第2回 「医者」として正しい専門医へ
嘉山孝正 氏(山形大学学長 特別補佐/[独] 国立がん研究センター 名誉総長/[社] 全国医学部長病院長会議 相談役)
そしていま、先生はこれまで中医協委員などを歴任し、医師のキャリアの方向性を示す「専門医制度」の改革にも携わってこられました。
今後、医師の現場はどう変わるのか。
医師が歩むべきキャリアの在り方は。
そして、医師は何を学ぶべきなのか。
制度改革の最前線で医師の「道」を示す嘉山先生に、今後の若手医師が進むべきキャリアパスの方向性について伺いました。
——いよいよ新しい「専門医制度」が動き出しました。 今回の改革は現場の医師の新たな在り方を示すものだと考えます。まず今回の改革は何のために、何を変えたのかお聞かせください。
この10年、若い医師が自分のキャリアを考えるときに、非常に狭い専門性を求めるようになっています。これが各地の医師不足を生む原因にもなっています。
今から約20年前。文部省が全国の大学医学部で大学院教育改革を行いました。
当時は「もっとノーベル賞をとれないのか」という世論もあり、東京大学の農学部が学科をさらに細かく分割し、専門性を高めようとしたんですね。
これを国立大学の医学部もはじめてしまった。
これが大学院教育、研究者の教育であればよかったんですが、「医師のキャリアパス」と履き違えてしまったんですね。
——大学院の教育改革と医師のキャリアパスの履き違え、ですか。
もう少し詳しくお聞かせいただけますか?
たとえば、某大学の内科。ここは第一から第三までの内科があり、第三内科では血液、心臓、糖尿病など専門性をもっているとします。この第三内科で糖尿病を専門に取り組んでいた人がいることにしましょう。
こうした人も「第三内科」という組織だった頃は、たとえ自分の専門が糖尿病だったとしても、カンファランスで他の病気のこともしっかり勉強できたわけです。でも専門分野一つひとつに教授ができるようになり、入局するときはその下に付くようになったわけです。結果として糖尿病しか分からないとか、そういう「部分屋的内科医師」が増えることになってしまったんですね。
——つまり、科が専門ごとに細分化されてしまったために、分野を越えた知識の共有がなくなってしまったということですか?
そういうことです。
あのとき教授の数はものすごく増えたんですよ。「大学院での研究のため」なら細分化は良かったんです。
当時私はまだ前任地に講師としていましたが、これは非常に危険だと感じました。医師のアカデミア……キャリアパスの崩壊につながると。こういうことに気づいた人はあまりいなかったと思います。
私がいた東北大学でも、第二内科ではホルモンをやっていたり、腎臓もやったり、いろんな臓器を扱っていた。毎朝のカンファランスではいろんな病気が出てきたわけです。ところが大学院に教授を作って細分化してしまったことで、第二内科の中に複数の教授ができ、そこに若い人を入れて初期研修後の教育をやってしまった。結果として何が起きたかというと、心臓なら心臓しか分からない医師が生まれた訳です。
昔は「内科医」になって、そのあと専門に行くのが当たり前だったんだけど、いきなり「部分屋」になる道しかない。各臓器全部の「部分屋」を集めておかないと病院として成り立たない。おかしいでしょ?
これはまあ極論かもしれないけど、こうした「大学院改革」が医師のキャリアパスの大きな変換点になったのは間違いありません。
研究はいいんです。研究だったら教授の数を増やし、専門性を持てば持つほど掘り下げて行くことができます。
しかし「医療におけるトレーニング」においては非常に課題が多かった。
特に内科と外科に対する影響は大変なものですよ。
——内科医、外科医ではなく、最初から「◯◯内科医」「××外科医」を育てる構造になってしまったと。
そう。最初から狭いキャリアしか選べない。しかし患者さんの身体は、特定の臓器だけで出来ている訳ではありません。結果として総合的な「判断」できなくなってしまったんです。
昔はちゃんとした判断力を持った「内科医」がいたんです。自分で最先端の治療ができなくても、「これは今やらなくてもいい状態」「これは今処置しなければならないもので、このままだと糖尿病昏睡になってしまうから専門医を呼んで……」とかね。こういう「判断」ができる医者がいなくなってしまったんです。だから、実は「患者さんのたらい回しが」とよく言われるけど、それ以前に「診ることができない」とう状況があり得るんです。知識がないから。みんな「内科」じゃなく、みんな「肝臓屋さん」、「腎臓屋さん」、「すい臓屋さん」だから。
もちろんみんな医師国家試験を通っているわけですから、皮膚科の◯×病とかはわかるはずで。でも、国家試験から何十年と経っていたら、この病態がいま何とかすべきものかどうか「判断」できないかもしれない。
一方、毎朝カンファランスでいろんな患者さんの状態を見ていれば知識もつくし判断力や実力がつくわけです。その勉強の「場」がなくなってしまったんです。こうした学びの環境の喪失が日本の医療をおかしくした原因だと思いますよ。
——今回の専門医制度改革ではこうした構造の是正が目的ということですね。
そうですね。今度の専門医制度は私が考えていた専門医制度に近いかもしれない。ただし、コンセプトは同じでも、やり方はだいぶ違います。
まず、これまでのようなキャリアパスは、今度の専門医制度で完全に否定されました。
最初から専門分野を学ぶのではなく、18の基本診療科をきちんと学び修めることが必要になります。内科なら内科全般。つまり「標準医療」は全部できるようになること。その上で自分の専門分野を持つ。
私の専門は脳卒中と脳のがん。でも、一応専門以外のことも分かる。「これは別の専門医が必要だ」とかね。標準医療がちゃんと分かっていて、判断ができ、さらに専門分野に熟達している医師――それが専門医なんですよ。
今度の新しい専門医制度では基本領域の専門医であり、特定の領域もすべて判断できる医師=専門医と規定しましたので、だいぶ変わるとは思いますけどね。
若い人たちが思っている「いわゆる技術専門医」というのは、私からみれば「認定医」です。たとえば「わたしは内視鏡の専門医です」という医師がいるとする。内視鏡の技術というのは毎年進歩していきます。専門医っていうのは「何年たってもこの領域は大丈夫」というもののはず。毎年新しい技術を更新していかなければならないものはおかしい。そういうのは認定医でいいんですよ。
極論すれば抗癌剤の専門医といっても、三年たてばその知識や技術はもう役に立ちませんからね。一年後だって変化していますから。でも、まさか毎年専門医の試験を受けているわけには行かないでしょ? こうしたものは専門医ではなく認定医として認定して、技術の更新をしていけばいいんですよ。
本当の専門医というのは、内科なら内科全般の標準医療がちゃんとわかることが大事。その上で自分の専門領域を深く診ることができること。この両方が備わって初めて「専門医」なんです。
——過去、専門領域を持っていた医師は、医者として「ひと」をしっかり診ることができた。しかし大学院改革以降は医者として充実する前に専門分野へと進んでしまうから、きちんと診断し病状を判断することができる医者が減ってしまった、ということですね。
それこそが、いま私たちが直面している『大学院制度改革と専門医制度の履き違え』の結果なのです。
かつての第一・第二・第三内科のままやっていれば、ちゃんと一人の人間を診ることができる「内科医」や「外科医」が、いまの二倍から三倍はいたのと同じだったはずなんです。
このおかしな状況に拍車をかけたのが「卒後臨床研修制度」という制度。たとえば山形大学に入学した関東の人が「研修させてください」っていって関東の大学病院に入ることは非常に難しかった。でも今はボタンひとつでできるようになってしまった。学会にも入っていなかったり、教科書やマニュアルでの勉強・試験だけしかしてこないのにキャリアを認めたり。こういう状況がすべて医師から判断力を奪ったんだと思います。
——と、なると先生は医療業界の構造を変え、医師の在り方を変えようとされているということになります。
そうなると医師が歩むべきキャリアパスも相当変わらざるを得ません。今度の改革ではどんなキャリアパスが描かれたのでしょうか。
狭い範囲の専門知識や技術の習得は基礎診療科を全部やったあと。そこではじめて自身のサブディビジョンを持つ制度です。脳外なら脳外、内科なら内科の基本的な勉強は行いつつ、きちんと「判断」……つまりトリアージできる能力を獲得しておかなければならない。その後に、例えば血管ならバルーンを入れてどうこうするとか、そういったサブディビジョンの勉強をやる。それが30歳前後以降のキャリアパスになります。
うちの医局員にも、専門医をひとつ採って、その上で内視鏡学会の技術認定でもなんでもいいからひとつの技術を深くやりなさいと言ってます。専門医ってのは標準手術を理解していれば、自分一人で手術できなくてもいいんですよ。「判断」ができればいいんです。
たとえば、よくあるのが、上の立場の医師が学会に行っていて不在という状況。そんなときに緊急の、急性期の患者さんが出たとする。そのときに何ができるか。
いまの医療だと大学病院内で倒れたって、頭を開けるまでに最低一時間はかかる。どこの大学病院だってそう。つまり裏を返せば「代わりの医師を1時間以内に呼べればいい」。現場で必要になるのは「これは呼んで開けてもらわないとダメだ」という「判断」ができる能力です。「判断」ができれば「専門医」なんです。
——そうすると、今回の制度改革では専門性を積み上げるための土台となる標準医療の習熟を徹底させる構造に変わるわけですね。
そう。繰り返しますが、いままでの専門医制度の基礎になっているのは大学院改革なんです。教授は増えるし国からの支援も増える。
一方、韓国では私が言及した体制になっています。脳外科なんかでも教授が二人いる。脳の病気を二つの講座が診ているんです。韓国は脳卒中の教授が五年間主任教授をやったら、次は脳がんの教授がやるという風になっている。その代わり、双方が一緒にディスカッションしながら患者を診ていくんです。こういう体制が医者を育てるんです。
同じように、全国の風潮に乗らないでディスカッションできるナンバー内科を残したのは私ども山形大学だけでした。たとえば第一内科。心臓と腎臓と肺を扱ってるから、三つは確実にできるようになる。他の大学では「腎臓内科」とか専門科になっているんです。
国立大の内科は地域最大の医局の機能です。その医局が専門科になって人数が少なくなったら、地方全域に医師を送ることなんてできません。そうなったら医療が提供できなくなります。医療崩壊です。実は、こういう事例が全国に沢山起きてしまったのです。
——生活者から見れば、専門医が増えることでさらに充実した医療が受けられると安心しているはずですよね。しかしその専門医が医療サービスそのものを危うくしていたと。
そう。だからこれから作り直さなければなりません。
国民だって「専門医」に診てもらいたいって思うのが当たり前です。でも「専門」の意味が違う。「専門医」は単なる「ソコしか診られない医師」だったのです。
もちろんその分野の知識はいっぱい持っているけど、実は病気ってのはそんなに簡単ではありません。腎臓が悪くて心臓に負荷がかかっていることだってある。だから患者さんの前に立つなら総合的な知識が必要になる。私どもが脳卒中を診るときだって、循環のことも心臓のこともわかってなきゃダメなんです。もちろん脳外科医が心臓病を治療するわけではありません。でも知識として持っていなければならない。人は部分で生きているわけじゃないんです。
すべては患者さんのため。医局に何人も教授を立たせるなら、せめてディスカッションする場を残せばよかったんです。山形大学は教授会の理解で残すことができた。うちの第三内科のトップは神経内科が専門だけど、科としては糖尿や血液も扱います。だから血液の教授には東北大の先生に来てもらいました。教授は三人体制ですよ。で、主任教授は順番でやります。そのかわり、三人は同じフロアにいて、本人たちも弟子もみんなディスカッションしながらやる。そうすると、標準的な神経もわかるし、血液もわかるし、糖尿病だってわかるようになるんです。
——かつてのカンファランスで行われていた学びが存続されているんですね。実は不思議だったんです。どうして山形大学病院は第一・第二・第三なのか。
不思議でしょう? ちゃんとディスカッションできる体制なら、最近の内視鏡による事故のような事故はありえません。第三者が止めますから。第三者っていうのは自分以外のすべての医師ね。「それおかしいンじゃないの?」と言わなきゃならないんです。ディスカッションしないと、技術的におかしいところがあっても明らかにされない。山形県で医療事故がほとんど起きてないのは、ちゃんとカンファランスを行って、討議する教育を十数年にわたって行ってきたからなんです。
——ナンバー体制は医者としての学びの体制なんですね。確かに、医師免許を持ったからといって、すぐにプロフェッショナルというわけにはいきませんよね。
「専門医」はわずか30歳前後で認証されるわけですから。臨床で千例・二千例と実戦を重ねたベテランではないわけですよ。専門医になってからもずっと修行していくわけです。まずは緊急か緊急でないのか、その判断方法を実習で学ばなければならないんです。
こうしたことは実際の患者さんと病態を見て、学ばないと判断できないんです。実習で叩き込まれないとダメなんです。
実習を重ねて、ちゃんと判断できるのが「専門医」。その成長に必要なステップこそが、医師に求められるキャリアパスです。
それをメディアも、国民も、医師自身も、みんな誤って理解してしまったのです。
——では、標準医療を学び、実習を重ねて正しく「専門医」になったとします。
そこから数十年は医師それぞれの専門分野で活躍されると思います。
その後はどうなるのでしょうか。
山形大学では『リフレッシュ医学教育』というのをやっています。看護師や医師に新しいキャリアを提供して現場に戻そうというプログラム。たとえば、子育てなどの理由で一度退職した看護師がいたら、現場に戻るとき何が不安か徹底して訊くの。その上でオーダーメイドの復職教育を提供するんです。
彼女たちが一番怖いのは医療事故。人工呼吸器なんかの機械だって毎日進歩してますから。夜勤に入って、誰にも訊けないときに何かあったらと思うと、怖くて復帰できないんです。人工呼吸器は看護師がコントロールしなくちゃならない。だから勉強できる場を提供しているのです。ウチはもう60名ほどの潜在看護師を復職させています。
医師に対してもオーダーメイドのプログラムを提供しています。たとえばどこかの心臓外科医が「もうこれ以上心臓外科医を続けるのは無理だ」と自分を評価したとします。
その人が「一般内科医になりたい」というなら、まず何の一般内科医になりたいか訊いて、「消化器内科がいい」というなら必要なモノ全部教えています。いままで20〜30人の医師がここでトレーニングを受けて一般内科医になっています。
——これも、先ほど先生がおっしゃっていた「何年たっても大丈夫」に通じますね。プロとして培ったものがあれば、ちゃんと復帰もできるし転科もできる。プロとしてのキャリアが続けられる。
そして、この制度にはもうひとつ大きな狙いがあるんじゃありませんか? 地域として。
山形県では、実は医療崩壊がありません。もちろん、医師が十分にいるわけではありません。医療崩壊ってのは、ある地域ではお産ができないとか、子供が診られないとか「医療を受けられない状況」になってしまうこと。山形はそういう状況が起こらないようにずっと取り組んできたんですよ。
たとえば山形の各地域にどれだけお産をする可能性がある人がいるか、子供たちがいるか、全部調べてあるんです。病院が医師を欲しがるよりは、その地域の患者数から必要な医師数を検討し配置しています。
専門医制度も、医療崩壊も、すべて同じ根から発生している問題なんです。
——これまでのお話を伺うと、山形大学は新しい専門医制度やその教育の在り方について、ひとつのモデルケースになっていると思われます。他県の大学からも「山形大学で学びたい」という声が出てくると思われます。こうした声に応えていくことになるのでしょうか。
若い医師がどの地域に集まるかは、教育の質などだけではなく地域・街の規模や魅力も大きいです。
アメリカのメイヨークリニックがわずか人口8万人程度のロチェスターという街にあります。そこは世界から医師も患者も集まっています。ここでは街全体が病院を応援する体制になっているのです。
こうした点からも山形に学生や若い医師が簡単に集うのは難しいでしょう。
それよりも問題なのは「いま自分がいる環境が正しいのか正しくないのか、内部にいると分かりにくい」ということだと思います。私自身、そうした視点を獲得するまで、やはり時間と勉強が必要でした。
ただ、大学院改革と専門医制度の履き違えに関しては最初から明確に意識してました。
——そこが不思議です。なぜ先生には大学院改革と専門医制度の履き違えや、その先にある医療崩壊を見通すことができたのでしょうか。
私自身は脳外科医ですから。手術するときは患者さんもモノが言えない状態がほとんどなんですよ。と、いうことは全身状態をどう管理したらいいかが一番の課題です。だから最初の二年は徹底的に内科の勉強をしました。脳外科は脳外科医としていずれ勉強しなければなりません。だからこそ、最初の二年間は分からないことがあるたびに大学の内科にカルテを持って行って、いろいろ質問して回りました。でもただ答えを聞くんじゃなくて、「なんでそう考えたのか」を訊いて回りました。
たとえば糖尿で血糖が◯◯◯になったらインスリンを使えと言われているとする。なんで◯◯◯なんですか、×××では何で使わないんですか、といった質問をしました。すると「◯◯◯以上になると血管への影響が進むことがわかっているから」とか理由を教えてもらえるわけです。
で、ずっと訊きに行っていると内科の先生が「嘉山さん、◯◯のデータはないの? コレがあると××がわかるから……」と教えてくれたりする。それで「糖尿病のこういう病状判断には◯◯のデータが必要なんだ」という理解ができました。つまりテュートリアル教育そのものを自分でやって来たわけです。肺炎の勉強も同じでしたね。
脳卒中の患者さんは意識ないので、呼吸から心臓、栄養計算までみんな自分でやらなければならない。すべて一定レベルで理解ができ、判断できなければならないんです。
——患者一人をちゃんと診られるよう自身を培ってきたからこそ、旧体制では「ひとを診られる医師が育たない」と確信が持てたということでしょうか。
そうでしょうね。
東北大はね、脳外科は分院にあったんですよ。
本院までいくのに5Kmある。その間に1回データを忘れたら大変です。行く前に糖尿病の復習です。脳外科医なのに。
こんなふうに「医者の勉強の仕方」は身をもって体験してきたわけです。
私は『週刊朝日』の「名医が選ぶ名医(2004)」でも取り上げられたりもしました。でもね、実は手術をさせてもらったのは十年目ですよ。
でもその間に鈴木二郎先生(東北大学名誉教授)という世界でも超一流といわれる先生の手術を十年間見ていた。やっぱり超一流の手術を二千も三千例も見ていたほうが、独自でやるより本質が理解できるものなんです。
一般的には下手な手術をいくら見てても参考にならないことが多い。本人に余程の才能がなきゃ。やっぱり超一流を見ることなんですよ。
——先生はやはりずっと戦ってこられたんですね。プロとして。
その先生の言葉だからこそ「患者を診られること」への責任の重大さが感じられます。
そうですね。医者としての実績もなんにもなくて、ただ患者に人脈があるっていうドラマみたいな在り方ではなく。ちゃんと医者でなければダメなんです。患者と向き合えなきゃダメです。
——先生は医師ではなく「医者」なんですね!
そう! 私は専門医です。
何よりも大事なことは患者と向き合うことです。医者としてきっちり向き合えるか。大事だと思います。
だから新しい専門医制度では、まず標準医療をしっかり修めて「判断」ができる医者になり、そのあと専門医として特定の分野を深く学んでいくという形になる。
最初は超一流の手術ができなくてもいいんです。「判断」できることが重要なんです。まずはそういう医者になって、その上で専門のことを一生勉強して行きなさいと。それがキャリアパスの根幹です。
——一生勉強していく。それは年齢や生活環境などによって生じる転科も含めて医者のキャリアを続けていくということですね?
そうです。人は老いて行くんです。我々脳外科医は顕微鏡で手術しますから一生手術できるんだけど、肉眼やルーペで手術をする科は加齢にともなって視力が落ちますから大変です。
「正しい専門医」になっておけば、こうした転科も含めた様々なキャリアパスが見えてくるわけ。ほんとにね、こういう「正しい専門医」がきちんと育っていれば、医者の数は今の2〜3倍になっていたのと同じなんです。総合的に判断できる医者がいなければ、部分屋を部分の数だけ揃えておかなきゃならない。何人いても足りません。
だからキャリアパスの形も変えるんです。若い世代なら標準医療をちゃんと勉強して、そのあとに専門分野を深くやる。歳を重ねていったあとは、専門性を活かして転科したり、次のキャリアに移れるようになっていく。そうなれば地域の医療崩壊の状況もかなり変わると思います。
——先生はその広い目で地域も「診て」おられるんですね。患者、医者、大学、地域。すべてが繋がっているのがよく分かります。
地域との連携は大事です。山形には山形大学と地域医療の現場の連携をはかるための「山形大学蔵王協議会」というのがあります。
そのなかで先日、新庄市の開業医の先生が退職することになったんですよ。するとね、そこでお産ができなくなってしまうんです。
だから私は大学からすぐ若い産科医を出しました。だって、お産ができなくなれば、その地域の医療崩壊です。絶対に防がなければならない。だから行ってくれる医者には「新庄地域のお産の責任者だ」と。その代わり、帰ってきたら留学の用意をして、キャリアアップにつなげる。この若い医者はちゃんとプライドと自覚を持って行きましたよ。もちろん、手に負えなければすぐ応援を行かせるからと約束しました。
若い医師はちゃんと患者さんと向き合うことができるようキャリアを重ねていくことが大事です。まず判断できる医者になること。その上で、専門分野を深めること。そして本当の専門医として勉強し続けること。それが今後のキャリアパスで一番重要なことだと思います。
(聞き手・佐々木 裕)
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- 嘉山孝正(かやま・たかまさ)
- (山形大学学長 特別補佐/[独]国立がん研究センター 名誉総長/[社]全国医学部長病院長会議 相談役)
1975年東北大学医学部卒業。専門は脳神経外科学。東北大学医学部、国立仙台病院勤務を経て、1990年より東北大学医学部講師。1994年より山形大学助教授、1996年に同学教授に就任。2002年より山形大学医学部附属病院長。2003年に山形大学医学部長に就任。2010年より国立がん研究センター理事長として、同センターの改革に尽力。2012年より現職。
- 佐々木 裕(ささき・ゆう)
- TV番組制作会社、広告制作プロダクション、Web制作会社を経て広告代理店に入社。コピーライター、ディレクターとして研鑽を積む。東日本大震災後、Web制作会社に移籍。クリエイティブディレクター、ライターとしても業務にあたる。医療分野は専門分野として長年かかわる分野のひとつ。医療・ヘルスケア分野の今後の動向を読みながら原稿制作を行っている。
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