海をわたる診療船「済生丸」取材企画

【後編】知ってほしい、より広い医療の世界を

へき地医療の先進地域で、日本医療の将来を見据える

若林 久男 氏(香川県済生会病院 院長)

「済生丸」という診療船がある。50年以上にわたって瀬戸内海に浮かぶ島々の医療を支えてきた船である。巡回診療船は日本に一隻しか存在しないことから、聞き馴染みのない読者も多いのではないだろうか。そんな国内唯一の診療船は、どのような使命のもとに、どのような医師を乗せ、半世紀以上という長きにわたり航行を続けてきたのか――。

今回エピロギ編集部は、香川県済生会の協力を得て取材を実施。済生丸の役割や乗船する医師の働き方について話をうかがった。

前編では、香川県済生会・瀬戸内海巡回診療船船舶管理事務所の田川和人所長からお聞きした話をもとに、済生丸が果たしている瀬戸内海島嶼部での役割や、時代とともに姿を変えてきたその歴史を紹介した。

後編では、香川県済生会病院の若林久男院長へのインタビューをお届けする。済生丸で働くことの魅力やへき地医療の現実、島々への巡回診療を経験したからこそ変化した医師としての意識、さらに済生丸事業の展望などについてお話しいただいた。

 

済生丸との出会い

 

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済生丸内の診察室にて。

 

済生丸事業に携わるようになって10年になります。きっかけは、2008年に香川大学医学部付属病院から香川県済生会病院に副院長として赴任したことです。私は岡山県に生まれ、愛媛大学医学部を卒業し、以来、医師としてほとんどの期間を四国で過ごしてきましたが、実を言うと当院に赴任するまで、済生丸事業についてはよく知りませんでした。もちろん「日本唯一の診療船」ということでその存在は知っていましたが、「そういう活動もあるんだなあ」という程度の認識でした。

当院に赴任する前の私は、消化器外科医として移植を中心とした先端手術や学術的研究に没頭していました。もちろん医療の世界にいれば、地域医療やへき地医療の問題について何かで読んだり、聞いたりすることはありました。ただ医師としては、地域医療やへき地医療とは無縁のところで過ごしてきたわけです。

 

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医師を志したのは高校生のときのことです。何か崇高な理想に燃えてというわけではありません。私の大学受験当時はいわゆる「受験戦争」の時代でしたから、成績が上位の者はなんとなく医学部へ進学するという風潮がありました。実家も医業ではなかったですから医師の世界についてよく知らないまま、漠然と「世の中のため、人のためになる仕事」というイメージを抱いて医学部を選んだ感じでした。

医学部卒業後は、愛媛大学付属病院の内科で研修を終え、それから当時できたばかりの香川医科大学(現在の香川大学医学部)の外科に移りました。その後、いくつかの病院勤務を経て、ECFMCの試験に合格し1989年から2年間、移植外科のクリニカルフェローとして米国メディカル・カレッジ・オブ・バージニアに臨床留学しました。現地では腎移植、肝移植を経験し、その後、大学の医局に戻って、2008年に当院に赴任しました。

済生会に来てからも消化器外科医として手術をしたり、若手の指導をしたりしながら、一方で副院長・外科主任という立場上、済生会がその設立理念である「恵まれない人々のために施薬救療による済生の道を広める」に基づいて取り組んできた済生丸事業に関わるようになったわけです。

 

巡回診療で知った離島の現実

 

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香川県済生会病院に移って済生丸事業に関わるようになり、医師としての仕事もずいぶん変わりました。

済生丸の巡回診療には2008年に赴任してすぐに携わり始めましたが、正直に言うと、当初は少し斜に構えていたところがありました。瀬戸内海の島嶼部は「離島」といっても、香川や岡山の本土は目と鼻の先です。便数は少ないけれど船便もあるので、本土に行こうと思えばすぐに行ける。確かに診療所がある島の数は限られていますが、現在の瀬戸内海に本来的な意味での「へき地」が存在するのかという疑問もあり、済生丸事業の意義がどれくらいあるのかと考えるところがありました。

しかし、実際に済生丸に乗って島々を巡るようになると、それまで考えたこともなかったような離島の生活の現実というものが見えてきました。ある島で、高齢の島民の方に「病気になって病院に通わなければならなくなったり、入院しなければならなくなったりしたら、どうなさるんですか?」と何気なく尋ねたところ、「丸亀市に住むんです」という答えが返ってきたのです。ちょっと意表をつかれたというか、「ああ、そうか。病気になると島には住み続けられないのか」と。たとえ船便があって片道数十分で行けたとしても、島民の方にとって本土の病院は遠いんですね。

 

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済生丸に乗船する島民を迎える若林院長。

 

そうした島の生活の現実を知る中で、済生丸の検診事業の意義を実感する経験もありました。今日も受診者の方が話してくださいましたが、昨年、済生丸で胃のレントゲン検査を受けたときに異常があると言われ、丸亀市の労災病院に行ったところ胃がんと診断され、内視鏡手術で切除して1週間ほど入院して帰ってきたというんです。こういう話は少なくなく、以前にも済生丸で乳がん検診を受けて要精密とされたので本土の大きな病院で再検査したところ、やはり乳がんで手術してきたという話を聞きました。

そのような経験を積み重ねる中で、自分たちがやっている巡回検診の意味合いが少しずつ実感できるようになりました。やりがいを感じますし、自分たちの仕事に誇りが持てます。

 

日帰りで船旅~済生丸巡回診療のある1日

済生丸巡回診療の出動のある日は、朝7時半から8時ごろ病院にスタッフが集合し、済生丸が係留されている高松港までタクシーで向かいます。スタッフは医師1名のほか、看護師や検査技師、事務職員など必要に応じてチームを組んで乗船します。医師は私を含めて5名程度でローテーションを組んで乗船しています。本当はもっと多くの先生方に乗ってもらいたいのですが、当院は病院全体で医師が29名しかいないため、なかなかそうもいきません。済生丸に乗りたいけれど外来や手術があって乗れないという先生も多くいます。

出航したら船内でその日の診療・検診の準備を済ませ、あとは目的地までのんびり船旅です。瀬戸内海は海が荒れる日が比較的少なく、天気が良い日にはデッキに出て海風に当たりながら読書をしたり論文を読んだりして過ごすことが多いですね。

 

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巡回診療先の島の港に着いたら、受診者が三々五々集まってきます。香川県では主に特定健診と胃・肺・乳がんの検診を行っています。済生丸事業は岡山、香川、愛媛、広島の四県済生会支部の共同事業のため、岡山県の離島に行くときは岡山のスタッフが、香川県の離島に行くときは香川のスタッフが乗り込むことになります。ですから県によって巡回診療の内容にも違いがあります。

たとえば、岡山済生会総合病院は大きな病院なので、いろいろな診療科の専門スタッフがいます。そのため、岡山県の済生丸巡回診療では、眼科の検診をやったり、リハビリスタッフが同行して寝たきり予防の体操教室を実施したり、栄養士さんが同行して栄養指導をやったりもしています。香川県でもいろいろなことができればいいのですが、香川県済生会病院は規模も小さくスタッフにも限りがあるので、検診だけというのが現状です。受診者で目につくのはやはり高血圧、糖尿病、高脂血症といった生活習慣病の方ですね。

 

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取材日は検診のみで診療はなかったが、若林院長は島民の話に耳を傾けていた。

 

午前中2時間ほどの検診を終えたら昼過ぎに出航し、昼食をとりながら高松港に戻ります。以前は船内のキッチンで船員さんが昼食をつくってくださいました。これがなかなかおいしかったのですが、現在は各自お弁当を持参となっています。寄港したら病院に戻り、それぞれの病院での仕事に従事します。私の場合は会議やデスクワークなど、院長仕事が待っています。

ほとんどの島は日帰りができますので、おおむねこのようなスケジュールです。ただし、伊吹島(※)などの遠方の島の場合は日帰りができないので、1泊2日の検診を行っています。午後に港について検診を行い、島の旅館に1泊して、翌日午前中に検診して帰ってくるスケジュールです。いりこ漁の拠点でもある伊吹島周辺の海はとても魚影が濃く、港に停泊していても水面下に大きな鯛が見えるぐらいです。だから釣り好きの職員は競って行きたがりますね。釣り竿と銛を抱えて乗り込む先生とか、ギターを持って行って夜の港で、大声で歌う女医さんもいました。旅館での食事は新鮮な魚づくしですし、島嶼部の巡回診療ならではの楽しみもあります。
※伊吹島:香川県観音寺市に属す、香川県の西端に位置する有人島。

 

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香川県済生会病院の1階中央エレベーター前には済生丸(三世号)のタイル画が飾られている。

 

生活の場に出向く、「海の診療船」

病院での診療と済生丸での診療・検診に大きな違いはありません。船に積んでいる医療機器は限られていますから、病院とまったく同じというわけにはいきませんが、一次検診をやるうえでは問題ありません。よく「船の上で手術をすることはないのですか?」と聞かれることがありますが、済生丸では治療はやりません。もちろん手術をやるようなことはないですね。

病院と違う点を挙げるとすると、診療をしていて疑問に感じたことを、すぐに専門の先生に聞くことができないことでしょうか。ただ、診療所の先生方はおひとりでやられているわけですから、陸だから船の上だからという違いでもありません。

 

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我々がやっているような一次検診であれば、特に専門的なスキルは必要ありません。医師としての一般的な素養があれば十分です。私自身も専門は消化器外科ですが、血圧を測って高血圧かどうかを判断したり、心電図を見る、心臓の音を聴くなどして異常を判断したり、お腹を触って体調をうかがうことはできます。それ以上の専門的な診断や治療をやるわけではありませんので、当院の医師にも専門は関係なく済生丸に乗っていただきたいとお願いしていますが、さきほど言ったような事情から、なかなか実現は難しいところがあります。

巡回診療には地域の皆さんと交流し、実際に触れ合っていく楽しさもありますが、これは、診療所の先生方も感じておられることでしょう。医師として患者さんと向き合うという意味では、大病院の先生方も変わらないと思います。

 

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ただ、ひとつ巡回診療のやりがいを挙げるとしたら、患者さんの「生活の場」に出ていくということがあります。患者さんに病院へ足を運んでいただくというのも医療のひとつのあり方ですが、患者さんの生活の場にこちらから出て行って、生活に近いところで患者さんと接することができるのは済生丸事業のいいところだと思います。

特に最近の病院では在院日数が短くなっています。患者さんが紹介されて病院に来る。手術日が決まって、手術の前日あるいは当日に入院して、すぐ手術。術後はまだ傷跡も生々しいうちに1週間、10日で退院していく。大学病院や中核病院の機能を考えたら仕方のないことなのですが、手術にはその前があって、その後ろもある。私自身もそうでしたが、済生丸事業に関わるようになり、患者さんの生活に近い場にお邪魔するようになって、医師としての視野が広がってきたように感じています。

 

進む高齢化と、事業としての済生丸のこれから

 

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済生丸に乗るようになって10年ほど経ちました。その間、瀬戸内海の島嶼部の様子もどんどん変わってきました。

超高齢化社会を迎える「2025年問題」が指摘されていますが、へき地ははるかにその先をいっています。島嶼部の人口はどんどん減少し、高齢化が進んでいます。島に行っても去年まで検診に来ていたお年寄りが、足が悪くなって今年はもう港に来られないという話もよく聞きます。また、老朽化した港の整備もままならず、船を着けられるかどうかが怪しくなっている島もあります。

現実的な話をすれば、事業を継続する費用の問題もあります。済生丸事業は1962年に済生会の本部事業としてスタートしましたが、2011年には済生会本部が撤退しました。ただし、これまで済生丸をやってきた現場は今後も継続すべきだという声が強く、岡山県済生会の岩本一壽支部長らの働きかけもあって、4県支部共同事業として継続されています。

そうした経緯から、現在、済生丸事業は国と県からの補助金、本部負担金1000万円、各県支部が出し合う600万円ほどの予算で運営されています。スタッフの人件費も考えたら、それでも足りません。国や県の補助金は実績報告に基づいて決められるため、診療日数を減らすわけにはいきませんが、現実には受診者は少なくなっています。

日本全国の病院が経営的に厳しくなっている中で、自腹を切って済生丸事業を継続していく意義がどこまであるのか。単純に費用対効果だけで考えたら、人口が減っている島に行く意義があるのかという話になりますが、済生会の使命としてそれはできないというジレンマがあります。継続するにしても今まで通りの形でやっていればいいのかという迷いは、現場に出ていて常に感じています。

 

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済生丸に乗船する島民の方。

 

診療・検診ではなく、むしろ本当のニーズは介護にあるのではないのか。受診者が港まで来られないなら、こちらから迎えに行くということを考えるべきではないのか。島内の診療所の先生方との連携ももっと必要かもしれない。地域の医療機関との連携という面では、以前から大学病院や県立中央病院などの先生方に済生丸に乗ってもらうという話がありました。しかし、それぞれの病院にも事情があり、なかなか実現できていませんでした。

そこで、診療所のある島では、そこの先生方に停泊中の済生丸を利用してもらおうという働きかけを今年から始めています。いずれにしても、改めて済生丸事業のあり方を考えるべき時期に差しかかっていることは間違いありません。

 

へき地医療の先進地域から、全国へ情報発信を

こうした背景から、当院は2017年から香川大学瀬戸内圏研究センターとの取り組みを始めました。瀬戸内圏研究センターは、瀬戸内圏地域が抱えるさまざまな課題を調査・研究し、行政などに政策提言していくことを目的とした香川大学の研究機関です。

瀬戸内圏研究センターにお願いしているのは、瀬戸内圏全体の人口動態や経済状況などの中における医療・福祉のあり方を、大学の研究機関として提言していただくこと。その提言をもとにして、瀬戸内圏の中で済生丸が本当に担うべき事業はどんなことなのか、済生丸が必要とされるにはどうしたらいいのか、ということを改めて考えてみたいと思っています。

実は、済生丸事業に関わる4県済生会支部の中で、こうした話をしているのは今のところ香川県だけです。岡山済生会総合病院は大きな中核病院ですし、愛媛県は4病院、広島県は2病院で済生丸事業に取り組んでいます。そうした3県に比べて香川県は比較的小規模な当院のみで済生丸事業を支えているだけに、予算や人員などの課題がそれだけ切実なものとして迫っているのです。

ただし、悲観しているわけではありません。香川大学瀬戸内圏研究センターにお話ししているのは、香川の島嶼部は「へき地」の医療・福祉・経済・社会の面では「先進的」な地域なんだ、ということです。「先進的なへき地」という表現もおかしな響きですが、医師不足や患者数の減少、病院経営の悪化などの問題は、瀬戸内海の島嶼部に限らず、全国の山間へき地が共通に抱えている問題です。また、東京のような大都市にも「へき地」はあると言えると考えています。独居老人が増えている現実の中で、家から出て行かない、出て行けない――都会の中にいるのに適切な医療サービスを受けにくい。そんな状況が考えられるのではないでしょうか。今はまだ生まれていなくても、今後は必ず出てくると思います。

そうした日本医療の将来を見据えて、瀬戸内圏研究センターにはこれからの日本の地域医療・福祉の問題を考えるうえで、「先進的なへき地」から全国に発信できるような提言をまとめていただきたいとお願いしています。

 

済生丸で地域医療の研修を

 

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研修医の先生を囲む香川県のスタッフ。(提供:香川県済生会病院)

 

済生丸には「地域医療の研修の場」という役割もあります。私が香川県済生会病院に赴任したころから済生丸の知名度も上がりはじめ、現在は香川大学病院の地域医療実習で医学生も乗るし、看護学生も乗る。研修医も喜んで済生丸に乗る時代になりました。済生丸巡回診療の経験にいい印象を受けている研修医が多いのもうれしいことです。学生時代の地域医療実習で済生丸に乗ったので、また乗りたくて研修先に当院を選んだという研修医も少なくありません。

大学病院という組織に所属して先端医療や臨床研究に携わっているときは、その世界にどっぷり漬かっています。もちろん、手術のスキルを追及して、先端医療の道を邁進して、日本から世界にいろいろな情報を発信するような「プロフェッショナル」な医師を目指すのは素晴らしいことです。ただし気をつけなければならないのは、大学病院や中核病院で専門的な知識を持って先進的なことをやっている医師のほうが、街中の病院の医師や地域医療に携わっている医師よりも「偉い」というような、ぼんやりとしたヒエラルキー意識をどこかで持ってしまうことです。これはどちらが偉い、どちらが正しいという話ではありません。いろいろな立場の、いろいろな医療があっていい。どちらも必要なのです。

平成30年度から新専門医制度がスタートしますが、香川県済生会病院でも専門医修練施設として、香川大学医学部付属病院の専門医研修を受け入れています。当院に来た専門医研修には、ぜひ済生丸に乗ってもらいたいと考えています。それは地域医療のほんの一端に過ぎないかもしれませんが、実際に現場に出て、「地域医療ってこういうことをやっているのか」「地域の人と生活の場で接するってこういうことなのか」ということを感じてくれるだけでいい。将来、「総合診療専門医」になるかどうかは別にして、専門性の追求と同時に広く医療の世界を知ってほしいですね。

 

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その経験が生涯にわたって影響を与えるかどうかはわかりません。最近、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズのスピーチについての記事を読みました。その記事によれば、ジョブズは大学を中退した後、カリグラフィー(西洋の文字を美しく見せる書法)の授業に潜り込んでいたそうです。そのときはカリグラフィーが、将来、役に立つとは思っていなかったけれど、後にアップル社を立ち上げてコンピュータの書体を開発したときに、その経験が非常に役に立ったと。ジョブズはそのスピーチで「大学にいた頃には点と点をつなげて前に進むことは不可能でした。でも10年後に振り返ってみると、とても明確に理解できるのです」と語っています。

今やっていることが、将来どう役に立つかも、自分がどこに到達するかも、「今」という時点ではわからないものです。私自身のキャリアを振り返っても、そう思います。将来、勤務する病院を移ったり、病院がある地域の状況が変化したりすれば、その医療現場でやらなければならない新しい仕事が出てきます。特に「2025年問題」を見据えたとき、そこで求められるのは、オールラウンドな知識、より豊かな人間性ではないでしょうか。そのためにも若い医師の皆さんには、世の中にはいろいろな患者さんがいて、いろいろな医療があることを知って、広い医療の世界を経験していただきたいと思います。

(聞き手=田端広英 / 撮影=福田ジン)

 

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若林 久男(わかばやし・ひさお)
1983年、愛媛大学医学部を卒業。愛媛大学附属病院で内科、香川医科大学で外科の研修を行う。倉敷医療生活協同組合玉島協同病院外科、高知市細木病院外科での勤務を経て、1989年から2年間、アメリカのメディカル・カレッジ・オブ・バージニアに移植外科のクリニカルフェローとして臨床留学。帰国後は香川医科大学に戻り第一外科助手に。2001年に国立療養所高松病院外科医長、2003年に坂出市立病院外科診療部長を歴任。2004年に香川大学医学部消化器外科講師となり、2007年から同大学附属病院病院准教授、2008年に香川県済生会病院副院長に。2014年から同病院の院長を務める。
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