小説家として“等身大の医療”を伝える

久坂部 羊 氏(小説家/医師)

 昨今、医療の進歩は目覚ましく、日々、再生医療や遺伝子治療、がんの新しい免疫療法などがメディアを賑わせています。しかし、医療に対する世間の満足度は、それに見合うものでしょうか。
 満足度は現実に対する期待値の高低で決まります。現実が期待値より高ければ満足し、低ければ不満に思うのが人間です。現実は簡単には変わらないので、満足度を高めるには、まず世間の期待値を下げることが肝要です。
 しかるに、現状は常に医療に対する期待値を上げるような情報にあふれています。これはメディアばかりでなく、情報の受け手である世間にも責任があります。世間は往々にしていい話を好むからです。がんの転移のメカニズムが解明されたとか、認知症の早期発見が可能になったとか、医師から見れば実用化がほど遠い情報が、新聞やテレビで華々しく取り上げられ、世間の期待値を急騰させています。
 医療者にも問題がないわけではありません。研究医は勢い自分の研究成果のよい面を強調する傾向があり、不備を過小評価しがちです。臨床医も治療の限界を積極的には公表しません。それは自己否定につながり、医療の信頼を損ねかねないからです。
 医療に真摯に向き合っている医師ほど、批判を嫌い、限界を認めたくないバイアスがかかるのは当然でしょう。しかし、そのために世間の期待値はますます高まり、医師はさらに背伸びしなければならなくなる。そこに無理が生じ、医師は疲弊し、患者は落胆しているのが、今の日本の医療ではないでしょうか。

 医師と患者の双方が満足し、風通しのよい状況を実現するためには、“等身大の医療”を伝えることが必要だと思います。 “あとのケンカは先に”という言葉がありますが、医療の限界を早めに伝えておけば、患者や家族もあらぬ期待を持たず、現実を受け入れる準備がしやすくなるでしょう。ただし、伝え方は上手にする必要があります。
 私の小説には、医療の矛盾や不条理、悩ましい状況がよく出てきます。これは何も医療を貶めるためではなく、医療の困難さ、解決不能の状況を提示することで、医療に対する期待値を下げ、現実の医療に過度な期待を抱かないようにすることが目的です。
 登場人物も、変人、強欲、破廉恥、我が儘な医師が多いですが、これも医師に対するイメージを下げたほうが、現実の医師の評価が上がりやすいという深謀あってのことです。『白い巨塔』の里見医師のように、清廉潔白で私生活を犠牲にしてまで患者に尽くすというような医師がデフォルトになったら、それこそ現実の医師はたまらないでしょう。

 私は“損して得取れ”という言葉が好きです。医療に関しても、不備や限界を正直に伝えたほうが、誠意が伝わり、信頼が強まると考えています。きれい事や誇大宣伝は、あとでよけいな不信を招くだけです。それなのに、大学病院の教授や指導医たちは、これまで常に医療を自己肯定し、救えなかった患者や、結果が悪かった治療について、率直に向き合おうとしなかったように思えます。それって欺瞞じゃないのか。
 私は外科医としてがんの終末期医療に携わり、麻酔科医として手術を傍観し、外務省の医務官として官僚の世界を覗き見たあと、高齢者医療の現場に身を投じて、多くの医療の負の側面を実感しました。それらは医療者が口をつぐんできたため、ほとんど世間に伝わっていません。いわゆる “不都合な真実”です。これを上手に世間に伝えるには、評論やノンフィクションよりも、小説が適していると思います。読者がリアルに感じるからです(上手く書けばの話ですが)。
 私の小説にはハッピーエンドはほぼありません。何の落ち度もない人が、不条理に病に冒され、無慈悲に命を失い、かけがえのない家族を失う現実を知っている者として、奇跡的な病気の回復や、スーパードクターの活躍などは、到底描けないからです。読後感が最悪だとか、イヤミスとかも言われますが、安易な結末で読者をミスリードするよりはいいと思っています。
 小説は本来、感動やおもしろさを表現するものですが、同時に情報を伝える効果もあります。現実の医療をよりよいものに感じてもらえるよう、私はこれからもますますブラックな医療小説を書いていきたいと思っています。

 

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久坂部 羊(くさかべ・よう)
小説家、医師。大阪人間科学大学特任教授。
1955年大阪府生まれ、1981年大阪大学医学部卒。大阪大学医学部付属病院の外科及び麻酔科にて臨床研修後、大阪府立成人病センター(麻酔科)、神戸掖済会病院(外科)、在外公館での医務官を経て、在宅医療等高齢者医療に従事する。
2003年『廃用身』で作家デビュー。2014年『悪医』で第3回日本医療小説大賞を受賞し、2015年に『破裂』『無痛』がTVドラマ化される。小説のほかに、エッセイ『ブラック・ジャックは遠かった』、新書で『日本人の死に時』『医療幻想』『人間の死に方』等を上梓。近著に『院長選挙』『カネと共に去りぬ』がある。
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