Dr.石原藤樹の「映画に医見!」

【第11回】湯を沸かすほどの熱い愛~日本的終活映画の代表傑作

石原 藤樹 氏(北品川藤クリニック 院長)

医療という題材は、今や映画を語るうえで欠かせないひとつのカテゴリー(ジャンル)として浸透しています。医療従事者でも納得できる設定や描写をもつ素晴らしい作品がある一方、「こんなのあり得ない」と感じてしまうような詰めの甘い作品があるのもまた事実。

シリーズ「Dr.石原藤樹の『映画に医見!』」は、医師が医師のために作品の魅力を紹介し、作品にツッコミを入れる連載企画。執筆いただくのは、自身のブログで100本を超える映画レビューを書いてきた、北品川藤クリニック院長の石原藤樹氏です。

第10回の『最高の人生の見つけ方』に続き、今回は『湯を沸かすほどの熱い愛』をご紹介いただきます。

現役医師だからこそ書ける、愛あるツッコミの数々をお楽しみください(皆さまからのツッコミも、「コメント欄」でお待ちしております!)。

 

映画『湯を沸かすほどの熱い愛』の概要

今日ご紹介するのは、2016年に公開された日本映画『湯を沸かすほどの熱い愛』です。前回ご紹介した『最高の人生の見つけ方』が終活映画のアメリカ代表とするなら、この映画はさしずめ今の日本代表の終活映画です。新鋭・中野量太監督の長編劇映画第一作で、脚本も監督自身が手掛けています。

事情あって銭湯を1人で切り盛りしていた宮沢りえさん演じる主人公の双葉は、ある日末期がんで余命数か月という宣告を受けます。それから主人公の涙あり笑いありの終活が、古今東西あらゆる映画のレガシー(遺産)を活かしながら、映画愛と人間愛全開に展開されてゆくのです。

誰が観ても面白く、それでいて映画マニアの心をくすぐるような仕掛けも随所にあります。主人公の宮沢りえさんを始めとして、オダギリジョーさん、杉咲花さん、松坂桃李さんと豪華キャストが集結し、この作品が好きで参加したことが分かるような、活力に満ちた演技をスクリーンに焼き付けています。
公開当初こそ地味でしたが、じわじわとその評判は高まり、異例のロングランで興行的にもヒットしました。出来れば大きなスクリーンで観てほしい傑作です。

 

見どころは独自の終活のとらえ方と映画愛

ある日突然余命宣告を受け数か月の命、というのは、非常にドラマチックな事態ですが、それでいて、誰でも直面する可能性のある、とても身近な出来事でもあります。古今東西こうした余命宣告に始まる映画が溢れているのは、おそらくそのためだと思います。「身近でドラマチック」というのは、そうはないことであるからです。

ただ、これまでにも多くの作品がこのテーマで作られているので、なかなか新鮮な印象を出しにくい、という欠点はあります。誰でも直面する可能性のある深刻な事態なのですから、あまり軽く扱ったり、安易にお笑いにしたりすれば、不謹慎と非難される可能性が高くなってしまいます。日本の場合、黒澤明監督の『生きる』という名作があり、余命宣告を受けた小役人が、普段無視していた庶民の陳情を実現する形で、終活映画の1つの正解を出しているので、別の答えを出しにくい、という面もありそうです。

この難問に対する中野監督の答えは、「自分の人生に対して、自分で責任を取る」という極めてシンプルなものです。主人公の双葉には、人生において解決を先延ばしにしていた、幾つかの問題がありました。それを自分の死後に持ち越すのではなく、死ぬまでの数か月のうちに、自分なりに解決しようとするのです。
『生きる』の主人公は家族に問題を抱えていましたし、それ以外にもおそらく、先延ばしにしていた身近な問題があったと思いますが、彼はそれに手を付けることはせず、自分が仕事で向き合っていた庶民に身を捧げました。それも1つの生き方であり、『湯を沸かすほどの熱い愛』で出された答えも、またもう1つの正解であるように、私は思います。
当たり前のことのようで、こうした正解を導き出した映画は実はこれまでにありませんでした。ここに、この映画の大きな価値があります。

しかし、いくらテーマが素晴らしくとも、面白い映画になるかはまた別の話です。描き方によっては、お説教臭くなるこのテーマを、中野監督はこれまでの娯楽映画のパターンを総動員する形で、面白い映画に仕立てています。そこがこの映画のもう1つの見どころです。
主人公が先送りにしていた問題を1つずつ解決する、というのがこの物語の縦糸ですが、それがどのような問題であるのかを、最初は明らかにしていません。伏線を巧みに張りながら、主人公が行動を起こした瞬間にそれが回収されるという、ミステリーのような構成が、観客の興味を持続させる上で非常に効果的です。曰くありげな子連れの探偵の登場なども、ハードボイルド映画の呼吸です。

そして銭湯が舞台というのが面白く、バラバラになった家族がそこに集まる場所として、象徴的な意味を持っています。そのビジュアルは郷愁を誘い、煙突から出る煙が、家族の再生を告げる狼煙になる、というアイデアが秀逸です。ラストにはピンク色の煙がたなびきますが、これは黒澤明監督の『天国と地獄』の有名なシーンからの引用です。
映画は変化をつけるために途中でロードムービーになり、主人公が旅をする場面で、シネマスコープの大画面に富士山がドカンと登場します。海と富士山という構図の中での肉親との再会は、これまでの多くの青春映画へのオマージュです。
そして、語り草となったラストは、今度はカルト映画的な意外さを持ち、最後に炎の中に浮かび上がるタイトルバックは、昔の怪談映画や猟奇映画にお馴染みの字体であり構図になっているのです。中野監督、とても一筋縄では行きません。

 

ツッコミどころ多い美しき終末期医療

この映画は大傑作と言って良いのですが、医療に関する描写は、オヤオヤと思うところも多いのです。主人公は終活のために治療を拒否するのですが、途中で具合が悪くなると、旅先で救急病院に入院してしまいます。そこから在宅に戻るのかと思いきや、ホスピスらしき場所にすんなりと入所。そこは田舎のようですが、個室で至れり尽くせりのような場所です。主人公はそこで最期の時を迎えます。

こんなことが可能であれば、私のような医者も、末期がんの患者さんも、何の苦労もありませんが、現実はそれほど甘くはありませんよね。
旅先での入院は地域の医療を担っている救急病院と思われますが、いきなり何の情報もなく、治療を拒否した末期がんの患者さんが、具合が悪くなったからと担ぎ込まれて来たとすれば、大変困ります。
それにホスピスという場所は、日本の場合そう簡単に入れる場所ではなく、入れてもかなりお金が掛かります。映画に出てくるような個室であれば、個室料だけで相当な金額になり、経済的に余裕がないと入ることは困難なのが実際です。この映画では主人公の家族は経済的に恵まれている設定ではないので、かなり無理があると思います。入所にも審査があり、申し込めばすぐに入れる、という訳ではないのです。
実際には、旅先ですし、数日の入院で退院となり、一旦は自宅に戻った上で介護保険の手続きをして、在宅での主治医を決め、今後の方針を立てるという感じになるのが現実的ではないでしょうか。

また、宮沢さんは体重を落とすなど役作りをされた、とのことなのですが、死の直前にもメイクをされている感じで、とても末期がんのやつれ方には見えません。もう少しリアルに出来たのではないかしら、というようには感じました。

 

人生に責任を持つということ

この映画を観た人は誰でも、自分だったらどうしようか、と考えると思います。そのことが何より重要であると、個人的にはそう思います。今の日本の社会は多くの問題を抱えていますが、その根幹には、自分の人生の問題を、後の世代に先送りする、という個人の責任放棄が、大きく影響しているように思えてなりません。医療崩壊や社会保障の持続性の問題などは、その最たるものではないでしょうか?
大袈裟なことを考えるのではなく、日本人の1人1人が、自分の人生の責任を、自分の生きているうちに果たす、という心掛けを持つことだけで、今の社会の問題はその多くが解決されるのではないでしょうか? その非常に大切なことを、この映画は教えてくれるように思うのです。全ての日本人に必見の映画です。是非ご覧ください。

※映画『湯を沸かすほどの熱い愛』の公式サイトはこちら

 

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(C)2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会
石原 藤樹(いしはら・ふじき)
1963年東京都渋谷区生まれ。信州大学医学部医学科大学院卒業。医学博士。信州大学医学部老年内科助手を経て、心療内科、小児科を研修後、1998年より六号通り診療所所長。2015年より北品川藤クリニック院長。診療の傍ら、医療系ブログ「北品川藤クリニック院長のブログ」をほぼ毎日更新。医療相談にも幅広く対応している。大学時代は映画と演劇漬け。
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