【第12回】潜水服は蝶の夢を見る~片目の瞬きだけで綴られた奇跡の実話
石原 藤樹 氏(北品川藤クリニック 院長)
医療という題材は、今や映画を語るうえで欠かせないひとつのカテゴリー(ジャンル)として浸透しています。医療従事者でも納得できる設定や描写をもつ素晴らしい作品がある一方、「こんなのあり得ない」と感じてしまうような詰めの甘い作品があるのもまた事実。
シリーズ「Dr.石原藤樹の『映画に医見!』」は、医師が医師のために作品の魅力を紹介し、作品にツッコミを入れる連載企画。執筆いただくのは、自身のブログで100本を超える映画レビューを書いてきた、北品川藤クリニック院長の石原藤樹氏です。
第11回の『湯を沸かすほどの熱い愛』に続き、今回は『潜水服は蝶の夢を見る』をご紹介いただきます。
現役医師だからこそ書ける、愛あるツッコミの数々をお楽しみください(皆さまからのツッコミも、「コメント欄」でお待ちしております!)。
映画『潜水服は蝶の夢を見る』の概要
今日ご紹介するのは、2007年製作のフランス・アメリカ映画『潜水服は蝶の夢を見る』です。脳卒中の後遺症で左目以外の全ての体の自由を失った男性が、瞬きだけで他人に意志を伝え、自分の生活や思いを綴った『潜水服は蝶の夢を見る』というエッセイを完成させる、という実話を映画化したものです。
日本でも有名なフランスのファッション誌「ELLE」の編集長を務めていた、ジャン・ドミニク・ボビーは、43歳であった1995年に脳卒中を発症してしまいます。一命は取り留めたものの、左の瞼と眼球運動以外の全身の筋肉が麻痺し、それでいて意識は鮮明という、「閉じ込め症候群」と呼ばれる状態になります。そうした苦境に直面しながらも、左目の瞬きと眼球の動きだけで文章を綴り、1997年に自伝的エッセイを出版。同年にはフランスのテレビでドキュメンタリーが放映され、大変な評判となります。そして、彼は本の出版からほどなく、肺炎のためその生涯を終えたのです。
映画はその自伝的エッセイの記載をもとにしながら、ボビーが昏睡から目覚めた瞬間から、本が完成するまでを、詩的に、かつ繊細に表現してゆきます。映画化には非常に困難な題材ですが、感性豊かなスタッフの手によって、これまでに類例のない作品が完成しました。
言葉も喋れず、手も動かない主人公が、どのようにして本を執筆したのでしょうか? その秘密は是非映画を御覧ください。
見どころは主役の絶妙な演技と詩的で感性豊かな描写
この映画は閉じ込め症候群に陥った主人公の視点から、全ての場面が構成されています。主人公は左目以外の視界はないのですから、それを画面に映すしかない訳です。
果たしてどうすれば、それを一般の観客が観る映画として、成立させることが出来るのでしょうか?
非常に無謀な企てのように普通は思います。実際にはどうかと言うと、始まりから30分くらいまでは、確かに主人公の左目分の視界で物語が展開されます。主人公のぼんやりした視界を表現した映像が、本人のナレーションと共に延々と画面に映し出されるのです。
しかし、主人公が「自分には想像力と記憶が残されている」と自覚した時点から、通常の映画のように主人公の姿が映る場面が挿入されるようになります。つまり、主人公が想像している現実と、記憶の中の過去の風景が、一緒に映像化されているのです。
多視点の場面が交互に連携する魔術的な編集によって、観客はいつの間にか主人公の意識と一体化し、その心の世界を共有することになる訳です。
主人公を演じているのは、フランスの演技派マチュー・アマルリックで、特殊メイクも相まって、事故後の姿は極めてリアルに表現されています。それと対比されるのが、主人公の記憶の中にある、事故前のはつらつとした姿です。そのかけ離れた姿の中に、脳の血管のわずかな亀裂や途絶のために、どれだけの残酷な変化が人間にもたらされるのかが、極めて説得力を持って描かれています。
その一方でこれだけ過酷な状況にあっても、人間の心は想像力という翼を使って、充実した生を生きることが出来る、というメッセージも込められていて、その深い人間精神に対する洞察が、この作品を真の傑作にしているのだと思います。
この作品の主人公は女性遍歴も華々しいプレイボーイで、必ずしも模範的な人格ではありません。事故後の動かない体においても、献身的な、自分の子供の母親でもあるかつてのパートナーよりも、お見舞いにも来ない恋人の方に愛情を持ち、それを隠さず吐露するようなところもあります。左目しか動かないのに、その視線は女性の胸元やスカートの中を追いかけています。ただ、そうした姿を赤裸々に見せることで、この映画はきれい事ではない人間の生というものを、リアルに捉えることに成功しているのです。
映画では実際の閉じ込め症候群をリアルに表現
閉じ込め症候群は、橋梗塞などによる、完全四肢麻痺と球麻痺の合併と解釈されています。垂直眼球運動と瞬き以外の随意運動は全て障害されていますが、意識や感覚は鮮明です。これ自体はかなり特殊な病態ですが、筋萎縮性側索硬化症などにおいても、人工呼吸器を装着しているという違いはあるものの、同様の病態が起こりえます。
この映画においては、事実をもとにして、閉じ込め症候群の患者を障害のない俳優が演じているのですが、その無動の演技は極めてリアルで、目の動きも上下に限るなど、徹底した監修がされている点にも感心します。
ちなみに閉じ込め症候群には「モンテ・クリスト症候群」という別名もあり、これはデュマの『モンテ・クリスト伯』に登場する、体が不自由で目だけで意志を伝える老人が、その由来となっています。この映画では、主人公が事故前に『モンテ・クリスト伯』を女性主人公にして現代版の小説に書き換える、という企画の出版契約を交わしていて、その小説がそのまま事故後のエッセイに姿を変える、という展開になっています。
映画の後半で「モンテ・クリスト症候群」と呼ばれるゆえんとなった部分の描写を女性に朗読してもらうのですが、その時に「こんな企画を考えたのでバチが当たった」と主人公が思うのは、そうした背景があるからなのです。
「患者の身になって」を考えさせられる映画
医者は患者の身になって考える、ということを、一般の多くの人から求められる職業です。しかし、これは実際にはそう簡単なことではありません。
私は閉じ込め症候群の患者は診察したことがありませんが、四肢麻痺で発語もないような患者は訪問診療などで診察をしています。そうした患者にベッドサイドで声を掛けながら、その患者の立場になれているかと言うと、そうではないようにも思います。
この映画においても、多くの医療を扱った映画と同じように、医者は患者に寄り添うような存在としては描かれておらず、必要以上に忙しそうで、人間味は乏しく、診断や治療の決定権があるだけの存在です。主人公に寄り添い、本当の意味で頼りになるのは、理学療法士や言語療法士のチームなのです。患者にとっての医者は、理不尽な許認可権を握っている、無能で融通の利かない役人と同じような存在なのかも知れません。
この映画はそんな医者の1人である私にも、短時間にせよ体の不自由な患者と意識を一体化し、その気持ちを想像する機会を与えてくれます。その意味で全ての医療者に一度は観ていただきたい映画です。医者にとっても、想像力は患者に寄り添うために、何より重要な力ではないでしょうか?
【参考情報】
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©Pathe Renn Production, France 3 Cinema, CCRAV 2007
- 石原 藤樹(いしはら・ふじき)
- 1963年東京都渋谷区生まれ。信州大学医学部医学科大学院卒業。医学博士。信州大学医学部老年内科助手を経て、心療内科、小児科を研修後、1998年より六号通り診療所所長。2015年より北品川藤クリニック院長。診療の傍ら、医療系ブログ「北品川藤クリニック院長のブログ」をほぼ毎日更新。医療相談にも幅広く対応している。大学時代は映画と演劇漬け。
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