中途半端な救急医【前編】
学生時代から続ける山岳診療所での活動
野田 透 氏(金沢大学附属病院 集中治療医/山岳医)
金沢大学附属病院で集中治療医として勤務なさる野田医師。かつては泌尿器科医としてキャリアをスタートしましたが、進路に悩んだ結果、救急の道に挑戦した経験をお持ちです。
ER型救急医とICU型救急医、両方を経験して常に課題と向き合い、苦労や迷いの末に見つけた「目指す救急医」とは。野田医師のキャリアに影響を与えた数々の経験や今後の展望について、前中後編にわたってお届けします。
前編では学生時代から続けていらっしゃる山岳診療所でのご活動についてご紹介します。
北アルプスの山岳診療所まで行く理由
毎年夏になると、北アルプスのあちこちで、多くの山岳診療所が開設されます。そのほとんどは標高2,000mを超えたところにあり、また多くはヘリコプターを除けば交通機関を用いて行くことはできません。
その中に、「十全山岳会」が富山県・立山において運営している診療所があります。金沢大学には「立山診療班」という山岳診療所の手伝いをすることを活動内容とする医学部の部活動があり、その卒業生によって構成されているのが「十全山岳会」です。診療所の場所は立山の雷鳥沢、剣沢、そして室堂の3か所です。ただし、室堂の診療所のみ富山県立中央病院と共同での運営です。
剱沢野営管理所(剣沢診療所)と剣岳
バスなどの交通機関で行くことができるのは約2,450mの地点にある室堂までで、そこからだいたい40分歩くと雷鳥沢野営管理所、さらに2時間半歩くと剱沢野営管理所があり、それぞれ、その一角に診療室があります。
医師は無償のボランティア、診療費は無料です。医師の宿泊費は無料で、交通費や薬剤、医療資器材の費用は富山県が出してくれます。
なぜ、お金ももらえないのにわざわざそんなところに行って診療するのか、その理由は人それぞれだと思いますが、私の場合は、そこに行くのが、そして、そこにいるのが楽しいからです。何がそんなに楽しいのかは、説明するのがちょっと難しいですが。
活動の始まりは学生時代
運営は基本的にOB会が行う形で、こぢんまりとやっています。広く診療所に来てくれる医師を公募して、大々的に診療を行うということは原則として行っていません。他の多くの山岳診療所では人手が足りず、開設期間でも医師が不在となる時期はあると聞いています。我々も例外ではないのですが、ここは高い山の上で、もともと医師なんていないところ。いたらラッキーくらいで思ってください、ということで、関係各所の理解は得ています。
私が立山の診療所に最初に顔を出したのは、大学3年の時です。そのころから診療活動に燃えているような熱心な学生であったわけではありません。しかし、そこで出会った山々や、そこで出会った人たちは、私に強烈なインパクトを与えました。それを引きずって、卒業後二十数年、毎年、山岳診療所に行き続けました。ここ数年はいろいろあって行くことができていませんが。
雷鳥沢から臨む雄山
「搬送」の判断を下すことの重み
山岳診療所を訪れる患者さんは、さほど多くありません。転倒・滑落などによる怪我、高山病、そして風邪や疲労などの人が診療所を訪れます。ちょっとした体調不良が多いのですが、もちろん時々は重症患者さんと遭遇することがあり、私は心肺停止も今までに2回診療しました。診療所に隣接する派出所の山岳警備隊と一緒に、遭難救助にあたることもあります。
山岳診療所は、なかなかの判断力が要求されるところです。医療資器材は最低限で、不安だから検査を、と思っても、例えば剱沢診療所の場合は自動車が通ることができる道路までは徒歩で数時間、そこから交通機関を使用したとしても病院にたどりつくまでさらに数時間かかります。本当に重症であればヘリコプター搬送という方法もありますが、そうむやみに呼べるものでもなく、そもそもヘリコプターが飛べない夜や雨天のときは、患者さんが歩けなければ誰かが背負って、山道を何時間も歩かなければなりません。
まだ訴訟沙汰になったことはないですが、昨今、たとえ医師がボランティアであろうと山の上であろうと診療費が無料であろうと、誤診があれば容赦なく訴えられる時代でもあります。
例えば、こんな高齢女性のケースがありました。
- ・登山中に滑落して胸部打撲
- ・頻呼吸があり、左胸の呼吸音がやや弱いような気がしないでもない
- ・しかし元気にしゃべっている
- ・本人は「湿布でも貼れば良くなるんじゃないか」と言っている
- ・足もひねっていて自力で歩けないことはないがちょっと難しい
- ・日は暮れかかっている
山岳診療所の経験で最も悩んだ事例の一つです。本当に血胸や気胸があれば夜間に増悪するかもしれません。しかし、なんともなかったら、山岳警備隊は、人ひとりを背負って山道を何時間も歩くことになります。そのつらさは、わかっています。このまま様子を見ていればある程度軽快するような気もしますし、朝になれば自力で歩けるようになっているかもしれません。
結局このとき私は、富山県警山岳警備隊に搬送をお願いし、彼らと一緒に、と言っても彼らは人を背負ってですが、夜の山道を歩きました。
その人が病院まで運ばれ、「血胸があり緊急で胸腔ドレーンが留置された」ということを後日知ったときは、ほっとしました。「俺の診断は正しかった」「無駄に山岳警備隊にひどい思いをさせたわけではなかった」と。本来は患者さんの容態が大したことがなかったときにこそほっとするべきなので、不謹慎な話なのかもしれませんが……。
この出来事が救急を志すきっかけになりました、と言えれば格好良いのですが、そういうわけではありません。「気ままに山を歩きながら、遭難して困っている人がいて医学的に必要なことがあれば、自分の技術の範囲内で可能なお手伝いをする」私はずっとそのくらいのスタンスです。
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中編では、野田医師の泌尿器科でのご経験と、救急の道を選ばれたきっかけについてご紹介します。
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- 野田 透(のだ・とおる)
- 富山県生まれ。1993年、金沢大学医学部医学科卒業。2019年11月現在、金沢大学附属病院に集中治療医として勤務。もともとはER型救急医であり、それ以前は泌尿器科医でもあった。日本DMAT隊員でもあり、山岳医としての顔も持っている。
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