第1回 医療ニーズの変化と医師の生涯学習
北村聖先生インタビュー
北村聖 氏(東京大学医学教育国際研究センター主任教授)
超高齢社会の到来により医療ニーズが変化し、かつ医局による生涯教育の機能が弱まっている中、医師はどのようにして生涯学習に取り組んでいけばよいのでしょうか。
東京大学医学教育国際研究センター主任教授であり、日本や海外の医学教育を研究されている、北村聖先生にお話を伺います。
生涯学習を考えるタイミングは「30代半ば」
―日本において、これまで医師の生涯学習は十分に行われてきたのでしょうか?
医師・医療者が生涯を通じて学ばなければならないというのは、誰が考えても当たり前のことです。しかし、この点がきちんと医師に教育されてきたかというと、必ずしもそうではありません。
医局で勉強会をしている先生や、学会活動をしっかりとやっている先生は、医療の進歩にある程度ついていっているのでしょう。しかし、例えば医局や学会との接点を持ちづらい市中病院の先生や開業医の先生、あるいはへき地にいる先生など、学習機会が相対的に少ない医師や、日々の診療が忙しい医師ほど、学習が十分ではないかもしれません。
医師の生涯学習が十分でない理由はいくつか考えられます。第一に、医師自身が生涯学習の重要性を認識していないということ。これまでの医学教育で生涯学習の重要性がしっかりと教えられたかというと、実際にはほとんど教えられてこなかったと思います。第二に、日常の診療に追われ余裕がないということ。毎日多くの患者さんを診ている先生は、診療するだけで手一杯になっていることが考えられます。第三に、学習の機会がないということ。例えばへき地にいる医師は、勉強会が開かれる場所へ行くのに何時間もかかるような場合もあり、診療を休んでまで学習に時間を割くことができない場合もあります。
―どうすれば現場の医師に生涯学習の重要性を認識してもらえるでしょうか?
医師が学習の必要性を強く感じるのは、臨床の中で痛い目に遭ったときです。他の医師や医療者から、「先生、まだこんな薬を使ってるんですか?」「この手術のやり方は古いんじゃないですか?」などと指摘されること。現実的にはこのケースが一番多いのではないかと思います。ただ、医師が痛い目に遭うのは患者にとって危険ですから、できれば医師自身で自覚を持ってもらいたいところです。
特に生涯学習の重要性を感じてもらいたいのは、30代半ばくらいの医師です。この時期は、医師になって10年ほど経ち、ちょうど実力も自信もついてきて「今はもう学ぶことはない」と思いがち。しかし医学は常に進歩していますから、現在のレベルで一人前でも、そこで止まってしまうと10年後には「古い医者」と言われてしまいます。
30代はとても忙しい時期ですし、「ここまで勉強してきてまだ勉強しなければいけないのか」と感じられるかもしれません。それでも、「まったく勉強しない」という状態にはせず、少しずつでもよいので、勉強はずっと続けていったほうがいいでしょう。
これまでの生涯教育体制と医療ニーズの変化
―これまで、医師の生涯学習はどのように行われてきたのでしょうか?
かつて、ほとんどの医師が卒業した大学の医局に入局し、医局に所属することが医師の身元保証になった時代がありました。医局には診療のほかに教育や研究、人事の機能がありますが、この教育機能が昔は十分に働いていて、医師は医局に属していれば生涯学習ができていました。医局には先輩がいて学ぶことができましたし、若い人が入ってくればこれを教えるために自分も学ばなければなりませんでした。また、ある程度経験を積んだら関連病院に勤務して、そこでもまた若い人の面倒をみていました。こうした「医局で人を育てる体制」があり、機能していたのです。
しかし、やがて少しずつ医局が機能しづらくなっていきました。
時代を追うごとに人の流動性が高まり、大都市部の高校から医師のライセンスを取るために地方の大学へ行って、卒業後は医局に属さないで出身地に戻る、という人が増えてきました。例として、臨床研修の必須化(2004年)の直前ぐらいには、東北地方の医学部はその県出身の人が10%ほどで、残り90%は他県から来ているような状態でした。
そうした中で、医局に所属しない医師が徐々に増え、医局が制度疲労を起こし、教育機能もうまく働かなくなっていきました。
医局による教育が十分に機能していない現状、特に医局に入らなかった人たちを中心に、新たな生涯学習の機会が必要とされています。
もうひとつ、教育の枠組みとして専門医制度があります。
1980年代、90年代は、社会も大学も専門医を作ることに汲々としていました。科学の世紀と言われた20世紀において、高度なこと、専門的なことをしているのが優秀な人間であり、医局が目指すのは専門医の養成、という風潮があったのです。患者側にも専門の先生に診てもらいたいという要望がありました。
しかし21世紀に入ると、それが社会のニーズにそぐわなくなってきました。専門医ばかりで人間全部を診る医師がいなくなったために、病院では患者さんが「血圧を診てもらうにはこちらの診療科」「胃潰瘍を診てもらうにはあちらの診療科」とたらい回しにされています。地方の市民病院において内科の外来で患者数が100人程度であれば、本来は内科医が2人ほどいればいいはずなのですが、実際には循環器・呼吸器・糖尿病・消化器の専門家がそれぞれ2人ずつで8人必要とされたりします。
現在は超高齢社会になってきています。70代、80代の患者は、高血圧もあれば胃潰瘍もあるというように、複数の健康上の問題を抱えていて、一人の先生に総合的に診てもらいたいという需要があります。しかし、20世紀の価値観で育てられた医師は専門医ばかりで、21世紀の社会のニーズと完全にずれているのです。
これまでの生涯教育体制が社会のニーズに対応していない現状、まず「医師に何を教え、何を学んでもらうか」を改めて検討する必要があります。
もちろん、誰がどのような機会を設けて教育するか、医師側の学習のための時間・モチベーションをどう確保するかなど、問題はたくさんありますが、まず「何を学んでもらうのか」が一番大事になるかと思います。
そのため、社会や行政、医師集団が、超高齢社会をしっかりと見据え、どのような医師がどれくらい必要になるかをもう一度、冷静に考えて、生涯教育を始める必要があります。
また、医師個人にも社会のニーズに常に敏感であってほしい。10年後、20年後を見据え、どういう人生を送るのかを考えて、何を学ぶのか、自分の能力をどうやって磨くかを描いてほしいと思います。
生涯教育の担い手
―今後、どのような形での生涯教育の提供が求められるでしょうか?
究極の生涯学習制度は医師免許の更新制度です。ただし、これは現状では難しいかと思います。
また専門医の更新制度は整備されてはいますが、今なお医療ニーズに逆行していて、ひたすら専門性の高い人を作る方向に進んでいます。
社会のニーズが大きいのは、何でも相談できる、患者をトータルに診られる主治医になれる医師であり、こうしたゲートキーパー的な機能がないのが、日本医療の最大の欠点です。
21世紀になり10年経ち、ようやく総合医を作るという動きが出てきました。
生涯教育の担い手としては、学会が一つの枠組みかと思います。ただ、専門性の高い学会が学会員に対してのみ教育を行っていても仕方がないでしょう。ニーズを考えれば、消化器専門の医師には消化器の勉強だけでなく、肺炎の勉強もしてほしいし、心筋梗塞の初期治療も少し勉強してほしい。尿漏れや更年期の相談を受けるかもしれないので、そうした勉強もしてもらいたい。
そのため、例えば耳鼻科学会であれば、耳鼻科の先生ばかりに教えるのではなくて、内科医に必要な耳鼻科の知識を教えるなど広く広く教育をしてほしいですね。
もう一つの受け皿として医師会がありますが、医師会はどちらかというと、その政治的・経済的な役割がクローズアップされがちで、教育機関として認識している医師はあまりいないのではないでしょうか。医師会の生涯学習制度そのものはよくできているので、もう少し教育に力を入れてほしいかなと思います。
また日本の特徴として、製薬会社がスポンサーの勉強会が非常に盛んに行われているのですが、広告と教育の区別がついていないところがあります。商業的な背景のある勉強会に出てはいけないとは言いませんが、学習するにあたってはそれとは別の機会もきちんと持ってほしいと考えています。
今後、必要とされる医師のあり方とは
―医療ニーズの変化の中で、今後、医師のあり方、生涯学習のあり方はどのように変化していくでしょうか?
専門性の高い人については、大人数は必要なくなるので、今後は今ほどステータスの高い扱いにはならないでしょうね。もちろん、専門医は専門医で必要なので、目指したい人はどんどん目指してほしいと思います。
ただ、社会の需要や社会貢献との相関を考えるとしたら、地域に入っての総合診療、地域の患者さんをまとめて診ることが求められます。特に今は、看取りの医師が少ないです。現状、年間100万人ほどの方が亡くなっていますが、15年後の2030年には年間160万人が亡くなると予想されています。亡くなる方が60万人増えるのですが、病院で看取れる方は100万人ぐらいが限界だろうとされています。そして、訪問・往診で看取れるのは現状20万人ほど。40万人ほどは医療者がいない状態で亡くなる見通しなのですが、これを看取れる医師が必要です。
30代、40代の医師が、地域医療を視野に入れて今後を考えるなら今。あまり年齢が上がると、道を転換しようにも手遅れになってしまうかもしれません。10年先を見据えれば、医師の仕事として在宅医療や看取りがとても大事になってきます。
そうした中で今後、在宅医療の標準化が求められます。現場で孤独になりがちな在宅医は、自分のやっていることと社会の標準レベルの違いを把握しづらいため、この点を押さえられる学習機会の提供が必要です。場所と時間を問わず学習できるように、ITを活用するのがよいでしょう。例えば、特定の症例をどのように判断するかということを、同レベルの学習者と一緒に検討します。「発熱があるのでこの薬を処方」ではなく、熱の原因ががんによるものか、感染症によるものかといったことを考えていきます。答えが合う合わないではなく、論理的な思考ができればOKです。
これまでは、教育というと権威ある人が学習者に憶えるべきことを伝える、という形が一般的でしたが、今後はこうした自分たちで考えるような学習方法になっていくのではないでしょうか。
(聞き手・エピロギ編集部)
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- 北村聖(きたむら・きよし)
- 1978年東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学教育国際研究センター主任教授/東京大学医学部附属病院総合研修センター総センター長。
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