米国・ハワイ大学での内科レジデンシーの現場から

【後編】アメリカの医師の働き方に触れて~全ての医師がハッピーに働ける現場を作る

浜畑 菜摘 氏(ハワイ大学内科レジデント)

女性医師の割合は高い

「アメリカの医学教育を学びたい」と、ハワイ大学にレジデント留学されている浜畑菜摘医師に、文章を寄せていただきました。前編では、標準化された屋根瓦式プログラムで一人前の医師を育てあげるアメリカの教育システムを目の当たりにし、医学教育の面白さと重要性を再認識したという浜畑氏に、実際の研修の様子を紹介いただきました。

後編では、研修で触れた日本とアメリカの医師の働き方の違い、世界へと飛び出し改めて思う日本の医療現場への思いを綴っていただきます。

 

誰もが選べる「自由な働き方」と、活躍する女性医師たち

前編でアメリカの医学教育の話をしましたが、留学してもう一つ驚いたことが、医師の働き方です。

アメリカの医師の給与制度は、働いた日数や診た患者の数、行った手技の数に比例して増えるため、色々な働き方が認められています。日本の医師のように働き詰めになるケースもありますが、それは少数で、ほとんどの医師が1カ月のうち2〜3週間しか働かないため、週ごとに担当医が替わるのはよくあることです。
皆が自由な働き方ができるため、家庭環境や体調などに合わせて男女問わず勤務体系を選ぶことができ、産前・産後の女性医師も多数働き続けています。また、2016年に“女性医師が診た方が予後が良い”という研究*が発表されてからは、一層、女性医師に対する社会的な評価が上がっています。

家族やベビーシッターの協力も得つつ、搾乳しながらカルテを書くなどこちらの女性医師の働き方には驚く場面も多々ありますが、この「勤務体系が自由ながらも働く時には全力投球」するという女性医師の姿勢に対して、男性医師や周囲の医師がサポートできる体制が整っているのもアメリカの特徴です。サポートする側も勤務形態が激務ではないため、サポートできる時間・心の余裕があることが大きな違いだと思います。

一方で、最近、日本で働く同級生たちが続々とママになっていて、日本でのママさんドクターの復帰の難しさについてよく聞きます。

「復帰しても周囲に迷惑をかけてしまう」「肩身が狭い、復帰しても同等には扱ってもらえない」「給与が極端に少ない」……。

現在の日本の医療は、板橋中央総合病院院長の加藤良太朗先生もおっしゃっているように、第一線で働く医師たちが150%の力で働き詰めになってなんとか回っているという現状があるのも事実で、その医師たちに他の医師をサポートする余裕を持てというのも無理な話です。

おそらく、男女全ての働く医師の労働環境が改善されれば、育児中の女性医師や育休を取りたい男性医師をサポートする時間的・精神的な余裕も出てくるのだと思います。働くお母さんにだけ働きづらい環境の中でのプレッシャーがかかるのは、今の日本の労働環境の中では致し方ないのかもしれません。でも、能力ある女性医師たちがなかなか現場に復帰できなかったり、育児に参加したくても働き詰めになってほとんど家にいられない男性医師の今の状況は勿体無いと思います。

米国と日本では、医療制度も給与形態も全く異なるため、米国の医師の働き方をそのまま日本人医師に当てはめられるとは思いませんが、昔からの慣習となっているが故に、本来変えられるのに変えられない制度や“現場の雰囲気”が存在していることもあるかと思います。シフト制を取ることのメリットや、適切に休みを取ることの意義など、外の世界を知ったからこそ、将来日本に戻った際に、医師の労働環境を改善する手助けが少しでもできるのではないかと思います。

*:Yusuke Tsugawa, et al. (2016) Comparison of Hospital Mortality and Readmission Rates for Medicare Patients Treated by Male vs Female Physicians. JAMA Internal Medicine

 

それでも、バーンアウトしてしまう医師たち

アメリカにきて、もう一つ、日米共通の、あるいは、もしかするとアメリカでより顕著で深刻な問題も実感しています。それは、忙しい日々を送っていく中で、皆程度の差はあれど、医学を純粋に心から楽しむ(Joy of medicine)気持ちが薄れてしまう、つまり「バーンアウト」してしまう時期がありうるということです。

特に米国のシステムは、保険制度との兼ね合いから、電子カルテと向き合っている時間の方が患者さんと向き合う時間よりも長くなることが多々あります。またこちらの患者さんは、時に過大な要求をされたり、薬物中毒やアルコール中毒、ホームレスなどの社会的に複雑な背景を持つ人も多いため、必ずしも医師は感謝される対象ではなく、自分の提供している医療に虚しさを感じることもあります。医療訴訟の件数も圧倒的に多いです。

日本にいた頃は、もっとベッドサイドで患者さんと接していたことや、おじいちゃんやおばあちゃんの患者さんがシワシワの手で私の手を握り感謝してくれていたことを思い出し、日本の医療現場が恋しくなることもよくあります。

 

研修医のバーンアウトを防ぐ、“チーフレジデント”の存在

レジデントやインターンなど研修中の医師には、加えて評価されるプレッシャーもかかります。前編でも述べたとおり、私たち研修生は3年間で一人前になることが求められます。よって、「このままでは一人前になれない」と判断されたレジデントは途中で契約を解除されることすらあります。毎月ローテートする先で常に評価を受けており、その評価がその後のキャリアに大きく関わってくるのです。日本にいた頃と比較して明らかに“見られている”という緊張感が常にあり、中にはこの緊張感に耐えられず、医学を学ぶことの面白さを感じられなくなりバーンアウトしてしまうレジデントもいます。

私自身、インターンの最初の数ヶ月は非常にもどかしい思いと悔しさで食事がなかなか喉を通らない日々がありました。
帰国子女で英語にはそれなりに自信があると思っていたのに、言語や文化の壁は否めず、ハワイ特有の言葉を使う患者さんや、罵声を浴びせてくる患者さん、投薬量の全く違う薬剤、保険制度の違いに苦戦し、日本でできていたことの半分もできませんでした。更に言えば、アメリカのレジデントの標準的な仕事がどの程度のものなのかもわからず、自分のこなしている仕事が標準よりもはるかに下なのではないかと不安になり、詳しすぎるくらいのカルテを書いては遅くまで病院に残る日々でした。
今思い返してみるとあんなに詳しいカルテを書く必要はなかったのだとわかりますが、当時の私は不安に押しつぶされそうで右も左も分からない日本での研修医時代に逆戻りしたような気持ちでした。

そんな時に救ってくれたのはチーフレジデントと先輩医師の存在でした。当時自分がやっていることが正しいのかわからない、皆から遅れをとっているのではないか、という不安をチーフレジデントに打ち明けたところ、一から私のカルテを添削してくれて不要な箇所や省略できるフレーズなどを教えてもらいました。こなしている仕事に間違いはない、このまま頑張っていれば絶対に慣れるから、と背中を押してもらって前に進むことができました。

 

 

研修仲間との息抜きのひと時。このような時間もバーンアウト防止に一役買っている

 

ハワイ大学の内科研修プログラムでは、3年間の研修が終了したのちに、学年から2人、チーフレジデントとして残る者が選出されます。
チーフレジデントを務める間は、臨床業務はほとんどなく、プログラム運営とレジデントのメンタルヘルスケア、医学教育のみに1年間従事することになります。臨床に従事しない分、プログラムディレクターを含め多くのプログラム運営チームとの会議を連日のようにこなし、現在のプログラムの問題点や、その問題点をどのように改善すべきか、改善するために必要なリソースについて話し合います。そしてもう一つ、プログラム運営に加えて、レジデントのバーンアウトを防ぎ、心身の健康を保つためのサポートをすることも、チーフレジデントの大切な業務です。

研修がうまくいかなかったり、プライベートや自身の健康面での悩みなど、レジデントがぶつかる壁は様々です。このような悩みを抱えバーンアウトで仕事が回らなくなってしまうレジデントや、周囲と比較して遅れをとっているレジデント達をサポートし、プログラムとの架け橋となりつつも、周囲の評価や偏見にとらわれず、どんなレジデントに対しても対等な立場で向き合い一緒に問題を解決していく。

光栄にも、このチーフレジデントとしてのオファーをいただき、卒業後に1年間残ることが決定しました。チーフの年の経験から得られることは多いと思います。

 

来年度、共にチーフレジデントをする同期と

 

これまでを振り返って

医学部時代から振り返って、紆余曲折ありましたが、素晴らしい同僚や先輩医師との出会いに恵まれてここまで来ることができました。

医学生時代にはもっとスマートに留学できるものだと思っていましたが、予想以上にたくさんの挫折や涙も伴いました。そんな中でも無意識のうちに自分の中で決めていたルールがありました。それは、「どんな環境に置かれても目の前のことに真摯に向き合ってきちんと仕事をする」ということです。

自身の意図していなかった研修先に行くことになりUSMLEの勉強ができなくなったり、経験したい症例を診ることができないこともありましたが、その新しい環境だからこそ得られたこともたくさんありました。柔軟に、置かれた環境で自身にできる最大限のパフォーマンスをすることも、プロフェッショナリズムの一つなのではないかと思います。

今思い返すと、そういう予期せぬ環境でこそ、新しい出会いや気づきがあったように感じますし、一生懸命取り組んでいると周囲が必ず手を差し伸べてくれました。現在のプログラムに応募した際、「ここまでやって選ばれなかったらもう潔く諦めて日本で働こう」と思っていました。そう思えるくらい全力投球していたことも確かですが、「もしダメだったとしてもうちの病院に来なさい」と手を差し伸べてくれる人たちがいて、“どちらに転んだとしても、自分を信じて一生懸命やってきて良かったな”と思いました。そして、今もその気持ちは変わりません。

 

すべての医師に、「医学の面白さ」と「ハッピーに働ける環境」を

日本の医療現場は、先ほども述べたとおり、まだまだ医師のボランティア精神、150%の頑張りで成り立っているところも多く、復帰後の女性医師が働きづらい、独身の女性医師に対する見方が厳しい、そして多くの医師が働き詰めでバーンアウトしやすい環境です。また、地方病院での医師不足による医療の質の低下などこれから解決すべき問題がほかにも沢山あります。

一方で、患者さんと距離の近い医療ができることや、保険制度にとらわれない患者さん中心の医療を提供できること、素晴らしい指導医が全国各地にいることなど、Joy of medicineを感じやすい、という日本ならではの良い点も沢山あると思います。

渡米して2年半、米国の医療制度・労働環境の全てが良いとは決して思いませんし、それらをそのまま日本のケースに当てはめられるとも思いません。しかし、医学教育に対するシステム作り、研修医教育、バーンアウト対策などで少し工夫を加えれば、日本で取り入れられる要素はまだまだ沢山あると思うのです。

現在第一線で活躍されている女性医師の方々は皆さん、非常に輝かしく尊敬できる方ばかりで、私もいつかあんな風になりたいなと思う一方で、「○○先生くらいのパワーと能力がないとあんな風に両立しながら第一線で活躍できないよね」という思いを持ってしまうのは私だけでしょうか。これまでの尊敬すべき先輩たちが人の何倍もの努力をしてきた上で、現在の女性医師のポジションが確立されてきたことは間違いありません。でもふと思うのです。人の何倍も頑張れる“体力と能力のある女医さん”じゃないと第一線で活躍できないのか? もっとみんながハッピーに当たり前に活躍できるシステムにすべきなのではないか? と。

私は決して臨床や研究が飛び抜けてできるわけでも、スマートになんでもこなせる医師であるわけでもありません。先ほど言ったような「凄まじいパワーと能力を持った女医さん」では決してありませんし、米国に来たからといって日本の教育病院にいる医師より臨床力が高くなったとも決して思いません。無理がたたって体調を崩し、やる気はあっても身体がついてこないことがあるのだと改めて知る、悔しい経験もしました。でも、ごく普通の医学生であった私が、大学の医局→市中病院→米国と様々な世界を見た今だからこそ、客観的に日本の医療制度や教育制度を見ることができるようになったのも確かです。この経験は私にとって大きな財産です。

今はまだ日本の医療や教育に貢献できるような立場ではありませんが、このような場でメッセージを配信することで、キャリアのことで迷っている方や、人と違うことをする一歩を踏み出せずにいる方に、“こんなキャリアもアリなんだ”と何かのきっかけやヒントにしていただければ光栄です。

そして、将来、全ての日本人医師が働きやすい環境、学びやすい環境を築いていくことに力添えができたら、その時初めて、私自身も、自分が米国に飛び出したことに意味が持てるのかなと思います。

 

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浜畑 菜摘 氏(はまはた・なつみ)
1988年生まれ、東京都出身。2013年に東京慈恵会医科大学を卒業し、母校の附属病院にて初期研修中に米国医師免許取得。2015年より東京ベイ・浦安市川医療センターにて1年間の総合内科と集中治療科(現在の救急集中治療科)のローテートを行い、2016年より兵庫県の明石医療センターにて1年間の総合内科後期研修中に、米国内科レジデンシーマッチングに参加。2017年7月よりハワイ大学内科レジデンシー研修を開始。現在レジデント最終学年であり、2020年7月より同プログラムのチーフレジデントとして教育などに従事予定。 
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