私の目指す総合医【前編】
船上で模索し実行し続けた、「何が求められ、何をしてあげられるのか」
内山 崇 氏(福井厚生病院 救急・総合診療医/船医)
総合医、救急医、船医として、柔軟な働き方をしながら活躍する医師がいます。
福井県で救急・総合医として働く内山崇氏は、医師3年目にして船医を経験しました。船医経験は地域医療で求められる医師としての「幅広さ」を考えるきっかけとなり、キャリアにも大きな影響を与えたといいます。さらに、可能性を狭めない働き方をすることで、地域貢献や予防医療につながる総合医のあり方について模索を続けています。
貴重な経験を積まれた内山氏が考える総合医の理想像について、ご自身の思いを綴っていただきました。前編・後編に分けてお届けします。
キャリアを考えるきっかけになった船医経験
福井大学を卒業し、福井県立病院での初期研修も終わりに近づいた医師2年目の3月、突然思いがけない連絡が先輩医師から入ってきました。「4月から2カ月間、船医をやってみないか」……船医!? しかも来月から!? あまりに唐突な話で現実をよく飲み込めないまま、まだ医師として未熟な私に船医が務まるのかという不安もありましたが、それ以上に、ただ「貴重な経験になりそう」という直感だけでOKしたような気がします。4月から後期研修先として福井大学附属病院の救急総合診療部に所属予定でしたので、当時総合診療部にいらっしゃった寺澤秀一教授にご相談し、予想通り(?)快諾を得て、本州から遥か南方の彼方、とある熱帯地方の島(国家機密のため公表が許されておりません)の工事に従事する作業船の船医として、2カ月間の洋上生活を送ることが決まりました。
船室からの眺め。当然だが、見渡す限り一面の海。
2カ月間、本当に色々なことがありました。不慣れな洋上生活、普段全く関わることのない職種の方との交流、限られた環境の中での診療、台風にて避難中に発生した急患(重症膵炎)とその緊急搬送劇などなど、船医をしなければ絶対に経験できなかったことが盛りだくさんでした。
診療の合間に釣りを楽しむことも。この日はキハダマグロを釣り上げた。
初期研修を終えたばかりの未熟な医師が、船の上で何を考え何をしてきたのか、その全てを詳細に記録するため、毎日船の上で日記を書き綴っていました。その船上での日記は、ある医学雑誌に半年間連載され、それが単行本として『ひとりぼっちの船医奮闘録』というタイトルで発行されました。
こうした船医の経験は、元々へき地医療に興味がありGeneralistを目指していた私にとって大変刺激的な経験となり、現在のキャリアに至る大きなターニングポイントの1つになりました。
総合医を目指したルーツ~へき地医療への思い
私が医療を意識し始めたのは幼稚園の頃でした。祖父が昔、新潟の山奥で診療所をやっていたそうですが、若くして亡くなってからずっと無医村の状態が続いているという話を聞き、幼心にも「将来医者になってその村に行く!」と思ったのがきっかけでした。
また、父は私が浪人している時に、急性心筋梗塞で突然亡くなりました。大学入試センター試験3日前のことでした。元々裕福ではない上に一家の大黒柱を失い、子ども4人のうち男は私一人。「しっかりせねば!」という思いでした。さらに、父が助からなかったことへの不甲斐無さ、命のはかなさを感じ、死生観を大きく揺さぶられて「医師になる」という夢は確固たるものになりました。そして、医師になってから、母を交通事故で亡くしました。両親の死を通じて、人生には必ず終わりが来る、そしてそれはそう遠くはないかもしれない。であれば今を有意義に、1日1日を大切に生きたい、色々な経験を積んで社会貢献しつつも自身の人生も楽しみたい、という思いが強くなりました。
医学部時代は、講義や実習を通じて「世の流れはやはりSpecialistか? Generalistを目指して研鑽を積むのは難しそう……」との迷いが生まれました。正直、総合医を目指すことへの非難は少なくありませんでした。「総合診療なんて誰でもできる、最初だけ診てすぐ専門に振るだけで結局何も診られない」と。
そんな中出会ったのが、寺澤先生をはじめ実際にGeneralistとして活躍されている先生方でした。寺澤先生の総合医に対するお考えに共感し、実際に総合医として地域でイキイキと活躍されている先生方の姿も見て、総合医のニーズも絶対に高いと確信を持ちました。
船医経験を通じて学んだ、総合医に求められること
医師3年目の船医経験で「自分は何を得られるのか」よりも、「自分には何が求められていて、何をしてあげられるのか」を模索・実行することの方が大切であると学びました。これこそが「地域のニーズに応える」ことなのではないかと身を持って感じることができたのは、地域医療を志す私にとって大きな財産となりました。
医療人が一人しかいない船上。私の経験だけでも、大きな事故・病気が発生し、死者も出るような環境です。救急に対応できる全科・全人的臨床能力、予防医療、環境衛生管理などなど、船をひとつのコミュニティと考えて医療を提供する幅広い能力が求められます。まさに小さな小さな「村」での地域医療の実践そのものであったような気がします。
船上での診療。
作業員さんにとっても、船上や島での作業や生活は特殊なものであり、中には精神的に病む人も発生しますので、精神面をケアできる能力も必須です。事故を未然に防ぐ対策の提案や健康管理・指導など、産業医的な役割もあります。遠隔離島医療の特殊性を理解し、それに応じた医薬品・医療機器を選択し準備する力も必要です。
さらに緊急性を判断できる経験と決断力、搬送時には迅速に的確に内地と連携し情報伝達する力も重要です。医療的な知識や技術だけでなく、普段から良好な人間関係をつくれる社会性・人間性も不可欠でしょう。医療人は自分しかおりませんので、医療物品の準備や片付けをするのはもちろん全て自分です。そこにいる全ての人間の健康を一手に引き受けられる、そういう医師が必要です。
医療が高度に専門分化していく今、もちろん専門科目に特化したSpecialistの必要性は揺るぎないものですが、同時に、各臓器の寄せ集めではない1人の人間として患者さんを診ることのできるGeneralist、そして患者さんのバックグラウンドにも思いを馳せ、地域のニーズを汲み取り、医療を通じて地域に貢献できるようなGeneralistの必要性も感じています。そういった医師を育てる環境ももっと整備されることを願っていますし、自分もこの道のラッセル車の1台になれたらと思っています。また、総合医の活躍の幅広さを最近実感しており、働き方の多様性獲得への挑戦・探求を続けたいと考えています。
*
※後編では、内山氏が理想とする「総合医」像について、活躍の場の一つである救急診療や、地域のニーズが高まる在宅医療にも触れつつ、お書きいただきます。
【関連記事】
・募集中の「内科・総合内科」の医師常勤求人<PR>
・「私が総合診療医を選んだ理由[前編]」谷口恭氏(太融寺町谷口医院院長)
・「髙久史麿・日本医学会会長に聞く「総合診療医」のキャリアと新専門医制度」
・「ロールモデルのない「道なき道」を行く、小児総合診療科医のキャリア【前編】」利根川尚也氏
・「日常診療における対話(ダイアローグ)の重要性」孫大輔氏(家庭医/鳥取大学医学部 地域医療学講座/日野病院組合日野病院 総合診療科)
※関連記事の肩書きは取材当時のものになります
- 内山 崇(うちやま・たかし)
- 大阪市出身。福井大学卒。福井県立病院で初期研修後、船医として2カ月太平洋へ。このときの経験は著書『ひとりぼっちの船医奮闘録』(羊土社、2009年)に詳しい。福井大学医学部附属病院救急・総合診療部、公立丹南病院を経て、現在は福井厚生病院に所属。船医の活動と救急総合診療医を両立しながら、地域医療への向き合い方を模索し続けている。
コメントを投稿する