追加的な競技力を向上させる可能性が極めて低いこと。
c.禁止物質又は禁止方法を使用する以外に、合理的な治療法が存在しないこと。
d.当該禁止物質又は禁止方法を使用する必要性が、使用当時に禁止されていた物質又は方法を、TUE を取得せずに以前に使用したことの結果(全面的であろうと部分的であろうと問わない)として生じたものではないこと。

 

TUE申請を行う際は、JADAが公表している「医師のためのTUE申請ガイドブック」が役立ちます。医師が必要な書類を作成する場合はこれを活用しましょう。

2020年に開催される東京五輪でも、世界中がドーピングに関心を寄せると予想されます。一方、開催国の日本人選手の活躍もまた、今回の開催国ブラジルがそうであったように世界中で紹介されることでしょう。

そんな時にもし日本人選手からドーピングによる失格者が出てしまったら、例えそれが「うっかりドーピング」だったとしても、大きな注目を集めることになります。

医師にとって、ドーピング事件は決して対岸の火事ではありません。アンチ・ドーピングについて正しく理解することはもちろん、日本の医療界全体の意識が高まるよう、一人ひとりの医師が周囲へ働きかけていくことも重要なのではないでしょうか。

(文・エピロギ編集部)

 

<参考>
NHKクローズアップ現代「“見えない”ドーピング 攻防の最前線」(No.3454 2014年1月20日放送)
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3454/index.html
公益財団法人 日本体育協会「ドーピング違反になったら?」
http://www.japan-sports.or.jp/medicine/doping/tabid/541/Default.aspx
公益財団法人 日本アンチ・ドーピング機構「医師のためのTUE申請ガイドブック2016」
http://www.realchampion.jp/assets/uploads/2016/04/tueguidebook2016.pdf
公益財団法人 日本アンチ・ドーピング機構「日本アンチ・ドーピング規程」
http://www.playtruejapan.org/downloads/code/japan_code_2015_jpn_20150401v2.pdf
公益財団法人 日本アンチ・ドーピング機構「薬剤師会アンチ・ドーピングホットライン」
https://www.playtruejapan.org/code/hotline.html
八木由里「アンチドーピングにおける 医師の役割と責任」(『基礎から学ぶ「スポーツと法」No.8』)
http://sports-law-seisaku.jp/thesis/8/8.pdf
朝日新聞DIGITAL「ドーピングの深い闇」
http://digital.asahi.com/olympics/2016/special/doping/2/
朝日新聞DIGITAL「ロシア、水泳界でもドーピング? 疑惑の医師が関与か」
http://www.asahi.com/articles/ASJ3S15V6J3RUHBI03N.html
公益財団法人 日本オリンピック委員会「ドーピングについて理解しよう」
(http://www.joc.or.jp/anti_doping/about/index02.html)
公益社団法人 東京都薬剤師会「うっかりドーピングを防止しよう 選手向けページ」
http://www.toyaku.or.jp/health/usemedicine/nodoping_athlete.html
World Anti-Doping Agency「2016禁止表」
https://www.playtruejapan.org/downloads/prohabited_list/2016_ProhibitedList_JP_revised20160108.pdf
PLAY TRUE「病院で確認してもらおう」
http://www.realchampion.jp/knowledge/for_doctor
PLAY TRUE「お問い合わせ」
http://www.realchampion.jp/contact
BASEBALL KING「A・ロッドらに禁止薬物を提供した疑惑の医師、保釈金1000万円払ったのに…再び逮捕」
http://baseballking.jp/ns/12011
仲野博文「<露ドーピング>スポーツと薬物使用の長い歴史 五輪では100年以上前から」(THE PAGE/Yahoo!ニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3dd1fe476bb29eadd572bf59aeb0b3f420e6800c
AFPBB News「「ドーピング王」の異名を持つスポーツ医師を逮捕、コロンビア」
http://www.afpbb.com/articles/-/3090019
鈴木聖子「反ドーピング機関のDBから五輪選手の個人情報流出、「犯行はロシア」とWADAが名指し」(ITmediaエンタープライズ)
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1609/15/news059.html
松原孝臣「東京五輪を引き寄せた1つの数字。五輪での薬物違反者「0」の意味。」(Sports Graphic Number Web)
http://number.bunshun.jp/articles/-/678886
産経ニュース「福原愛、海老沼匡、金藤理絵らの医学データも流出 露のハッカー集団がネットで公表」
http://www.sankei.com/sports/news/161004/spo1610040004-n1.html
川口マーン惠美「東ドイツは不正国家だったのか? 東西ドイツ統一後明らかになったスポーツ選手のドーピング問題」(現代ビジネスプレミアム)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41073
玉木正之『ロシア国家ぐるみのドーピングが発覚――どうすればスポーツの世界から「ドーピング」はなくなるのか?』(Camerate di Tamaki)
http://www.tamakimasayuki.com/sport/bn_260.htm
小名木明宏「ド ー ピ ン グ の 法 的 規 制 に つ い て の 比 較 研 究」(Camerate di Tamaki)
http://www.ssf.or.jp/Portals/0/resources/encourage/grant/pdf/research15_1-01.pdf
NHK BS「フランケンシュタインの誘惑 科学史の闇の事件簿」汚れた金メダル 国家ドーピング計画

 

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コメント
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コメント一覧(1件)

  • 1. いいえ さん

    トプアスリートは専属の医師がいますのでうっかりドーピングは存在しないですね。チームで指導者やアドバイザーのもと厳格に管理してますしJADAはセミナーも行ってます 。
    陽性になるということは100%故意といえます。
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