病棟小僧、音楽事務所の取締役に就く

複業のススメ~医師が“二足のわらじ”を履く方法

藤元 流八郎 氏(脳神経内科医/鳳優会理事長、PROFESSOR'S ROUNDオーナー、TRANSMITTER㈱取締役)

 時は過ぎてしまうとあっという間だったと感じるが、その間にも社会は劇的に変化している。軍隊のように厳しかった医師管理も、いつの間にやら“鉄の掟”が緩んできており、教授指示のへき地出向を拒んでも祟りなく、独自に見つけたアルバイトに赴いても怒られず、「研修医を5時に帰すように」という病院からのお達しまで届くようになった。
 自由度が上がった医師たちには“翼”が授けられ、医師起業の会社が生まれ、テレビのひな壇には医師コメンテーターが並び、あまつさえ医師芸人まで登場している。

 私は元々病院に住みつくガチガチの病棟小僧(二代目教授に命名された)だったが、時流に乗りいくつかの起業や会社運営に関わってきた。面白いところでは、最近、音楽事務所の取締役にも就任させていただいた。わが社自慢の所属アーティストは「LESS IS MORE」。東京藝術大学の学生と卒業生からなるジャンルレスな変拍子カルテットである。

 

Less is more - RAIN FOREST OF KUMANO/熱帯樹 [2018NY公演]

 

 業種のミスマッチにご興味がある方もいらっしゃるかと思う。そこで、医師の履く二足目のわらじ、そんな経験を綴らせていただく。今後活動の幅を広げようと考えておられる先生方のご参考になれば幸甚に思う。

 

軌跡――医局員から在宅診療開業へ

 1997年に医師免許を取って、大学病院の神経内科に入局した。当時は医局員も少なく、研修医は当然のように実戦部隊に組み入れられており、入局した年の秋にはすでに救急当直も独りぼっちであった。おかげで恐怖が集中力と記憶力を極限まで高め、2年目の春には一通りのことをこなせるようになっていた。時に週3日にも及ぶ当直は、体力と精神力をそぎ落とし、いつの間にか倒れて病棟のベッドに入院していることに気づく。ところがポケベルが鳴ると、自らが点滴をぶら下げながら救急センターに向かってしまう反射は消失しなかった。一人が倒れると負荷がかかり、連鎖的に医局員が倒れていくというのも、ルーチンな現象であったと懐かしく思い出す。

 教授は鬼のように怖かった。呼吸器内科から循環器内科に移り、そこで神経内科を立ち上げた方で、知識は内科全般を遍(あまね)く網羅し、回診ではマニアックにも多面的な突っ込みが迸(とばし)り、怒鳴られ、カルテが飛んだ。

「内科が分からなくて何が神経内科だ!」

 教授の口癖であった。オールマイティーを求める方だったのだ。
 影が見えるだけで医局員たちを恐怖のどん底に陥れるその教授は、気掛かりなことがあると、夜中でも病棟や救急センターに駆け付ける責任感を兼ね備えており、不器用だけれど本当はとても優しい男であることに気付いてから心酔し、沢山のことを学ばせていただいた。
 ただ、いくら尊敬していても、ある解決困難な無理難題が残存していた。

「この患者、検査と治療は終わっているんだろう! なぜまだ入院しているんだ! 早く退院させろ!」
「教授、レスピレータの管理をしてくれる近医がなかなか見つからなくて……」
「ばかったれが! 重症の患者が入院待ちしているんだぞ! ちったあ考えろ!」

 そう、当時、在宅医療は黎明期であった。圧倒的に難病や重症患者に対する地域の受け皿が不足していたのだ。

「こんな状態のお父さんじゃ家でみられません、老人病院に入れるお金もありません、お願いですから見捨てないでください。」

 そんな患者さんの涙に、医療の空白を感じて大学を飛び出し、在宅医療の道に飛び込んだ。教授が亡くなって数年後、2000年をちょっと過ぎた頃だったろうか。

 開業してみると、神経内科領域の在宅患者は引きも切らなかった。どれだけの人が自宅に帰りたかったのかあらためて実感し、そして受け皿たることはとても意義のある仕事であった。ALS患者などは、ほんの数年で優に100例を超えた。24時間365日の管理は在宅医療機関運営の大きなハードルだが、寝ないのも休まないのも慣れたものであったので大丈夫。むしろ、大学病院で行わねばならない、学会、研究関係、医局の事務作業等々の仕事がない分、楽に感じられたほどだった。

 

白衣のセレクトショップをオープン

 数年して、大学時代のオーベンが常勤で手伝いに来てくれた。大学にいれば上も狙えただろうに、奇特な先輩だ。おかげで、時に休むことが可能になったので、たまにはということで、空いた時間に大学の教授回診に参加してみた。
 数年ぶりに白衣を着て感じたことは(訪問診療では白衣で家の周りをうろうろすると嫌がる方がいるので着なくなっていた)、若い先生たちが意外に色々な種類の白衣を着ているということ。海外のものであったり、メーカー違いでもバリエーションがあるのだな、と感心した。そんなことを考えているうちに、これらをみんな取り揃えて並べたら、医師にとっては面白いお店ができるのではないかと思うに至った。

 私はテレビドラマのようなおしゃれでセレブな医師ではない。遊びも知らない。銀座のグルメなお店に行きつけているわけでもない。青山のブティックなんて怖くて入れない。まるで地縛霊のように、コールがあったらすぐに駆け付けることのできるエリアから出られぬ生活を送ってきたが、同じような後輩たちに憩いの場を作ってやろうと考えたのだ。

 かくして、白衣のセレクトショップがオープンした。揃えた白衣は100種類! マネキンにこだわりの白衣を着せ、店内にディスプレイして、「PROFESSOR’S ROUND(教授回診)」という名前を付けた。

 一般の人には分からない、白衣の微妙な違いを医師たちは感じ取り、近隣だけでなく、沖縄から北海道の離島まで全国から先生方が訪れてくれた(学会ついでなどですが)。彼らとのコミュニケーションを通して、とても楽しい空間が形成された。これだけでも面白いのに、各種メディアにも取り上げられたり、海外の白衣メーカーから視察が来たりして思いがけずちょっとしたお祭り騒ぎになってしまった。服飾大学と連携した白衣のファッションショーは2回開催、服飾学会や感性工学会で発表もさせられるなど、せっかくできた時間的余裕は完全に消し飛び、いつの間にやらまた睡眠時間2時間の世界に逆戻りしていた。
 皆には死ぬから休めと言われたが、おかげでろくに利益の出ない白衣のセレクトショップは手前みそだが有名店になり、多忙な医師たちの笑顔を見たいという誘惑にはあらがえずに営業を継続、来年で10周年を迎えてしまう。
 医療以外で、働く意義を実感させられたのはこれが初めてだった。そして、「患者のために頑張り続ける、ともに戦う医療人のためになるなら」、その思いが私に新しい方向性の軸を突き刺した。

 

“生活”を楽しむ在宅医療の展開

 視野が広がったことで、在宅医療のサービスも大きな目で見渡し、拡充させようという意欲が高まった。そして訪問歯科、訪問看護、訪問美容院と、患者さんの喜ぶ部門を段階的に立ち上げていった。収益性には問題のあるものもあるかもしれないが、いずれもうまく関わり合い、結果的に相乗効果が生まれた。
 昭和大学神経内科の3代目教授と一緒に立ち上げた、医師の常駐する認知症カフェも盛況だ。気軽に医師に相談できる場を提供することにより、重篤な疾患を軽微な状態のうちから見い出したり、医療機関のむやみな健康相談受診の抑制につながることから、医療費の軽減にも役立っていると自賛している。これは完全にボランティアだが、やはり回りまわって地域の信頼と、病院、在宅医療間の密な連携体制につながっている。参加する医師にとっても、厳格な時間制限のない、患者さんとの茶飲み話はちょっとうれしい。増えてきた従業員のために保育施設も建設中である。
 ストイックに在宅医療を極めていくことは重要だ。けれども、少し遊び心をもって、患者さんがどうしたらより楽しく在宅生活を送れるのか、医師も楽しんで仕事をしていけるのか、柔軟に発想しながら組織を展開していく、この楽しさには痺れるものがある。

 

在宅患者にエンターテインメントを

 さて、長々と書いてきたが、やっと書き出しにつながる音楽事務所のお話。

 訪問診療を長くやってきて、この地域での安心できる在宅療養環境作りに、多少は貢献してきたつもりではあるのだが、最近新たなテーマに行き着いた。
 それは、「この患者さんたちを、自宅とはいえ、ベッドの上に寝かせて、ただ長生きさせることが正しいのか? 安心した在宅生活を送れるだけではなく、制限のある中でも楽しんで暮らしていけるサービスをもっと提供できないか?」すなわち、「在宅でエンターテインメントを提供できないか?」ということ。もしかしたら、在宅医療の整備の次に充実が必要になる事柄かもしれない。

 テレビや映画などのメディアでもよいし、運動でもよい、パズルでもよいし、折り紙でも、絵画でも書道でも、グルメでも……。これまでに全国の各地域の熱心な介護スタッフが行ってきた、在宅患者でも楽しめる内容を共有、提供し、素人レベルを脱して深めていくこと。そして在宅の患者さんが皆自信をもって何らかの趣味と言えるものを得、有意義に人生を謳歌できることを目標に定める。

 突き詰めていくと、制限の大きな患者については医学知識がとても必要になってくる場面もあるだろう。例えば、眼球運動のみしか保たれていない患者さんでも操作できる楽しみ方はどんなことがあるか? といったことも研究テーマになるかもしれない。
 そんな壮大なことを考える中、とりあえず音楽はやりやすそうだな、ここから考えてみよう、と安直に思い立ったタイミングで、ある音楽家に声をかけられた。

「いま、4人のすごいカルテットを抱えています。まだ学生の者も含むんですけど、一緒に活動をしてみませんか?」

 彼らは、東京藝術大学の学生を含む若いメンバーで、天才的な技術と表現力をもつ気鋭のグループだという。渡りに船であった。前述のような下心をもちつつ音楽事務所のお仲間に入れていただいたのが顛末である。生の名演奏を在宅患者に届けたい。ひそやかな計画が走り出した、と思っていた。

 ところがである。初めて演奏を聴き、その名演ぶりに魂を奪われてしまった。そしてそのグループは、あれよという間にニューヨーク公演を成功させ、映画音楽採用、テレビCM採用、ツアー全席満員と、一般の方々に大うけしたのである。その結果、大ホールでの公演が決まったのだ。我が母校、昭和大学上條記念館大ホールのこけら落としで、和歌山県後援の熊野古道世界遺産登録15周年企画の冠を戴いたこのコンサートでは、深淵なる熊野の森を、すべて変拍子で構成された超絶技巧曲により描写する予定だ。

 

Less is more "8/24 時空を超える旅 : HEART BEATS OF KUMANO" 告知映像

 

 それならば、ということで、私の軸の一つである、「頑張る先生方への応援」として、医療関係の方々を優先させていただこうと考えた。真夏の激務の潤いにぜひいかがでしょうか(白衣のセレクトショップ「PROFESSOR’S ROUND」店頭にて、チケットを半額で販売いたします! 詳細はコンサート情報を確認ください)。

 ここから経験を重ね、環境作りを熟考した後に、在宅患者が気兼ねなく安心して参加できる演奏会場を検討していこうと思っている。

 

すべてはつながるのかもしれない

 なんでも突き詰めていくことは禅なのかもしれない。医療は特にそうだ。寝食を忘れ、倒れてなお働き、努力しても日々生命の無常にさらされて過ごす。患者の苦しみ、医師の苦しみ、取り巻く人々の苦しみ。それらを感じるうち、それらにあらがおうとするうちに、目が開かれ、医療の軸に枝が生えていき、さまざまな仕事が生まれてくると気づいた。一見関係なさそうな分野さえ、思索の後に意表を突いてつながっていってしまう。そしてそれを自らで行うのか、という問いが派生事業起業のキーになる。自由度は高く、楽しく、そして両立は激務だ。
 もちろん、忙しさにかまけて本筋をおろそかにするほどだと、すべては崩れてしまうし、若い頃のがむしゃらな努力がなければベースは築かれない。

 私が医師になって最初に行った業務は、教授の退官記念のビデオ製作で、その他、偉い先生のご接待、医局旅行のバス手配や協賛募集、イベントの準備、2000年問題対策委員会と称する機器のチェック、脱走患者の確保、等々の強制的な下働きを愚痴にまみれながらやってきた。でも、それが後に、どんなことでもこなせる器用なスキルを授けてくれていたと感謝している。
 こういった経験を活用すると、タイミングがあれば医師はもっと自由に、さまざまな社会貢献をできるのではないか? 医師の発想力、思考力、気力体力、優しい心、行動力、これらがいつか停滞する社会状況を打開する力になるかもしれないと想像する。

 働き方改革の波が、来るはずもないと思われていた医療業界にも訪れつつある。しかし医師たちの多くは結局休むことなく、新しいことを始めてしまうのではないか? 冒頭で書いた起業家医師たちの他に、私の周りでも、診療もしっかり行いながら、さまざまな活動を始める先生が増えてきている。医師になる者はそんな人種なのかもしれない。

 駄文長々と私の経験を綴らせていただいたが、二足目のわらじは、一足目のわらじで歩き続け、ふと周りを見渡せば、その道の上に自ずと生まれているということ。熱意と遊び心を併せもつ、多才な先生方の大成功を祈念いたします。

※2019年8月24日 チケットの販売は終了しました

 

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藤元 流八郎(ふじもと・りゅうはちろう)
認定内科医、脳神経内科専門医、医学博士。1997年昭和大学医学部卒業後、昭和大学病院脳神経内科入局。2003年より関東労災病院 脳神経内科勤務。2004年医療法人社団鳳優会荏原ホームケアクリニック院長。2005年医療法人社団鳳優会理事長就任。2010年に白衣のセレクトショップ「PROFESSOR’S ROUND」をオープン。2019年4月にTRANSMITTER株式会社取締役に就任。昭和大学医学部 内科学講座脳神経内科学部門兼任講師、同大学医学部付属看護専門学校非常勤講師。
LESS IS MORE LIVE CONCERT
時空を超える旅 HEART BEATS OF KUMANO
※昭和大学上條記念館 グランドオープン記念公演/
紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録15周年記念

日時:8/24(土)15:30開場 16:00開演
場所:昭和大学上條記念館 上條ホール(東京都品川区旗の台1-1-20)

チケット販売:イープラス
問い合わせ:鳳優会グループ(電話03-6426-4778)
後援:学校法人昭和大学/和歌山県/株式会社和歌山放送

<医療関係者プレゼント>
本公演チケットを、医療従事者の方限定で、白衣のセレクトショップ「PROFESSOR’S ROUND」店頭にて半額で販売いたします。

PROFESSOR’S ROUND 東京・旗の台本店
電話:03-6426-1786
営業時間:11:00~20:00 火曜定休
https://professors-round.com/

※2019年8月24日 チケットの販売は終了しました
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