大日本婦人衛生会
大日本婦人衛生会とは、1887(明治20)年頃、日本初の公許女医となった荻野吟子を中心に発足した会です。皇族の依仁親王妃周子が総裁を務めていました。
「汎く婦女子をして人生の健康を保持する方法を重視し衛生上の知識を開発し社会全般の幸福を増進する」ことを目的とし、月1回の衛生講演と『婦人衛生会雑誌』を定期刊行していました。初の外交官夫人として活躍し、鹿鳴館の華と呼ばれた鍋島栄子、渡米経験を持つ大山捨松なども入会しており、活動は大正末まで続きました。
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