弁護士が教える医師のためのトラブル回避術

第15回 「残業時間の上限100時間」と医師の働き方&残業時間の行方

一億総活躍社会実現に向けて設置された「働き方改革実現会議」において、今年3月に政府、経営者、労働者、有識者らの合意のもと、「働き改革実行計画」が決定されました。テレビなどでも大きく報道され、特に労働時間に関する内容も盛り込まれていたため、世間の注目を集めました。
実行計画では、働き方に関する様々な内容が盛り込まれているのですが、今回は特に労働時間に関する内容部分について、医師である皆様に関係する点を説明したいと思います。

 

1.「働き方改革実現会議」で決定された実行計画の内容とは?

 世間では、時間外労働の上限が100時間になった、というようなインパクトのある内容が独り歩きし、過労死の問題とも相まって、議論を巻き起こしていますが、労働者の健康確保とワークライフバランスにも重点を置き、あくまで働き過ぎを抑制していこうという方向で実行計画はまとめられています。
 内容を要約すると、以下のような内容となっています。

【原則】

  1. 1  労働基準法の改正を行い、時間外労働時間の限度を、原則として、月45時間、年360時間として、特例を除き罰則を課すこと
  2. 2  特例として36協定で定めることができる臨時的な特別事情による時間外労働の限度時間の延長について、年720時間以内とすること
  3. 3  ②の特例についてさらに下記の条件を課すこと
    ⅰ 特例を適用できる月は年間6ヵ月まで(年6回延長可)
    ⅱ 単月では時間外労働時間を100時間未満としなければならない
    ⅲ 2ヵ月、3ヵ月、4ヶ月、5ヵ月、6ヵ月のいずれの平均でも月80時間以内としなければならない

参照)2017年6月5日開催 厚生労働省 労働政策審議会 (労働条件分科会)「時間外労働の上限規制等について」資料『時間外労働の上限規制等について(報告案)』

 前提として、労働基準法上、使用者が労働者に対して残業を課すためには「36協定(サブロク協定)」と呼ばれる労使の協定が必要とされています。現行法上、この36協定で定められる残業時間の上限には罰金等の罰則は課されておらず、実際には守られていないということが良くあります。そこで、上記①のように、罰則を課して実効性を担保しようということになりました。
 次に、企業において緊急の対応などを要する場合に36協定で定めた残業時間を超えて労働させなければならない事態もあり得るところ、36協定で特別な事情を定めることで当初定めた残業時間を延長してさらに残業させることができるようになっています。しかも、現行法上では延長させる上限の定めがないため、36協定で特別な事情が定められていると、実質的に何時間でも残業を命じることができてしまう状況でした。そこで、この特例による延長時間についても上限を定めようということで、上記②、③のような案が取りまとめられています。
 なお、上記実行計画の内容については、まだ法改正はなされていません。政府は、今国会に、上記内容を盛り込んだ法改正案を提出する予定で、2019年頃の改正法施行を目指しているようです。

 

2.改正法が施行されるとどうなるのか?

 改正法が施行されると、一部の業界(医師や自動車運転業など。詳しくは下記表参照のこと)以外は原則として規制内容が及ぶことになります。そうしますと、企業としては罰則を課される恐れがありますので、これまで以上に労働時間管理に関し慎重な対応をするようになると思います。例えば、より正確な出退勤時間が管理できるようなシステムを導入する、残業をさせないよう一定の時間以降は退勤を強制するなどです。
 また、すでにご存じの方もおられると思いますが、厚生労働省が、一定の条件のもと、36協定違反などの労働基準関係法令違反を犯した企業について、企業名の公表を行うようになりました。このような行政側の実務対応も相まって、企業としては長時間労働の削減にも対策を講じるようになるのではないかと思われます。
 そうなれば、労働者としては、長時間労働が抑制され、今よりもワークライフバランスを保った働き方ができるようになるのだろうと思います。
 もっとも、現実問題として、仕事量が変わらないことを前提とすると、各企業の労働者数を増やすことなく労働時間のみを減らすということは難しいと思われるため、各企業が人員の増加などを図らない限り、どこまで改正法の効果が出るかは不明瞭な状況かと思います。

【特殊な取扱いとなる業界】 *現行制度上でも特殊取扱いされている業種
自動車の運転業務/建設事業/新技術・新商品等の研究開発の業務/医師/厚生労働省労働基準局長が指定する業務

※医師:

  • ・時間外労働規制の対象とするが、医師法第19条第1項に基づく応召義務などの特殊性を有することから、改正法施行期日の5年後を目途に規制を適用する。
  • ・医療界との検討の場を設け、2年後を目途に規制の具体的な在り方、労働時間の短縮策
    等について検討する。

参照)2017年6月5日開催 厚生労働省 労働政策審議会 (労働条件分科会)「時間外労働の上限規制等について」資料『時間外労働の上限規制等について(報告案)』

 

3.医師の働き方への影響は?

 では、医師の皆様に影響があるのかという点ですが、仮に法改正がなされ施行されてもしばらくは医師への適用は猶予される予定であるため、すぐに影響が出るということはなさそうです。
 実行計画では、医師については、上記1で述べた内容に労働基準法が改正され、その改正法が施行されても、施行期日の5年後を目途に規制を適用することとされています。
 また、今後、医療界の参加の下で法規制に関する検討を行い、質の高い新たな医療と医療現場の新たな働き方の実現を目指し、実行計画決定(平成29年3月28日)から2年後を目途に規制の具体的な在り方、労働時間の短縮策などを検討していくとしています。 このように医師について慎重な対応となっているのは、医師には応召義務が課されているということ、残業時間の一律の上限規制により現場に混乱をきたす可能性があることなどが大きな理由と考えられます。医師会などは、そもそも医師を「労働者」とすべきなのか、つまり時間外労働規制下に置くべきなのかというところから疑問を呈しているようですが、上記1の改正法適用の特殊な取扱い部分で記載したとおり、政府としては猶予を設けるとしても医師にも時間外労働規制を適用するという前提で動いております。
 これに対し医師会も、質の高い医療提供体制の維持と医師自身の健康確保を両立するような制度を検討することを目的として、「医師の働き方検討委員会(プロジェクト)」を設置し、時間外労働時間規制を仮に導入する場合、応召義務のある医師にどのような方式が考えられるのかなど具体的に検討していくようです。
 医師の労働時間については国民の生命や医療全体の発展等に密接にかかわるため,十分な検討時間を要するでしょうし、様々な争点も生じるでしょうから、医師である皆様にどのような影響が出るのか、まだまだ不透明としかいえない状況と言えるでしょう。

 

4.今後の行方は?

 すでに説明したとおり、法改正はまだ行われておらず、改正法の施行もまだ先のことになります。また、実行計画では、改正法施行後、5年を経過した後の適当な時期に、改正法の規定の実施状況を検討し、見直しを行うことにもなっているため、改正後も修正が加わる可能性があります。
 そして、なんといっても医師については日本医師会からの要望も多数提出されることが予想され、今後大きな議論になるでしょう。
 確かに、国民の生命にかかわる業務を行う医師に対して、改正法の内容のように、一律に上限規制を課すことは、国民の生命への危険をも引き起こしかねず、適切ではないかもしれません。
 しかし、医師についても労働者として原則法規制を及ぼすという基本的な考えは変わることはないと思いますので、どのような内容になるかは不明ですが、何かしらの労働時間規制が医師にも及ぶことになるだろうと思います。

 今回の働き方改革実行計画の内容は、同一労働同一賃金に関する議論も含まれており、労働分野において非常にインパクトのある内容ばかりです。特に、上記の③-ⅱとⅲに記載されている延長時間の上限(100時間と80時間)については、いわゆる過労死ラインとされてきた時間を参考にされていると思いますが、過労死ラインぎりぎりまでは残業を命じても許容されるという安易な発想が生まれ、過労死に関する今後の司法判断にも影響を及ぼすのではないかともいわれており、司法実務への影響も懸念されているところです。

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、今年の5月末に、研修医の方が長時間労働によるうつ病を原因として自殺したとして、このことが労働災害であると認定されました。報道されているご遺族の調べによると、この研修医の方は時間外労働が4か月連続で200時間を超え、最も多い月は251時間であったとのことです。病院側は、研修医の方の自己申告をもとに時間外労働時間は1か月平均45時間であったとしていたようです。
 病院側の対応が報道通りであれば、時間外労働の上限違反について罰則の無い現行法や使用者による自主規制(時間外労働時間の把握を労働者の自己申告に委ねるなど)では今後も今回のような悲劇を食い止めることはできません。各種業界の混乱を回避する必要はありますが、労働者の健康確保のために法規制の強化は必至なのです。

 最後に、今一度確認しておきたい点としては、「働き改革実行計画」は経済活動の維持を図りつつ、労働者の健康やワークライフバランス等を改善させるための議論です。政府発表の同計画の報告案をみても、労働者の健康確保のためという記載が多数みられ、労働者の労働環境の改善のための議論であることが分かります。これを受けてか、前述のとおり、日本医師会も「医師の働き方検討委員会(プロジェクト)」を設立し、医師の健康確保にも注力する方向に向かっています。
 改正法の動向を含めて見守っていき、また機会があれば皆様に状況説明ができればと考えています。

 

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船越 雄一(ふなこし・ゆういち)

弁護士・ 弁護士法人戸田総合法律事務所所属。
インターネット法と労務管理の案件を多く取り扱い、高度な専門性を有する。著書に 「『ブラック企業』と呼ばせない!労務管理・風評対策Q&A」(共著 中央経済社)、 「最新 プロバイダ責任制限法判例集」(共著 LABO)、「インターネットと知的財産権の問題」(埼玉弁護士会会報)。

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