求む被災地を支える精神科医! 存在の岐路に立つ高野病院

~81歳の院長が支えた地域医療を守るために~

文・吉田いづみ さん(ハンガリー国立センメルワイス大学医学部)

2016年12月30日に、福島県広野町にある高野病院の院長高野英男氏(81歳)が自宅での火事で逝去されました。高野病院は福島第一原子力発電所から南にわずか22km。震災後、広野町のほぼ全ての住民が避難を行ったにも関わらず、患者とともに留まり、5年以上に渡り、周辺で唯一の入院可能な医療機関として、医療を提供し続けてきました。しかし、病院の管理者であり、唯一の常勤医だった高野院長が亡くなった現在、高野病院は存続の岐路に立っています。

 

初めに自己紹介をさせていただきますと、私の名前は吉田いづみと申します。生まれも育ちも日本ですが、高校を卒業した後にハンガリーにわたり、現地で医学を学んでいます。
今回、「高野病院を支援する会」を立ち上げた医師の方々と面識があったことがきっかけで、高野病院の危機的状況を知り一時帰国を利用し、ボランティアスタッフとして高野病院を訪れました。その際、震災から6年が経過した被災地で目にした医療の現実に大きな衝撃を受けたのです。

 

福島県広野町、双葉郡の医療の砦として

2016年の大晦日以降、連日にわたり新聞やテレビにおいてこのニュースが報道されていますが、なぜ一民間病院の存続問題が、世の中の関心をここまで集めているのでしょうか。

一つは、震災後の高野院長やスタッフの取り組みが「美談」としての要素を備えていたからです。前述の通り、震災後、避難指示が出されながらも高野病院は寝たきりの患者さん37名とともに、広野町に留まりました。震災直後に避難を行うことは状態が悪い患者さんにとって大変なストレスとなります。そのため、他地域において避難を行った重症患者さんの中には亡くなった方々も多くいました。しかし、高野病院においては、「いつも通り」の診療が続けられたことで患者さんへのストレスは最小限に抑えられ、結果的に多くの方々の命が救われました。その後も、住民や復興に関わる作業員の診療を続け、地域の復興を支えてきました。

高野病院_文中①

 

もう一つの理由は、「高野病院の存続の危機が地域に与える影響の大きさ」です。
2011年の東日本大震災における原発事故の後、双葉郡においてはほとんどの病院が避難し、閉鎖しました。その結果、現在、高野病院は福島県広野町周辺地域で唯一入院が可能な医療機関となっています (http://takano-hosp.jp/index.html)。

特に精神科は、震災後、相馬では小高赤坂病院 (南相馬、104床)、双葉では双葉病院 (大熊町、350床) が閉鎖してしまい、高野病院 (53床)が、雲雀ヶ丘病院 (南相馬、60床)とともに、相双地区の診療を支えて来ました。
もし、高野病院がなくなってしまったら、広野町の住民が医療難民になります。実際、病院には100名を超える患者さんが入院しており、中には原発事故で家族と離れ離れになり、住民票を病院に移して骨を埋める覚悟の方もいらっしゃるのです。
また、高野病院は双葉郡の救急医療の要も担っており、平成27年に受け入れた救急搬送は61件に上ります。患者さんの中には、除染などの復興作業を行っている方々もいらっしゃいます。しかし、院長が亡くなられてからは、一時的に緊急搬送の受け入れを中止していました(2月以降は受け入れを再開しています)。結果的に、いわき市や南相馬市に搬送せざるをえず、患者、家族、救急隊員の負担も増えていました。

そんな広野町のみんなから愛され、頼りにされていた高野院長。入院されている患者さんの一人は、院長のことを「優しかったよ、いい先生。(今回亡くなられたことを受けて)話にならない。涙が出る」と泣きながらおっしゃっていました。また、ある患者さんのご家族は「肉親が亡くなった時より悲しい。院長は常に患者優先の医療を提供してくれて、みんな満足の入院生活を送っている」と語ってくださいました。

 

広がる高野病院支援の輪

このような高野病院の窮状を支援するために、2016年12月31日有志の若手医師らを中心に「高野病院を支援する会」が立ち上がりました。全国から医師の支援を求めるために情報拡散を行なっている他、ボランティア医師の交通費や宿代を賄うために、クラウドファンディングを立ち上げています(https://readyfor.jp/projects/hirono-med)。

1月に関しては、以前から非常勤で高野病院に勤務されていた杏林大学やDMATの方々に加えて、合計30名程度のボランティア医師の支援によって、おおよその診療の体制は整いました。また、都内在住の医師が2〜3月末までの臨時院長を、4月以降は長野県在住の医師が院長を務めてくださることが決まっています。しかし、常勤の精神保健指定医の目処は今も立っておらず、さらなる支援を要請しています。

高野病院_文中②

 

精神科診療維持のため、常勤の精神保健指定医を

今回の事件後に高野病院を訪問しましたが、病院には多くのメディアの方々が駆けつけ、大変物々しい雰囲気に包まれていました。一方で、その中でも淡々と作業されているスタッフの方々はとても印象的でした。院長の「どんな時でもできることを淡々と」というお言葉を今も守り続けているようです。

しかし、院長の意思を引きついで頑張っていらっしゃるスタッフがいたとしても、これまで通りの精神科診療を継続するには、常勤の精神保健指定医の存在が必要です。この記事をご覧になっている方々の中に、高野病院で診療を行うことに興味をもつ方がいればと思い、現在どのような形で診療が維持されているか詳しく説明させていただきます。

業務内容

高野病院には2016年12月31日時点で102名の患者が入院していました。1月に関しては、急患を除いて新規患者の受け入れを中止しています。現在の入院患者は100人(精神科46人、療養病棟54人)です。病棟は3つあります。1階には内科病棟が、2階には内科と精神科の病棟があります。外来は1日に16名前後であり、救急搬送は2日に1件程度です。

次に精神科の仕事内容をご説明します。病棟での精神療法が患者によって週一回または二週間に一回行われます。 また、薬剤の血中濃度を測定するために月に1回採血が行われています。患者への処方は適宜行われています。外来は今までは日に2-3人です。措置入院はやっていません。医療保護入院は指定医がいればまた受ける予定です。

なお、病院にはベッド、机、洗面所付きの当直室が3部屋用意されています。白衣、聴診器、スリッパは貸し出しありとなっています。

高野病院_文中③

 

高野病院までのアクセス

高野病院は、福島県浜通り地区の広野町にある病院です。海を見下ろす高台の上で豊かな自然に囲まれて存在しており、治療に専念するにはとてもいい環境です。東日本大震災にあっては、たまたま病院が高台に位置していたことで、津波の影響を免れることができました。結果的に、広野町に避難勧告がでる中で、病院が診療を継続する礎となりました。

首都圏からだと車で約3時間。常磐道広野インターより車で6分。福島空港からはいわきまでバスが出ています(http://www.fks-ab.co.jp/access/limousine.php)。
いわきからはJR常磐線で広野駅まで、約20分。広野駅から病院までは、徒歩15分、または、タクシーで5分。電車の場合も同様です。

高野病院_文中④

 

これをお読みいただいている医師の皆様にできることは沢山あります。広野町、さらには双葉地方の住民を助けていただけないでしょうか。ご協力よろしくお願いします。
高野病院での常勤医、院長にご興味のある方、ぜひ、以下のメールアドレスにご連絡お願い致します。
takanohospital.volunteer.dr@gmail.com
また、公式HPからでも問い合わせ可能となっていますので、こちらからもご連絡お待ちしております。

※医師募集情報は記事掲載当時のものとなります

 

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吉田いづみ(よしだ・いづみ)
1994年福岡県生まれ。生後10カ月で心室中隔欠損症の手術を受け、ものごころついた頃から医師を目指す。高校を卒業後、ハンガリー国立医学大学への留学を決意し、2012年6月に単身でハンガリーへ。現在、ハンガリー国立センメルワイス大学医学部に留学中。半年間の休学を経て2017年9月より3年生に。
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