宇宙開発を支える医師の仕事

宇宙の時代の礎となる

三木 猛生氏(JAXA有人宇宙技術部門宇宙飛行士運用技術ユニット宇宙飛行士健康管理グループ/副グループ長 兼 健康管理責任者)

昨年末、日本人宇宙飛行士・油井亀美也氏が無事帰還し、日本の宇宙開発がまた一歩前進しました。その宇宙開発を支える医師の仕事、「フライトサージャン(FS)」を知っていますか?
FSは日本語では航空宇宙医学専門医といい、パイロットや宇宙飛行士の体調管理を行う医師を指します。日本では医師の専門分野としてまだ一般的とはいえませんが、パイロット人口の多いアメリカやヨーロッパなどでは比較的知られた存在です。
今回は、FSの中でも宇宙飛行士の医学的管理を行う、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の三木猛生先生にお話を伺いました。宇宙開発を行う組織の中で、医師はどのような役割を担っているのでしょうか。

――FSとはどのような仕事をする医師なのでしょうか。

宇宙飛行士が特定のフライトミッションにアサインされると、FSが1名専属として任命されます。宇宙飛行士がアサインされてから搭乗するまでには2年半くらいあって、その間にミッションのために特別な訓練をしなくちゃならない。過去に星出(彰彦)宇宙飛行士、古川(聡)宇宙飛行士の専任FSを担当しましたが、訓練拠点がアメリカにあったので、訓練に立ち会うために何度もアメリカに行きました。宇宙飛行士と専任のFSは信頼関係が非常に重要です。宇宙飛行士は基本的に元気なので、自分の体についてわざわざ話すことはあまりない。だからそういう場面じゃなくてもなるべくそばにいて、何か問われたらすぐに答えられる態勢をつくります。打ち上げのぎりぎりまでそばにいますし、帰還のときも迎えに行きますよ。
我々は“軌道上”といいますが、宇宙飛行士は宇宙に飛び立ってから週に1回、15分程度、地上にいるFSと「医療面接」というものを行います。日々の体調や運動の状況、睡眠の具合だとかをヒアリングして、そのとき何か問題があればアドバイスをします。軌道上で医学検査を行うので、そのフィードバックもします。ただでさえ軌道上と地上と距離を隔てているので、仲が悪かったら宇宙飛行士の方からしゃべらないですよね、自分の痛いことや恥ずかしいことなんて。だから信頼関係を築くしかないんです。
訓練の立ち会いもあります。ドクターが立ち会わなければいけない、もしくは立ち会っていた方がいいといわれる危険な訓練があるんです。たとえば、ロシアでやる冬季サバイバル訓練とか、あるいはウォーターサバイバル訓練なんかがそうですね。ロケットが帰還するとき、高度400kmという高さなので少しでも軌道がずれるとかなり位置が変わってしまうんです。あらかじめ、ヘリコプターや装甲車で落下予定地点で待機しますが、そこから400~500km近くずれると、ヘリでも2時間くらいかかってしまう。僕のときは2回とも想定どおりのカザフスタンの草原におりましたが、何かの原因で海や湖、森の中に降りてしまうかもしれません。さらに吹雪だったりするかもしれません。星出宇宙飛行士を迎えに行ったときも吹雪で、なかなか探すのが大変でした。なので、迎えに行くまでクルー同士で協力してなんとか生きていてもらうために、サバイバル訓練が必要なんです。訓練中は命にかかわる危険がないか、遠くから監視します。

 

――宇宙飛行士というと、帰還直後は抱えられてあまり動けない印象がありますが、サバイバルなんてできるんですか?

昔はそういうことが多かったですが、軌道上で運動したり他にも対策をとったりしてだいぶ改善されました。
ふらふらになる理由には諸説ありますが、有力なものに2つあって、ひとつは前庭神経系の影響。感度がいいのか弱くなっているのかはわかりませんが、酔いやすい人はいますね。もうひとつは循環血漿量の問題。軌道上だとブラッドシフト(血液移動)が起きて体液量が少なくなる。そのまま帰還してしまうと起立性低血圧のような状態になってしまうんです。これは脚を締め付けて血液をなるべく上にあげること、帰還直前に食塩のタブレットと2ℓほどの水を摂取して、循環血漿量を保つことで、だいぶ避けられるようになりました。

宇宙船の中で健康上の問題が起きたとき、クルー達である程度対処できるように地上で訓練をしていきます。そういう訓練を受ける人を「クルー・メディカル・オフィサー」といいます。医学検査をしたり、宇宙船の中にある医療キットを使って治療したりする宇宙飛行士で、必ずしも医師である必要はないんです。実際に検査や治療を行うときは、地上からアドバイスもしますしね。

 

エピロギ_三木医師差し込み①

 

――では、宇宙飛行士の担当医師ということ以外に、FSの仕事にはどのようなものがあるのでしょう?

「国際調整」というものもあるんです。国家単位だったり国際単位だったりで決める宇宙計画、プログラムというものがあるんです。そして「国際宇宙ステーション」もプログラムのうちのひとつです。このプログラムの中で、医学運用上の問題を解決する委員会があります。
たとえば、多数者間医学運用パネル(Multilateral Medical Operations Panel:MMOP)。これは国際宇宙ステーションを運用している中で、宇宙飛行士の健康にかかわる問題を解決する委員会なんです。この下にワーキンググループがあって、環境が汚れたりだとか、騒音がひどいだとか、病気やけがなどの問題だけじゃなく幅広い観点から飛行士の健康にかかわる問題の具体的な解決策を議論します。
当然、各国、各極でベースとなる医療レベルや文化の違いが存在します。NASAはこう言っている、ロシアの見解はこう、じゃあ日本はどうなの?っていうところをうまく調整する。議論になったとき、どういうデータによってその意見を出しているのか、それにも大きくかかわってくる。それぞれの国の意見が違うとき、簡単に答えは出せないんです。

 

――確かに国家間ですぐに意見はまとまらなそうですね……。

はい、「宇宙に国境はない」って皆さんいいますけど、文化の違いはありますからね、それなりに必要に応じてコンフリクトはありますよ(笑)。なので国際調整が必要なんですね。
国際宇宙ステーションのプログラムの中で、医学の分野で3つの大きな委員会があるんです。MMOPと、それからMSMB(Multilateral Space Medicine Board)、これは多数者間宇宙医学委員会。宇宙飛行士の医学認定とFSの認定をしているところです。で、MMPB(Multilateral Medical Policy Board)。これは多数者間医学方針委員会。このそれぞれにすべて医師代表で出ています。
先ほどいったワーキンググループもそれぞれ医者や専門家が出るんです。JAXAには数名しか医者がいませんので、ひとりで何役も務めています。NASAには20~30名くらいいるのでそれぞれに担当が付けられるんですけどね。そのためドイツとかフランスとか、会議のために各国に出張することもしばしばあります。

 

――頻繁な海外出張があるというのも医師の仕事としては珍しいですね。FSになる以前は外科医だったそうですが、どのようなところに違いを感じますか?

外科医というより臨床医との違いですね。医療業界と宇宙航空業界の構成がまったく違う。医療の世界であれば医師にある程度の裁量があって、その場その場で判断ができます。しかし、どこでもそうなのかもしれませんが、会議なり委員会なりを通して民主的に意志を決定する形をとります。そして意見を通していく上で、自分とまったく違うバックグラウンドの人たちに、理解してもらえるように説明する必要がある。これが非常に難しいポイントです。
たとえば、「おなかが痛い」という患者さんが来たとして。原因はわからない、簡単な検査しかできません。でも、これが効くだろうなって薬がある。一般的な医師であれば、ある程度の経験測に基づいて「この薬を3日間飲んで様子を見ましょう、治らなかったらまた来てください」っていうことができる。ところが、この業界では「3日経ったらどういう状態になりますか」「それは何%の確率ですか」「その状態は体温でいったら何度になるということですか」、そういう答えを求められるんです。
そんなきっちりとした難しい答えは基本的にはなかなかすぐには出せませんから、何度も説得しなければならない。人間は機械ではないので、思う通りにはいきません。医療の世界は不確実性の中にあります。それをどう説明するかが非常に難しいんです。

 

FSの仕事

・ 宇宙飛行士の医学基準、医学運用手順を国内・国際調整を経て設定。
・ 宇宙飛行士の日常健康管理・年次医学検査・医学審査準備。
・ 宇宙飛行士の訓練時の医学管理と緊急時対応。
・ ミッションに任命された宇宙飛行士の専任の医師として、ミッション前後の
    医学検査・健康管理の実施とミッション中の医学運用・緊急時対応。
・ 宇宙飛行士候補者の募集・選抜のうち、医学及び心理学試験。
・ 組織の計画・資金・人員等の管理(管理職候補者)。
・ JAXAが実施する研究開発の被験者等の医学管理。
・ JAXA運用要員等の健康管理。

出典:宇宙航空研究開発機構「フライトサージャンとは」

 

――以前は病気の人を診ていたと思いますが、宇宙飛行士という常時健康な人を診ることにギャップは感じませんでしたか?

病院で医療行為をして患者さんが治っていく。決して自分たちが「命を助けている」とは思いません。患者さんの治る力のお手伝いをしているだけですが、それでも本人が喜んで「ありがとう」っていってくれればやりがいはありますよね。ところが、宇宙飛行士のような体力的にも精神的にも頭脳的にも“選ばれた”人に、普段医者は必要ありません。特に健康な人からは「ありがとう」とはならない。そういうことじゃないのかな(笑)
講演などでも話しますが、FSは“とても特殊な産業医”と認識しています。もちろん産業医の学問の分野には入っていませんが。やっていることといえば、労働者の健康をいかに維持するかということですが、まず対象となる労働者が非常に特殊。特殊な場所で、特殊に選ばれた人が、特殊な“宇宙”という環境で、地上にいても特殊な訓練をしている。その労働安全衛生をみているという、産業医学分野に分類しやすい仕事だと思っています。

 

――では、FSとしてやりがいを感じるときはどのようなときでしょうか。

宇宙飛行士の専任FSをしているときは、やはり宇宙飛行士が無事に帰ってきたとき。自分も長い時間をそのミッションに費やしているわけじゃないですか。そのミッションが成功したということと、自分の宇宙飛行士が帰ってきたっていう喜びが一番のやりがいですね。
専任のFSから離れると、国際調整とかが自分の仕事の大きなところを占めるので、海外の同じ業界のドクターと知り合いになって異文化交流できるのもやりがいですね。いろんな国の考え方やノウハウが学べて、世界中に友達が増える。
それに付け加えるとしたら、JAXAでロケットサイエンスをしている人たちと会話する難しさ。それは難しさなんですけど、乗り越えると確実に“成長した”っていう感じがあります。この世界に来てよかったと思うのは実はそこなんです。たぶん僕個人は病院の中にいたらずーっと“井の中の蛙”ですよ。違うバックグラウンドの人たちに「わかってもらおう」という意識にならないんですよね、病院にいると。「わかんなかったらいいよ、俺困らないもん」っていう。今は「なんとかしてわかっていただこう」と(笑)。でも、わかり合えたときに確実に世界は広がりますよね。その人たちのことがよくわかるので。わかり合おうと努力することや世界を広げることは人生に大切なことだと思っています。

 

――宇宙医学の研究もFSの仕事のひとつと聞きましたが、これからの宇宙医学はどんな方向に進むと思いますか?

JAXA全体としてではなく、これは個人としての意見です。
宇宙医学とまとめて呼んでいますが、本来は“宇宙環境医学”だと思うんです。宇宙医学というのは、宇宙に行かなければ起こらなかったものに対応する学問だと僕は思っているんです。

どんな方向に行くかというと、人間が今後宇宙で何をしたいかなんですよね。
住みたいとか仕事をしたいとかであれば、宇宙環境医学は発達していかなければならない。火星に行くのは片道2年半。体は1カ月程度で微小重力に慣れますが、放射線被ばくと骨密度が落ちることは進みます。これに対応しながら2年半、問題は到着してから仕事ができるような体なのかということ。2年半の間に火星の環境に適応できる体にしておかなければならない。何が必要なのか、どれくらい、どういうことをしたらいいのか。放射線をどうやって防ぐのか、侵されたときにどう対処すればいいのか。そういうのを考えたりするのが宇宙環境医学なんですね。ゆくゆくは宇宙で子どもが生まれたりもするでしょう、宇宙人じゃないですけども。SFでもなんでもない、普通のことになるんです。

 

――三木先生の今後の目標や目指すものはありますか?
古川宇宙飛行士をはじめ、宇宙飛行士には医師免許を持っている人が多いように思いますが、宇宙医学を研究しているうちに宇宙そのものへの興味が沸くのでしょうか。

それは一概にはいえません、個人によるとしか。ただ、NASAの宇宙飛行士でバックグラウンドが医師だという人には、宇宙飛行士になりやすいので、まずFSになったという人もいますよ。何人かFSから宇宙飛行士になった人がいます。油井宇宙飛行士と一緒に飛んだチェル(・リングレン)も元FSですね。
ただ、僕自身は宇宙に行きたいとは思っていません。もっと多くの人が宇宙に行けるようにするのが僕の目標かな。宇宙飛行士という選ばれたスーパースターは宇宙のその先に行くときに開拓者として頑張っていただいて。彼らが開拓した地球の周りとかはもっと老若男女問わず多くの人に行っていただきたい。ある程度病気があってもいいし、もっと若くて大学生くらいでもいい。宇宙に行って何かを感じてもらうことが人類の生存圏拡大の新たな一歩だと思うんです。それが宇宙の時代で、大きな進化ではないかと。
たとえば、もともと生物は海にいたわけです。海から地上に上がって、空気がある、水がない。太陽に照らされる。そこで生物としてのひとつの進化が起こる。そのときと同じように、地球の外に出れば生物として新たな変化が起こるんです。100年後かもしれない、1万年後かもしれないけども、そういう能力はあるんですよ。そういう想像ができるということは、現実になる可能性があると僕は思う。可能性があるならそこに向かっていろいろと手をつくすべきだと思います。僕はそのための礎になれたらいい。

 

エピロギ_三木医師差し込み②

 

(文・構成/エピロギ編集部)

 

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三木猛生(みき・たけお)
北里大学医学部卒業。国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構 有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用技術ユニット 宇宙飛行士健康管理グループ/副グループ長 兼 健康管理責任者。

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