挫折を知らないエリートゆえに医師は権威に弱い。

リアリティの欠如が分けた明暗~オウム事件に寄せて

上 昌広 氏(医師/医療ガバナンス研究所 理事長)

※本稿は、上昌広氏が2018年7月9日に「Facebook」へ投稿された文章を、医師向けに大幅に加筆・修正いただいたものになります。

7月6日。オウム真理教の教団元幹部7人の死刑が執行された。私にとって、オウム真理教事件は他人事ではない。高校、大学の同級生の中にオウム真理教の幹部になった人がいたためだ。

特にI君とは仲が良かった。I君はオウム法皇官房の「実質的なトップ」と言われた人物で、地下鉄サリン事件後、ホテルに偽名で泊まったことなどを理由に逮捕されたが、最終的に起訴されなかった。オウム真理教の幹部で起訴されなかった唯一の人物だ。

私のI君に対する印象は真面目で信頼できる人物だった。学生時代から研修医時代にかけて、彼からはしばしば電話がかかってきた。夜中に私のマンションまで車で迎えにきてくれて、南青山の道場にお邪魔したこともあった。カレーとジュースをご馳走になり、幹部から勧誘された。今回亡くなった井上嘉浩氏だった。I君と井上氏は一緒に行動することが多かった。井上氏は少しやんちゃで、行動力があるという雰囲気だった。

当時、NHKスペシャルでチベット密教が取り上げられていた(http://www.nhk-ep.com/products/detail/h12947A1)。私も関心があり、番組を観ると同時に、関連する本も読んだ。

わが国の仏教はシルクロード、中国、朝鮮半島を経由して伝わった。教義は基本的に文字で伝わる。一方、チベットには、インドから直接仏教が伝わった。その頃のインド仏教は後期密教が盛んだった。密教では、教義は口伝で伝わり、護摩をたく、曼荼羅を描くなどなどの儀式が特徴だ。輪廻転生も、その基本思想である。彼らの主張は、基本的にそれらと同じ内容だった。

オウム真理教の特徴は、伝統的なチベット密教の思想体系をベースに、インドのクンダリニーヨガを実践することだ。クンダリニーとは人体内に存在する根源的生命エネルギーで、クンダリニーヨガなどにより解放されると、神秘体験をもたらし、完全に覚醒すると解脱にいたることがあるとされている。

私は兵庫県神戸市出身。両親は淡路島の出だ。I君も徳島県小松島市出身。この地域には真言宗の信徒が多い。私の家も真言宗で、幼少期より、密教に触れる機会が多かった。当然、関心も抱く。

クンダリニーヨガ、チベット密教のいずれも世界中で信奉者が多い。モデルのミランダ・カーは、毎朝クンダリニーヨガを実践しているし、俳優のリチャード・ギアは熱心なチベット仏教の信者だ。1997年にはブラッド・ピット主演で、登山家ハインリヒ・ハラーとダライ・ラマ14世の交流を描いた『セブンイヤーズ・イン・チベット』がヒットした。

90年代の大学生の多くは、チベット密教やヨガに触れる機会が多かった。権威を感じた人も少なくないだろう。特に西洋医学の限界に直面する医学部生はそうだった。その代表がI君であった。

話を戻そう。I君と井上氏からは、富士山の裾野で修行しようと何度も言われた。「信頼する友人がいるのだから、一度だけ行ってみようか」と何度も思った。しかしながら、最終的に私は行かなかった。彼らが「剣の達人になれば、気のエネルギーで接触しなくても切れる」と言ったためだった。

私は剣道で挫折を経験した。高校時代にもっとも情熱を注いだのは剣道だった。それなりに自信もあった。ところが、大学進学で神戸から東京に出てきて、自分の実力のなさを痛感した。強烈に強い奴がいるというのを知っているのと、目の当たりにするのとでは全く次元が違う経験だ。有名選手に負けるだけならいい。東大剣道部でも歯が立たない人たちがいっぱいいた。この頃、私は、剣は所詮膂力と考えていた。オウムの主張はリアリティのない机上の空論に感じられたのだ。

その後、94年の年末には浅草で、NHKに就職した高校の同級生とI君と3人で飲んだ。この同級生は、後にオウム真理教報道絡みでNHKを退職することとなった。この時I君が「ハルマゲドンが起こる」と言ったことを覚えている。2人で「何を言っているんだ」とからかった。

次に、私がオウム真理教と絡むのは、95年3月の國松孝次警察庁長官狙撃事件の後だった。國松氏は東京大学剣道部の先輩で、「狙撃された國松長官とオウム真理教の幹部の両方を知っているのは先生しかいない」と、警視庁公安部から職場である大宮赤十字病院(現さいたま赤十字病院)に電話がかかってきたのだ。

私の知り合いでオウム真理教に入信したのは、I君だけではなかった。その年の夏、新宿署の刑事がやってきた。もう1人の同級生であるT君が、東京都庁に爆弾を郵送し、被害者が出たためだ。その後、彼は懲役18年の刑で服役する。

T君がオウム真理教に入信した経緯は、彼の裁判の経緯の中で明らかになっている。オウム真理教と接する経緯は、私と全く同じだった。I君を通じて、井上氏と知り合った。T君は、在家信者として教団のヨガ道場に通うようになった。95年に医師となったあとも続いたらしい。その後、井上氏から出家を熱心に勧められ、また修業をする中で、気の上昇などの「神秘体験」を感じたため、密教修行者と医師は両立できないと考えるようになったそうだ。93年12月末に勤務していた東大病院を退職して、出家した。そして、犯罪行為に手を染めていく。

新宿署の刑事によると、当時、東京大学医学部からオウム真理教に絡んだのは名前が出ている2人だけではなかったとのことだ。大勢が富士の裾野に行ったらしい。その後の経緯はわからない。簡単に縁は切れなかっただろう。当時同級生で噂になっている人物もおり、私の頭をよぎった。彼は、現在、普通に医師として働いている。同じような医師は他の大学にもいる。彼らとI君、T君を分けたのは偶然だ。

ちなみに「Iさんはあまりに真面目で、すこし『鈍くさい』ので、麻原も一連の事件では使わなかったみたいですよ」とも教えてくれた。オウム幹部で彼だけが起訴されなかった理由なのだろう。このあたり、麻原は人をよく見ている。

新宿署の刑事らは帰り際に「先生が無理矢理連れて行かれなかった理由がよくわかります」と言った。おそらくそれは「リアリティ」だと思う。オウムの言うことは、剣の修行については所詮きれいごとだった。私は、受験の世界ではエリートだったかもしれないが、剣道の世界では三流だった。挫折し、コンプレックスを抱いていた。だから、チベット密教の権威を持ち出されても、絶対に受けいれられないと感じたのだ。

エリートは権威に弱い。権威の名前を出されると、そのことを知らない自分の無知をさらけ出すのが恥ずかしくなり、迎合しようとする。決して「わからない」とは言わない。私を含め当時の東京大学の学生が、オウム真理教に引きずられたのは、このような背景があるのではなかろうか。挫折を知らない、真面目で優秀な学生だからこそ、引き込まれる。

医師はエリートの典型だ。本来、人々の命を守るはずが、時にテロ行為に加担する。オウム真理教に限った話ではない。IS(イスラム国)やボコハラムにも若き医師が参加している。いずれも参加の動機は正義感だったろう。ところが、閉鎖的な集団で活動を続ける中で変質してしまった。

わが国の将来は決して明るくない。オウム真理教事件の頃は、国民が総中流意識を抱いていた。現在は格差が拡がるばかりだ。経済評論家のピーター・タスカ氏は『ニューズウィーク』に寄稿した記事の中で、所得格差を示すジニ係数がOECD(経済協力開発機構)の平均を上回っていることをあげ、是枝裕和監督の『万引き家族』が社会的な支持を集めることなど、危険な徴候だと論じている。

一方でネット社会の発展は急速だ。SNSを介して、誰とでも容易に繋がることができる。バーチャル・リアリティー(VR)などの新規技術も普及する。問題意識をもつ同質な仲間が繋がり、リアリティがないやりとりに花が咲く。社会の問題を知った真面目な若者がどのような議論をするか、想像に難くない。そこに、邪悪なリーダーが登場すれば、容易に暴走してしまう。カルトへの免疫は、オウム真理教事件が起こった90年代よりも低下していると言えそうだ。

どうすればいいか。社会も個人も成熟するしかないと思う。そのためには、「挫折」が必要だ。「挫折」をすることで、自己を客観的にみることが可能になる。そして、「挫折」した自分を支えてくれる「仲間」の存在を知る。これこそリアルな体験だ。

若いうちの失敗は将来の肥やしだ。取り返しがつくレベルの失敗なら、何度やってもいい。我々、大人の仕事は、彼らを見守り、取り返しのつかない失敗をさせないことだ。我々世代の矜持が問われている。

 

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上 昌広(かみ・まさひろ)
1993年東大医学部卒。97年同大学院修了。医学博士。虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事。05年より東大医科研探索医療ヒューマンネットワークシステム(現 先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。 2016年より特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所 理事長。
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