【前編】児童虐待の実態と急速に進む法改正
井上 登生 氏(医療法人井上小児科医院 理事長)
近年報道で見かけることが多くなった「児童虐待」。児童相談所への相談件数や警察で保護した児童の数は年々増加しており、児童虐待や虐待死は深刻な社会問題となっています。これを受け、今月19日に親の体罰禁止や児童相談所の介入強化を柱とする改正児童虐待対策関連法が成立。2020年4月1日に施行されます。
児童虐待防止法6条によって、医師には虐待が疑われる児童を発見した際に児童相談所などへ通告することが義務づけられています。いざ虐待の疑われる児童が診察に訪れた際に慌てないよう、医師が児童虐待と向き合う際に必要な知識や正しい対処法について、日本子ども虐待医学会理事などを務め、児童虐待対策について広く活動されている井上登生氏に、前・中・後編の3回にわたって解説いただきます。
前編では児童虐待の推移とその実態、ここ数年で急速に変革を遂げる国の対策や法改正の動向について紹介します。
1. データに見る児童虐待の推移と実態
厚生労働省が公表している児童相談所における児童虐待相談処理件数の年次推移1)を見ると、わが国の子ども虐待は、1999年ごろより爆発的に増加して以来、上昇の一途をたどっています。
参考:厚生労働省「平成29年度児童相談所での児童虐待相談対応件数<速報値>」
これは、1997年の児童福祉法の改定や、厚生省(現厚労省)による「児童虐待等に関する児童福祉法の適切な運用について」「児童虐待に関し緊急に対応すべき事項について」などの通知が発表されたことに起因します。通知と同時に、身体的虐待など明確に分かる虐待だけでなく、一見虐待とは分かりにくい養育の怠慢や心理的虐待に代表されるマルトリートメント(maltreatment)が子どもの虐待と認知されたことも、急激な相談件数の増加の一因となりました。
この数年も相談件数が急激に増加しており、2015年には10万件を超え、2017年には13万3,778件となりました。この背景には次のようなものが挙げられます。
- ・ドメスティック・バイオレンス(DV)家庭に子どもがいた場合、DVを目撃した子どもは心理的虐待を受けていると判断されるようになったこと
- ・子どもの泣き声通告も相談の対象となったこと
ただし、この数字はあくまでも児童相談所が児童虐待事例として対応した延べ人数を報告しているだけのもので、実数とはかけ離れた数字であることを認識しておく必要があります。
他の調査資料からも子ども虐待の現状を読み解くことができます。「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」2)という調査では、子どもの死亡要因のうち児童虐待と判断されたものの事例を知ることができます。
また医療界でも現在研究が行われています。日本小児科学会の「子どもの死亡登録検証委員会」の調査3-4)で、過去に児童虐待が死亡の原因・要因でないとされた事案の中でも検証結果後に児童虐待の可能性があるものなどが見つかってきています。これは医師としては見逃せない結果であり、今後の動向に注意が必要となるでしょう。
その他の統計として、警察庁生活安全局少年課から毎年報告されている「少年非行、児童虐待及び子供の性被害の状況」があります。2018年の報告5)によると、被害児童数は1,394人で、2004年に統計を取り始めてから最多となっています。一方、虐待による死亡児童数は徐々に減少しています。
2. 児童虐待の対応は「介入」から「予防」へ
わが国の虐待対策は、子どもの命を救うために親権について争ってでも介入する「介入型対応」から、早期発見・早期支援により重篤な虐待に至る前に親子の困り事に寄り添い支援する「予防介入」の時代に入りました。これは、2004年に改正施行された児童虐待防止法(以下、平成16年改正法)で、第一条の「目的」に「予防」が付け加えられたことによります。虐待への介入というよりも、虐待と呼ばれる状態になる前に子育てがうまくいかない養育者を支援するという概念が主流となりました6)。
市区町村では、平成16年改正法により従来の「児童虐待防止市町村ネットワーク事業」が「要保護児童対策地域協議会事業(以下、要対協)」として法定化。市区町村が子ども虐待通告窓口となり大きな変貌を遂げてきました。特に、2009年4月に開始された乳児家庭全戸訪問事業(通称、こんにちは赤ちゃん事業)の市町村母子保健・児童福祉部門の導入は重要な役割を担い、妊娠期からの子ども虐待予防を含む子育て支援の根幹となっています。
3. 日本における法改正の動きと虐待事件
わが国では、第97代安倍晋三内閣における塩崎恭久厚生労働大臣が「何としてもこれ以上子どもの虐待死や不適切な養育を増やさないよう国を挙げて対策を推進する」という確固たる信念を持って対策を推進。そして社会保障審議会児童部会「新たな子ども家庭福祉のあり方に関する専門委員会」から、2016年3月10日に報告(提言)7)が出されました。
これを受け、同年5月27日に児童福祉法などの一部を改正する法律(以下、平成28年改正法)が国会において全会一致で成立しました。
この法律の重要な点は次の通りで、第一条で、子どもの権利条約の精神にのっとり、子どもが普通に生きるための権利が認められ、子どもが権利の主体となりました。このことは、「子どもの最善の利益の優先原則」8)といいます。
第二条で、保護者は、子どもを心身共に健やかに育成することについて第一義的責任を負うこととしました。子どもにとって一番大事な家庭における養育環境を安定して提供できるように、保護者を、国及び地方公共団体が支援すること、つまり、家庭養育優先の理念の規定が明確となりました。次いで、第三条の二では、家庭における養育環境の整備がままならない時は、その環境を子どもの住む市区町村をはじめとし、国及び地方公共団体が準備することとなり、支援のあり方の規定が定まりました。
この平成28年改正法を具現化するために、「新たな社会的養育の在り方に関する検討委員会」から、2017年(平成29年)8月2日に「新しい社会的養育ビジョン」が報告されました9)。このビジョンに具体的な数値目標が盛り込まれたため、賛否両論の嵐が吹き荒れることとなりました。
そのさなか、2018年(平成30年)3月に東京都目黒区で当時5歳の結愛ちゃんが虐待の結果亡くなる事件が発生しました。のちに公開された結愛ちゃんの手記が人々の心を揺さぶり続けたことで多くの民意が後押しし、同年7月6日に厚労省子ども家庭局から出された「都道府県社会的養育推進計画の策定要領」10)にも、ある程度の数値目標が盛り込まれました。
さらに同じ年の7月20日には、児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議から「児童虐待防止対策の強化に向けた緊急総合対策」11)が出されました。これにより、財政的な措置が必要なものについては、本対策の趣旨を踏まえ、引き続き地方交付税措置を含め予算編成過程において検討するとともに、制度的な対応が必要な事項についても検討し、所要の措置を講じることとなりました。
このような対策が検討されている中、2019年(平成31年)1月24日、再び、千葉県野田市で虐待を受けていることを本人が何度も告げ、児童相談所に一時保護されたにもかかわらず、虐待を繰り返す家族の元に戻された10歳女児が死亡する事件が発生しました。この事件は、経過の全容が徐々に解明されるにつれ、先に述べたような国を挙げての制度の見直しが行われているさなかに発生したことが分かり、改めて児童相談所や教育現場での対応の問題が浮き彫りになりました。このような事例を無くすため、同年2月より、閣僚会議主導で1か月以内にすべての事例を見直す調査が開始されています。
このような虐待問題をめぐるわが国の現状に対して、地方自治体がポピュレーションアプローチとして母子保健活動や子育て支援活動を展開しているだけでは不十分です。精神科医、産科医、小児科医をはじめ小児救急に携わるさまざまな分野の医師などを中心とした医療関係者が、市区町村の保健師や児童福祉担当、学校関係者などと協働していくことが重要となるでしょう。
*
中編では、医師に課せられた通告義務と、虐待を受けた子どもに見られる特徴を紹介します。
<参考文献>
1 : 注)厚生労働省「平成29年度児童相談所での児童虐待相談対応件数<速報値>」
2 : 注)厚生労働省「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」
3 : 注)CDR Japan Child Death Review「小児死亡事例に関する登録・検証システムの確立に向けた実現可能性の検証に関する研究」
4 : 注)厚生労働科学研究成果データベース「我が国におけるチャイルド・デス・レビューに関する研究(小林美智子研究代表者)」
5 : 注)警察庁生活安全局少年課「平成30年における少年非行、児童虐待及び子供の性被害の状況」
6 : 注)井上登生「周産期からの子ども虐待予防と小児科医の役割 日児誌:2013:117:570-579」
7 : 注)厚生労働省「社会保障審議会児童部会新たな子ども家庭福祉のあり方に関する専門委員会報告(提言)」
8 : 注)資生堂社会福祉事業財団「MOTHER AND CHILD WELLBEING AROUND THE WORLD世界の児童と母性201375巻子どもの最善の利益」
9 : 注)厚生労働省新たな社会的養育の在り方に関する検討会「新しい社会的養育ビジョン」
10 : 注)厚生労働省子ども家庭局「都道府県社会的養育推進計画の策定要領」
11 : 注)児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議「児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議.児童虐待防止対策の強化に向けた緊急総合対策」
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- 井上 登生 氏(いのうえ・なりお)
- 医療法人 井上小児科医院(大分県中津市) 理事長。
1983年、福岡大学医学部卒業、福岡大学医学部小児科に入局。1986年9月から英国ロンドン大学児童青年期精神医学部門に留学。福岡大学筑紫病院小児科、重症心身障害児(者)施設久山療育園などで勤務し、福岡大学医学部助手を経た後、1994年4月より井上小児科医院の院長を務める。2010~2017年まで福岡大学臨床教授(小児科学)。
著書に『子ども虐待の臨床-医学的診断と対応』(2005年)、『子どもの心の診療医になるために』(2009年)、『子ども虐待への新たなケア』(2013年)など。
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