【第5回】白い巨塔~医療界の権力構造にメスを入れた歴史的傑作
石原 藤樹 氏(北品川藤クリニック 院長)
医療という題材は、今や映画を語るうえで欠かせないひとつのカテゴリー(ジャンル)として浸透しています。医療従事者でも納得できる設定や描写をもつ素晴らしい作品がある一方、「こんなのあり得ない」と感じてしまうような詰めの甘い作品があるのもまた事実。
シリーズ「Dr.石原藤樹の『映画に医見!』」は、医師が医師のために作品の魅力を紹介し、作品にツッコミを入れる連載企画。執筆いただくのは、自身のブログで100本を超える映画レビューを書いてきた、北品川藤クリニック院長の石原藤樹氏です。
第4回の『レナードの朝』に続き、今回は『白い巨塔』をご紹介いただきます。
現役医師だからこそ書ける、愛あるツッコミの数々をお楽しみください(皆さまからのツッコミも、「コメント欄」でお待ちしております!)。
映画『白い巨塔』の概要
今日ご紹介するのは、1966年公開の日本映画『白い巨塔』です。1963年から「サンデー毎日」誌上に連載された山崎豊子のベストセラー小説を、1965年の刊行後いち早く映画化したもので、原作と共に公開時は大きな話題となり、大学病院をたとえた「白い巨塔」は流行語にもなりました。主役は鼻持ちならないエリート青年を演じたらピカイチの田宮二郎で、周囲は東野英治郎、小沢栄太郎、滝沢修といった、当時の新劇界の大御所が固めています。脚本は鬼才・橋本忍、監督はこうした社会派人間ドラマでは抜群の冴えを見せる名匠・山本薩夫という鉄壁の布陣です。
大阪の浪速大学医学部第一外科の財前五郎助教授(田宮二郎)は、食道外科の若き権威で、言わば神の手を持つ外科医です。教室の東教授(東野英治郎)が退官を控え、当然自分が次期教授に推挙されると思っていたのですが、財前の傲慢な性格とスタンドプレーを嫌う東教授は、学究肌の対立候補を他の大学から招聘し、仁義なき教授選が始まるのです。教授選には勝利した財前ですが、1つの医療ミスとその後の対応の悪さが、彼の立場を揺るがすことになります。
見どころは圧倒的な熱量をもった人間ドラマ
男系社会の腐敗をドラマチックな娯楽作に仕立てた山崎豊子の原作を土台に、こちらもブルジョワの腐敗と権力闘争をやや誇張しつつスケールの大きなドラマに仕立てた本作。他の追随を許さない山本薩夫監督が演出したこの映画は、いずれ劣らぬ曲者揃いの登場人物(ほとんどは医者)を、当時の新劇界を代表する役者達が演じており、悪党どもの丁々発止のやり取りが、何と言っても見ものです。
主役が徹底した悪役でありながら魅力的、というのも面白いところで、歌舞伎の色悪にも似た、不幸な生い立ちから出世欲と名誉欲の権化となった若手外科医を、これ以上はないくらいの当たり役として、田宮二郎が演じています。
こうした悪の魅力と比較すると、少数登場して作品のテーマを言葉にする役割を持った善玉は、いかにもステレオタイプで弱い感じがしますが、これは昔の娯楽小説や映画のお決まりなので、割り切って見る必要があるのです。
フィクションと現実との違い
この映画は全編を通じて医学界が舞台となっており、前半は大学病院の教授選の攻防を描きながら、患者無視で権力闘争に明け暮れる医療の腐敗にメスを入れ、後半は患者の訴訟から誤診と医療過誤の問題に切り込んでいます。内容にはもちろん誇張がありますが、大学病院の抱える構造的な問題に関しては、かなりリアルに描かれていると思います。
今の大学医学部の教授選は、おそらくかなり様変わりしていると思いますが、私が医局にいた20年くらい前のことを考えると、結構事実に即していると感じる部分はありました。学内の候補を優先するのか、学外から優秀な人材を公募するべきか、などでもめることは実際にありましたし、医局員が医局の助教授を一致団結して支持し、他の候補に投票しないで欲しい、と投票権のある教授達に談判するようなことも、実際にあったこととして聞いています。学究肌の教授に限ってトラブルを嫌い、自分の後任を明確に指名しないので、それがかえってトラブルを招き、医局を二分するような騒動になる、というようなこともありました。つまり、映画は結構リアルに、当時の教授選の実態を活写している気がします。
医療訴訟の事案は、胃噴門部の早期癌を、財前がバリウム検査で診断して手術をしますが、肺転移を見落としていたために、術後に癌性胸膜炎を起こして死亡する、という流れになっています。当時はまだCTはなく、レントゲンで写った5ミリの病変を、陳旧性結核に付随するものとして、それ以上の検査をすることなく手術をしたことと、術後に後輩の主治医に任せきりにして、自分は一度も診察をしなかった、という点が落ち度として指摘をされます。善玉の内科医が、断層撮影をするようにと進言するのですが、財前は聞き入れなかったのです。
裁判で繰り広げられるディスカッションは、緻密な取材を基に当時としては最新の知見を取り入れたもので、なかなか説得力のある応酬になっていました。ただ、結果として財前が悪党であることを印象付けたいがために、「財前が無謀な手術をしなければ、患者の予後は変わっていた」という感じになっています。確かに財前の態度には医師として問題がありますが、実際には患者の病状経過は転移が先に疑われていたとしても、あまり違いはなかったように思います。
仮に同じ状況で現実に医療裁判が行われたとしても、判決は執刀医が無罪、有罪、どちらもあり得るように思います。その意味ではこれもなかなかうまく作り込んでいると感心します。
「白い巨塔」は存在するのか?
良くも悪くもこの作品以降、大学病院というものは、患者の命よりも権力闘争を重要視する伏魔殿のような場所なのだ、というイメージが、一般の方の心に刻まれるようになりました。その一方できれいごとではない医療の世界を、よりリアルに描くドラマも多く作られるようになり、医療の世界が一般に開かれたものになった、というポジティブな効果もあったように思います。
この作品においては、外科医が悪者で、切るだけ切って、後のフォローはしない、という薄情な感じで描かれ、内科医の方が患者に寄り添う善玉の扱いをされています。しかし最近の医療ドラマや小説においては、主人公は抜群の技量を持つ外科医で、悪者は事なかれの内科医、というパターンが多いように思います。これも世の流れというものなのかも知れません。
「白い巨塔」自体は幻想に過ぎないと思いますが、患者さんや一般の方が考える医療と、医師などの医療者が考える医療との間には、今でも大きな乖離があることは事実です。私達医師は、医師という存在が一般の人からどう見られているのかということにも、心を向けるべきなのかも知れません。この映画を観ることで、そうしたことを考えるきっかけにしてみるのはいかがでしょうか?
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- 石原 藤樹(いしはら・ふじき)
- 1963年東京都渋谷区生まれ。信州大学医学部医学科大学院卒業。医学博士。信州大学医学部老年内科助手を経て、心療内科、小児科を研修後、1998年より六号通り診療所所長。2015年より北品川藤クリニック院長。診療の傍ら、医療系ブログ「北品川藤クリニック院長のブログ」をほぼ毎日更新。医療相談にも幅広く対応している。大学時代は映画と演劇漬け。
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