「在宅入院」をインドへ 在宅医療のトップランナーに聞くキャリア構築のコツ~佐々木淳(医療法人社団悠翔会理事長)
佐々木 淳(医療法人社団悠翔会理事長)
1.インドで「入院に頼らない世界」の実現を目指す
――佐々木さんが代表を務める医療法人社団悠翔会(以下、悠翔会)は、関東を中心に在宅診療クリニックを24カ所経営(2023年8月現在)されているほか、海外進出にも力を入れておられますね。2020年にはインド・ムンバイに現地法人として「Yushoukai India」を設立されました。
はい、そもそもは2016年に、シンガポールで開催された「アジア太平洋高齢者ケア・イノベーションアワード」で悠翔会の活動を発表する機会を頂いたのがきっかけです。そこでアジア各国の高齢者医療や介護の現場で取り組む人たちと話していて、これは日本に閉じこもっていると、やばいなと。
――やばい?
日本は国際的にみても、医療保険や介護保険の制度がとても充実しています。ですから、医療機関の多くは、その枠内でどう適応していくかという「制度思考」になりやすい。一方でアジア各国はまだまだ制度が未発達なので、患者・家族に選ばれないと生き残っていけない。そこで患者・家族のニーズを掘り起こして解決しようとする「ニーズ思考」で、独創的なサービスが次々と開発されています。このままでは取り残されてしまうという危機感を強く感じました。
そこで縁があって、インドの「Care24」というヘルスケア企業の経営層とつながりました。インドでは「介護は家族やメイドがやるもの」という意識がまだ強いのですが、Care24は、介護支援者と利用者をつなぐマッチングプラットフォームの開発などを進めていた。日本の訪問医療や介護で培った経験やノウハウを活かすチャンスがあると考え、資本提携を通じてインド市場に参入することにしました。
Care24の介護支援者(提供:悠翔会)
――現状、進捗はいかがですか?
現在は「在宅入院」というコンセプトで訪問診療サービスを提供しています。日本の「在宅医療」が慢性期の患者さんを自宅で診るのに対して、「在宅入院」は、急性期の患者さんを自宅で治療するイメージです。インドでは公的な医療保険のカバーが不十分なので、入院すると高い費用がかかるし、そもそも病院の数が限られている。そのため「自費でも、自宅で急性期の治療を受けたい」というニーズが存在します。おかげさまで現地の民間医療保険会社から「保険の付帯サービスにしたい」という声を多くいただき、ムンバイを中心に20都市でサービスを提供しています。
――今後の展開をどう考えていますか?
直近では、タイのチェンマイでサービスを提供する準備を進めています。今後、センシング技術やオンライン診療が発展するなかで、誰もが住み慣れた自宅で急性期から慢性期まで医療にかかることのできる環境が整っていくでしょう。日本を含めたアジア各国で、テクノロジーによる「入院に頼らない医療」を実現していきたいと考えています。
2.【Turning Point】「大学院もマッキンゼーも辞めて開業しよう」
佐々木淳医師の経歴(筆者作成)
――佐々木さんのご経歴は、本当に多彩ですね。1998年に筑波大学を卒業、三井記念病院に入職。さらには東京大学大学院の博士課程に通学しつつ、マッキンゼーの入社試験を突破されたとか。
そうなんです(笑)。もともと手塚治虫先生の漫画『ブラックジャック』に憧れて、幅広い疾患を治療できる外科医になりたいと医師を志しました。ところが医学部に入ってみると、外科はかなり専門分化していることがわかった。そこで少しでも広い領域を診ることのできる医師になりたいと、総合内科を志して病院に入職しました。
5年たったころ、当時の上司から「これからのキャリアを考えると、博士号をとっておいたほうがいい」とアドバイスされ、東京大学の大学院に入りました。
――順調なキャリアですね。
ところが、大学院での研究生活に馴染めませんでした。C型肝炎ウイルスの分析などをやっていたのですが、僕は現場好きの人間なので、ラボでの実験や論文の執筆に没頭することが出来なくて……。そこで何か別なことを、と考えたときに、経営を勉強したいと思ったんです。そこで博士4年目に、コンサルティング会社のマッキンゼーの入社試験を受けてみることにしました。ラボの先生にも何も言わずに。
――それは思い切りましたね!
意外にもすんなり採用が決まりました。しかも最初から、新人より上のアソシエイトという階級にしてもらい、前職の倍の給料を提示されたんです。入社する気でいたところ、そこで本当にたまたま、訪問診療のクリニックでアルバイトをしたところ「なんだこれは」と衝撃を受けたんです。
――それが、いまに至るきっかけ?
はい。在宅医療の世界では、求めるアウトカムから価値観まで全てが違いました。これまで、どう病気を治すか? という価値観だけで診療をしていた自分からは、「死ぬまでをどう生きるかを共に考え、生活全般に寄り添う」世界がまぶしく感じられました。もう夢中になって、学位もマッキンゼーも全部やめて、自分で訪問診療のクリニックを開業しようと決意しました。
いま考えると、それまでの自分は「お行儀のよいキャリア」が目的化していたと感じます。親の期待もありましたし、いわゆる「良い子」の経歴を歩もうと。その中で「在宅医療の世界に進む!」というのは、人生の中で初めて「自分の意志」で決断したことなのかなと、振り返って思います。
訪問診療に取り組む佐々木淳さん(提供:悠翔会)
3.「テクノロジーを開発する側になれ」若手医師へのメッセージ
――佐々木さんは、内閣府の規制改革推進会議の委員もされています。その立場から、今後の日本の医療の行き先や、若い医師に求められるキャリアをどう考えていますか?
今後はAI(人工知能)やPHR(個人健康記録)の進歩によって、医師が介在しなくても、個人個人が適切に健康をマネジメントできる世界が来ると思っています。医師の診療も、どんどんオンラインで出来るようになっていくでしょう。そのために必要な規制改革も進んでいくと考えています。
――その中で若いドクターが目指すべきキャリアは?
方向性としては、3つあると考えています。
1つ目は、世界に通用するスキルを得ること。これから日本は高度医療のニーズは減っていくのに医師は増えていきます。一方で世界では高度医療のニーズが増え続けていくところも少なくない。専門医を目指すなら、例えばドバイに行っても十分通用するようなプロフェッショナルになる必要があると思います。
2つ目は、保険診療に依存しない仕事を作ること。今後の医療は、デジタルテクノロジーを活用した情報サービスとして提供される部分が増えていきます。その技術やサービスを開発する側に回るということです。
3つ目は、個人的には公衆衛生分野にもっと医師が増えると良いと思っています。感染症も含めた予防や予測といったところに、政策としても舵が切られていく部分があると思っていますので、そこのノウハウや経験を持った人材が必要とされていくと感じています。
(聞き手・文=市川 衛)
- 佐々木 淳(ささき・じゅん)
医療法人社団悠翔会 理事長
1973年京都府京都市生まれ。1998年筑波大学医学専門学群卒業。東京大学医学系研究科博士課程に在学中に、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社試験を受け内定するも、在宅医療アルバイトで衝撃を受け、MRCビルクリニック(在宅療養支援診療所)を開業。その後医療法人社団悠翔会と改名し全国有数の在宅医療クリニックの法人へと拡大。2020年にはYushoukai Indiaをインドのムンバイで設立するなど海外での入院に頼らない医療の普及に尽力。2021年、内閣府・規制改革推進会議専門委員に就任。
- 市川 衛(いちかわ・まもる)
- 東京大学医学部を卒業し、NHKに入局。医療・健康分野を中心に国内外での取材や番組制作に携わる。現在はREADYFOR㈱ 基金開発・公共政策責任者、広島大学医学部客員准教授(公衆衛生)、㈳メディカルジャーナリズム勉強会 代表、インパクトスタートアップ協会 事務局長などを務めながら、医療の翻訳家として執筆やメディア活動、コミュニティ運営を行っている。
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