私の決断「18歳で医学部留学」は正解でした。

文化の違いを感じながらハンガリーで医師を目指しています

吉田 いづみ さん(ハンガリー国立センメルワイス大学医学部)

生後10カ月で心室中隔欠損症の手術を受けた吉田いづみさん。自分の命を助けてくれた医師を身近に感じ、ものごころついた頃には、医師を目指すようになっていました。紆余曲折を経て現在はハンガリー国立センメルワイス大学医学部に留学中です。遠く離れた異国で医師になるための勉強に励む吉田さんに、文化の違いや医療の考え方について伺いました。

 

将来の夢は、命を助ける「ドクター」になりたい

――生まれてすぐ、先天性心疾患の手術を受けられたということですが。

地元の小児専門病院で心室中隔欠損症の手術を受けました。生後10カ月でしたが、ふわふわの毛布にくるまれている感触や看護師さんが運んでいる食べものの匂いの記憶が残っていて、「空腹感」も覚えています。

入院している数カ月間、父母よりも命を助けてくれた医師や優しい看護師さんと一緒にいる時間のほうが長かったためか、幼い頃から「お医者さんになりたい」と言っていたそうです。幼稚園のときの将来の夢は「ドクター」でした。私を助けてくれた、一番身近な職業だったからかもしれません。

将来の夢は医師でしたが、高校時代に異文化交流で刺激的な体験をし、英語を学びたいという強烈な欲求が生まれました。きっかけは海外の姉妹都市からのお客さまの東京案内を任されたことでした。

自分の意見をはっきり言うためか、周囲から浮きがちで、「出る杭」として打たれ続けてきた私は、異文化交流で外国人特有の明るくて解放的な雰囲気に救われました。そして意思の疎通は度胸とテンションで切り抜けられるけれども、言葉の壁を乗り越えればもっとたくさんの人と知り会える、そのために英語を勉強しようと強く思うようになったのです。

 

最終締め切り3日前に申し込み、ハンガリーへ

――当初から「海外で医学を学ぶ」ことを考えられていたのですか。

いえ、高校生のときは「医学部留学」という選択肢は思いつかなくて、日本の大学に行くつもりでした。どちらに進むか悩んで、結局、医学部ではなく英語の道へ進もうと決め、理系から文転して受験勉強に励むことにしたんです。ところが、センター試験の1カ月前に体調を崩し、その年の受験をあきらめなければならなくなってしまいました。
療養中、「1年間浪人するなら再び医学部をめざそうか」「異文化の楽しい道も捨てられない」と、将来について毎日自問自答を繰り返しました。そして、「両方できる」医学部留学を考えるようになり、最終的にハンガリーの国立大学医学部留学に辿りつきました。

最初はアメリカやイギリス、オーストラリアなどの英語圏での医学部留学を考えていました。でも、学費も生活費も高く、文転した私にとって医学部合格は現実問題として難しい。ハンガリーへの留学を紹介するサイトを見つけたのは、英語で学べるなら英語圏でなくてもいいのではないかと考え始めた5月でした。「これだ!」と直感したあとは猪突猛進です。両親に頼み込み、最終締め切りの3日前に申し込んで翌月6月に出発しました。

――高校を卒業したばかりの18歳です。ご両親は心配されませんでしたか。

父は昔から海外への憧れがあったものの、それを実現できなかったためか、応援してくれました。母は心配だったようでしたが、私が一度決めたら動かないことがわかっていますし、最終的には父とともに賛成してくれました。日本の医学部よりも学費が安いとはいえ、お金のかかることですし、日本からみると心配なことも多いヨーロッパに留学させてくれた家族に感謝しています。

 

他国からの留学生に囲まれ、英語漬けの中で必死に勉強

――ハンガリーへの医学部留学について簡単に教えていただけませんか。

ハンガリー国立大学の医学部には、母国語のハンガリー語とドイツ語、英語で学ぶ3つのコースがあります。今は外国人にも奨学金制度がありますが、基本はドイツ語と英語のコースで学ぶ外国人からの外貨でハンガリーコースの学生の学費を補う仕組みになっています。そのぶんハンガリーコースは難しく、授業が一緒になることはありませんが、きちんと勉強している感じがありますし、優秀な学生が集まっていると聞いています。

私たち留学生の英語とドイツ語のコースには、日本のほかにノルウェーやスウェーデン、スペイン、ギリシャ、キプロス、イスラエル、イラン、アメリカ、カナダからの留学生もいて国際色豊かで、それぞれ国民性のようなものが感じられて興味深いです。

――年間の授業料や生活費はどれくらいですか。

私の通うセンメルワイス大学は、首都のブダペストにあるということもあり地方より高めですが、1年間の学費が170万円、家賃と食費を含めた生活費が月10万円くらいで年間300万円ほどです。地方は学費も家賃も安いので学費と生活費を合わせて年間250万円くらいと聞いています。

物価は日本の半分くらいでしょうか。洋服や観光客向けのレストランなどは安くありませんが、スーパーマーケットなどで買う食料品や日用雑貨は安いですね。最近は移民問題があったり、社会主義の名残があってあまり裕福な国ではありませんが、アメリカのような銃社会ではないし、ときどき日本で起こるような不気味な事件もなく、暮らしやすい国だと思います。

 

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クリスマスマーケットは寒い時期の楽しみ。でも、ハンガリーに来るなら公園や街中の緑が美しい夏がお勧めです。(提供=吉田いづみさん)

 

――予備コースといわれる大学受験の前のプレメディカルコースでは、どのような勉強をされるのですか。

私はプレメディカルコースの前に英語を英語で学ぶ3カ月間の研修に参加しました。プレメディカルコースでは生物と化学、物理、英語、ハンガリー語を英語で学びます。日本で医学部受験をした人や英語ができる人は授業をすぐに理解できると思いますが、私は文転していたため基本から、しかも英語で学ばなければならないため、きつい毎日でした。外国人留学生から英語ができないことをばかにされたこともあり、悔しかったですね。

頑張れたのは、負けず嫌いだったからだと思います。他の学生と同じように理解できずに置いて行かれるのが悔しくて、朝6時に起きてから授業が始まる9時まで勉強し、帰宅後も寝るまで必死で勉強しました。英語の力を伸ばすために日本からの留学生と距離を置き、勉強は外国人留学生と一緒にするように心がけるなど、自分を英語どっぷりの環境に置くようにしたりしました。
私が会話を聞き取れるようにゆっくり喋ってくれたり、私の話に真剣に耳を傾けてくれる外国人の友だちには本当に励まされましたし、助けられました。

また、毎日通っていた自習室では、勉強に対する姿勢や勉強方法をアドバイスしてくれる日本人の先輩に出会えました。つらい勉強を始めてすぐに「あんなふうになりたい」と思う人に出会えたのは、幸運だったと思います。

――翌年4月、大学に合格されました。日本の医学部受験と比較すると、難易度はどれくらいなのでしょう。

試験は日本の医学部ほど難しくはなく、プレメディカルコースできちんと勉強して予習復習をすれば合格できるレベルでしょうか。
試験には筆記と面接があり、4月、5月、6月に実施され、私は4月の受験でパスできました。面接では生物と化学のトピックの他、「なぜハンガリーへの留学を選んだのか」「なぜブダペストなのか」などについても聞かれました。私が「合格できなくても来年、再来年と挑戦し、受かったら先生に会いに来ます!」と言うと、「私は歯学部の教授だから会えないよ」なんて笑顔で返されたり。英語で授業を受けても問題ないくらいの英会話ができれば、筆記がそれほどでなくても合格できると思います。

ただ、ハンガリーの大学は「入るのは簡単で卒業は難しい」の典型です。同期の留学生は200名ほどいましたが、1年生の1学期でクラスは半分になり、現在100名くらいまで減りました。統計でいうと、1/3がストレートで卒業し、1/3が留年して卒業、残りの1/3は強制もしくは自主退学です。70%の学生が留年せずに卒業する日本の大学の医学部とは違いますね。

 

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1年生後期(2学期)の時間割。1年生は短い時間で講義が1日4~5コマ、2年生は1日2~3コマで1コマ4時間の講義もありますが、1年生のときよりも授業数は少なく、3年生になると増えると聞いています。(提供=吉田いづみさん)

 

ハンガリーには「看護師あっての医師」という考え方がある

――中途半端な姿勢では勉強についていけなくなるということでしょうか。

学期末試験と中間試験が前期・後期にそれぞれにあり、科目ごとに1~2回ある中間試験にパスしないと学期末試験を受けられず、留年になります。毎日コツコツと勉強すれば受かるようにはなっていますが、一夜漬けでは無理ですね。相当なモチベーションとやる気がないと残れないと思います。
英語研修やプレメディカルコースのときにも感じましたが、自分がしっかり勉強するグループにいたいのか、そうではないグループでいいのかを選ぶのも大事だと思いました。勉強ができる友人といたいのなら、必死で勉強しないと一緒にいられませんから。

 

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クイズを作って問題を出し合ったり、試験の傾向を話し合ったり。休学しても交代で連絡をくれて励ましてくれるクラスメイトたち。(提供=吉田いづみさん)

 

――ハンガリーの医学部カリキュラムについて教えてください。

6年教育のうち2年で基礎医学、残り4年で臨床医学を学びます。とくに臨床医学に力を入れていて、1年修了時に日本にはない看護研修があり、2年か3年修了時に移植外科の内科研修、4年で外科研修が必須となります。そして5年次までに座学をすべて終わりにし、6年次は現場研修(ローテーション)に入ります。

ハンガリーでは「看護師あっての医師」という考え方があり、研修では看護師の仕事を身をもって理解できるように、医学生は医師から指示をもらって看護師の仕事をします。場合によっては、医師と患者との板挟みの状況を学ぶこともありますね。その考え方が浸透しているのか、医師は看護師に対してていねいにコミュニケーションをとり、人間関係も和やかで良好です。
移植外科の研修では医学生が注射をしたり、カテーテルを抜いたりします。日本の医学生よりも突っ込んだ研修をさせてもらえました。

一般病院をまわる2週間に1回の研修では、ハンガリー語で問診をとったり、診療したりします。3年生までは日常会話から医療現場で使うハンガリー語が必須科目としてありますが、医学の勉強で手一杯になってハンガリー語の勉強をさぼっていたら、クラスメイトが研修中に質問している内容がわからなくて焦りました。

ハンガリー語は日本語と文法が似ているので理解はできますし、日常会話はなんとかなるのですが、問診や症状などの医学用語は難しくて。研修では医師が英訳してくれるので困ることはありませんし、学生の半数くらいは「ハンガリーで働くわけではないから」と、あまり勉強しない人もいます。でも、祖父母世代の人とハンガリー語で会話をしようとすると、とても喜んでくれるんです。せっかくハンガリーという国に暮らしているのですから、もっと喋れるようになりたいと思います。

――療養のために半年休学されました。休学は不安だったと思いますが、日本人医学生との交流も生まれました。

2016年の2年生の夏、テスト期間中に体調を崩して6月に帰国しました。休学によって一緒に勉強してきた友人と学年が変わってしまうので悩みましたが、母の出した条件が「きちんと治してハンガリーに戻るか、日本の医学部に入るか」だったので休学を選びました。幸い、帰国後しばらくして体調も戻りました。

休学中、日本にいてなんとなく時間を過ごすのはどうかと思っていたところ、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催時、外国人への英語での医療サポートを目的とした医学生ボランティアの会「チームメディックス」の勉強会があると知り、参加させてもらいました。月に1回でしたが、一つのトピックについて手順や処置を実用的な英語で学び、英語でディスカッションする有意義な勉強会でした。

――ハンガリーと日本の医大での大きな違いは何でしょう。

日本の医大生と交流させてもらって感じたのは、ハンガリーと日本との勉強量の差でした。日本にはサークルや部活動がありますが、ハンガリーには趣味でヨガをすることはあってもサークルのような集まりはありません。基本、勉強が中心の毎日です。今回帰国して初めて、あのときのハンガリー留学の決断は間違っていなかった、自分にはこれが一番よかったんだと実感でき、とても嬉しかったです。

看護研修についてはお話ししましたが、一般教養への考え方も異なることを知りました。ハンガリーの一般教養というと、医療現場で必要になるハンガリー語、解剖学のためのラテン語などで、医療物理についてもMRIやCTスキャンがどのように動くのかを理解するための授業となっています。すべての中心が医学で、医学に関連し、医学に結びつくように学ぶのがハンガリーのようです。

日本とハンガリー、どちらにもいい面とそうでない面があると思いますが、日本の医大生に質問され、答えることで自分の気持ちが整理されて再認識できたり、はっきりしたことがよかったです。
療養のために休学しましたが、私にとって有意義な時間でした。1月末にはハンガリーに戻り、2月からは選択科目の授業をとりながら9月には正式に3年生になります。

――卒業後の進路についてはどのように考えていらっしゃいますか。

私は日本人なので日本に帰って日本の医師国家試験を受けることも考えていますが、ハンガリーの国家試験に合格するとEU圏内の医師免許が得られますし、アメリカで研修医となり、医師国家試験を受けるという選択肢もあります。
EUの医師免許を持っていれば働けるインドネシアやベトナムなどは経営と診療が別立ての病院があり、日本人は日本企業が経営する病院に採用されやすいと聞いているので東南アジアにも興味があります。

科目については、女性として産婦人科、小児科医に憧れた時期もありましたが、小児科は子どもたちのつらい姿を見なければなりません。顕微鏡をのぞくのが好きなので病理もやってみたいのですが、AIに取って代わられるのではないかというような話を聞くと、将来性が気になります。
一人でできるもの、たとえば胃カメラとかカテーテルなどの手技があれば、アメリカや東南アジアでも働けるかなと考えたり。決めるには、まだまだ時間がかかりそうです。

休学中、仙台厚生病院と南相馬市立総合病院、亀田総合病院、長崎大学病院を見学させていただきましたが、ハンガリーの研修でまわっている病院とは、当然ですが雰囲気がまったく違うものでした。日本でもアメリカでも東南アジアでも、文化の違いによる違和感、価値観などは違ってくると思います。将来自分がどうしたいのかをきちんと考えながら、一生懸命勉強しようと思っています。

 

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毎日通ったプレメディカルコースの自習室からの眺め。挫けそうなときは、尊敬する先輩の後ろ姿を思いだして頑張っています。(提供=吉田いづみさん)

 

吉田いづみさんのスケジュール

(聞き手=よしもとよしこ[吉本意匠] / 撮影=加藤梓)

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シリーズ ハンガリーの医大生活~海の向こうの医学生より~

吉田 いづみ(よしだ・いづみ)
1994年福岡県生まれ。生後10カ月で心室中隔欠損症の手術を受け、ものごころついた頃から医師を目指す。高校を卒業後、ハンガリー国立医学大学への留学を決意し、2012年6月に単身でハンガリーへ。現在、ハンガリー国立センメルワイス大学医学部に留学中。半年間の休学を経て2017年9月より3年生に。
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