私の目指す総合医【後編】

総合医として、人生の物語に寄り添う「便利屋さん」になる

内山 崇 氏(福井厚生病院 救急・総合診療医/船医)

総合医、救急医、船医として、柔軟な働き方をしながら活躍する医師がいます。

福井県で救急・総合医として働く内山崇氏は、医師3年目にして船医を経験しました。船医経験は地域医療で求められる医師としての「幅広さ」を考えるきっかけとなり、キャリアにも大きな影響を与えたといいます。さらに、可能性を狭めない働き方をすることで、地域貢献や予防医療につながる総合医のあり方について模索を続けています。

貴重な経験を積まれた内山氏が考える総合医の理想像について、ご自身の思いを綴っていただきました。前編・後編に分けてお届けします。

 

私の目指す総合医~信頼される「便利屋さん」に

 「できるだけニーズに幅広く応じる」というのが、私の目指したい医師の基本姿勢です。世の中の医師の大部分は、専門的な研鑽を積み、それを発揮できる患者さんだけに対象を絞って専門能力を発揮する、という業務内容が中心になるかと思います。

 私はどちらかというと、その逆です。専門分野は特別ありませんが、医師としての基本的な地盤は固めつつ、そこに、自分が働く施設や地域のニーズに極力応じられるよう研鑽を積んでいく中で得意な要素が後から付随してくる、といった感じです。私の日常業務は自然と、一般内科・救急・消化器内視鏡・麻酔・透析などに広がりました。今後も、さまざまなニーズに応じて働けるよう、自身の幅を狭めない努力をしていくつもりです。

 病院総合医育成の研修プログラムを紹介する記事で「ただの便利屋で終わらせない、リスペクトされる総合医を目指す」というポリシーを目にしたことがありますが、個人的には「便利屋でいい」と思っています。人生、予期せぬハプニングの連続です。病院内も、然りです。そんな時、穴があいたり隙間ができたりしたところをうまいこと埋められるような存在になれたら、と思っています。

 「専門医」としての「総合診療医」のテイギはこんな曖昧なものではないのですが、そもそも総合診療をテイギすることに違和感を抱いています。病院で診断して治療する型の医療だけではなく、医師として社会に貢献できる新たな形に挑戦したい。

 できれば病院内だけでなく、他に困っている施設や地域があれば極力お手伝いしたい、と常々思うのですが、なんせ、体は1つですので……。ただ、ライフワークとして、船医業務は今後も継続していきたいと思っています。日替わりで業務内容が変わり、1年の間に1~2カ月不在になったりする、ちょっと変わった働き方です。病院側にもこういう医師を扱うことに慣れていただき、ぜひ有効利用してほしいと思っています。一家に一台、あったら便利、的な感じで……。
 そして患者さんからも、ご自身や家族に何か健康問題が発生したら「そうだ、あの人に相談してみよう」と真っ先に思い浮かべてもらえるような存在に。「病気にはなったけれど、この病院に来てよかった、この人に出会えてよかった」そう思っていただけるような医療人になれるよう、精進していきます。

 

救急診療も総合医の活躍の場の1つ

 また、総合医の活躍の場の1つである救急診療に関しても、いつも思うことが3つあります。

①救急診療は多様性を内包している
 日本には色々なタイプの救急があります。救急というとどうしてもTVドラマの「救命病棟24時」や「コードブルー」などのイメージが強いかもしれませんが、それだけではありません。各施設がそれぞれの地域で求められるニーズや、その施設が持つリソース・得意分野などは、それぞれ異なりますので、色々なカタチの救急があるのは必然だと思います。

②救急医一人ひとりも、幅の広さが大切
 救急医個人も同じで、色々なキャリアがあって当然です。横断的に診療する救急医は、サブスペシャリティがないと何となく不安になりがちですが、自分が働く施設や地域のニーズに極力応じられるよう研鑽を積んでいるうちにサブスペシャリティ的な要素は必然的についてくるものです。そういうキャリアアップの先にあるものこそ、本当の意味でのGeneralistなのかもしれません。

③予防医療の大切さも痛感している
 救急医は救命、すなわちResuscitationistとしての側面が大きいのですが、たくさんの救急患者さんを診ていると「この患者さんの救急受診を防ぐにはどんなアプローチがあっただろうか」「退院後はどんな生活になるだろうか」と考えずにはいられなくなります。予防医療や支える医療の必要性を痛感しますし、患者さんの身体だけでなく心・家庭環境・地域におのずと視線が向きます。また、たくさんの看取りを経験すると「命の最期の質を高めるお手伝いをしたい」と思わずにはいられなくなります。

 救急医療は、急病の患者さんが発生するのをただ病院で待っている形になりがちです。しかし、これからの地域包括ケアシステムの時代、救急受診という患者さんの時間軸の中の1点だけに関わるのではなく、時間的にも空間的にも広がりをもって、多角的な視点で関わることができれば、より良い救急医療が提供できるのではないでしょうか。生活背景や患者さんのその先まで診る、患者さんの人生の物語に寄り添える、地域に密着した救急も必要なのではないかと常々思っています。

 例えば骨折が見つかったらあとは全て整形外科にお任せ、ではなくって、背景を多角的に探る努力も必要だと感じています。ご高齢の方の転倒の原因には内科的な要素が隠れていることも多く、手術は専門科にお願いするけれども、初期対応・術前評価・退院調整などは内科や総合診療医も積極的に関わっていくというアプローチも、今後重要になるのではないでしょうか。

 

総合医には、地域貢献の架け橋としての役割も

 そんな中で、やはり、在宅に視線が向きます。これまで、病院勤務の医師が在宅医療に踏み入ることに対しさまざまな障壁もあったかと思いますが、病院総合医が(もちろん地域の開業医の先生方とも連携を取りつつ)在宅医療と入院医療との懸け橋的役割を担うことや、あるいは病院総合医自身が患者さんの自宅に赴くことも今後ますます求められるようになるでしょう。地域包括ケア病棟の重要性が高まっていますし、「地域包括ケア病棟専門医」という役割があってもよいのではと思います。

 個人的には、遠隔離島など医療資源に恵まれない場所での医療活動の経験は、在宅医療にも役立つような気がしています。

 私自身、まだ科の枠やこれまでの常識にとらわれず、模索しながら色々なことに挑戦している状況です。自分の所属(〇〇科)をどう表現してよいのか、いまだに決着がついておりません。今のところ「救急・総合診療科」としていますが、守備範囲としては「最新鋭の検査機器や治療機器で最先端の医療」というより、「地域の最前線で人間臭い医療」をしたいと考えています。

 ある意味、異端児的存在になっているかもしれませんが、専門を持たずGeneralにやっていくにはどういった研鑽の仕方がよいのか、それはもちろん個人によっても異なりますし、なかなか良い答えはありません。前例の少ない分野で、人と異なることを、自分で模索しながらやっていくことは、時には強い孤独感を味わったり、挫折したりの連続ですが、自分のやってきたことが間違いではないことを日々の臨床で実感したり患者さんから教わったりもする、そんな毎日です。

 

総合医を目指す皆さんへ

 総合医としての研鑽は、一体どこまで突き詰めていくべきか。これには答えがありませんし、人生そんなに長くはありませんので、研鑽ばかりではキリがありません。ある程度研鑽を積めば、あとは、InputからOutputに比重をシフトし、これまでの経験を生かしてお役に立てることをどんどんしていく、そして自分自身の人生も楽しんでいく、そういう頭の切り替えも大事だと思っています。何を学べるかも大事ですが、何が必要とされているか、自分がどういう立ち居振る舞いをすればお役に立てるか、探ってみるのも楽しいかもしれません。

 最後に。総合診療を非難する人たちが必ず、総合医を目指す皆さんの前に現れるでしょう。そういった人たちのご意見に耳を傾けるのは時には大事ですが、非難を真正面から受け止めてしまい総合診療や地域医療に興味のある学生・研修医の大切な芽が摘み取られるのは地域医療の損失だと思います。できるだけロールモデルを見つけ、仲間を増やしながら、総合医としてのキャリアアップを楽しんでいただけたらと思います。総合診療医の未来は明るいと確信しています。

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※関連記事の肩書きは取材当時のものになります

 

内山 崇(うちやま・たかし)
大阪市出身。福井大学卒。福井県立病院で初期研修後、船医として2カ月太平洋へ。このときの経験は著書『ひとりぼっちの船医奮闘録』(羊土社、2009年)に詳しい。福井大学医学部附属病院救急・総合診療部、公立丹南病院を経て、現在は福井厚生病院に所属。船医の活動と救急総合診療医を両立しながら、地域医療への向き合い方を模索し続けている。
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