私が総合診療医を選んだ理由 [後編]

~「総合診療医」という仕事のやりがいや魅力~

谷口 恭 氏(太融寺町谷口医院院長)

近い将来に開始される新専門医制度において、サブスペシャリティ領域の土台を担う基本領域のひとつとして新たに組み込まれる「総合診療専門医」。高齢化や過疎化が深刻化する現代日本において、「地域医療の担い手」と期待される総合診療医の存在は、その重要性を日々高めています。

そのなかで、都心に暮らす若い患者を対象に総合診療を行う医師がいます。太融寺町谷口医院の院長を務める、谷口恭(たにぐち・やすし)氏。患者の日常に寄り添う総合診療医です。

まだ養成プログラムのなかった時代に総合診療医を志し、現在も自らの目指すべき総合診療医像に向かって走り続けている谷口氏。本企画では、谷口氏にご寄稿いただいたエッセイを2回に分けてご紹介します。

後編となる今回のテーマは、「『総合診療医』という仕事のやりがいや魅力」。
「究極の目標は『失業』」と語る谷口氏の思う、総合診療医の魅力とは――。

総合診療の魅力とは

私が日ごろ感じている総合診療の魅力は主に3つあります。1つめは「診断」の面白さです。患者さんには失礼かもしれませんが、診断はときに推理小説を読み解くような楽しさがあります。一見不定愁訴に見えるような症状から最終診断にたどり着けたときの達成感は格別です(実際には、そこからが大変なのですが……)。
こういった症例は、ドクターショッピングをしていることが多く、診断がつくと(それが難治性の疾患であったとしても)感謝してもらえます。

少し例を挙げれば、何軒ものクリニックを受診したが対症療法しかされておらず検査で異常がないと言われ続けていた浮腫と関節痛で、シェーグレン症候群の診断がついた症例(ただし、当然「後医は名医」になりますから前医を批判しているわけではありません。念のため)、慢性の下痢と繰り返す口唇ヘルペスからHIV感染が判った症例、長年アトピー性皮膚炎と言われていて治療を受けても改善しないという訴えからHTLV-1感染症が発覚した症例、などがあります。

総合診療の2つ目の魅力は「患者と最も近い距離にいること」です。「何か困ったことがあればすぐに相談してね」と言えるということです。患者さんとのコミュニケーションを億劫に感じる医師は総合診療医には向いていないでしょう。
ただし、コミュニケーションが上手である必要は一切ありません。苦手意識はあってもかまわないので、コミュニケーションの面白さを実感できればきっとやりがいを感じられるはずです。

 

Choosing Wiselyの実践と絶え間ない勉強

先日、当院に見学に来たある若い医師から、「先生(私のこと)は話が中心で、聴診器もあまり使わないのですね」と言われました。私があまり使わないのは聴診器だけではありません。レントゲンもまったく撮影しない日もありますし、エコーを使うのも週に何人かという程度です。血液検査も必要最小限にしています。
この理由は2つあります。1つは、多くの疾患は問診だけで診断がつくということ。もうひとつは、患者負担の費用を最小限にすることが(これは総合診療医のみならず)医師の役割だと考えているからです。いわゆるChoosing Wiselyは日々実践しているつもりです。

総合診療の3つ目の魅力は「絶え間ない勉強を続けるモチベーション」が得られることです。当院のポリシーは「どんな人のどんな悩みも聞きます」であり、実際患者さんはいろんな相談をされます。前回述べた「左膝崩れ」の症例もそうですし、総合診療をおこなっていると「診断はつかないけれど困っている患者」があまりにも多いことを実感します。しかし、そこで匙を投げるようなことがあってはなりません。
論文の検索、専門医への相談などは日常茶飯事で、いつも答えがでるとは限らず大変なのですが、これほど知的好奇心を満たしてくれることもありません。しかも広範囲の勉強ができるのです。勉強を続けなければならないのはすべての医師に共通していることですが、様々な分野の勉強に対するモチベーションが日ごろの診療を通して得ることができるのは総合診療の魅力だと思います。

 

谷口先生_文中画像2

保健師を前に性教育に関する講演を実施。診察と大学での仕事以外に、学校やさまざまな団体からこうした講演を依頼されることも多い。

 

総合診療の欠点とは

総合診療の欠点についても述べておきます。まず、病院で総合診療医になると、先に述べたように「困ったことがあれば何でもいつでも相談してね」とは言えません。つまり患者さんと最も近づいた医師にはなれないのです。
ただ、病院であれば診療所よりもひとりあたりに診察時間をかけることができるでしょうし、大きな病院であれば様々な検査ができます。先ほど「患者負担の費用を最小限にすべき」と言いましたが、診断がつかず必要と思われる検査はおこなうべきであり、病院であれば診療所よりも簡単におこなえます。また入院患者を診察できるのも長所でしょう。

開業し自分自身のクリニックをもてば患者に最も近い立場の医師になれます。そして、やろうと思えば24時間365日の対応も可能です。しかし、これを自分ひとりでできるか、となるとまず不可能です。私は診療所を設立した当初は診療所内で寝泊まりし、24時間電話を取っていましたがすぐに断念しました。ウェブサイトをみて電話をかけてくる人がとても多いのです。しかも全国からです。これでは「深夜の悩み相談室」です。
クリニックの代表の電話の音を消して取らないようにして、当院にかかっている人の何人かだけに携帯電話の番号を教えたこともあります。すると、「先生、これから熱がでてきそうな気がするんです(今は平熱)」とか「くびにしこりが触れる気がするんですけど、これってリンパ節ですか?」といった、「何で夜中に電話してくるの!?」と叫びたくなるような電話が相次ぎ、これは無理だと断念しました。

 

収入は厳しい……

収入の面についても述べておきます。私のような診療の仕方では収支がギリギリになります。1日70名前後の患者を見ていますからすでに飽和状態であり、これ以上患者数を増やすことはできません。実際「2時間待ちです」と言われて受付をせずに帰っていく患者も少なくありません。開業1年目の終り頃からすでに患者数がこれくらいであり、これ以上は時間的に診察不可能です。
1日に100人あるいは200人の診察をする開業医の先生もおられると聞きますが、問診を重視し、不定愁訴や精神疾患も多い総合診療の現場では1日70人くらいが限界です。

一方、ひとりあたりの単価はかなり低いです。先に述べたように、総合診療の基本は問診重視で検査は必要最低限。薬の処方を最少とし、生活指導に力を入れますから自然に保険点数は下がるのです。
開業して間もない頃は、自分の自信のなさからレントゲンや採血をすることがありましたが、最近は自信をもって「検査は不要です」という機会が多く、実際、当院の法人税納入額は年々減ってきています。

実は最近税務署から当院税理士に対し「照会」がありました。当院の納税額が年々減少しているのは不正(脱税)があるのではないかと疑われたのです。しかし、もちろんそんなことはあるはずがなく、税理士からの質問に対し「患者の費用を最小限に努めるのが我々の使命です!」と突っぱねました。すると、税務署から当院担当の会計事務所に「(当院の)納税には何ら問題はない」と書かれた通知が届きました。
税務署がこのような判断をすることはめったにないらしく、これを受けて会計事務所からは立派な額縁に入った「表敬状」をいただきました。「当たり前のことをしているだけなのに……」という気持ちになりましたが、悪い気はしません。ただ、従業員は賞与が減るかもしれない、と不安な気持ちになっているかもしれませんが……。

 

究極の目標は「失業」

私は医師の究極の目標は「失業」だと思っています。患者に対し、疾患に対する正しい知識を習得してもらい、予防に努め、セルフ・メディケーションを実践してもらい、受診は最小限にし、医師はChoosing Wiselyを実践する、とういのが総合診療の原則であり、これを突き進めていくと医師の役割が激減するからです。実際、私は自分の患者に「年に一度だけインフルエンザワクチン目的で受診するのが理想」と伝えています。

これを読まれている方が、もしも私の考えに同意されるなら、つまり、患者の負担を最小限にすることにやりがいを感じ、患者とのコミュニケーションを楽しめて、日々の勉強が大好きなら、きっと総合診療医が向いているはずです。

※ 前編:「私が総合診療医を選んだ理由~なぜ『総合診療医』を選んだのか~」

 

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※関連記事の肩書きは取材当時のものになります

 

谷口 恭(たにぐち・やすし)
1991年関西学院大学社会学部を卒業。4年間商社で勤務した後、大阪市立大学医学部に入学。研修医終了後にタイのエイズ施設で医療ボランティアに従事し、同施設で働く世界中のボランティア医(総合診療医)に影響を受ける。帰国後は大阪市立大学医学部総合診療センターに所属し、現在も非常勤講師として籍を置く。2007年大阪府大阪市北区に太融寺町谷口医院を開院。日本プライマリ・ケア連合学会指導医、日本医師会認定産業医、労働衛生コンサルタント、タイのエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。主な著書に『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』(文芸社)、『偏差値40からの医学部再受験』(エール出版社)、『医学部六年間の真実』(エール出版社)などがある。
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