決断の時―キャリアの岐路で、医師はどう考え、どう選択したのか

第8話 教授の逆鱗、医療機関からの連続NG……3年後の開業に向けあとがない中で、理事長から切り出された意外な話とは?

医師の長いキャリアには、重大な決断を迫られる場面が何度かあります。本連載「シリーズ・決断の時」では、それぞれの医師が「自身のキャリアに関する重要な局面でどのように考えて決断したのか」について、エピソード形式でご紹介します。

第8回となる今回は、42歳の皮膚科医のエピソードです。今後のキャリアについての1つの参考になれば幸いです。

 

教授に誤解されて伝わった開業話

「何の相談もなく、勝手な事をするんだったら、もういい。キミには来年度、この病院を辞めてもらう。」

斎藤浩一郎医師(仮名)、42歳皮膚科医、九州の某大学病院勤務。

最も寒さが堪える2月中旬。教授から言われた言葉がいつまでも頭から離れず、しばらく立ち直れなかった。

「近々、斎藤が開業する」という話が独り歩きしたのが、教授の逆鱗に触れた理由だった。

確かに「45歳を過ぎたタイミングで開業」と心に決めており、酒宴でもそういった旨の話をしたことはあった。それ自体は先輩医師からも時折耳にすることで、特におかしな話ではないと思っていた。

問題は、教授になぜか「すぐに開業する」と誤った内容で伝わっており、しかも「大学病院の診療圏内で準備も進めている」という根も葉もないうわさまでセットになっていることだった。

もともと気性が荒く、「独裁体制を敷いていた」といっても過言ではないような教授だったが、今回の話は特に教授にとって不愉快だったようだ。斎藤医師は何とか誤解を解こうとしたが、教授の怒りは日を置いても収まる気配はなかった。何度も話し合いの場を設けようとするも、取り付く島さえなかった。

 

開業前に医局から出ることを決意

「どうしても籍を残したいと言うのならば深緑山病院(仮名、過疎地にある小規模病院)に行く以外に選択肢はないよ」とも言われていたが、その選択肢は正直、受け入れられるものではない。

斎藤医師はもともと身体が弱い母親を助けたい、という想いで医師になった。皮膚科を専門にしてからも、ゆくゆくは関西にある実家の近くにクリニックを構えて、親を支えながら生まれ育った地域の医療に貢献したいという想いはぶれた事がなかった。

また、5歳になる子どもも、身体が強いとは言えない。僻地に連れていくにしても、単身赴任するとしても、家族への負担が増えるのは避けられなかった。
「これでは開業どころか、家族を支えることさえもままならなくなってしまう」

斎藤医師は、自分で転職先を探す決意をした。

 

「少しでも可能性が広がるなら……」あまりよい印象のなかった紹介会社への依頼

そこで、真っ先に大学繋がりの知人からあたってみたが、みなその教授の名前が出ると、とたんにトーンが下がってしまう。

それはそうだろう。誰だってあの教授に睨まれたくない。

また、大学とつながりの薄い知人から紹介された医療機関も、診療体制、年収、設備など希望とは程遠いものばかりだった。

もちろん、贅沢を言える立場ではない。

ただ、次の転職は開業につながる大切なステップだと斎藤医師は考えていた。安易に妥協し結果的に開業が遠のいてしまうことだけは絶対に避けたい。「少しでも可能性が広がるなら……」と藁にもすがる思いで、あまりよい印象をもっていなかった紹介会社に問い合わせをしてみることにした。

紹介会社への印象がよくないのには理由があった。

以前、斎藤医師は外来の定期アルバイト先を見つけるために利用したことがあったが、とにかく紹介された医療機関がひどかったのだ。

常勤医は予約患者ばかり診て、斎藤医師には新患ばかり割り振られるので、膨大な患者数を診なければならなかった。それにも関わらず時間外労働は無給であり、常勤医もみんな高圧的でコミュニケーションがとりづらかった。

アルバイトを辞めるに至った経緯も、「2週間後に常勤医が入ってくるから、辞めてくれ」というもので、心の中で「もっと早く伝えられただろうに」と毒づいたものだった。

今度ばかりは慎重に決めなければならない。ネットで検索して出てきた大手の会社の中から、サイト上に掲載されている求人や、書かれていた会社の評判などをもとに、しっかりと対応してくれそうな会社を注意深く選び、問い合わせることにした。

 

「将来の開業」がネックで……医療機関からまさかの2連続NG

紹介会社の担当者とはすぐ会えた。自宅近くまで来てくれたのだ。その翌週には、関西にある3つの医療機関に足を運ぶことになった。

斎藤医師が転職先を検討する上で重視したポイントは4つあった。

①人員体制
→医師をはじめとしたスタッフの人数、勤続年数、人柄

②募集背景
→増員なのか? 欠員補充なのか? 欠員補充の場合は、変なトラブルが起こっていないか?

③給与、および今後の昇給ペース
→開業資金をしっかりと貯められるか?

そして、最後に……

④将来の開業への理解
→「遠くない将来、開業する」という点をのんでもらえるか? という点。

もしかしたら、数年後のことなどバカ正直に言わなくてもいいのかもしれない。
ただ、今回のように情報が独り歩きしてトラブルになるのは、もうごめんだ。
これまでも人間関係を大切にしていた斎藤医師は、「しっかり今の想いを伝えよう」と心に決めた。

足を運んだ医療機関はすべて、複数のクリニックを展開している医療法人。
雇われ院長として勤務すれば開業の参考にもなるし、複数の常勤医が勤務しスタッフのローテーションが行われているほうが、人間関係の風通しもよいだろう。

トントン拍子に話が進み、聞かされた勤務環境も給与提示額も満足いくものだった。「これはうまくいくかな」と思っていたが、開業の話を切り出した途端、相手の顔が曇った。

「……もうちょっとうちで勤務してもらえると嬉しいんですけどねぇ」

理事長の口調が、明らかにトーンダウンしていくのがわかった。

結局、次の日に紹介会社から、やはりと言うべきか採用見送りの連絡があった。
「人柄、能力は申し分ないが、3年後に辞めると決めている先生を採用する訳にはいかない」という結論に至ったと聞かされた。

その次の日に足を運んだ、2つ目の医療機関も同じような理由でNGとなった。

 

「開業はいつするんですか?」理事長から切り出された意外な話

いよいよあとがなくなってきた。

「3年後に開業することは隠した方がいいのだろうか」という考えも頭をかすめた。

ただ、開業しても関西で皮膚科を営む同志として、今後も円満な関係は続けていきたい。やはり自分の想いはすべて伝えようと決めて、3つ目の医療機関である令明会クリニック(仮名)に足を運んだ。

今回も面接は滞りなく進んだ。

勤続年数の長い常勤医が複数在籍しており、拠点拡大のための増員というのが募集背景にあり、待遇も希望に合致していた。特に患者数に応じてインセンティブが付くようで、頑張った分だけ正当に評価されたいと思っていた斎藤医師にはもってこいだった。

あとは、開業への想いを口にするだけ……と思っていたら、むこうの理事長から切り出してきて、意外な展開を迎える事になった。

理事長 「先生、開業はいつするんですか?」
斎藤医師 「……実は、資金さえ貯まれば45歳前後には実家近くで、と思っています」

すると、間髪入れず、

理事長 「いいんじゃないですか。うちでしっかり勉強していってくださいよ。幸いご実家近くだったら診療圏も被らないし。年齢を考えればごく当たり前ですよね」
斎藤医師 「ただ、今まで3年後に開業と伝えたら、難しいと言われた病院さんもあったのですが、本当によいのでしょうか?」
理事長 「さっきの話で患者さんを増やすために頑張る、って言ってくれたじゃないですか。それに開業資金も貯めたいんでしょ。だとしたら、こっちとしてはむしろ3年は絶対いてくれると計算できるので、それはそれで貴重な戦力なんですよ」

「……なるほど、この医療法人が大きくなっているのがわかるような気がする」
斎藤医師にとって納得のいく返答であった。

 

クリニックでの勤務を通じて得られた、今後に繋がる確かな ”糧”

医療機関側も斎藤医師を高く評価してくれたようで、翌日には内定を得ることができた。

実はその後、大学の教授も幾分態度を軟化させ、「反省しているのであれば、来年度もいて構わない」と言ってきていた。

しかし、もう心は “そこ” にはなかった。

「開業を応援してくれる令明会クリニックにこそ、自分の居場所がある。
そしてあの理事長から、病院経営のノウハウをできる限り学んでいきたい」

斎藤医師は迷うことなくクリニックの内定承諾を紹介会社に伝えた。

……それから3年と半年。

自身のクリニックを開業する準備が、いよいよ整った。もちろん円満退職で、後任医師への引継ぎも完了していた。

令明会クリニックでの勤務では、スタッフ管理や集患対策など、大変だった時もあった。
経営者として突出していた理事長と、そうはいっても目の前の患者を大切にしたい斎藤医師の間での衝突も何度かあった。

だが、こうした中で培われた「病院経営ノウハウ」と、令明会クリニックを通じて得られた「人脈」は、今後の“糧”として必ず活きてくる――そう確信を持って言える程、実りの多い3年間だった。

これから、地域に根付いた医療で、生まれ育ったこのまちをより一層安心できる場所にしていきたい。

そう心に誓った斎藤医師であった。

 

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森川 幸司(もりかわ・こうじ)
大手の出版関連企業から転職して株式会社メディウェルに入社後、関東を中心にコンサルタントとして300人以上の医師のキャリア支援に従事する。「自分が先生の立場だったら、家族の立場だったら…」という想いから、「自分事としてとことん本気になる」ということを仕事上の信条とする。
2011年5月、ステージIVの大腸がんとそこから転移した肝臓がんの診断が下り、それ以降は手術と抗がん剤による闘病生活が始まる。肝臓がんの再発や肺への転移なども経験し、入退院を繰り返しながら、現在は管理部門に所属し他のコンサルタントの支援を行なっている。

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