【特集】インフルエンサー医師

「自分が望む働き方・生き方を選択する」ということ

中島 侑子先生(医師、TOKYOインフルエンサーアカデミー主宰)

「16歳の時に母親がくも膜下出血を発症、何もできなかった無力な自分が悔しくて医者になることを決意した」という中島侑子先生(※TOKYOインフルエンサーアカデミー 公式Webサイトより)。

初期臨床研修の後、3年間の世界一周旅行中に無医村やスラム街での医療活動をおこない、帰国後は救急救命医に従事。そして結婚・出産を経て起業という、多彩な人生を歩まれています。

医師として、起業家として、そして女性がさらに輝ける社会を目指すインフルエンサーとして精力的に活動される中島先生にインタビューし、原動力の秘密に迫りました。
【特集】インフルエンサー医師
近年、医師の働き方が多様化する中で、キャリアにお悩みの方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回は、多方面でご活躍されSNSでも人気の医師・元医師の方々にインタビューし、多彩なキャリアのご経験談をお話しいただきました。医師の視点から広がったキャリア像や、仕事の軸となる想いなど、皆さまの今後を考えるヒントとなるエピソードをご紹介します。

 

原動力は好奇心…ブランクを超えてあこがれの救急救命医に。

 

──医師になろうとご決心される前は、なにか別の将来の夢はありましたか?

「宇宙飛行士になりたい」と思っていた時期がありました。今となっては何でそう思っていたのかもよく覚えていないのですが(笑)

小さいころから、「みんなと一緒のことをやっているだけじゃ、つまらない」という想いがあって、それで宇宙飛行士になりたいと考えていたんだと思います。

──そうだったんですね!その後の研修医時代では、印象的だった出来事はありましたか?

形成外科の研修を受けていたときに、「小耳症の子どもの耳を作る」手術に立ち会いました。

生まれつき耳の形が不完全な患者さんに対して整容の施術を行うのですが、そのときに、ひとつの彫像を作るような創造性を感じたんですね。

まるでひとつのアート作品のようで、かつ治療を受けた患者さんに整った耳ができるのを見て、すごく感動しました。

もちろん、患者さんの治療にあたって回復されて元気になって──という経験もたくさんして、それらもとても印象深くはあったのですが、私は治療による「視覚的な変化」に対してより敏感だったのだと思います。

──その後、救急救命へと進まれていますが、そこではどんなご状況でしたか?

研修医を終えて約3年のあいだは世界一周の旅に出ていましたので、救急救命医になったときはもう色々忘れてしまっている状態でした。そして、救急の職場はまさに「戦場」でした。

一分一秒を争うような患者さんが入ってこられて、医師や看護師の皆さんはそれぞれの役割に徹して、ものすごいスピードで行動して治療していくわけですが、入職当時の私はそのスピードにも、同僚の方々の知識・技術にもまったく追いついけない状態でした。

もう本当に、不甲斐なさしかなかったですね。役に立たないどころか、邪魔にすらなっているぐらいでしたので。

そんな状況を毎日毎日繰り返しながらも、とにかくどんどん学んでいこうと、ひたすらに頑張りました。

少しずつできることが増えていって、数ヵ月が経つと、他の医師や看護師の方から任せていただける機会も多くなっていったんですね。非常にハードでしたが、1日ごとに成長を実感できました。

「はじめが何もできなさすぎた」というのもありますが(笑)、成長することは好きでしたので、仕事への満足感は大きかったです。大変でしたけど。

──その後、沖縄で救急ヘリでの勤務も経験されたと伺っております。

はい。私はこれまで3つの病院で勤務しました。

最初に勤務したのが、先ほどお話しした東京の救命救急センターです。その次に選んだのが、沖縄で救急ヘリに乗るなどの「離島医療」に従事する職場でした。

救急ヘリに乗っているときは、医者は私ひとりだけです。また、ヘリには大きな荷物は載せられないため、必要最低限の機材と薬しか持ち込めません。

一緒に乗るのはパイロットとナースのみで、医療行為に関する決定権と責任はすべて私にあるという状態でしたので、東京の救急病院とは全く違ったプレッシャーがありました。

──どんどんハードな環境に進まれていると感じたのですが、どのような判断軸でお仕事を選んでいらっしゃるのですか?

沖縄の職場に関しては、「コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」というドラマを観て、「こういう働き方がしたい」と思ったのが理由です。

TIPS:「コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」(テレビドラマ、映画)

2008年7月3日からフジテレビ系列で断続的に放送された医療ドラマ。

救命救急センターを舞台に、若き医師たちが救急ヘリに乗り込み、緊迫した現場で命と向き合う姿を描いています。葛藤や成長、そしてチームワークを通じて、医師としての使命感や患者との絆を再認識する登場人物たちの姿が、多くの視聴者に感動を与えました。

参考:コード・ブルー - フジテレビ

救急救命医としてキャリアを積みたいという想いと、それから「ヘリに乗りたい」という憧れもあって。ミーハーな理由でお恥ずかしいですが(笑)。

それで、救急ヘリのある病院を全国で探して、いくつか候補が出た中で選んだのが、沖縄の救急病院でした。

──お話を伺っていて、医師としての使命感だけでなく、中島先生ご自身の強い「好奇心」が、キャリアを形成していくうえでの大きな原動力になっていると感じました。

ありがとうございます。好奇心というか、「自分がワクワクするかどうか」については、仕事を選ぶ上でも大切にしていると思います。

──社会人として長く働く中で、「世の中への好奇心がだんだんと薄れていった」と話す人も多いです。中島先生のように好奇心やワクワクする感情を持ち続けるために、意識するとよいことはありますか?

これは私の考えですが、好奇心って自然と身に付くものではなく、育てていくものだと思うんですよね。

私自身、幼少期から好奇心が旺盛だったという自覚はなくて、ふとしたときに「今、好奇心の芽が出てきてる?」と感じ、その気持ちを大切にしてきたことで、現在の好奇心旺盛な自分がいるのだと思います。

ではその好奇心はどうやって育てていくのかというと、やっぱり行動ですね。何か、ちょっとした好奇心を感じたら、もう行動するしかない。

例えば家の中でじっとしていて、そこで好奇心の芽が出ることはあっても、それが大きく育つことはあまりないですよね。とにかく、外に出て、人に会ったり、私の場合は旅に出たり、その好奇心を叶える職場を探したり。

そうすると、周囲からなにかしらの刺激が自分の中に入ってきます。それが大切なんだと思います。

ドクターヘリに乗られていた頃の中島先生。    

女性がもっと輝ける社会にしたい。「自分の人生を自分で選択する」感覚を大切に。

──ありがとうございます。続いて、現在ご活動されている「TOKYOインフルエンサーアカデミー」を始めた経緯について、お聞かせください。

TIPS:「TOKYOインフルエンサーアカデミー」

TOKYOインフルエンサーアカデミーホームページの画像。

「すべての女性が、どのようなライフステージにいても、自らの力で人生の可能性を広げ、自由を手に入れられる。」というスローガンのもと、日本社会をリードするインフルエンサーの育成と発信力の強化を目的としたアカデミーです。

これまでに1,500人以上の女性を支援し、発信力を活かした地方創生や企業コンサルティングも行っています。

参考:「TOKYOインフルエンサーアカデミー

結婚後、長野の病院で救急救命医として働いていたのですが、その際に私自身の病気が見つかって緊急手術を受けることになりました。妊娠6ヵ月の時でした。

手術は無事成功したのですが、やはりその際に「最悪ここで死ぬかもしれない」という思いがあって、「私は本当に、自分が望む働き方・生き方を選択できているのだろうか、本当に今のままでいいのだろうか」と考えるようになりました。

その経験が、「時間や場所にとらわれない働き方を自ら築こう」という決意に変わり、そして、同じようにライフステージの変化に直面する女性たちに、私の挑戦が少しでも役立つのではないかと考えました。それが、起業と「TOKYOインフルエンサーアカデミー」設立の主な経緯です。

──「TOKYOインフルエンサーアカデミー」が目指していることについて教えていただけますか。

活動を続けていく中で、「自分が望む働き方」に悩んでいる女性が多くいることを改めて実感しました。

結婚、出産、子育てといったライフイベントによる環境の変化で、働き方を変えざるを得ない女性は少なくありません。特に、「子どもがいるから」や「家族に反対されたから」といった理由で、希望する働き方を諦めることも多いのが現状です。

しかし、私は「自分の働き方は自分で選ぶべきだ」と思っています。

女性も自由に自分の人生を決め、もっと輝いていいのだというメッセージを伝えたい。そして、そうした社会に変えていきたいという想いが、「TOKYOインフルエンサーアカデミー」の活動の根幹にあります。

──活動をされていて、手応えや変化感はありましたでしょうか。

受講された方は皆、卒業の時期にはご自身で変化を感じられています。

SNSを通してPRや講師出演の依頼を受ける方や、「その後、起業した」という方も多くいらっしゃいます。

──すばらしいですね。受講者の方々には、どのような変化が訪れるのでしょうか?

アカデミーの講座の中に、「自分と向き合う」というプログラムがあります。

このプログラムでは、「自分はこれまで、どんなことに喜びを感じ、充実感を持てたのか」といったことを振り返っていき、そこから「自分が本当にしたいことは何か。自分はどんな存在でいたいか」を言語化していきます。

その過程で、多くの方が働き方・生き方の方向性を見出し、「まずこれをやってみよう」といった行動イメージを明確にされています。

一方で、具体的に何をすべきかを見つけられない方も一定数いらっしゃいます。その場合は、「まずは(SNSの)発信を始めてみる」ことをおすすめしています。

発信──つまり、ご自身の考えをアウトプットすることによって、自分が好きなものや普段考えていることなどの感覚が研ぎ澄まされ、さらにフォロワーや読者の反応を得ることで「こういうところにニーズがあるんだ」と気づき、その結果、行動指針が生まれることが多いです。

TOKYOインフルエンサーアカデミーでの講習会ご風景。    

本気になれば、何歳であっても、どんな境遇にあっても、人は変われる。

──今後は、どんな取り組みを予定されていますか?

「TOKYOインフルエンサーアカデミー」の活動規模をさらに拡大したいと考えています。現在、私がメイン講師として活動しているため、どうしても受け入れられる人数に限りがあります。まずは、指導できる講師を増やし、対応できるキャパシティを広げていくことが目標です。

それから、アカデミーが今以上に受講者の「夢を叶える」「新しいチャレンジを実現する」場となるよう取り組んでいきたいです。

単なるインスタグラム講座ではなく、人生を変える講座であることを実感していただき、「現状から変化したいけど、インスタはちょっと…」という方にも、広く届けていきたいと考えています。

──中島先生もまた、新しいチャレンジに身を置かれているのですね。最後に、この記事を読まれている読者の方に向けてメッセージをお願いできますか?

研修医の方、また医師になったばかりでスキル不足やキャリアへの不安を感じている方は、まずは目の前の業務や課題に全力で取り組んでみることをおすすめしたいです。

人は、一つの物事に集中して取り組むときに最も成長します。

そして、「全力でやりきった」という経験は、将来新しい領域に挑戦する際にも大いに役立ちます。

それから、女性の方へ向けてお伝えしたいのは、年齢や自分の置かれた状況や境遇を理由に、挑戦を諦めてしまわないようにということです。

「本気で変わろうと決意し、行動に移せば、何歳であっても、どんな境遇にあっても人は変わることができる」と、私は信じています。

アカデミーにおいても、大きな変化を遂げた方々をたくさん見てきました。

もし挑戦するのが怖いと感じるなら、ぜひアカデミーの入校も検討してみてください。そこで一緒に、明るく前向きにチャレンジしていけたらうれしいです。

海辺を歩く中島先生のご様子。

(聞き手・文=エピロギ編集部)

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