安楽死をめぐる世界の動き
2016年のパラリンピック。メダル速報が飛び交う中で、少し衝撃的なトピックが伝えられました。ベルギー出身の陸上選手が安楽死の申請を行い、さらに許可が下りたことを打ち明けたのです。彼女は「何が起きても自分で死を決めることができると分かり安心した」とコメントした上で、いますぐに安楽死をするつもりはないと伝えましたが、そのインパクトから大きな話題となりました。
日本では未だ法整備の進まない安楽死ですが、海外ではさまざまな理由から安楽死を認める国が増えています。特に欧米では議論が盛んで、安楽死を認める国や地域はここ20年で5倍以上に増えました。安楽死をめぐる各国の対応と制度の仕組みを紹介します。
安楽死とは ~安楽死・尊厳死・自殺ほう助の違い~
日本でも「安楽死」の言葉を耳にしますが、実は日本と欧米では言葉の意味が大きく異なります。まずは「安楽死」の定義を紹介します。
・日本における「安楽死」
助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること。(『広辞苑』第五版)
実際、安楽死には2つの種類があり、医師が致死薬を投与する「積極的安楽死」と、延命措置を中止する「消極的安楽死」が存在します。方法は異なりますが、どちらも患者を苦痛から解放することを目的としています。
現在、日本に安楽死を認める法律はありませんが、消極的安楽死を行うケースは増えています。一方、積極的安楽死については反対の声が強く、有罪判決が下った事例がほとんどです。
・欧米における「安楽死」
欧米の場合も、安楽死には2つのパターンがあります。欧米では最終的に命を断つのが「医師などの第三者」か」「患者本人」なのかという点で区別されます。
一つは、医師が致死薬を投与・注射する「積極的安楽死」。これはオランダやベルギー、ルクセンブルクなどごく一部の国で認められていますが、実際に行われるケースは稀です。
もう一つは、医師が処方した致死薬を患者本人が服用する「自殺ほう助」。医療者の助けを借りる自殺であることから、PAS (Physician Assisted Suiside)とも呼ばれます。
各国の対応 ~5カ国5州を例に~
「安楽死」の意味が国ごとに異なるように、安楽死に対する考え方もそれぞれ違います。ここでは安楽死について先進的な取り組みを行っているスイス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・カナダの5カ国とアメリカの5州を取り上げ、その違いを比較します。
■スイス
1942年から医師による自殺ほう助(PAS)を認めているスイス。PASの支援活動が合法的に行われていますが、実は安楽死について明確な条件を定めているわけではありません。
スイスのPASは、医師が担当するのは薬の処方までで、最終決定は患者に委ねられます。従って処置を受ける場合は、患者が正常な判断力を持っていることが必須要件です。また、うつ病などの精神疾患は安楽死の対象外とされています。
代表的な自殺ほう助機関に「EXIT」と「Dignitas」の2つがあります。EXITはスイス在住者のみが対象ですが、Dignitasは外国人の受け入れも可能です。Dignitasで安楽死するために必要な費用は約70万円で、2013年の時点で、60カ国からおよそ5500人が登録しています。近頃は全世界の末期患者がDignitasのサービスを求めてスイスを訪れる「自殺ツーリズム」の動きが高まっています。
■オランダ
上記のようにスイスは古くから安楽死制度に取り組んできましたが、世界で初めて安楽死を合法化した国はオランダです。2001年に安楽死法が成立、翌2002年に施行されました。
処置を受けるための主な条件は、以下の通りです。
・12歳以上であること
・患者が自発的に安楽死を要請していること
・耐え難い永続的な苦痛にさらされていること
・複数の医師の同意があること
法で認められたのは、医師の手による致死薬の投与・注射が行われる積極的安楽死です。法では「安楽死処置を行った医師が刑事罰に問われない」と定めており、致死薬を注射する処置を行うかどうかは医師の裁量に任せられています。個人の信条から安楽死処置を拒む医師も多く、法が整備されたあとも安楽死希望の患者が溢れていました。
そこで2012年、オランダの都市デン・ハーグに「安楽死専門クリニック」が設立されました。これは安楽死を希望していながら処置を受けられない患者を受け入れる施設で、開院から1年半で1100件もの申請がありました。クリニック運営には安楽死基金の援助があり、処置は無料で行われているようです。
■ベルギー
2002年に安楽死法が成立したベルギー。同法では安楽死を「患者の生命をその要請に基づき意図的に終結させる、第三者によって実施される行為」と定義しています。
ベルギーで可能なのは、第三者が致死薬などを投与・注射する積極的安楽死のみで、致死薬を患者本人が服用するPASは認められていません。
一般的に、精神疾患を理由とする安楽死を認めない国がほとんどですが、ベルギーにおいては精神的苦痛による安楽死も認められています。2014年には法改正が行われ、対象者の年齢制限が撤廃されました。難病などの苦痛を抱えている人であれば、子供から老人まで安楽死の処置を受けることが可能です。
処置を受けるための主な条件は以下の通りです。
・患者本人から安楽死の要請があること
・医師団と部外者の精神科医による検討があること(未成年の場合は両親の同意があること)
■ルクセンブルク
オランダ、ベルギーに次いで2008年に「安楽死及び自殺ほう助に関する法律」が成立、翌2009年に施行されました。同法では、安楽死を「ある者の生命をその明示的な任意の要請に基づいて医師が意図的に終結させる行為である」と定義しています。つまり、医師が患者に対して致死薬を投与する積極的安楽死を意味します。
ルクセンブルクの安楽死法はベルギーやオランダの法を参考にしたもので、内容もよく似ています。
処置を受けるための主な条件は以下の通りです。
・成人であり、処置時に十分な意識があること
・外部の圧力を受けることなく、本人から安楽死の要請があること
・患者が永続的で耐え難い身体的および精神的な苦痛にさらされていること
このほか、安楽死を要請する旨の書面と患者の署名も必要です。
■カナダ
カナダでは、2016年6月より医師による自殺ほう助が合法になりました。このサービスを受けられるのはカナダ国籍を持つ人のみで、これはスイスのような自殺ツーリズムを防止する目的もあると考えられます。また、精神疾患の患者や子どもは対象外です。
ベルギーと同様に積極的安楽死を認めており、医師や看護師などが致死薬を投与・注射する形式です。
処置を受けるための主な条件は以下の通りです。
・成人であること
・本人から安楽死の要請があること
・治療回復の見込みがなく、耐え難い苦痛にさらされていること
■アメリカ
アメリカは患者の自己決定権を尊重する考えがあり、1970年代から生命維持治療を拒否する権利が一定範囲内において認められていました。 現在は州ごとに法整備が進んでおり、下記の州に居住すると安楽死が可能となります。
オレゴン州/ワシントン州/モンタナ州/バーモント州/カリフォルニア州
・オレゴン州
1994年に成立したオレゴン尊厳死法のもとで、医師による自殺ほう助(PAS)を認めています。医師が処方した致死薬を患者本人が服用する方法で、安楽死が可能となりました。一方、積極的安楽死は明示的に禁止されています。
処置を受けるための主な条件は以下の通りです。
・18歳以上であること
・余命6ヶ月未満と診断された末期患者であること
・自らの健康問題について決定・伝達する能力があり、致死薬の処方を主治医に対して要請していること
・カリフォルニア
2015年9月に安楽死法が承認されました。これは1994年にオレゴン州で成立した「尊厳死法」にならったもので、PASを合法としています。
処置を受けるための主な条件は以下の通りです。
・18歳以上であること
・外部の圧力を受けず、自らの意志で安楽死を選択する能力があること
・2人の医師から余命半年以内と診断されていること
・患者に精神疾患や気分障害がないこと
その他、2人の立会人のもと、書面を作成し、医師に提出することなどが求められます。
アメリカではこのほか、ワシントン州(2009年に尊厳死法施行)、モンタナ州(2009年に判例によって自殺ほう助を合法化)、バーモント州(2013年に自殺ほう助を合法化)も安楽死を合法としています。
*
紹介した国の他にも、安楽死法の整備に前向きな国は増えています。例えばフランスでは「死ぬまで深い、継続的な鎮静状態になる権利」を認める法律を推進し、安楽死の合法化に向けた取り組みが始まっています。
一方で、安楽死法の整備は、宗教と深い関わりを持つ問題です。例えばアメリカでは、宗教的に自殺を認めないカトリック派の人々が安楽死法に反対するケースもありました。
今回紹介した安楽死を認める国と日本では、社会背景も大きく異なるため、海外の制度をそのまま導入することは難しいでしょう。日本でもリビング・ウィルの考えが浸透しつつありますが、安楽死が導入されるのはまだまだ先の話かもしれません。
(文・エピロギ編集部)
<参考>
ハフィントンポスト「『自殺ツーリズム』 安楽死を求めてスイスへ渡航する人が急増」
(http://www.huffingtonpost.jp/2014/08/22/suicide-tourism_n_5698733.html)
Japan In-depth「外国人でも70万円で安楽死ができる国~自殺ほう助合法のスイス、安楽死ツアーも~」
(http://japan-indepth.jp/?p=2045)
朝日新聞「なぜ私は自殺をほう助するのか/EXIT副代表に聞く -- 生の終わりに --」
(http://globe.asahi.com/feature/side/2014081400001.html)
Dignitas
(http://www.dignitas.ch/)
弁護士ドットコム「オランダで『安楽死専門クリニック』が話題 『日本』でも開業の日は近い?」
(https://www.bengo4.com/other/1146/1288/n_1092/)
しあわせターミナル「オランダで安楽死専門クリニック増加」
(http://shiawase-terminal.com/news/anrakushi-clinic/)
クーリエ・ジャポン「ベルギーで子供が安楽死を選べるようになった理由」
( http://courrier.jp/blog/26489/)
早稲田大学 甲斐克則「ベネルクス3国の安楽死法の比較検討」
(http://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-046030085.pdf)
ニュースフィア「カナダで医師による自殺ほう助が合法に “自殺ツアー”は許さないなど厳格な基準」
(http://newsphere.jp/world-report/20160627-1/)
カナダ通信「カナダでいよいよ『安楽死』が実施されるか?」
(http://www.pr-tocs.co.jp/canadian-review/723/)
朝日新聞「ワルド夫妻の物語/オレゴン州尊厳死法をめぐって(上) -- 生の終わりに --)
(http://globe.asahi.com/feature/side/2014081400005.html)
朝日新聞「《2》 諸外国の法制度の現状」
安楽死・尊厳死:アメリカ合衆国 euthanasia in USA
(http://www.arsvi.com/d/et-usa.htm)
上智大学 久山亜耶子 岩田太「尊厳死と自己決定権:オレゴン州尊厳死法を題材に」
(http://digital-archives.sophia.ac.jp/view/repository/00000024551)
ヘルスプレス「米国で「死ぬ権利」法案が成立 “弱者”を死に追いやる可能性も」
(http://healthpress.jp/2015/10/post-2062.html)
SYNODOS -シノドス-「安楽死や自殺ほう助が合法化された国々で起こっていること」
(http://synodos.jp/society/1070)
Stone Washer’s journal「死ぬための旅行、安楽死が合法の国。その条件と尽きない議論。生きることが辛いと死ねるのか?」
(http://stonewashersjournal.com/2014/08/29/euthanasia/)
長尾和宏『長尾和宏の死の授業』(ブックマン社、2015)
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