第3回 日本の専門医制度は終わったか?~専門医の“質”を担保する抜本的な改革を
岩田 健太郎 氏(神戸大学大学院医学研究科・微生物感染症学講座感染治療学分野教授)
“学会主導”の改革に意味はあるのか
日本の専門医制度は終わった。最初に日本専門医機構の「専門医制度新整備指針」(2016年12月)を読んだときにはそう思った。ひどい指針である。最悪と言っていい。
日本専門医機構ができたのは、日本の専門医制度と専門医に問題があるからだ。現状維持でよければ、専門医機構を作る必要はない。学会認定の専門医だと「学会に尽くし、学会にカネを払い、学会主催の集会に参加し(またカネを払い)、学会が出す専門誌に論文を書き(またカネを払い)、ちょちょっと試験を受けて専門医もどきになる」現状では専門医の質が保てない(保てていない)。だから、学会から独立した機構が専門医の専門医たる質を担保するために、改革が望まれたのだ。
「新整備指針」や運用細則、その後の日本専門医機構の動きにはそのような理念はまったくない。まったく、ない。ほとんど現状維持のままであり、「学会主導」だ。学会は従来通りの簡単に専門医になれてしまうシステムをほとんど踏襲し、学会のメンツを保とうとするだろう。何が「仕組みを柔軟に運用」だ。何が「プロフェッショナル・オートノミー」だ。単に骨抜きにされているだけではないか。
専門医の“質の担保”こそ重要
新整備指針には「日本では専門医は医師の7割前後に留まっている」とある。この割合を増やして「みんな専門医だよ」状態にしたいのか?ならばハードルを下げて質の低い専門医を乱造すればよいのである。しかし、専門医が医師の7割を占める状態がそもそもおかしいのだ。
世界を見ても、専門医の比率が異常に高い米国ですら、相当数の医師はジェネラリストである。他の先進国ではむしろジェネラリストのほうが多い。そして、専門医になるためのトレーニングは厳しく、ハードルは高い。だから、専門医の質の高さが担保されているのである。
さらに、機構は「基幹病院でなく、循環型の研修を行え」と言う。このような奇妙な制度は、ぼくが知る限り日本にしか存在しない。大事なのは研修の質が担保されていることであり、単一の病院か、ローテートかはテクニカルな問題であり、本質ではない。このような瑣末なところから入ろうとするから、本分を見失うのである。基幹施設と連携施設のローテートの比率も、やはり瑣末で「どうでもいい」ことである。
後期研修医は労働力ではない
サブスペシャリティにおいても「研修」を受けて専門医になるのが筋だ。訓練なくして専門性はつかないからだ。しかし、機構は従来型の「カリキュラム制」を容認し、質の低い専門医の育成を看過してしまった。
専門医をめざす後期研修医は訓練途上の存在であり、本来は労働力としてカウントしてはならない。だから、専門医制度が地域間の医師の偏在をもたらす、というのは理念として間違っている。
百歩譲って現実世界では研修医が労働者になっていることを飲み込んだとしても、それは地域の研修制度を担保するよう機構が尽力すればよいわけで、研修の質を安売りしては絶対にいけない。それではまったく本末転倒ではないか。専門医になるために「地域医療の経験」など必須ではない(もちろん、あってもよいが)。
そもそも「経験目標」そのものを(初期研修医についてもそうだが)必須化するのが間違っている。これが地域差を生む原因だ。また、大学病院偏重になる原因でもある。都会や大学病院(あるいは大病院)のほうが「経験」の多様性は得やすいからだ。3月になると初期研修医が大慌てで「なんとか病をまだ見てない」と経験探しに走るが、「経験すれば熟練する」という経験主義は危うい。
経験主義ゆえに形骸化する研修
ぼくはロスリバー熱もラッサ熱も経験していないがちゃんと感染症のプロでいられる。逆に、何百例の肺炎、何千例の尿路感染を経験したからといって感染症のプロになれるわけではない。そもそも何千例間違ってマネージしてるというのもよくある話だ。
経験は大事だが、日本は悪しき経験主義に頼りすぎている。むしろ「私はまだ分かっていない」と知識しかない状態を自覚している方が安心できる。下手に「経験した」ことで分かったふりをすることは多い。経験目標は全廃するか、緩やかにしたほうが学習効果は高い。
むしろきちんと規定すべきは指導医のあり方だ。指導医のエフォートすら機構は「各学会任せ」である。これでは従来通りの「放置プレイ」研修が容認されてしまう。機構が要請しているのは組織図とかマニュアルといった実のない形式ばかりで、本質がからっぽなままである。あと、細かいことだが海外での研修は研修期間に含めるべきで「中断」扱いするのはおかしい。
専門医制度に抜本的な改革を
日本の専門医制度は死んだ。ぼくはそう感じる。すでに死んでいたのだが、とどめを刺されたと思う。
繰り返すが、日本の専門医制度は専門医の質を担保していないから、改革を必要としたのだ。ということは、現存するシニアなドクターたちはまともな訓練を受けずに育った世代であり、そのような連中が自律的に仕組みを作れるわけがない。日本の内科医で、本当にきちんとした「内科研修」を受けた人は少数派のはずだ。50歳以上ではおそらく1%もいないだろう。タコツボ医局の中で自科のトレーニング(とくに手技)を繰り返し学び、他の内科領域はやっつけ仕事。これが日本のシニアの内科医の実像である。まして、機構のメンバーは本当に一線で研修医を教育しているのか、していたかすら、疑わしい人たちだ。
今のままでは絶望的だから、機構は(また)全員辞職してしまえばいい。あなたたちにはかけらほどの期待もできない。海外から第一線で専門医を指導、かつ質の高い研修制度を走らせている人たちを招聘し、明治時代よろしくアウトソーシングして、全部仕組みを作ってもらえばいい。そうすれば、日本の専門医制度も少しはましになるだろう。
最後に
本問題を海外でも共有していただくために卒後医学教育の専門誌にレター(※)を書いた。興味がある方はお読みください。またしても、日本がいかに「ガラパゴス」な状態にいるのか世界に知ってもらうためだ。日本独自の専門医制度があっても構わない。別に欧米と同じ方法を取る必要もない。しかし、せめて対外的にアカウンタビリティーが保証されている制度にすべきだ。諸外国には恥ずかしくて教えられないような専門医制度。それが、日本が今進もうとしている制度である。
※Board certification in Japan: corruption and near-collapse of reform
※本記事は、岩田健太郎氏のブログ『楽園のこちら側』で掲載された「日本の専門医制度は終わったか?」(2016.12.23掲載)を大幅に加筆修正の上、掲載しています。
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- 岩田 健太郎(いわた・けんたろう)
- 1971年島根県生まれ。神戸大学大学院医学研究科・微生物感染症学講座感染治療学分野教授。1997年、島根医科大学(現:島根大学)を卒業後、沖縄県立中部病院、コロンビア大学セントルークス・ルーズベルト病院内科などでの研修を経て、中国で医師として働く。NYで炭疽菌テロ、北京でSARS流行時の臨床を経験。2004年に帰国し、亀田総合病院に勤務。感染症内科部長、同総合診療・感染症科部長を歴任し、現職。
著書に『1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方』(光文社新書、2011)『バイオテロと医師たち』(集英社新書、2002)、『感染症外来の事件簿』(医学書院、2006)、『感染症は実在しない』(北大路書房、2009)、『麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか』(亜紀書房、2009)など、多数。
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