「日本とアメリカ」x「医療と法律」——2x2の視点で見る日本の医療
歪なシステムを「変えられる」と思うことが始めの一歩
加藤 良太朗 氏(板橋中央総合病院 副院長 総合診療科主任部長)
板橋中央総合病院の副院長である加藤良太朗医師は、東京大学医学部卒業後、帝京大学医学部麻酔科を経てアメリカに渡り、ワシントン大学医学部で総合内科、ピッツバーグ大学医学部で集中治療のトレーニングを受けた総合診療医です。
14年間に及ぶアメリカ滞在中にワシントン大学のロースクールも卒業し、ニューヨーク州の弁護士資格を取得。さらに、ワシントン大学医学部の教員時代には、「アメリカで最も優れたITシステムを有する」と言われていた退役軍人病院ネットワークの1つ、セントルイス退役軍人病院でホスピタリスト科の立ち上げに成功。医療のIT化が進むアメリカで医療安全や病院の効率化に関わりながら、ITについての豊富な知見を身につけました。
一見移り気な経歴にも思えますが、それらはすべて、「医師がその能力を最大限に発揮できるような医療環境を作るため」とご本人の弁。そんな加藤医師に、今の日本の医療の問題やその解決方法について聞きました。
本音を語りにくい日本の医療
——総合診療内科医であり、法律家であり、管理者であり、ITにも詳しい、そんな異色のキャリアを持つ加藤先生から見た、日本の医療の課題はどこですか?
難しい質問だと思いますが、まず「何が問題なのか」をはっきりさせることが、1つの大きな課題だと思います。上手な外科医は常に病変を術野の中心に持ってくると聞きます。また、優秀な裁判官は1つの質問で紛争の核心を露出させることができます。まずは日本の医療の本質的な問題を明らかにしないといけません。
現在の私の役割は、レジデント(後期研修医)の教育と、医療安全ですので、それらに沿ってお話させていただきます。まず、レジデント教育ですが、日本とアメリカで圧倒的に違うのは、レジデントを一人前と見るか否かだと思います。アメリカではレジデントは医師免許を持ってはいますが、半人前扱いです。「レジデントはできない」ことを前提に教育体制が成り立っています。カルテ記載でも、レジデントだけではダメで、指導医のサインがないと保険会社はお金を払ってくれません。
一方、日本では、レジデントは一人前だと考えているように感じます。ですから、救急の現場でも、急変対応でも、最初に呼ばれるのはレジデントです。本来、急変時というのは1分1秒を争う大事な場面で、最も経験が必要とされます。そこで最初に駆けつけるのが最も経験の浅いレジデントだというのは、適材適所の観点からはおかしい。同じような見方をすれば、最近白熱した議論が展開されている新専門医制度についても、初期研修を終えたばかりの若い医師に、地域医療を任せるといのもやはりおかしい。そのツケが誰に回ってくるかを考えなければいけません。本当に教育や国民からの信頼といったことを考えるのであれば、レジデントをどんな医師と見るべきなのかはもっと議論されてもいいと思います。
医療安全についても同じようなことが言えます。私がアメリカで働いていた退役軍人病院ネットワークでは、薬のオーダーシステムが全て自動化されておりましたので、投薬に関するエラーが起こる確率は僅か0.003%でした。それに対して、日本の多くの病院では、投薬に関するエラーは、決して珍しくありません。それなら「日本でも同様のシステムを導入したらいい」と思うでしょう。ですが、現行の医療保険制度では、病院の大半は黒字にするのが精一杯で、何億円もするようなITシステムに投資する余裕などまずありません。医療安全は、最終的にはお金のかかる話です。お金がない以上、議論するのは簡単ではありません。でも、本当にそれでいいのでしょうか。本質的な問題を議論できない、このような現状を変えることが第一の課題かもしれません。
——若い医師ほど負担の大きいシステムが、今の日本の医療の弊害になっている、と。
どちらかというと、若い医師だけに負担がかかるシステムはいけないと思います。私は、いくら能力があっても、レジデントはやはり半人前だと思っています。社会がそのように見るだろうと思うからです。何か問題が起こったときには、やはり指導医が責任を取るべきですし、責任を取れるような環境を作っておくべきだと思います。研修医が、意図的でない医療事故のために逮捕されるようなシステムは絶対におかしい。
今の日本の医療現場は過酷で、最近注目を集めている広告代理店や運送業者と同じくらいにブラックです。確かに、レジデントの研修のためにはある程度の負担は必要ですし、実際には若い医師の方が圧倒的に体力はあります。ただ、私の経験では、素直で向学心に燃える若手の医師ほど、熱心に夜まで病院に残っていたりして、肝心なときに疲れてしまったり、中には病気になってしまう医師もいます。レジデントは消耗品ではなく、磨けば光る人材として、大事にしていきたいですね。
「総合診療医」は本当に必要か?
——医療の細分化が進んでしまうとシステムが硬直化してしまうという恐れもありそうです。
その通りです。アメリカでも日本でも、医学の発展とともに、医療の細分化が進み、診れる領域の狭い専門家ばかりが増えている傾向にあります。アメリカでは、「右肩専門の整形外科医」と「左肩専門の整形外科医」がいると冗談で言うほどです。いくら専門医をたくさん集めても、必ず隙間は残りますので、大病院でも誰にも診てもらえず「たらい回し」にされる患者様もいます。更に、社会の高齢化に伴い、複雑な病気を持った患者様は増えています。横断的に診れる総合医はやはり必要だと思います。
以前、脳出血と肺炎を両方持った患者様が救急外来に来たことがありました。脳神経外科は、「肺炎は診れない」と入院を断り、呼吸器内科医は「脳出血は診れない」とやはり入院を断りました。診断はついているのに担当医が決まらない。こんな硬直したシステムではいけません。このような場面では、総合診療医は活躍できます。担当医となって、脳神経外科医や呼吸器内科医と協力しながら上手に診療に当たればいいのです。アメリカでは、ホスピタリストと呼ばれる病棟付の総合内科医がこのような役割を果たしています。病院の安全性や効率を上げることができるというデータもあり、アメリカの内科領域では現在最も人気のある職種です。
ただ、ここでも注意が必要です。考え方によっては、本来なら脳神経外科医と呼吸器内科医が協力して2人で診れば良いところを、総合診療医を追加して3人で見る訳です。当然、人件費はかかります。先ほどの議論に戻りますが、安全性と効率化のために更にもう1人の医師にお金を払う必要があるのかという議論も必要だと思います。もしかすると、脳神経外科医や呼吸器内科医といった専門医が、診れる幅を増すことの方が合理的なようにも思えます。そうすると、アメリカのように、まず内科医も外科医もそれぞれ一般内科、一般外科で集中的にトレーニングするといった教育システムには価値があると思います。
人の作ったルールは変えられる
——加藤先生は「今の日本の医療システムは変えられる」と思いますか?
思います。変える必要があるかどうかは、意見の分かれるところですが、変えようと思えば変えられます。医療というものは、さまざまなルールによって成り立っています。ただ、これらのルールは所詮人間が作ったルールですから、たまに間違えることもありますが、変えることもできます。人間が作ったルールというのは、自然界のルールほど複雑ではありません。そこが、法学と医学との違いでもあると思います。
——医療システムという大きなものを変化させるためには、まずどこから手をつけるべきだと思いますか?
繰り返しになりますが、まずは何を目的に変化させたいのかを明確にすることだと思います。確かに、今の医療システムには問題が多いのかもしれませんが、完璧なシステムなどありません。どこかを変えようとすると、必ずその対価として何かを失うことにもなります。医療費を抑制することが大事なのか、より充実した教育体制や安全体制を整えることが大事なのか、プライオリティーを決めないといけません。簡単なことではありませんが、それが第一歩だと思います。
医療費が限られている以上、できることも限られてしまいますが、個人的には、もう少し上手くお金を配分することはできると思います。例えば、薬剤費などはもっと減らせるはずです。帰国してびっくりしたことの1つは、科学的根拠、いわゆる「エビデンス」が全くないにも関わらず、ほとんどの医師が処方している高額な薬剤が少なくないことです。また、患者側のリテラシーを上げることも大事です。普通の風邪でも「抗生剤を出してください」という方が多い。確かに、日本は欧米に比べて対GDP比で見た医療費は圧倒的に少ないのかもしれませんが、薬剤費の伸び率は欧米と比較しても速い。この辺は、もう少し上手くできるのではないかと期待しています。
AI時代でも置換されないのは「ヒューマン」の部分
——テクノロジーの発達により、今後は医師の仕事にも変化が求められるかもしれません。
その通りだと思います。最近はAI(人工知能)やIoT(さまざまなモノがインターネットを介して接続されること)が話題ですよね。特に、画像診断などはAIの得意分野ですし、内科診断のアルゴリズムも、囲碁などと比べてもそこまで複雑ではありません。実際、症状から自動的に質問を選び、その結果によって鑑別診断を上げるというアプリケーションは既にあります。また、先日も東京大学医科学研究所で膨大な医学論文を学習したAIが、医師でも診断が困難な患者さんの病気を的確に診断したことが話題になりました。
手技だってそうです。私が研修医をしていた15年ほど前は、中心静脈という大きな静脈に針を刺す手技は比較的リスクの高い手技とされ、医師によっても上手い下手に結構差がありました。ところが、その後、超音波エコー装置が普及すると、比較的安全な手技になったばかりか、誰がやっても上手くいくようになりました。
このように、内科医の仕事の多くは、テクノロジーによって大分変わっていくでしょう。であれば、将来必要になる医師としてのスキルを考え直す必要があります。
——では、今後はどのような医師が必要となるのでしょうか?
それはやはりテクノロジーにはない「ヒューマン」の部分、人の温かさを大事にする医師ではないでしょうか。例えば、聴診器。今では他の検査の方が得られる情報が多いので、検査としては必要ないことが多いかもしれません。ですが、おじいちゃんおばあちゃんに聴診器を当ててあげると、非常に安らかな表情をすることが多い。その瞬間、医師とつながっているという安心感があるのでしょうか。私は「患者と触れ合うことを恐れない医師」というのが、これから望まれる医師像だと思います。
私の個人的な見解では、日本の医療教育は、このようなヒューマンな部分を重視してきた経緯があるので、将来は明るいのではないかと思います。ヒューマンな部分を大事にしながら、安全性や効率化のために必要なところはどんどんテクノロジーで補う。それが理想だと思います。
日本の医師は「いい意味で真面目すぎる」
——現状、問題山積の日本の医療システムが、あまり改善されることなく存続しているのはなぜですか?
それは、今の日本の医療システムがそれなりに機能しているからだと思います。確かに、国内にいると、いろいろな問題が指摘されていますが、国外から見ると、過去にはWHO (World Health Organization)から世界一だと称されたこともあります。例えば、透析医療なんかは世界と比べても圧倒的に優れています。80歳で透析を導入され、その後10年以上も生きるというのは、アメリカでは見たことがありません。
ただ、このような良い面も含めて、今の医療システムがこれからも存続できるかはわかりません。今の日本の医療は、医師に限らず、看護師やコメディカルがそれぞれ150%以上頑張っているからなんとか成り立っているような状況です。本当に良いシステムとは、皆が与えられた仕事を100%出していれば、あるいはそれ以下でも、上手く回るようなシステムです。
これは医療に限った話ではないと思いますが、多くの日本人はいい意味で真面目すぎるんだと思います。若い医師でも「自分が責任を持って全てやらなくてはいけない」という思いが強く、結果としてオーバーワークを前提としたシステムになってしまう。医療安全領域でも、本当は病気で亡くなっているのに、「自分のミスではないか?」と深みにはまってしまう医師が少なくありません。このあたりはもう少し、楽に考えてもいいのではないかと思います。当院の総合診療科では、主治医がいつでも、どこにいても呼ばれてしまうという主治医制から、休みの日には当直医が対応するというチーム制に移行しつつあります。ところが、喜んでもらえると思ったら、意外と医師からの抵抗が強いのには驚きました。
逆にアメリカでは、「医師も人間なんだから」という面を強調し過ぎている印象は確かにあります。内科でもシフト制が一般的で、その結果、責任感が希薄になったという批判もあります。当然、医師という職業自体に対する尊敬の念も薄く、訴訟も多い。結局はバランスをとりながらやるしかありませんが、どうすれば理想のシステムに近づけるか、その試行錯誤をしている段階です。
「それでも医療にこだわる」のはなぜか
——加藤先生はなぜ、異色のキャリアを歩み、このような視点を持つに至ったのですか?
私は、自分の使命は「若い医師が安心して働ける環境を作る」ことだと思っています。それが私の存在意義です。その準備のために今までのキャリアを作ってきました。これは私の恩師である帝京大学医学部麻酔科学の前主任教授の森田茂穂先生の影響です。森田先生は以前こちらでインタビューされていた昭和大学医学部麻酔科講座主任教授の大嶽浩司先生など、たくさんの後進にとっての、今で言うメンター的な存在でした。
私が東京大学医学部を卒業したのは、ちょうど大病院の医療事故がメディアで盛んに報じられていた時代です。そのような騒動に若い医師らが巻き込まれ、病院も彼らを守ろうとしない状況がありました。一方、私自身は、母校の中では平凡で、何かしらで飛び抜けている点もなかった。当時、医師としてのキャリアアップに必須だと言われていた研究も、世の中には「(研究が)好きで好きでしょうがない」という人がいて、そういう人を見ていると、そうではない自分がやる意義を感じられませんでした。
医学部に入る前は、漠然と「お医者さんってカッコいいな」と思っていたのですが、実際に医師になってみると、自分が医師としてこれからどうしていくべきか、悩んでしまったんです。そんなときに森田先生に出会って、自分のある意味で器用貧乏なところは、周囲をサポートする上では大きな強みになると言ってもらえて。私は他人に影響されやすいところがあるのですが(笑)、森田先生のアドバイスによって、自分のキャリアプランが設定しやすくなりました。
医師というのは、一般的には研究や臨床で実績を積み、ようやく役職をもらうと、今度はマネジメントや経営のスキルを要求されるわけです。研究や臨床一筋でやってきたのに、急に別のスキルを勉強しないといけない。慣れないことをさせられるわけですから、医療訴訟への対応など、苦戦することも当然あります。それなら、最初からこれらのスキルを身につけようと思ったのです。
——あまり前例のないキャリアですが、不安はありませんでしたか?
不安はありませんでした。むしろ「他にやる人がいないからこそ楽しい」と本気で思っていて。当時は私もまだ若かったので、新しいことには果敢にチャレンジしたいという勢いがありました。森田先生もよく「人生に生かされるのではなく、人生を生きろ」と仰ってましたが、自分で自分のキャリアをプロデュースすれば、成功しても失敗してもかけがえのない価値があるという意識です。実際、毎日が本当に楽しかったです。
確かに不安はありませんでしたが、常に葛藤しながら、というのが正直なところです。ロースクール時代、製薬会社でインターンをしていたことがありますが、待遇が素晴らしく、仕事も面白かったので、そのまま就職しようか悩んだことがあります。弁護士事務所でインターンをしていたときも、そのまま就職しようか同じように悩みました。そんなときには、やはり森田先生の言葉、私にとっての原点を思い出して、ぶれないように奮起しました。
——最後に、キャリアに悩む医師へのメッセージをお願いします。
夢を追ってください。どんな夢でもいいんです。私は、医者という職業に憧れて医学部に入り、テレビドラマなどの影響を受けてアメリカの病院に憧れて留学し、そして「医師にとっての理想的な環境を作る」という夢を持って頑張っています。
私の周りには、「日本の医療を変えたい」「お金持ちになりたい」「休みの日に子供を肩車してムスタングを運転したい」「マライア・キャリーに会いたい」など、本当にいろいろな夢を持って渡米し、成功している医師が多くいます。中には夢半ばで道を変えた者もいましたが、誰も後悔はしていません。自分の人生を生きているからだと思います。
確かに、物事が上手くいかず、心が折れたり、挫折したりすることはあります。そんな時には、私にとっての森田先生のように、良いメンターを見つけることが大事だと思います。自分が忘れかけていた夢を思い出させてくれる、諦めかけていた挑戦を奮い立たせてくれる、そういったイマジネーション豊かなメンターが理想的です。
そのようなメンターはかならず身近にいると思います。そうでなくとも、最近では、インターネットやソーシャルメディアなどのお陰で、離れている場所でも見つけやすくなりましたし、コンタクトも取りやすい時代です。若い医師が来て、「話を聞かせて欲しい」と言われて、嫌がる人はいません。臆せずにどんどん会いに行けば良いと思います。ただ、事後報告をするなど、最低限のマナーは守りましょう。
(聞き手・文=朽木誠一郎[ノオト] / 撮影=加藤梓)
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- 加藤 良太朗(かとう・りょうたろう)
- 1999年に東京大学医学部卒業後、帝京大学医学部附属市原病院で研修。同大学麻酔科で留学の準備をし、2001年から米国ワシントン大学医学部内科に勤務。2004年に同大学ロースクールへ入学し、在学中は製薬会社ジョンソン&ジョンソンや法律事務所ケニヨン&ケニヨンでインターン。2007年に卒業し、ニューヨーク州弁護士の資格も取得。2008年から2013年までワシントン大学医学部内科講師およびセントルイス退役軍人病院のホスピタリスト科長として勤務。2013年から2015年までピッツバーグ大学医学部集中治療科で勤務。医師・弁護士として活動した後、2015年に帰国し、板橋中央総合病院の副院長兼総合診療科主任部長に着任。日本麻酔科標榜医、内科認定医、総合内科専門医、米国内科専門医、集中治療専門医。
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