「外科医」という仕事の魅力

山本 健人 氏[けいゆう先生](消化器外科医/京都大学大学院医学研究科)

近年、外科の志望者が著しく減少傾向にあることが、よく話題に上がります。
確かに最近は、医学生や研修医の先生と話していても、外科志望の方に出会うことはほとんどありません。私が初期研修2年目の頃、外科後期研修の志望者7人で2人の定員枠を取り合う、という戦いがありました。残念ながら、今は「外科志望」というだけで重宝されるようです。

外科の仕事は確かにハードですが、非常に魅力的で、楽しいものです。この思いを後輩に伝えたい、という思いから、2019年9月に単著『もう迷わない!外科医けいゆう先生が贈る初期研修の知恵』という本を出版しました(書名にある「けいゆう先生」は私の息子と娘の名前から作ったペンネームです)。

この記事では、本書の内容に触れながら、外科という仕事の魅力や、キャリアに関する私の考えを書きたいと思います。

 

1. 外科医の魅力〜客観的指標と、患者がくれる少し特別な感謝の念

外科医の仕事の魅力は、大きく分けて二つあると考えています。

一つ目は、能力の向上が客観的に評価しやすいということです。

外科系の学会では、近年動画発表での演題が非常に多くあります。その目的は、手術動画を編集して学会で供覧し、さまざまな意見を交換することによって、技術の向上に役立てたり、情報提供したりすることです。

技術向上で特に役立つのが、内視鏡手術の動画です。消化器領域では、多くの手術が内視鏡下に行われるようになっており、2018年春には、内視鏡手術を応用したロボット支援手術が、新たに12種類の手術で保険適応となりました。

内視鏡手術では、手術中に外科医が見た映像をそのまま保存することができるため、後から映像を見返し、次の手術にフィードバックできる、という利点があります。
もちろん、開腹手術や開胸手術でも、頭上のカメラを回して手術の様子を撮影することはできますが、当然、手術中に外科医が見たままの映像を見返すことはできません。また頭上のカメラだと、外科医たちの頭や手が邪魔になり、術野の肝心なところが後から見直せない、という事態も起こります。よってこの点では、内視鏡手術は開腹・開胸手術より有利です。

手術映像を後から何度も見返すことができると、自らの技術を正確に、かつ批判的に評価することができます。どんな名医でも最初はビギナーですから、患者さんに不利益を与えないよう指導医がコントロールしつつ、効率的に若手教育ができるようになったという点で、いい環境が整っていると言えます。

余談ですが、私は学生時代に水泳部に所属していましたが、最も技術が伸びたのは、水中カメラで自分や他の部員の泳ぐ姿を録画し、これを全員で見直した時でした。

向上のきっかけをつかむ、という点では、外科技術は、こうしたスポーツの技術と同じような感覚で捉えることができると思います。

もちろん、内科的な治療においても、複数のスタッフ間で治療経過を振り返ってディスカッションすることが、診療の質の向上に寄与することはあると思います。しかし、術後成績が技術に関連しうる外科領域では、“パフォーマンスを客観的に評価しやすい”というのは重要なポイントです。技術を磨く上で、モチベーションを維持する理由になるとも言えるでしょう。

さて、私が考える外科の魅力の二つ目は、患者さんから“特別な”感謝の気持ちを持ってもらいやすい、ということです。

こう書くと、「患者さんに感謝されるのは内科系の科も同じだ」と内科の先生に叱られるかもしれません。もちろん科を問わず、患者さんから感謝していただけるのは「医師」という仕事そのものの魅力だと思います。しかし、外科領域では、患者さんから少し特別な感情を感じ取ることができるのも事実です。

実は私は2年ほど前に、右肩関節の腱板断裂で手術を受けたことがあります。腱板に加え、右上腕二頭筋の長頭筋腱もほぼ断裂しており、主治医の先生に言わせると「ボロボロの状態」でした。
手術は相当大変だったようで、終わったのは夜遅くでした。その後も、およそ1カ月に渡る長い入院生活が続きました。看護師二人に手伝ってもらわないと更衣すらできず、お風呂も自力で入れない、という毎日です。日々痛みと戦いながら、リハビリを続けていました。

そんな精神的に辛い毎日で、心の支えになったのは、やはり主治医の存在でした。

私が眠っている間に、長時間奮闘してくれた執刀医の先生。右肩に残る傷跡を見て、その執刀医の姿に思いを馳せると、今でも特別な感謝の念が沸き起こります。私は自分が患者になって初めて、手術という治療が患者に与える特別な「効果」を感じることができたのでした。

もちろん、逆に術後の経過が悪い時は、患者の不信感の矛先は「外科医の腕」に向きます。
大きな感謝をいただける反面、厳しい目を向けられることも多い、という覚悟も必要だと思います。

 

2. 外科を志した理由〜自身と治療の何たるかを知り、変化した志望科目

私はもともと内科志望で、医学部の5年生くらいまでは、自分は内科系の科に進むものと確信していました。特にがん治療に興味があったので、化学療法を行う腫瘍内科や、放射線治療を行う放射線科に惹かれていたのです。

ところが、5年生のポリクリで外来化学療法部に配属され、そこで多くの患者さんと話したのち、急に心変わりしてしまいました。

当時は、新しい分子標的薬が次々と現場で使われ始めていた頃。無知だった医学生の私は、「癌を治せる魔法の薬が登場した」と浮かれていました。当時はとにかく純粋に、「癌を切らずに治せる内科医」に憧れていたのです。

しかし、化学療法の実態を知るにつれ、私の当時の理解は、半分は正解で、半分は間違いだったことに気付きます。特に固形癌においては、切除不能進行再発癌は、内科的治療だけで根治を目指すことは困難です。あくまで、分子標的薬を組み合わせたレジメンは生存期間の延長に寄与するものであって、これを「魔法の薬」だと捉えるのは適切ではありません。
もちろん、このようにレジメンの選択肢が増えたことががん治療の成績に大きく貢献したことは間違いないわけですが、当時、がん治療の何たるかを知らなかった学生の私がこの現状を知った時、「この段階の癌に関わる内科医の仕事はなかなかハードだ」と感じたのは事実です。ポリクリ期間中、化学療法センターで患者さんと話したことを思い出して無性に辛くなり、自転車で泣きながら帰ったこともありました。

このような経緯もあり、「自分の精神面の弱さを鑑みれば、この仕事は向いていないな」と感じるとともに、“切除可能な病変に対していかに質の高い治療を提供できるか”という技術を磨く方が、性格的に向いている、と思ったのです。

学生時代のポリクリは、実習というよりは「見学」に近く、なかなかモチベーションを維持しづらい同級生も多くいましたが、私にとっては自分の適性を知る上で貴重な時間でした。

 

3. 臨床医として必要な「思考」を得るため、大学院へ

私は現在、大学院に帰学して3年目になります。

もともと、7年目〜8年目くらいでの帰学を決めていました。というのも、がん診療を行う上では、悪性腫瘍の分子生物学に関する知識や考え方の素養は必要だろうと考えていたからです。

もちろん、たった4年間、大学院生として基礎医学を学ぶだけで学問の真髄に触れることができる、などと考えるのはおこがましいことです。ただ、臨床医として患者さんの体に現れる「表現型」だけを見て診療し続けても、どこかで「思考の天井」にぶつかると感じていました。

実際、約3年間、基礎医学の視点から悪性腫瘍を学んだことで、今の時点でもかなり視野が明るく開けたと思います。同時に、臨床の論文を読んだ時に、「分子生物学的な観点から見れば、この考察は妥当ではないのではないか? もう少し別の思索が可能なのではないか?」といった批判的な考え方ができるようになったとも感じます。

 

4. 自分の「軌跡」を管理することの大切さ

単著『もう迷わない! 外科医けいゆう先生が贈る初期研修の知恵』でも紹介したのですが、私はこれまで行った全ての手術の術式別の症例数を、年度ごとに克明にエクセルに記録しています。また、これまでに書いた英文論文、和文論文、学会発表も全て、一つひとつ細かく記録しています。

これは、自分の軌跡をまとめることで、「自分に足りないこと」や「今後やるべきこと」が具体的に見えやすくなり、キャリアプランを立てやすくなるからです。(もちろん、専門医資格の申請の際に、論文や学会発表の記録の提出が必要になった時、過去の抄録集から探し回ることなく瞬時に準備ができる、という利点もあるのですが)。

また、私は同年代の医師に比べると、論文執筆や学会発表を比較的多くこなしてきた方だと思います。

特に論文執筆は、自分の足跡を世に残すことのできる貴重な手段だと考え、積極的に取り組んできました。誰が何件手術したか、何人の患者を診療したかを外部の人が容易に知ることはできませんが、どんな論文を何本、どんなペースで書いてきたかは、PubMedで調べれば容易に分かるからです。
実際、私が卒後6年目の時、新しい施設に異動が決まった際、初めて会ったはずの異動先の外科部長に、「先日出た君の論文読んだよ。たくさん書いて頑張ってるんだね」と言われたことが印象に残っています。

新しい環境で働くことは、誰しも大きな心理的ストレスを伴います。そんな中、「見知らぬ相手が自分の努力をすでに理解してくれている」という事実は、自分の心を間違いなく軽くしました。
その点では、こうした業績は自分の「名刺代わり」になると言ってよいと思います。ちなみに、どうせ「名刺代わり」ならもっと見やすい名刺を作ろう、ということで、私はResearch mapとGoogle Scholarに登録し、そちらでも業績を管理しています。ウェブ上で閲覧可能な「名刺」です。

もちろん、ここに書いたようなことは、私が個人的に考えついたのではありません。全ては、私が卒後3年目に出会った尊敬する恩師の「受け売り」にすぎません。その恩師は、こうした業績を積み重ねることを「武装する」と称し、その大切さを私に叩き込みました。今の私があるのは、その恩師のおかげです。

これまでの軌跡を記した地図を手に、研究業績という「名刺」で武装し、今の自分に必要な技術を磨き続ける。その先には、今以上に一人でも多くの患者の「心の支え」となれる腕を持つ外科医の自分、そして、今以上の「外科医の魅力」が待っていると信じています。

 

5. これからの「外科医という仕事」の魅力とは?

近年、ますます高齢化が進む中で、「元気な」高齢者が増えています。

平均寿命が90歳に近づきつつある状況で、70歳前後の高齢者を見れば、むしろ「若い」という感覚すら抱きます。健康が維持され、体力もある分、手術の適応は高年齢層まで広がっています。また前述の通り、内視鏡手術やロボット手術の普及に伴う手術の低侵襲化が、それに拍車をかけています。

より患者に優しく、かつ質の高い手術が求められる時代です。外科の未来を語るには、私はまだあまりにも若輩者ですが、こうした可能性の広がりは外科医の一つの武器だと捉えています。多くの後輩たちが外科に進み、その魅力を感じてほしいと願ってやみません。

 

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山本 健人(やまもと・たけひと)
2010年京都大学医学部卒。神戸市立医療センター中央市民病院初期研修、外科専攻医を経て、2015年より田附興風会医学研究所北野病院 消化器センター外科に勤務。2017年に京都大学大学院医学研究科博士課程に進学、現在に至る。京都大学医学部附属病院 消化管外科勤務。
取得資格は、日本外科学会専門医、日本消化器病学会専門医、日本消化器外科学会専門医、日本感染症学会専門医、日本がん治療認定医機構がん治療認定医ほか。
「医師と患者の垣根をなくしたい」をモットーに、「外科医けいゆう」のペンネームで2017年に医療情報サイト「外科医の視点」を開設。Yahoo!ニュース個人時事メディカルケアネット看護roo!等のサイトに連載を持つ。著書に『もう迷わない! 外科医けいゆう先生が贈る初期研修の知恵』(シービーアール)、11月28日に『医者が教える 正しい病院のかかり方』 (幻冬舎)が発売予定。
もう迷わない! 外科医けいゆう先生が贈る初期研修の知恵
著者:山本健人
発行所:シービーアール
発行日:2019/9/14
目次:
シリーズ監修のことば(箕輪良行)
はじめに
第1章 それでも外科医はおもしろい
第2章 外科医はどんな仕事をしているか?
第3章 外科研修医の心得
第4章 外科医としてのキャリア
結びに代えて

内容:
けいゆう先生のペンネームで知られ、SNSやウェブメディアの連載などで活躍中の山本健人先生が、医学生や研修医向けに書き下ろしたのが本書です。編集部の人間が読んでも「なるほど! 」と唸る、さすがの切り口の文章が満載。消化器外科医の日常を通し、「初期研修で学ぶべきこと」が余すことなく伝えられています。これから初期研修を受ける医師にとっては必携の書となるでしょう。本書が贈る「知恵」が初期研修を実りあるものにしてくれると確信しております。(出版社コメントより)
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