個別化医療で変わる医師の役割~「患者が治療を選ぶ」時代に求められることとは
石岡 千加史 氏(東北大学病院 副病院長/個別化医療センター センター長)
患者の遺伝子解析や診療情報を活用して、一人ひとりの患者に最適化された医療を提供する「個別化医療」。がん治療の分野で先行する新たな医療は、間違いなくこれからの医療の主流となる。そのとき、医師に求められる役割は、どう変わるだろうか。
2017年4月に「個別化医療センター」を設立し、2018年2月には「がんゲノム医療中核拠点病院」に指定された、この分野で最先端を行く東北大学病院個別化医療センターの石岡千加史教授に、個別化医療とこれからの医師の役割などを伺った。
大きく変わるこれからの医療
従来の医療では、病気になった患者さんに対していわゆる標準治療を行ってきました。つまり、一つの疾患に対しては、基本的に一つの治療法で対応してきたのです。ところが、ゲノム科学の急速な発展により、がんなどの難治性の疾患に対する治療法が、大きく変わりつつあります。
ゲノム科学や分子科学の進歩により、これまでなら例えば「胃がん」とひと括りにされてきた病気が、ゲノムレベルで見ると異なる病気の集合体であることが明らかになってきました。仮に同じ胃がんの中にAタイプやBタイプがあるとすれば、その診断法はもとより治療法も、それぞれ「個別化」されたものが必要となるはずです。
つまり、医学の進歩に伴い疾患の診断が細分化され、それに伴って治療にも個別対応が必要となってきた。これがいわゆる「個別化医療」が普及しつつある背景であり、医療を提供する側の動きです。
一方では、医療を受ける側である患者さんの意識も大きく変わり、治療に対する要求が高くなっています。例えば、ある治療法を提案されたけれどもあまり効果が見られなかったとか、副作用が多くて苦しんだなどの体験をされる方がいます。それでも、これまでは与えられた治療に満足するしかなかった。しかし、効かない医療を望む患者さんは本来いないはずで、万が一、自分ががんなどになった場合に、自分に最も適した治療を望むのは、ごく自然な感情です。患者さんの意識が変化してきた背景には、インターネットなどで大量の医療情報が提供され、患者さんの知識が増えていることがあります。
医療を提供する側の科学的進歩と、医療を受ける側のニーズが「個別化」というキーワードで一致したのです。もっとも「個別化医療」「パーソナライズド・メディシン」「テーラーメイド・メディシン」などの考え方そのものは、10年以上前からありました。特にがんの領域では学会などで毎年のように取り上げられてきたテーマですが、その実現を大きく推進する力となったのは、ひとえに技術の進化です。
がん治療におけるゲノム解析技術の進化
この10年でゲノムの解析技術は長足の進歩を遂げ、がん治療を大きく変えています。そもそもがんとは、体内の正常細胞の遺伝子に変異が起こるために発症する病気です。つまり問題は、遺伝子に起こっている変異にあるのです。その変異をゲノムの一部の遺伝子を切り出して調べられるようになってきた。その結果、同じ臓器に発生するがんであっても、実際には様々な種類があることが明らかになってきました。
さらにがんの場合は他の病気と異なり、がんの発生過程はもとより、発生後もゲノムはどんどん変化しています。これががんと他の病気が決定的に異なる点です。そのため治療を開始した時点で効いた薬が、治療を続けていくうちに効かなくなるケースが出てきます。
このようながんの多様性が、ゲノム解析技術の発達に伴って明らかになってきました。現在はその次のステップとして、遺伝子異常を解消する技術が開発されつつあります。個別の病態に応じた最適な治療法を開発して、患者さんに提供する。これがプレシジョン・メディシンすなわち精密医療ですが、現状は実質的に対象がほぼがんに絞られるので、プレシジョン・オンコロジーと言って良いでしょう。
プレシジョン・メディシンについては、2015年にオバマ米大統領が行った一般教書演説の中で「プレシジョン・メディシン・イニシアティブを始める」と宣言し、世界中に大きなインパクトを与えました。これは日本でいう「個別化医療」に相当します。プレシジョンとは「精度の高い」という意味であり、精度の高さとは、患者さん個別の状況に最適化されている状態と理解してください。要するにがんを引き起こしている分子異常などのメカニズムを、科学的に正確に把握し、そのメカニズムを制御することがプレシジョンの意味です。
ただし「個別化医療」という言葉には本来、単にがんに対するゲノム医療に限らず、より大きな概念が込められています。例えばがん患者さんの中には、糖尿病や心不全などの併存疾患も多く見られます。仮に大腸がんで心不全を患っている場合は、大腸がんに対する標準治療が使えずに十分に効果が引き出せないケースも出てきます。あるいは、症状は同じがんだけれども、人のゲノム自体は一人ひとり異なるため、あるがん患者さんには効果的だった薬や治療法が、別の患者さんには効かなかったり副作用が強く出たりするケースもあります。こうした状況にもきめ細かく対処していくのが個別化医療です。
また、これからは治療を受ける患者さんの価値観にも配慮が必要です。例えば「この薬を投与すれば、あと5年は生きることができます。ただし、副作用が出る恐れがあります」と医師から告げられたとします。そのとき、「5年長生きできるのなら、少々の副作用は受け容れます」」と答える患者さんもいれば、一方では「副作用をがまんしてまで長生きなどしたくない」と治療を望まない患者さんもいるでしょう。こうした患者さん独自の価値観にも個別に応える必要があります。その意味でも「個別化医療」が求められているのです。
これからは、患者さんが自分の受ける医療に対して要望を訴えるケースも出てくるでしょう。したがって医療従事者としては、選んでもらえるだけの治療の品揃えをしておく必要があります。食事に例えるなら、同じステーキにしても人によって希望する焼き加減は、レア、ミディアム、ウェルダンとそれぞれ異なります。これと同様に一つの病気に対しても、個別の求めにきめ細かく対応できるよう複数の治療法を用意するのが個別化医療です。基礎医学では「サイエンス」の視点から医療や治療を考えがちですが、今後は「患者が医療を選ぶ」という視点で医療開発をしていくことになるでしょう。
もう一点、医療従事者が心しておかなければならないのが、医療の持続可能性です。超高齢化に伴い膨張を続ける医療費を、このまま放置しておくと日本の財政全体に大きなダメージを与えかねません。そうなると質の高い医療を安定して供給できなくなる恐れがあります。財政危機を招かないためにも、一人ひとりの患者さんに最適な医療を提供する必要があり、その中心的な役割を担うのが個別化医療だと思います。
がんゲノム医療中核拠点病院、東北大学病院が果たす役割
東北大学病院は、宮城県の都道府県がん診療連携拠点病院であり、東北・北陸地域で唯一の小児がん拠点病院です。このがん拠点病院は、がんに関する医療格差をなくすために指定されているものです。東北大学病院は、東北・北海道地域では最も多くのがん患者さんを受け入れており、抗がん剤治療もこの地域で最も多く手がけています。いわば東北地方におけるがん診療の拠点として、我々には個別化医療への対応が求められることは言うまでもありません。一方で我々は、先端医療研究にも精力的に取り組んでおり、新しい医薬品や医療機器の開発も担っていく考えです。
2016年8月に東北大学病院は、臨床研究中核病院としての指定を受けました。臨床研究中核病院とは、医療法に定められた施設であり、医薬品や医療機器を開発する機能を持つ施設です。日本には同様の施設として十数病院が指定されており、特にゲノム医療をリードする働きを期待されています。
2017年4月には、個別化医療の推進を目的として「個別化医療センター」が設立され、私がセンター長を拝命しました。
そして2018年2月に、がんゲノム医療を全国的に実施する上で中心的な役割を果たすために、厚生労働省より選定された全国11の中核拠点病院(がんゲノム医療中核拠点病院)の一つとなりました。中核拠点病院は、がんゲノム医療連携病院と協力し、主に遺伝子検査や治療法の選定などを担当するほか、研究推進や新薬開発、人材育成の役割も担います。
がんゲノム医療は、極めて高度な医療です。究極の個人情報であるゲノムを調べて、医学的に診断する。ゲノムに起きている変化を突き止めて、その変化が与える影響を解析する。これら一連の作業を適切に行うには、高度な専門知識が求められます。
しかも、がんに対する先進的な研究は世界中で先を競って行われており、最新情報は常にアップデートされています。これを一般の医療従事者が追いかけるのは無理があるため、集約拠点を設けて対応する。これらが、がん先端医療の中核拠点が設置された背景です。
また東北大学病院は、東北メディカル・メガバンク機構の運営拠点ともなっています。東北メディカル・メガバンク機構は、未来型医療を築いて東日本大震災被災地の復興に取り組むために作られた機構であり、「個別化医療」と「個別化予防」の発展を目指しています。その手始めとして、ダメージを受けた地域医療への手助けと人々の健康調査に取り組んでいます。まずバイオバンクを作り、そこに集まる試料や医療情報、さらにゲノム情報などを元に遺伝子の研究を発展させていく計画です。こうした活動を通じて未来型医療を支える人材を育成し、世界に先駆けた新世代の医療創出までを目指します。
当面は地域住民のゲノムコホート調査(※)を行い、膨大な量のゲノム解析を進めています。すでに3000人以上のゲノム解析を終えており、今後も増やしていく予定です。そのために必要な次世代シーケンサー(遺伝子の塩基配列を素早く読み出せる装置)も多数備えており、ゲノム解析ノウハウの改善に努めています。まさに東北大学病院には、設備、技術、人材、地域のがん治療における役割など、ゲノム医療、個別化医療を推進するための条件がすべて整っているのです。
※ゲノムコホート調査:健常者を対象にゲノム情報から、今後辿るであろう健康や疾病に関する情報を集め、疾病予防や治療法の開発に繋げることを目的とした調査。
個別化医療の今後の展開
個別化医療センターでは、世界に先駆けたゲノムコホート研究の基盤を持つ東北メディカル・メガバンク機構や、最新医学知識と基礎医学研究の基盤を持つ医学系研究科と密接に連携し、希少性疾患を中心とした「個別化医療」の推進を図ります。具体的な取り組みとしては、ゲノム医療・オミックス医療(※1)、特にがんのゲノム医療をターゲットとして、センターを中心に、がんゲノムを解析するがんクリニカルシーケンス検査を開始し、生体試料の保存やデータ管理を行う疾患バイオバンクを設立します。
具体的には、クリニカルシーケンス部門、臨床シーケンス部門で病気のゲノム解析を行うと同時に、バイオバンクで様々な検体をストックしていきます。これによりホールエクソン解析(※2)などの遺伝子解析研究を進めて、将来的にはゲノム解析をベースとした治療の最適化から、発症予防につながる医療開発につなげていきます。
いま精力的に取り組んでいるのが「がん遺伝子パネル検査(クリニカルシーケンス検査)」です。これはがん関連遺伝子の変異を解析し、がん患者さんの診断や治療に役立てる検査で、数百個のがん関連遺伝子の変化を一度に調べて、がん診断に役立つ情報を、最新の技術を用いて解析するものです。
現時点では自費による自由診療であり、アメリカのMemorial Sloan Ketteringがんセンターが提供しているMSK-IMPACT検査を使っています。ただし、がん遺伝子パネル検査についても、我々独自の検査法を立ち上げるための研究をすでに始めています。
これらの先端的な研究を実用化するには、産学連携が重要なカギとなります。最新の研究成果を医薬品や医療機器、診断薬などの形で社会実装する役割は、企業に求められます。その一例として東北大学では、日立製作所と共同でゲノム解析のプラットフォーム作りに取り組んでいます。
私たちが日立に期待するのは、IT技術とAIの能力です。遺伝子パネル検査では膨大なゲノム情報を解析する必要があり、その結果を研究者が人力で文献を調べて照合するような時代ではもはやないからです。すでにゲノム情報に関しては、国内外に様々なデータベースが整備されつつあります。こうしたビッグデータを活用しながら、遺伝子パネル検査の結果を照合し、多角的統合的に解析するためにAIを活用します。まずパネル遺伝子検査から始めて、最終的にはホールエクソン解析まで到達したいと考えています。
今後の展開としては、現在は先進医療として行われているパネル遺伝子検査の保険収載をまず目指します。その後2年ぐらいのスパンで、我々独自のパネル遺伝子検査のプラットフォームを作る予定です。
こうした診断技術とセットで考えるべきなのが、ビッグデータの活用です。ゲノム解析の結果、何らかの異常が見つかったとしても、その異常の意味が解明されないと治療には使えません。異常と治療法や治療薬情報とのひも付けなどは、すでにアメリカで行われていますが、人種の違いがあるため日本人に最適化された情報プラットフォームが必要です。これを一刻も早く構築したいと考えています。
ほかにも個別化医療センターで対応するのは、生活習慣病と呼ばれる疾患、具体的には糖尿病や高脂血症、高血圧などに対する先制医療があります。あるいは、他の機関と連携する形で、国のゲノム医療のもう一つの柱である遺伝性の希少疾患などへの対応も考えています。
※1 オミックス:網羅的な生体分子についての情報の総体。オミックス医療ではさまざまな網羅的な分子の情報を系統的に解析し、治療の最適化や発症の予防などを目指す。
※2 ホールエクソン解析:ヒトゲノムのうち、タンパク質に翻訳されるエキソン配列を網羅的かつ効率的に解析する方法。
個別化医療において医師に求められる役割
AIの進化により、多くの職業が奪われると言われています。例えば証券会社や銀行などの事務職がAIに取って代わられるとか、トレーダーさえも代替されるとの指摘があります。 けれども、医学においては、AIが医師の代わりをできるようになるとは考えられません。医学のような複雑系の領域においては、AIが適切に対応できる領域は、かなり限定されます。
ただし、AIの活用により医療が大きく変わることは間違いないでしょう。具体的には診断にAIを活用できます。
現在、診断は基本的に、診療ガイドラインに基いて行われます。がんなどでもほとんどの臓器別に診療ガイドラインが出されるなど、かなり体系化されています。その結果、勤務医の仕事が楽になったかというとそれは逆で、むしろ多様化しています。
ガイドラインが整備されていなかった時代には、医師による治療格差も見受けられました。同じ患者さんが診療に行く病院によって、診断が変わる。ある病院では「治りません」と言われたのに、別の病院では「こうすれば治ります」と言われる。そんなことが実際にあったようです。
それが今ではガイドラインが普及し、がんに関しては全国津々浦々に診療連携拠点病院があります。これを受けて患者さんからの要望レベルが高まっています。ガイドラインは公開されているので、患者さんも見ることができる。だから患者さんからすれば「ガイドラインに書いてあるような治療はやってくれ」となる。仮にガイドラインのとおりにやらずに問題が起こり裁判となった場合には、負ける可能性が高い。
ガイドラインの通りの医療を提供するには、医師は相当勉強しなければなりません。ガイドラインが充実すればするほど、提供される医療の選択肢が増えます。これまでならAという病気に対する処方はひとつだけだったのに、今ではAに対する選択肢が10個ぐらいに増えている。これを的確に判断して処方しなければならない。個別化医療が進展すれば、治療の選択肢はさらに広がります。
ここにAIの力を活用すれば、効率化の可能性が出てきます。ただAIは診断には活用できるけれども、実際の治療はしてくれません。これだけは医師が自らの手を動かして行わなければならない。治療の選択肢が増えるのだから、それを医師はコメディカル含めて、今以上に勉強し、治療の準備をしておく必要が出てきます。
前述したように、多様化する患者さんの価値観への対応も求められます。これもAIには代替できない業務です。ガイドラインにより導き出された治療案と患者さんの価値観がマッチしない場合に、どのようにコミュニケーションを取っていくのか。これからの勤務医には、高度なコミュニケーション能力が欠かせなくなるでしょう。
がん患者を受け持つ場合は、拠点病院との連携も必要です。患者さんが標準治療ではなく個別化医療を希望した場合、一つのがん拠点病院で完結していた治療が、がんゲノム医療中核拠点病院とがんゲノム関連病院との連携による治療に変わるからです。たとえがん拠点病院に勤務していたとしても、患者に治療方針を説明する際、ゲノムに関する知識は求められるでしょう。これはがん治療だけでなく生活習慣病の治療の現場も同様です。
また、がんゲノム医療中核拠点病院で働くのであれば、主治医のほか、病理医やゲノム解析を行うインフォマティクスの専門家、基礎分子生物学者や腫瘍内科医など、さまざまな専門家との連携が求められます。
このように言うと、勤務医は大変じゃないかと思われるかもしれませんが、実際は逆です。確かに仕事の範囲は増えるかもしれないけれども、そこはAIが補ってくれる可能性が高い。要はAIを上手く使いこなせばよいのです。がんに対しては、高度な治療システムが整備されていくので、これも積極的に活用する。その結果、目の前の患者さんの命が救われる可能性が高まるのです。これこそは医師にとって、何よりの喜びである。そう私は確信しています。
(聞き手=竹林篤実 / 撮影=嵯峨倫寛)
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- 石岡 千加史(いしおか・ちかし)
- 1958年生まれ、宮城県出身。1984年に東北大学医学部卒業、1988年に同附属化学療法科入局。仙台厚生病院、マサチューセッツ総合病院がんセンターなどを経て、2003年3月より東北大学大学院医学系研究科臨床腫瘍学分野教授に就任。東北大学病院腫瘍内科 科長、がんセンター センター長、個別化医療センター センター長などを兼任。
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