患者の目にあなたはどう映る? 「心に残る医療」体験記コンクール
「心に残る医療」体験記コンクールは、患者さんやそのご家族が体験した、心温まる医療エピソードを募集する作文コンクールです。入院したときの思い出や医師・看護師との出会いなど、医療・介護にまつわる体験談をテーマとしています。作品を通して、患者目線で綴られた医師や医療の姿に、触れてみませんか。
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第35回 「心に残る医療」体験記コンクール ~あなたの医療体験・介護体験を募集します~
日本医師会と読売新聞社の主催による「『心に残る医療』体験記コンクール」。これは「より良い医療環境」の構築を目的に、1982年から開催されているものです。コンクールには「一般の部」「中高生の部」「小学生の部」が設けられ、第34回までの累計応募総数は78,532点にのぼります。心を揺さぶるドラマチックな話から、医療のあり方についてはっとさせられる鋭い指摘など、作品の内容はさまざまです。
それらの作品を通して見えてくるのは、“患者目線”で見た医療の現場。病院には日々たくさんの人がやって来ますが、その一コマ一コマに必ず物語があります。
果たして患者やその家族の目に、医師の姿はどう映っているのでしょうか。体験記は、それを知ることができる貴重な手がかりです。ここでは入賞作品の中からいくつかのエピソードをピックアップしてご紹介します。
一般の部
厚生労働大臣賞
「お父さんの思い出づくり」
杉本 眞由美(すぎもと・まゆみ)[54] 福岡県
19年前、夫はALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された。
いくつもの病院を渡り歩き、やっと診断された病名はあまりにも過酷なものだった。
治るどころか、何の術もなくただ進行していくのを見ているだけ。「治療薬も治療法もない。進行性の難病である。今、動いている手も足も動かなくなる。人工呼吸器を装着しないと生きてゆけない。寝たきりになる等々」
初めて受けた告知の医師の言葉ひとつ、ひとつを素直に受け入れられず、私達はこれから何をして、どうやって夫と生きていけばよいのだろうと考えれば考えるほど涙があふれ出て、とても前向きに生きていけるなんて想像もつかなかった。
〝どうか誤診であって〟。そう祈り続けた。
(本文より一部抜粋、転載元:http://event.yomiuri.co.jp/iryo-taikenki/archive/2016/2016_01.htm)
病魔は予期せず襲ってくるもの。しかも、筆者の場合は3人の子供がまだ幼稚園児と小学生という状況であり、「どうしてこんなときに」と思わずにはいられなかったでしょう。病気は容赦なく夫の体を蝕み、家族は十数年に渡る介護生活を余儀なくされます。介護には苦労がつきものですが、それと同時に新しく見えてくるものもありました。
家族ぐるみの介護を始めてから19年、3人の子どもたちも立派に成長し、それぞれの道を歩み始めます。その3人が選んだ職業は……。続きはぜひ、全文を読んでお確かめください。
入選
「わたしは神様じゃない!」
岡野 園子(おかの・そのこ)[37] 東京都
筆者は、妊娠した2人目の子どもを無脳症で亡くした女性。大切な我が子を失った悲しみから涙に暮れる日々を過ごしていましたが、夫の誘いもあり、かつてお世話になった産院の院長先生を訪ねます。「赤ちゃんを殺したのは自分だ」と後悔の念をぶつける筆者に対して、院長先生が掛けた言葉は意外なものでした。
「僕はね、職業柄たくさんの命が誕生するのを見てきた。同じくらい、生まれることができなかった命も見てきたよ。何年前だったか、双子を妊娠したお母さんがいてね、1人は元気な赤ちゃんとしてこの世に生まれた。でももう1人は無脳症で、生まれる前に死んでしまった。同じ母親、同じ環境、同じ遺伝子なのに、かたや元気に生まれ、かたや産声もあげられない。僕は無神論者だが、生まれたり死んだりというのは、もう我々の領域を超えた何かがあるのかもしれないと思ってしまった。よく世間で言われるところの『神の領域』といったものがね」
それから私の目をしっかりと見つめ、教え諭すように厳しい口調で続けたのです。
「それなのにあなたは自分のせいだと言う。自分がすべて悪くて赤ちゃんは死んだと言う。あなたが赤ちゃんの運命を決めたと言う。あなたは…随分と傲慢な人だね」
(本文より一部抜粋、転載元:http://event.yomiuri.co.jp/iryo-taikenki/archive/2016/2016_06.htm)
大切な人を亡くしたとき、私たちはとかく自分を責めてしまいがちです。医師であれば、「あのときこうしていれば……」と悔しい経験をした方もいるでしょう。
しかし、院長先生は、人の生死が医学の世界を飛び越えた「神の領域」にあると表現しました。長年の経験に裏打ちされた医師の言葉には、言い知れぬ説得力があります。
中高生の部
最優秀賞
「中三の夏」
佐藤 顕子(さとう・あきこ)[15] 埼玉県
「パパが倒れた」。メール受信ボックスには目を疑う内容のメールが溜まっていた。その内容を現実として受け入れられないまま、私は外出先から病院まで全力疾走した。そして待合室にいた家族の顔を見るとたちまち「なんで?」という言葉と涙が溢れた。息を整えて緊急治療室に入るとたくさんの機器に囲まれて目を閉じている手術後の父が目に入ってきた。大柄な父に似合わないその姿に目を背けてしまいそうになりながらとめどなく流れてくる自分の涙に自分自身驚いていた。
(本文より一部抜粋、転載元:http://event.yomiuri.co.jp/iryo-taikenki/archive/2016/2016_11.htm)
こちらの作品は、少年野球チームのコーチを務める父親が、脳内出血で倒れるところから始まります。家族と看護師Yさんによる懸命の看病も手伝って、一度は奇跡的な回復を遂げた父親。平穏な日々が再び戻ってくると思われましたが、ある日を境に容体が急変、危篤状態に陥ります。段々と小さくなっていく心臓の鼓動。父親が静かに息を引き取ったとき、看護師のYさんが筆者に掛けた言葉は……。家族愛にあふれた、心温まるエピソードです。
優秀賞
「僕が生きる意味」
小山 太希(おやま・たいき)[14] 宮城県
僕の病気は「一型糖尿病」だということが分かった。この病気は、日本では10万人に1人か2人程度発症するものらしく、何かの原因で血糖を維持することが難しくなるそうだ。主治医の先生が丁寧に説明してくれた。
(中略)
僕は少しずつ自分で血糖測定をしたり、注射をしたりすることができるようになった。主治医のK先生とのランニングも許可された。大丈夫、野球もできるようになると励まされ、僕は少しずつだが前向きに病気をとらえることができるようになっていった。K先生は一緒にランニングやキャッチボールをしてくれた。そのK先生の趣味はギターを弾くこと。退院が近づいてきたある日、僕が大好きな曲『あとひとつ』と『キセキ』を弾いてくれた。
“1人で頑張りすぎなくていいんだよ。みんな誰でも助け合って生きてるんだし、大丈夫。大好きな野球をいつまでも続けてね”
(本文より一部抜粋、転載元:http://event.yomiuri.co.jp/iryo-taikenki/archive/2016/2016_12.htm)
当時小学生だった筆者は糖尿病に倒れ、突然入院することに。大好きな野球ができない生活や病気に対する恐怖で挫けそうになっていたとき、主治医のK先生と出会います。K先生は筆者を子供だと軽んじることなく「一人の人間」として真剣に向き合ってくれました。筆者もまたその姿勢に心を開き、治療に前向きに取り組むようになったそうです。
ちなみに、筆者はK先生との出会いを通して、医療福祉の道を志すようになったとか。医師という職業は、ときに人の心や人生を動かし、導くこともあります。だからこそ「先生」と呼ばれるのかもしれませんね。
小学生の部
最優秀賞
「時計をもたないぼくの先生」
藤原 将眞(ふじわら・のぶまさ)[8] 千葉県
ぼくはようち園生の時に、大しっぱいをしてしまった。お砂ほりをしていた時、む中になりすぎて、ふり上げた時にお友だちにスコップをあててしまった。そのことがりゆうで、おかあさんがお友だちのおかあさんからどなられているところを見た。ようち園の先生からも、「しつけがなっていない」と、何日も呼び出されて、ぼくのそだて方について、おこられていたのをぼくは知っていた。ぼくの前では、
「大じょうぶよ、わざとじゃなかったし、ちゃんとあやまったんだから、これから気をつければいいんだよ」
と、優しく話してくれていたけれど、夜中にないているおかあさんを見て、ぼくは大へんなことをしてしまったと、こわくなってしまった。しっぱいしたのはぼくなのに、おかあさんがどなられているのを見て、とてもかなしかった。おかあさんが何日もペこぺこあやまりつづけているのを見て、ぼくはようち園に行く前になると吐くようになってしまった。夜中はこわい夢でねられなくなってしまった。
(本文より一部抜粋、転載元:http://event.yomiuri.co.jp/iryo-taikenki/archive/2016/2016_15.htm)
最後は小学生の作品です。幼稚園でのトラブルをきっかけに心に傷を負い、心の病院に通うようになった筆者。理不尽な出来事に遭遇すれば、大人だって傷付くもの。ましてや筆者はまだ幼稚園児ですから、その心が抱えた傷の深さは計り知れません。しかし、医師の支えもあり、彼はこの経験を踏み台にして大きな成長を遂げます。
ちなみに、筆者は作品の最後を以下の言葉で締めくくっています。
先生に会えて、本当によかったと思う。また会いたいなって、心から思う。
“先生に会えてよかった”、そう思われるような医師でありたいと感じさせる作品です。
*
「心に残る医療」体験記に寄せられた作品には、医師への感謝を綴ったものが多く見受けられます。これは、病院を訪れる人々にとって、医師がどれだけ大きな存在であるかを示しているのでしょう。
忙しい日々の中で、仕事が嫌になったり煩わしく思ったりする日もあるかもしれません。そんなときはぜひ、患者さんから初めて「ありがとう」と言われた日のことを思い出してみてください。きっと、明日の活力となるはずです。受賞作品は公式ホームページで閲覧できますので、チェックしてみてください。
「心に残る医療」体験記は第35回の開催が決定しており、その発表は2017年初冬の予定となっています。今度のコンクールには、一体どんな「医療体験記」が寄せられるのでしょうか。もしかしたら、次回の最優秀賞を飾るのは、あなたと患者さんのエピソードかもしれませんね。
※ 敬称略・学年などは2016年2月6日時点
(文・エピロギ編集部/協力・読売新聞社)
「心に残る医療」体験記コンクール
患者さんやそのご家族の医療や介護にまつわる体験をテーマとした作文コンクールで、日本医師会と読売新聞社が共同主催しています。
「より良い医療環境」の構築を目的に開催されるもので、作品は多くの医療従事者の目に触れ、日本の医療を向上させるための重要な資料となります。また、病気の理解促進や同様の体験をしている患者やその家族への支援にもつながっています。
もともとは1982年に「一億人の医療体験記コンクール」として始まったものですが、2002年に名称を変更し「『心に残る医療』体験記コンクール」となりました。2017年度で35回目を迎えます。
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