近代外科医の父 ジョン・ハンター

『種の起源』の70年以上前に進化論に迫った18世紀の奇人医師

チャールズ・ダーウィンが1861年に『種の起源』を発表する70年以上前、「進化論」に迫った医師がいることを、皆さんはご存知でしょうか。

その医師の名は、ジョン・ハンター。彼は自然や人体に強い興味を抱き、ヒョウや雄牛を収蔵する動物園や、1万4000点以上の人体や動植物の標本を収蔵した博物館を作り上げました。その動物への愛情から『ドリトル先生』シリーズのモデルに、自分のコレクションのためなら死体あさりもいとわない奇人ぶりから『ジキル博士とハイド氏』のモデルになったといわれています。

また、彼は農家の息子から英国軍の外科医療全てを統括する外科軍医総監となった名医でもあります。世界初の人工受精成功、「小臼歯」の発見など、医学上での功績は枚挙にいとまがありません。イングランドにある彼のお墓には、王立外科医師会によって「科学的外科の創始者」という銘文が贈られています。

「奇人」と「偉人」両方の面を持つ彼は、その晩年において進化論にまで迫ります。彼はなぜそのような画期的な発想を持つに至ったのか。彼は後世にいかなる影響を及ぼしたのか。今回は、ジョン・ハンターにまつわるさまざまなエピソードをご紹介します。

1. 読み書き嫌いの問題児、メスを持つ

1728年2月、貧しい農家のハンター家に10人目の子どもが生まれ、ジョンと名づけられました。ジョンは草原で動物や虫を追いかけて育ち、学校の授業や読書を嫌いました。13歳で村の学校を中退。数カ月ほど大工を経験し、その後軍に入隊する予定だったのを衝動的に取りやめ、20歳のときに、ロンドンに住む兄ウィリアムのもとへ赴きました。

医者だったウィリアムは、優秀な解剖の腕を持つ助手を求めていました。ちょうど、実際に人体を扱える解剖教室という革新的な取り組みを、軌道に乗せ始めていたところだったのです。到着してすぐにジョンはメスを持たされ、死体を相手に解剖技術のテストを受けることになりました。もちろんそれは、彼にとって初めての人体解剖です。しかし、結果は合格。兄は、優秀な解剖学者の素質を持っているとジョンを評価しました。

この20歳の青年には、「手先の器用さと生命への興味」という、外科医となるための天賦の才があったのです。

 

2. 死体を掘り起こし、日夜解剖を行う日々

見事兄の助手となったジョンは、死体集めに奔走することとなりました。実際の死体で技術を磨けることが、ウィリアムの教室のウリだったのです。縛り首があれば絞首台にぶら下がった死体を奪い、夜になれば生徒たちと墓を訪れ死体を掘り起こしました。

ジョンはウィリアムのもとで12年助手を務めましたが、その間に解剖した人体は2千体以上に及ぶと発言しています。ウィリアムの助手となって1年が経った1749年の冬には、学校の解剖作業をすべて任されるほどにジョンは腕を上げ、人体標本づくりに熱中するようになりました。

 

3. 外科医としてのスタート

21歳になったジョンは、兄の薦めを受けてイギリスでも指折りの外科医だったウィリアム・チェデルゼンに弟子入りしました。講義が休みの間、兄は弟に最先端の医療を学ばせようと考えたのです。
当時の外科医の多くは伝統的でない方法に挑戦することをよしとせず、弟子にも厳しく禁じていました。そんな中で、チェデルゼンは異端でした。イギリス国外の手術法や民間療法から良いと思うものは積極的に取り入れ、新たな治療法を試し続けていたのです。伝統や慣習よりも実験と観察を重んじるチェデルゼンの姿勢は、ジョンに受け継がれます。

チェデルゼンの死後、同じく優秀な外科医であるパーシヴァル・ポットへの弟子入りを経て、ジョンは1954年に26歳で聖ジョージ病院の実習生となりました。これが、ジョンの外科医デビューです。初の手術は、煙突掃除夫の尿道狭窄の治療。ジョンは「ブジ―」を尿道に押し込む、焼灼性の軟膏を塗るなどの試行錯誤の末、硝酸銀を用いて患者の治療に成功しました。その後もさまざまな手術に立ち会い、2年後には下級外科医に昇格。外科医としてのキャリアを着実に切り開いていきました。

 

4. 標本づくりへの熱中と兄からの独り立ち

ジョンは、生きた人間の治療を始めてからも解剖学校の講師を続け、それまで以上に標本作りに精を出しました。彼は生物の複雑な設計に強く好奇心を抱き、標本を作ることでそれを解き明かそうとしていたのです。その成果として、世界初の完全な妊娠研究記録のモデルとなった子宮とその中の胎児の標本や、「胚」状態の鶏卵の標本、初めて精管の構造を明らかにした睾丸内部の標本などが挙げられます。

最先端の研究を直接学べるということで、解剖学校の人気はうなぎ上りでした。それと同時に授業の内容が論文に盗用されるなどの問題も生じ、兄弟は裁判に授業にと、忙しい日々を過ごします。
盗作にまつわる争いがやっと落ち着いた1760年、ジョンは体を壊したことを機に、兄のもとを離れることにしました。

 

5. トカゲとヒトの奇形に、生命進化の一端を垣間見る

1761年、33歳になったジョンは、イギリス軍の病院船「ベティ号」の軍医として、船酔いに苦しみながら傷病兵の手当てに奮闘していました。外科医として経験を積むため、自ら志願したのです。

後に「7年戦争」と呼ばれることになる長い戦いの舞台で彼は、周囲と違った治療方針を貫きました。それは、「なるべく切らない」ということ。
当時、銃弾による傷口に対しては、メスで開いて弾やごみを取り除く治療法が一般的でした。しかし、それでは症状が悪化する。そう、ジョンは直感していました。当時の病院船はひどい衛生環境で、交差感染の危険性が非常に高かったのです。
いくつかの対照実験からそれを確信に変えたジョンは、「静かに寝かせておく保存療法が生命の維持には一番だ」と結論づけました。人間の自然治癒力に、気づいていたのです。

1年が経ち戦況が落ち着くと、ジョンは元戦地の自然と戯れました。
ある日には、何匹ものトカゲの尻尾を切ってアルコール漬けにしました。トカゲの尻尾が切れてはまた生え変わるメカニズムに、彼は強い好奇心を抱いたのです。中でもジョンを引き付けたのは、最初の尻尾の切断面から2本の尻尾が生えた奇形のトカゲ。それは、人間にも存在する奇形を思い起こさせました。全く別の生物から同じように生じるトカゲの奇形と、人間の奇形。その2つを重ね合わせることで、彼は後に博物館という形でまとめる「生物の複雑化」という概念を思いついたのかもしれません。

 

6.“自分自身”で実験……試行錯誤と発見の数々

1763年に帰国したジョンは、当時は地位の低い職業とされていた歯科医となりました。このとき35歳。標本の所有権を巡って兄ウィリアムと大喧嘩し、働き口の援助が得られないためやむを得ず始めた仕事でしたが、そこでも実験と観察の精神を発揮。「小臼歯」を発見し、歯科論文はベストセラーとなりました。その評判を引っ提げ、ジョンは再び外科医としての仕事を始め、さらなる実験の日々にのめりこんでいきました。
当時のジョンの実験を、いくつか挙げてみましょう。

・「ある男」(自分自身といわれている)のペニスに淋病の膿を植えつけ、経過を観察。梅毒との差異を解き明かそうとする。著書『性病全書』は、出版から数十年以上も性病診断と治療の必読書に。
・患者にパンを小さく丸めた偽薬を飲ませ、対照実験をして薬の効果を確かめる。
・絞首刑になったウィリアム・ドッドに救急蘇生法を施し、生き返らせようと試みる。

そうした実験の成果の1つに、史上初の人工授精もありました。夫の先天的な異常のため不妊に悩む夫婦に、温めた注射器に精液を集めて注入する手法を助言したのです。夫婦には、すぐに子どもができました。

 

7. 著名人との関わり

前述したような実験の成果を通して、ジョンはロンドンでも有名な人物となっていきました。1786年夏に開かれた王立芸術院の展覧会では、王子や女優とともに、ジョンの肖像画が展示されたほどです。同年には、大政治家ウィリアム・ピット首相の頬の腫瘍を摘出。その翌年には、伝記『サミュエル・ジョンソン伝』で知られる、ジェイムズ・ボズウェルの息子のヘルニアを治療しました。

治療を受けた著名人の1人として、『国富論』で知られる「経済学の父」アダム・スミスが挙げられます。膀胱炎と痔に苦しむスミスは、かねてより評判を耳にしていたジョンを頼って、わざわざエディンバラからやってきました。手術で痔の悩みから解き放たれたスミスは、ジョンに軍の栄誉職を与えるよう言ったそうです。実際、1790年にジョンは、62歳で英国軍の外科医療の最高責任者「外科軍医総監」に任命されました。

 

8. 世にも数奇な博物館~「進化」の順に並べられた標本たち

当時、ジョンは天才外科医としてだけでなく、人体や動物のコレクターとしても知られていました。彼の家を訪れた人物は、一歩足を踏み入れた瞬間から驚きに襲われます。玄関には大きく口を開けたワニの顎が飾られ、庭ではヒョウ、雄牛、タカ、ブタなどが飼われていました。さらに驚くべきなのは、屋敷の中の標本コレクション。飾られていたのはライオン、アザラシ、ゾウなど世界中から集められた動物の各部位と、さまざまな人種の骨や臓器、頭部など数百の標本です。

ジョンはそれらの集積を、還暦を迎えた1788年に公開します。人々はキリンのはく製に出迎えられ、クジラの骨に圧倒され、5つ児の死体標本の前で心を痛めました。その中でも一番の目玉は身長249センチにもなる「アイルランドの巨人」、チャールズ・バーンの全身骸骨です。ジョンは葬儀屋に現代の何千万円にも相当する賄賂を支払い、この骨を手に入れました。

これらの展示物は、「循環器系」「骨の構造」「神経系」など全部で15のグループに分けられ、植物などの単純な形態のものから、人間のような複雑な形態のものへと流れるように並べられていました。
この並びは、彼が生涯を通して練り上げた、生命の仕組みについての論理に基づいています。ジョンは人体、動物、自然の観察を通して「全ての生命は本来同じ構造を有している」という着想を得ました。そして、「その構造に生まれた違いに基づいて全ての動物を分類し、差異の生まれた順序と時期を特定すれば、いつしか種の原型にたどり着けるのではないか」と考えました。
ジョンは生物の複雑化――それは現代では「進化」と呼ばれます――を説明するために、植物、動物、人間の全てが同じ部位を有しており、その形態が複雑化しているということを見える形で示したのです。
ジョンの考えは非常に画期的でしたが、キリスト教の教義が絶対とされていた当時において、理解できたのは数少ない人々だけでした。

 

9. 外科の発展を支えたジョンの後継者たち

博物館の公開から5年後の1793年、ジョンは65歳で亡くなりました。死因は狭心症。一説には、自らを用いて行った淋病の実験が心臓に負担をかけ、死期を近づけたといわれています。ジョンの論文は甥のエヴァラード・ホームにより盗用され、火事を装って焼却されてしまいました。しかし、彼の功績は今でも語り継がれています。それは、ジョンがその生涯で、彼を慕う多くの優秀な医師を育て上げたからです。

牛による種痘を生み出し、天然痘の根絶に大きく貢献したエドワード・ジェンナーは、彼の一番弟子でした。パーキンソン病の発見者ジェームズ・パーキンソンは、ジョンの講義名簿に載っています。燃やされてしまったにもかかわらず、ジョンの理論がその後も失われなかったのは、最後の弟子、ウィリアム・クリフトができる限りの論文を書き写したからです。
そのほかにもジョンは、500人以上の医学生に自らの知識を伝えました。その学生たちが、ジョン亡き世の科学的手法による外科の発展を支えたのでした。

ジョン・ハンターは多くの分野にまたがっていくつもの功績を挙げましたが、その根底には常に共通するものがありました。それは、実験と観察を繰り返すことによって、生物の仕組みを解き明かそうとする姿勢です。
その姿勢はあまりに時代の先を行き過ぎており、異端と捉えられもしましたが、墓碑に刻まれたように「外科を科学」に変えた、非常に意味があるものでした。

ジョンの科学的検証を尊重する気持ちと、生物の仕組みへの探求心。それらは、没後200年以上経った今でも継承され、医学の発展を支え続けているのかもしれません。

(文・エピロギ編集部)

 

<参考>
ウェンディ・ムーア著 矢野真千子訳『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』(河出文庫、2013)
「型破りな外科医の危ないコレクション ハンテリアン博物館」(441 notepad)
https://441notepad.com/hunterian-musiam
「ジョン・ハンター」(医学の道どんどこどん 医学を極めた人の話)
http://awg37766ee.jugem.jp/?eid=9
「Mad Dr.ジョン・ハンター 遺体入手のため他人を付け回す執念は外道か天才か 【その日、歴史が動いた】」(BUSOO! JQAPAN)
http://bushoojapan.com/tomorrow/2015/02/13/42408
サトウタクシ「驚きの連続!奇人の伝記「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」」(サトウタクシblog)
http://takushi.blog.jp/archives/51999743.html
「【閲覧注意】解剖学者ジョン・ハンターのホルマリン漬け標本コレクションを撮影した写真シリーズ」EG
http://www.eg-artist.com/?p=274
「Hunterian Museum」(Royal College of Surgeons)
https://www.rcseng.ac.uk/museums-and-archives/hunterian-museum/
「天然痘ワクチンの開発者 エドワード・ジェンナー」(Becton, Dickinson and Company)
http://www.bdj.co.jp/safety/articles/ignazzo/1f3pro00000t725e.html

 

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