海を渡る診療船「済生丸」取材企画

【前編】国内唯一の巡回診療船「済生丸」の使命とは

瀬戸内海島嶼部の医療を支え続ける

高松港に停泊中の済生丸。

「済生丸」という診療船がある。50年以上にわたって瀬戸内海に浮かぶ島々の医療を支えてきた船である。巡回診療船は日本に一隻しか存在しないことから、聞き馴染みのない読者も多いのではないだろうか。そんな国内唯一の診療船は、どのような使命のもとに、どのような医師を乗せ、半世紀以上という長きにわたり航行を続けてきたのか――。

今回エピロギ編集部は、香川県済生会の協力を得て取材を実施。済生丸の役割や乗船する医師の働き方について話をうかがった。

前編では、香川県済生会・瀬戸内海巡回診療船船舶管理事務所の田川和人所長からお聞きした話をもとに、済生丸が果たしている瀬戸内海島嶼部での役割や、時代とともに姿を変えてきたその歴史を紹介したい。

 

海を渡る病院「済生丸」

 

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日本は主要4島(北海道、本州、四国、九州)と約6000の島々からなる島国だ。そのうち人が住む約300島の半数ほどが瀬戸内海に集まっている。その「多島美」は風光明媚な光景として知られるが、少子高齢化の影響は著しく、高齢化率は軒並み50%を超え、中には90%に達する島もある。その多くは島内に医療機関を持たない無医島である。

こうした中、「瀬戸内海島嶼部の医療に恵まれない人々が 安心して暮らせるよう 医療奉仕につとめます」という基本理念のもと、50年以上にわたって活動し続けているのが瀬戸内海巡回診療船「済生丸」だ。「国内唯一の診療船」済生丸は、岡山・広島・香川・愛媛4県の済生会病院の医師や看護師、検査技師らからなる診療班を乗せ、瀬戸内海および豊後水道に浮かぶ4県の62の島々を診療・検診のために巡回している。

 

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「高松港を母港にして40日ぐらいかけて各県をまわっています。平均すると年間2回ほど各島を訪れています」(香川県済生会・瀬戸内海巡回診療船船舶管理事務所・田川和人所長)

事業開始からの55年間で、済生丸は824,940kmを走航し、延べ58万7622人の診療・検診に当たってきた。平成28(2016)年度も出動211日(診療日数166日)、62島83港に船をつけ、延べ8,656人の診療・検診に当たっている。

 

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存廃の危機を乗り越えて~半世紀続く巡回診療

済生丸の歴史は約60年前にさかのぼる。

明治44(1911)年、明治天皇の「恵まれない人々のために施薬救療による済生の道を広めるように」との済生勅語を受けて設立された恩賜財団済生会(昭和27([1952])年から社会福祉法人。以下、済生会)は、昭和36(1961)年に創立50周年を迎えた。その記念事業として済生会では無医村・無医地区に対する巡回診療のため、山間へき地(岩手県ほか)に巡回診療車を、瀬戸内海離島地域には巡回診療船を配置することを計画した。

 

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済生丸一世号の船体。(提供:香川県済生会)

 

診療船の建造を提案したのは、当時の岡山済生会総合病院の大和人士院長だ。それ以前は岡山県の保健船「青い鳥号」などで瀬戸内海の島嶼部での医療活動を行っていた。大和院長は交通の不便により本格的な医療サービスが受けられない島民のために、レントゲン検査装置などを備えた診療船の必要性を説いたのだった。大和院長の提案を受けて診療船の建造は決まり、翌昭和37(1962)年に「済生丸」は就航した。その後、二世号(昭和49(1974)年就航)、三世号(平成元(1989)年就航)と引き継がれた。

 

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「当初から大和院長が『中規模病院の機能を持った船』をつくるという構想を持っており、二世号以降も引き継がれています」(田川所長)

一世号から三世号までの50年間で、走航距離は761,554km(地球19周)に達した。しかし、済生丸三世号の就航から約20年を迎えた平成22(2011)年、済生丸事業は転機を迎えることになった。三世号が耐用年数の上限を迎えるにあたり、運営予算の負担や本土との架橋やドクターヘリの配備など島嶼部の医療状況の変化から、事業そのものの存廃が議論されることになったのだ。

議論の結果、「事業を継続するとすれば、費用負担面も含め地元の実情に精通した4県(岡山県、広島県、香川県、愛媛県)各支部の事業、あるいはその共同の事業として実施していくことについて判断すべきである」とされ、済生会本部は済生丸事業から撤退することになった(現在、本部は1,000万円/年を負担)が、4県済生会支部では4県共同事業として事業の継続を決定した。

岡山県済生会の岩本一壽支部長らの強いイニシアチブに加え、島民に対するアンケート調査の結果も事業継続を後押しした。アンケート結果からは島民の多くが住み慣れた島暮らしを望んでいる反面、無医島であることや本土の病院で診療を受ける際の時間的・金銭的負担などに不安を抱いていることが明らかになった。また、行政が済生丸事業に期待を寄せていることもわかった。

こうして済生丸事業は4県済生会支部の共同事業として引き継がれ、平成25(2013)年には四代目にあたる済生丸が建造された。この四代目は、済生会が創立100周年の節目の年に建造が決まったことなどから、通称「済生丸100」と決められた。

 

設備機器を強化しバリアフリーに~四代目「済生丸100」

 

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済生丸100の建造に当たっては、それまでの巡回診療事業の経験をもとにさまざまな工夫が施された。まず図られたのが、新たな検査器具の導入や更新だった。X線装置は2台から3台に増やしてデジタル化されたほか、乳房用X線診断装置や生化学自動分析装置といった新たな検査装置も導入された。

 

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ここで胸部X線検査が行われる。

 

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胃部透視撮影装置

 

船内のバリアフリー化も図られた。済生丸では船のバランスを保つためにレントゲン検査室を船底部(上甲板下)に設けているが、三世号までは階段のみで昇降していた。しかし済生丸100では、4人乗りのエレベーターを設置したことで受診者がレントゲン室へ、より安全に移動できるようになった。

 

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済生丸100から設置されたエレベーター。車椅子での利用も可能。

 

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バリアフリー化されたトイレ。ベビーベッドも設置されている。

 

また、災害時に災害救助船として活動することを視野に入れ、海水から真水をつくる「清水造水装置」(3トン/1日)を新たに搭載。接岸や離岸の際、船を横方向に動かすための動力装置「バウスラスター」の推力も0.8トンから1.2トンへと向上させた。

済生丸は船長以下5名の船員が、運行・管理に当たっている。医療スタッフは診療・検診内容によって変わるが、4~12名程度。各県済生会病院の医師、薬剤師、保健師、看護師、放射線技師、臨床検査技師、理学療法士、管理栄養士、MSW(医療ソーシャルワーカー)、事務職員が必要に応じて乗り込む。愛媛県済生会が2泊3日あるいは3泊4日かけて実施する宇和海合同診療の際は、臨時要員を増やしている。

 

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重視するのは予防医学。「自分の体は自分で守る」を支援する

 

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済生丸では「基本方針」のはじめに「1.島の特性を考慮した予防医学を重視し、島民が『自分の体は自分で守る』ことを支援します」と掲げている。済生丸が予防医学を重視するのには理由がある。年間に1つの港に訪問できるのは、少ない島で1回、多くても4回程度。天候不順で出航できない日もあれば、島を目の前にして接岸できないこともある。そうした状況では対症療法的な治療はできない。そこで済生丸では当初から「治療医学から予防医学」という方針で診療・検診を行ってきた。

 

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「年1回の特定検診とがん検診は着実に行っています。また、各県支部では健康維持のためのさまざまな取り組みを行っています」(田川所長)

4県支部の共同事業として実施されている済生丸巡回診療では、各県独自の取り組みが行われている。たとえば、岡山県では「転倒防止教室」などの講習を行っている。また広島県では健康教室や栄養指導のほか、「睡眠障害について」などの講演・相談なども実施している。

「香川県の活動で特徴的なのは、豊島(※)の知的障がい者施設・社会福祉法人みくに園の健康診断です。入所者を引率して島外の病院へ行くのは大変ですが、島内の港でまでなら来やすいようです」(田川所長)
※豊島:瀬戸内海東部に位置する、香川県小豆郡土庄町に属す島。

 

「災害救助診療船」という、もうひとつの役割

 

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「海を渡る病院」として島民の健康を見守る役割のほかに、済生丸にはもうひとつの顔がある。それは災害救助診療船としての役割だ。

済生丸は災害救助診療船として、平成7(1995)年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」の際に出動している。震災発生時、巡回診療のために愛媛県で巡回診療中だった済生丸(三世号)は、急きょ予定を変更して岡山へ回航。救援物資と診療要員を乗せて神戸へ向かった。済生会の医師・看護師らがチームを組んで、41日間にわたって救援活動に従事した。そう遠くない将来に発生が予測される南海トラフ地震においても、被災地に医療班や医療物資などを届ける災害救助活動の役割を担う。

県内に四国電力伊方原子力発電所を抱える愛媛県済生会では、平成24年度から原子力防災訓練に参加。道路が分断された想定での海上避難や、放射能汚染が大きい被災者の隔離・除染、骨折などにより治療が必要な患者への応急処置といった訓練を行っている。

 

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阪神・淡路大震災の際には新岡山港で救援物資の積み込みを行った。(提供:香川県済生会)

 

後編では、済生丸に乗船して行った若林久男氏(香川県済生会病院院長)へのインタビューをお届けする。自身も乗船して診療を行う若林院長に、へき地医療の現実や済生丸での巡回診療を通して変化した医師としての姿勢、今後の取り組みなどについてうかがった。

(聞き手・田端 広英)(聞き手=田端広英 / 撮影=福田ジン / 資料提供=香川県済生会)

 

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