【第1回】長時間労働を招く、医師の「応召義務」
松丸 正 氏(弁護士)
労働の多様化を目指す政府の「働き方改革」。医師も例外ではなく、厚生労働省が進める「医師の働き方改革に関する検討会」では労働の適正化のために議論が進められています。
医師の働き方における課題の一つに「長時間労働」があります。疲労がたまった状態で業務を行うことは、医療の質の低下を招きかねません。また医師の健康を守るためにも、長時間労働の対策を行うことが急務となっています。一方で、医療という社会インフラの維持や医師という仕事の特殊性から、長時間労働の是正の実現までには解決しなければならない問題が多く横たわっています。
医師という仕事に求められる義務と、医師の労働者としての権利をどう両立するのか。本連載では、法律を切り口に医師の長時間労働の現状について読み解きます。第1回では、医師の過労死裁判における患者側の弁護経験もある松丸正弁護士に、長時間労働の是正を考える上で欠かせない「応召義務」の現状と課題について解説いただきます。
応召義務とは
医師法19条1項では、「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定めています。
これは、医業は国家資格を有する医師のみに独占的に認められた業務であることと引き換えに医師が負う公務上の義務であり、医師としての職業倫理上の義務であるとされています。
この医師法に基づく義務は、応召義務と呼称されています。「応召」とは、広辞苑によれば「召しに応ずること。特に在郷軍人が召集に応じて指定の地に参集すること」との意味です。
この定めの沿革ルーツは明治時代の大陸法の継受に始まります。明治15年に制定された旧刑法に、「医師穏婆(注:産婆のこと)事故ナクシテ急病人ノ招キニ応セサル者」は科料に処すと定めていた由来もあって、「応召義務」という、強い義務感や聖職意識に結び付きがちな呼称が古くから使われていますが、「診療」義務と呼称するのが現在においては相応でしょう。
なお、旧刑法のこの条文は、明治41年制定の警察犯処罰令3条7号を経て、大正8年医師の部分のみ、旧医師法施行規則9条2項に移行。昭和17年、国民医療法9条1項となった後、昭和20年に第二次世界大戦終結後、ジュネーブ宣言を受けて昭和23年制定の現行医師法に引き継がれています。
現在、医師法のみならず、歯科医師法19条1項、獣医師法19条1項、薬剤師法21条、保健師助産師看護師法39条1項にも、「正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と同様の定めがありますが、違反に対する罰則の定めはありません。
応召義務違反には当たらない「正当な事由」
しかし、この義務に違反したときは、医師法7条2項の「医師としての品位を損するような行為のあったとき」に該当するとして、医師免許の取消しや医業停止処分の対象となることもあります。
当然ながら「正当な事由」がある場合は応召義務違反とはなりません。「正当な事由」があるか否かは、患者の容態や医師の立場・状況等に基づき具体的に判断されることになります。
厚生省(現:厚生労働省)が昭和24年に出した通達「病院診療所の診療に関する件」(昭和24年9月10日 医発第752号)には「正当な理由」について次のように記載されています。- (一)医業報酬が不払であっても直ちにこれを理由として診療を拒むことはできない。
- (二)診療時間を制限している場合であっても、これを理由として急施を要する患者の診療を拒むことは許されない。
- (三)特定人例えば特定の場所に勤務する人々のみの診療に従事する医師又は歯科医師であっても、緊急の治療を要する患者がある場合において、その近辺に他の診療に従事する医師又は歯科医師がいない場合には、やはり診療の求めに応じなければならない。
- (四)天候の不良等も、事実上往診の不可能な場合を除いては「正当の事由」には該当しない。
- (五)医師が自己の標榜する診療科名以外の診療科に属する疾病について診療を求められた場合も、患者がこれを了承する場合は一応正当の理由と認め得るが、了承しないで依然診療を求めるときは、応急の措置その他できるだけの範囲のことをしなければならない。
また昭和30年の通達(昭和30年8月12日 医収第755号)には次のような内容が記載されています。
医師の不在又は病気等により事実上診療が不可能な場合に限られるのであって、患者の再三の求めにもかかわらず、単に軽度の疲労の程度をもってこれを拒絶することは、第19条の義務違反を構成する。
具体的に正当な事由として認められるものを挙げるならば、専門外診療や過去の診療費不払いになります。しかし、いずれも、戦後間もない時期の医療体制に基づく通達であり、現在の医療体制を踏まえた見直しが必要です。
応召義務違反について損害賠償責任を認めた判決
既述したように、応召義務は国に対する義務であり、患者に対して直接負う義務ではありません。しかし、病院や医師がこの義務に違反した結果、損害が生じたとして、民事裁判で病院側の損害賠償責任を認める判決も出されています。以下にその例を2つ紹介します。
判例1)神戸地裁 平成4年6月30日判決
第三次救急医療機関である市立病院が、対応できる医師が不在であることを理由に、交通事故に遭った重篤な救急患者の診療を拒否したところ、その後患者が死亡。医師から診療を拒否されることなく診察を受け得る、との権利を侵害されたことの精神的苦痛による慰謝料として200万円を病院に請求した訴訟です。裁判所は、応召義務と医師(病院)の責任の関係について、患者の容態と病院・医師側の医療環境や救急体制を検討した上で、次のような判決を下しています。
医師法十九条一項は、「診療に従事する医師は、診察治療の要求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と規定している。右規定は、医師の応招義務を規定したものと解されるところ、同応招義務は直接には公法上の義務であり、したがって、医師が診療を拒否した場合でも、それが直ちに民事上の責任に結びつくものではないというべきである。
しかしながら、右法条項の文言内容からすれば、右応招義務は患者保護の側面をも有すると解されるから、医師が診療を拒否して患者に損害を与えた場合には、当該医師に過失があるという一応の推定がなされ、同医師において同診療拒否を正当ならしめる事由の存在、すなわち、この正当事由に該当する具体的事実を主張・立証しないかぎり、同医師は患者の被った損害を賠償すべき責任を負うと解するのが相当である。
正当事由の有無の点について、救急医療体制に関しては次のような見解が示されていました。
いかに神戸市内における救急医療体制が当時整備充実されていたとはいえ、右医療体制内において第三次救急医療機関である被告病院が神戸市内における第一次、第二次救急医療機関の存在をもって本件診療拒否の正当理由とすることは、できない
また、専門医の不在については次のように述べています。
右病院では、本件連絡時脳外科及び整形外科の両専門医師が宅直で在院しなかったにもかかわらず、なお亡則男を現実に受入れても同人に対し施すべき医療は人的にも物的にも可能であった
さらにこの判決では、医師の応召義務に関連して次のような見解を示しています。
患者は、医師が正当な理由を有さない限りその求めた診療を拒否されることがなく診察を受け得るとの法的利益を有する
その結果、正当事由はないとの判断が下され150万円の慰謝料を認めています。
出典:『判例時報』(1458号134~137頁)
判例2)千葉地裁 昭和61年7月25日判決
重症の気管支肺炎の女児を乗せた救急車が病院に到着したが、病院側は満床を理由に転送を求め、その後女児は死亡。裁判では、容易に転送先が見つからないことを認識しながら、転送を求めたことは応召義務に反するとして、女児の死亡に対する責任として約2,800万円の損害賠償を認める判決が下されました。
証言によれば、病院の全診療科を合わせたベッド数は300ほどで、いずれも満床であったとされています。これに対して、裁判では次のように述べられています。
仮に他の診療科のベッドもすべて満床であつたとしても、とりあえずは救急室か外来のベッドで診察及び点滴等の応急の治療を行い、その間に他科も含めて患者の退院によつてベッドが空くのを待つという対応を取ることも、少くとも三〇〇床を超える入院設備を有する同病院には可能であつたといえる。
病院が満床を理由に診療拒否をしたことは、医師法19条1項の正当事由に当たらず、民事上の過失に当たると解釈すべきとされています。
この裁判では、応召義務の正当事由を病院側で反証することが難しく、診療拒否における過失を認めるほかありません。応召義務を厳しく解した判決と言えるでしょう。
国・地域の協力があって、応召義務は保障される
私は、国民の健康権の立場から、応召義務を位置づけるべきと考えます。しかし、現在の医療は高度化や専門性の分化等が進んでおり、応召義務も、個々の医師の診療行為によってではなく、地域全体の医療機関や医師の配置、救急医療体制等、国による医療制度があって始めて、その義務が現実化されるものと考えます。
応召義務を理由とする労働時間の上限規制の先送り
医師の応召義務の定めは、聖職意識や医師不足の常態化による長時間勤務との結び付きにより、勤務医への労基法の適用について、「特区」とも言える状況を医療現場に生じさせる要因となっています。
「働き方改革法案」の中でも、医師については時間外労働の上限規制に関し、「時間外労働規制の対象とするが、医師法に基づく応召義務等の特殊性を踏まえた対応が必要」としています。具体的には、改正法施行から5年後を目途に規制を適用とし、2年後を目途に規制の在り方や、労働時間の短縮等について検討し、結論を得るとしています。
過労死対策として長時間労働の上限規制は急務である
しかし、厚生労働省医政局が発表した「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査(平成29年4月6日)」によれば、病院勤務医(常勤)の1週間当たりの勤務時間が60時間以上の割合は、男性は27.7%、女性は17.3%となっています。
出典:厚生労働省「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」(新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会 資料2 P15)
また総務省が平成24年に行った「就業構造基本調査」によれば医師の1週間の労働時間が60時間を超える割合は、41.8%です。さらに職種別に見ても医師が最も高い割合となっています。
出典:厚生労働省「医師の勤務実態等について」(第1回 医師の働き方改革に関する検討会 資料3 P5)
厚生労働省が定めている「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準」(平成13年12月12日付け基発第1063号)によれば、「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できる」とされ、原則として業務上の疾患と判断されます。
勤務医の多くが従事している週60時間の労働時間は、1カ月に換算すると過労死ラインとされる80時間超の時間外勤務に相当するものです。勤務医の多くはこのラインを超えた長時間勤務をしており、過労死・過労自殺に至る勤務医が後を絶ちません。勤務医の心身の健康を損ねる長時間労働の是正は急務であり、「応召義務」があることをもって時間外労働規制を先送りすべきでないと考えます。
新たな視点で応召義務の見直しを
かつては、「患者の命と健康のために」という医師個人の倫理意識に基づく応召義務が、医療の現場の大きな支えになっていたことは確かでしょう。しかし既述したように、現在の医療体制の下では国や自治体の協力なくしてこの応召義務を強要することは、長時間勤務の下にある勤務医の皆さんにとって、より多くの心身の負担となりかねません。医療体制を整備し、勤務医の長時間勤務の是正の中で、この義務のあり方を医療の立場から見直すことが求められているのではないでしょうか。
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