医師&スタッフは見た!“熱意あふれる”医師たち
~「うちが面倒を見る!」「すべては医療過疎地で働くために」~
※ お寄せいただいたエピソードをもとに、個人を特定できないように内容を変更しています。
うちが面倒を見る!
外科医・50歳・男性
昔勤めていたA病院のB理事長は、廃院間際だったA病院を立て直したすごい人。フットワークもめちゃくちゃ軽い。
私がA病院に勤め始めた頃は、医師が大量に辞めてしまったこともあり、本来20人ぐらい必要な医師が6人くらいしかいませんでした。しかしその後、外科部長から理事長に就任したB理事長は、自ら積極的にあちこち出向いて、職員を確保していました。B理事長になってから、忘年会の会場が年々大きくなっていったのを憶えています。
B理事長は自身が医局から飛び出して苦労したせいか、来る者は拒まない(ただし、やる気のない人には厳しい)。現場のことはなるべく現場の裁量でやらせてくれるので、医師からの評判も上々なスーパー理事長でした。
そんな理事長のことで一番印象に残っているのが、ある男性医師が面接に来たときのこと。
面接を受けに来た医師は某有名大学の医局にいたんですが、医局では症例が上級医師に優先的に回ってしまい、望むような経験を積めないということで、A病院への就職を希望していました。採用はすんなり決まったんですが、医局をなかなか退局させてもらえなかったんです。そこであらためてA病院に来て、どうしたらいいか相談をすることに。退局を経験した医師何人かが集まって、アドバイスをしたあと、最後にB理事長が言った一言がこれ。
「医局とケンカ別れになっても、うちが面倒を見ます! 安心して来てください!」
思わずB理事長に惚れそうになりました。男同士なのに。
その後は何とか医局と話がつき、大きく揉めることなく退局できたようです。男性医師はA病院で希望通りの症例を積み、現場で活躍しています。先日たまたま会ったんですが、「あのときはB理事長に背中を押してもらったおかげで退局できました」と、嬉しそうに語ってました。
実は、理事長、もし医局との話がこじれそうになったら、男性医師が円満に辞められるよう、自ら先方に出向いて話し合うための準備もしていたそうです。
私もまた会いたいなぁ、あの理事長。
自分はここで何ができるのか……病院見学6時間!
病院理事長・60歳・男性
循環器専門の病院で理事長をしています。うちの病院はカテーテルの症例が多く、症例を積みたいという医師が働きたいと応募してくれます。
院内見学と私や院長による面接を経て採用、という形をとっているのですが、見学の際は、だいたい病棟施設や設備、使っている機材のメーカーや年代を確認し、病床数や稼働率なんかを聞いて帰るのが一般的です。中にはオペを見学する人もいますが、1件くらいでしょうか。
大学病院で働くC医師も見学を希望した一人でした。
先輩医師の手技はどのレベルで、ここで何が学べるのか。自分はどんな患者を担当することになるのか。メインやサブで手術に入る場合にどんな役割をするのか。同僚となる医師やスタッフの手技は自分が連携しやすいものか。内科と連携する場合にどんな住み分けをするのか……。この病院で何ができるのかきちんと確認したい。
彼の熱意に、思わず、直属の上司となる院長の手術の他に、同じ日に行われる2件のオペも見学してみないか?と、聞いてみました。すべて見学するとかなりの長丁場です。しかし躊躇するそぶりもみせず「見学したいです」と即答で返事が返ってきました。
見学当日は、院長が執刀するカテーテル手術を見学したあと、心外オペ、ペースメーカーの埋め込みの手術を見学。その後、私と院長と3人での面接も行いました。正味6時間。疲れる様子も見せず真剣な姿が印象的でした。
結果、うちに入ってくれることになったのですが、実際に一緒に働いていると、その熱意に私も初心に帰らされるというか、「望んでこの道に進んだのだから、しっかりやらなければ」と気持ちが新たになります。来てくれて本当によかった。こんな医師がこれからも入ってくれると嬉しいですね。
すべては医療過疎地で働くために
救命救急医・33歳・男性
ベテラン医師のDさんが退職することに。送別会で新しい職場の話を聞いて驚きました。
「前々からへき地の医療に携わりたいと考えていて、休みのたびに飛行機で全国数カ所のへき地にある病院を巡り、見学と面接をしてたんだ」
それだけでも十分に驚いたのですが、もっとびっくりしたのが次の言葉。
「本当はもっと時間をかけて、すべてのへき地の病院を見て回りたかったんだけど……」
元々、Dさんが医師を志した理由は、テレビで医療過疎地域の特集を見たからだそうです。
そういえば、救命救急のトレーニング組織に所属していたり、一次対応で麻酔医がいなくても対応できる知識を吸収していたりと、これまでDさんが取り組んできたすべてが、へき地で働くためのものでした。大学医局にいた頃は、自ら医療過疎地への派遣を希望して、実際に現地で勤務していたそうです。ここにくる前も、東日本大震災が発生した際、いち早くDMATのメンバーとして、2カ月近く被災地で医療活動に従事したんだそうです。
そんなエピソードもDさんらしいなぁと思います。
現在は東北の医療過疎地域の病院で働いているDさん。私も、目指す道は違いますが、彼に負けないように、自分の理想とする医療を目指して頑張りたいと思います。
(文・エピロギ編集部)
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