ヒト・モノがない! 医療の原点が見える山岳診療所
~若手の医師こそ、覚悟が問われる現場経験を~
荻原 幸彦氏(東京医科大学上高地診療所 所長/東京医科大学 麻酔科学分野 臨床准教授)
中高年の登山愛好者が増加する昨今、山での遭難者が年間3043人、死者や行方不明者が335人、負傷者数は110人増の1151人と過去最多(警視庁調べ)を記録しています。このような非日常である山の事故や病気の緊急対応をしているのが山岳医療です。
都市部とかけ離れた医療現場で働く医師のボランティア精神と医療の原点が息づく山岳医療の現状について、上高地診療所・荻原幸彦所長にお伺いしました。
山岳診療所の所長として
—— 荻原先生は上高地診療所の所長としてどのようなお仕事をされているのでしょうか。現在私は、診療所所長と麻酔科准教授の業務を兼務しています。今こうして大学病院にいるときも診療所にいる医師から相談や物品の購入や管理についての報告が入りますし、所長といっても雑用係のようなものでしょうか(笑)。
診療所での診察はありませんが、開山祭や閉山式などのイベント、町内会や松本市での会議に出席して診療所の現状や要望を伝えています。二足のわらじ状態ですが、診療所存続のために力を尽くしたいと思っています。
また、今年から8月11日が祝日「山の日」となり、当日上高地では各国からの要人などを招いてイベントが開催されますが、診療所は救急医療の中心的役割を担当することになりました。先輩たちが身を削って維持してきた診療所の活動を多くの方に知っていただくチャンスでもありますから、各方面と連携を取り合ってイベントを成功させたいと思います。
2016年の上高地開山式に出席。8月11日の「山の日」にはイベントが開催され、診療所が救急医療の要所となる。
山岳部員と地域のつながりから生まれた上高地診療所
—— 所長を務められている上高地診療所は開設されてから90年の歴史があります。もともとは東京医大の山岳部が地域住民の健康相談を行ったことがきっかけとありますが。上高地診療所は、1927(昭和2)年に山岳会によって開設され、1957(同32)年に東京医科大の管理下に入りました。山岳会が上高地を中心に登山活動をする中で地域の人と懇意になり、医療相談を受けたのが始まりのようです。
上高地診療所も他の山岳診療所と同じように大学の医学部によって運営されていますが、そんな経緯をもつことからいくつか異なる特長があります。
まず、ほかの山岳診療所は夏山シーズンの7~8月のみの活動がほとんどですが、上高地診療所は4月の開山祭から11月の閉山式までの約8カ月間稼動しており、医師のボランティア精神で成り立っています。
また、医療費はほとんどのところが自費ですが、上高地診療所では保険診療を行っています。「僻地医療」といっては語弊があるかもしれませんが、登山や観光といった外から訪れる人だけではなく、地域住民の定期健康診断や診療も担っているのが大きな特長です。
山岳部OBによる応援勤務と各科の大学関係の医師が、持ち回りで1週間ずつ担当しています。多忙な専門医が1週間も職場を不在にするため、大学の現場にはかなりの負担になっていると思います。特に観光客が多く訪れる繁忙期は通常の1人から2人体制にし、救急医療に携わる医師にお願いするなど細かい調整もしています。
旅館やレストランで働く人の健康診断も行っている。「診療所の階段脇にスロープを設置したいが、予算上難しく頭を痛めています」(荻原所長)
昔は遭難者を背負って下山したことも
—— 上高地診療所では、これまでどのような治療を行ってこられたのでしょうか。上高地診療所の長い歴史の中では、滑落や雪崩、落雷、疲労による凍死などがあり、医師が遭難者を背負って下山したという記録もあります。また、岐阜県側から医療を求めて来られた患者もあったと聞いています。
現在は交通機関が発達し、緊急時にはドクターヘリで松本市内の提携病院へ搬送されますし、遭難者は捜索隊が出動するので昔のような体を張った診療は少なくなりました。
私の経験でいえば、初めての上高地診療所は医師になりたての1984(同59)年でした。大学の山岳部に所属していたので、診療所によく泊まらせてもらったのもいい思い出です。担当が決まったときは、医師として行くのは当然、それが山への恩返しでもあると思いました。
その年は高熱と下痢、吐き気を伴う夏風邪が流行っていて、旅館やレストランで働く人たちも受診されました。患者であふれんばかりの診療所内で点滴を打って回ったのを覚えています。夜になって、自分の鼻先も見えない闇の中を舗装されていない曲がりくねった道路を運転して白骨温泉旅館まで往診したことは忘れられませんね。
診療所勤務は数年に1回1週間でしたが、診療だけでなくレントゲンの現像から深夜の往診までなんでもやりました。山の中では診療時間はあってないようなものですから。
限られたスペースの診療所には簡易な手術室と診察のためのベッドが1台置いてあり、薬は風邪薬や抗生物質、強心剤、降圧剤など最小限のものだけですから、知識を総動員してやりくりする方法も覚えました。
—— ここ数年、中高年の登山者が増えていますが、受診内容は変わりましたか。しっかりした装備と知識をもっている登山者より、観光で来られた方のほうが多く受診されるように感じています。平地でも骨折や捻挫はありますし、熱射病や虫刺されなどによるアナフィラキシーショックもあります。高齢者は高山病が多いですね。高山ガイドがついているので簡単に高い山へ登れるようになったのも一因かもしれません。
アナフィラキシーショックによるエピペンの使用は現地での処方医の免許が必要になるため、昨年から赴任する医師には松本市のe-learning研修(web上での研修)と取得を義務づけています。最近では、やはり海外からの観光者が増えたため、外来語用の診察本を用意するなど、今までにない配慮も必要になってきています。
■上高地診療所 2015年度の月別利用患者数
若い医師に「医療の原点」を知ってほしい
—— 山岳診療所には、やはり都会では感じられない魅力があるのでしょうか。山岳診療所は医師にとって都市部の病院ではできない経験と「医療の原点」に戻れる貴重な場です。とくに若手の医師には上高地診療所で経験する一つひとつのことが他ではできない経験になると考えています。
ある若手の医師は、骨折した患者に対して市内から救急車が来るまでの1時間半、自分ひとりで何をどうすべきか判断し、あるもので対応しなければならず、「どうしていいかわからなくて怖かった」という経験を話してくれました。こうした経験は医師として覚悟を迫られるものがあると思います。私自身、診療所に行くたびに「患者を診る」という医療の原点を見る思いがします。
もちろん、厳しいだけではありません。空気も水もおいしいですし、時間のあるときは美しい山々を眺めながら散策もできます。忙しい業務の合間のリフレッシュ、命の洗濯をしに行くつもりで参加していただければと思います。
バスロータリー近くにある診療所には、子どもの発熱や虫刺され、擦過傷などの応急処置に助けられた人からの感謝状が届く。毎年訪れる人からは「応援しています」のひと言も。
登山客や観光客、地域住民の健康を守るために
—— やはり都市部から遠い地域医療は財政的に難しいのでしょうか。診療所は赤字ですから医大の持ち出しになっていますし、各科から医師が一定期間抜けることによる負担も大きいです。東京医大に勤務経験のある医師であれば活動に参加していただけるので、医大の広報紙として発行している新聞で募集をかけていますが、なかなか申し出がありません。存続の危機とまではいいませんが、運営はかなり苦しいといえます。
—— 最後に、上高地診療所での勤務に興味を持つ医師へ、メッセージをお願いします。上高地に住む人にとってはかけがえのない診療所ですし、医師にとっても都市部の病院ではできない経験と「医療の原点」に戻れる貴重な場です。先輩たちが身を削って維持してきた診療所を、所長としてなんとか存続させたいと考えています。
東京医大に勤務経験のある医師であれば、すでに病院を退職された方でも活動に参加いただけるので、興味を持たれた方は、ぜひご連絡いただければと思います。
(聞き手・よしもと よしこ/吉本意匠)
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- 荻原幸彦(おぎはら・ゆきひこ)
- 1984年東京医科大学卒。88年東京医科大学大学院にて単位取得後、同年10月東京医科大学病院麻酔科学教室臨床研修医に。90年東京医科大学助手、95年10月同大学講師。同年12月米国カンザス大学へ脳蘇生研究のため留学、翌年12月に帰国し、東京医科大学麻酔学教室勤務。2004年同大学八王子医療センター麻酔科勤務、12年3月同大学臨床准教授に。12年4月より現在まで東京医科大学病院に麻酔科学講座臨床准教授として勤務し、13年より東京医科大学上高地診療所所長を兼務。
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コメント一覧(2件)
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1. 通りすがり さん
存続のために尽力している、と訴えておられるようだが、参加できる医師を「東京医大に勤務経験のある医師」に限定してる時点で、うさんくさい。