VR(バーチャルリアリティ)が広げる医療の可能性

外科医にして医療VRソフト開発者、杉本真樹氏が目指す未来

杉本 真樹 氏(国際医療福祉大学大学院准教授/Holoeyes株式会社取締役COO/株式会社Mediaccel代表取締役CEO)

360度動画やVRゴーグルを用いるゲームなど、VR(Virtual Reality、仮想現実)技術は急速な広まりを見せています。VR導入が進むのは、医療の世界も例外ではありません。今回は医療で応用されるVR技術の可能性を、Apple社より「世界を変え続けるイノベーター」に選出された、医療VR事業の第一人者で現役外科医の杉本真樹氏の講演から探ります。

 

「学習は経験である。それ以外は情報にすぎない」

杉本真樹氏は、外科医として現場に立つ医師であり、2016年に医療VR事業を展開するHoloeyes株式会社を立ち上げた起業家でもあります。また、2006年から医療用画像を立体的に処理できるソフトウェア「OsiriX」開発者の一人として研究を続けています。

そんな杉本氏の講演「すぐに使えるVR/AR/MR/HologramとIT教育のトレンド」が、4月22日、東京都港区青山で行われました。「国際医療福祉大学大学院乃木坂スクール医工産学連携 実践講座」に先立つ説明会・講演として開催され、医師や教育関係者、学生など多彩な顔ぶれの参加者が集まりました。

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「学習は経験である。それ以外は情報にすぎない」。講演の本題は、アインシュタインの名言から始まりました。

「皆さんが見るスマホやパソコンって情報ですよね。その時点では経験していない。つまり、学習してないんです」。学んだつもりのことをもう一度再現できる、あるいは他の人に体験させることができるということが、真に「学習した」といえるのだそうです。社会人が多く通う国際医療福祉大学大学院の准教授でもある杉本氏は、体験して学習することは、まさに教育ともつながると考えています。

2009年、当時指導していた神戸大学の研修医にスマホを配り、レントゲン画像を見たり国家試験を解いたりできる自作のアプリを利用してもらったことがありました。当時その新規性が注目されましたが、顧みると情報の提供のみにとどまっていたと感じるそうです。「今考えると情報しかないんです。これを見て国家試験は解けますが、患者さんは治せない。情報だけでは学習にならないから、つまり不十分なんです。情報に基づいていかに経験・体験に変えて共有するか、認知から行動に移って初めて、こういった情報は生かされていくと思います」。

この「情報」と「学習」の違いは、例えると地図のようなもの。地図の情報だけでは現地へ足を運んだことにはなりませんが、地図を見て実際にその場所を訪れれば、地図上の限られた情報は体験となって生かされます。

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そして、人は本来自分との位置関係が分かる空間の中で、立体的に物事を把握しています。スマホやパソコンで表示される視覚情報や音声情報だけでは、人が普段認識している情報量と比べると圧倒的に不足しているのです。また、医療や教育を実践するときには、テキストの情報だけで満足しては停滞してしまうといいます。「人はもともと立体で見ていますから、立体から平面は想像しやすい。患者さんのレントゲンなどを平面で扱うのを飛び越えて、最初から立体で扱えば良いのではないですか」。

ただし、立体的に見える3D映像に足りないものも。「画面の中では情報があっても、そこに対して自分がどの程度の距離にいてどんな角度で見ているか、という要素がないんです」。
VRはこの見る人の位置という情報を加えたもの。3D映像の見方は体感に近づき、ただの情報から学びを伴う体験へと、一気にその価値が高まるのです。

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「ゲーム技術を医療で使うなんて」という先入観はもう要らない

VR(=Virtual Reality、仮想現実)には必要な要素が3つあります。立体に感じられる「3次元の空間性」、その世界に入り込む感覚の「自己投射性」、動きや操作に反応する「相互作用」。日本VR学会は「みかけや形は原物そのものではないが、本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」と定義しており、VRは単なる立体映像の域を超えた、感覚をもたらす技術だといえるでしょう。

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VRゲーム製品や東京ゲームショウが話題となり、関連製品が急速に普及した2016年は「VR元年」と呼ばれています。視界を覆う大きめのゴーグルで、ゲームや景色を楽しむイメージが強いのではないでしょうか。

「VR元年」の潮流で、VR製品が安く手軽に入手できるようになり、医療の世界でも導入しようと考える人が増えたと杉本氏は肌で感じています。CTやMRIなど、3Dの技術そのものは医療で長く利用されてきました。しかし、医療機器は数百万~数千万円となる場合があり、個人で気軽に導入できるものではありません。現在ではVR製品が量産され、かつて400万円かかったことが1万円で実現可能になっています。また、ゲームで利用されるVR製品は、市場競争で価格が安くなったうえに、医療機器に用いても遜色ない精度を誇ります。このような背景により、医療におけるVR事業はまさに加速度的に展開している最中です。

いま、VR技術に抵抗を感じる人に取り払ってもらいたいのは、「ゲーム技術を医療で使うなんて」という先入観だといいます。市場に大量に出回るVRゲーム製品は、販売競争により価格が下がっていきます。「ゲーム機は大量に出るから精度が高いものが安く売れる。医療機器はたくさん出ないから、(価格が)高い方が精度が良く、安いものは質が低い。その差を知らないと、抵抗を感じることがある」と杉本氏は指摘します。

杉本氏は、未知の存在ゆえに抵抗を感じている医師に対し、その医師自身が担当する患者のデータでVRを体験してもらい、医師にとっての良さや患者の負担が軽くなることなどを発見してもらっているそうです。「誰か分からないデータではなく担当の患者さんのデータを(3Dデータにして)持っていくと、ああこれなら良いというように分かってもらえます。こちらが教えるより、自分で発見した方が彼らのためになるし、それが学習なんです」。

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オープンソフトウェア「OsiriX」

杉本氏が開発に携わる「OsiriX(オザイリクス)」は、医療用画像を立体的に表示・処理できるアプリ(DICOMビューワ)です。ソースコードが公開されているオープンソフトウェアで、杉本氏は10年以上開発に携わり、日本語版の説明書も手がけています。3D画像をポリゴンデータとして書き出すことが可能で、医療VRの土台として活用されます。

 

 

このOsiriXで作成した3D画像を、VRゲームで目にすることの多い視界全体を覆うゴーグル(ヘッドマウントディスプレイ、HMD)を装着し体の中に入り込むようにして観察します。さらに位置情報を追加することで、臓器や血管、腫瘍などの位置関係を正確に把握し、映像が使用者の動きに追従することで理解が深まります。実際には簡単に見ることのできない臓器の裏側や脂肪に隠れた部分まで知ることができ、より適切で侵襲性の少ない手術の際に役立つというのです。例えば、患者本人の3Dデータが目の前に存在しているかのように体感できるVRは、手術のナビゲーションや、執刀経験の少ない若手医師の教育に適していると杉本氏は話します。

また、手術経験豊富な医師の感覚を、経験の浅い若手医師と共有するためにも利用できます。失敗が許されない臨床の現場と異なり、VRや3Dモデルでは失敗から学ぶことができます。さらに指導医が同じVRを共有することで、「若手医師がどれくらい理解し、または分かっていないのか知ることができる」ため、ベテランの経験値をより的確に伝えるためのサポートが可能になります。

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個人的価値だけで終わらせず社会的価値に

「例えば、一人の医師が手術をして助けられる人の数は限られてしまいます。ですがVR技術を活用して治療や診療のサポートをしたり医師を育てたりすれば、もっと多くの人の役に立つことができるはずです」。

位置情報を含み、平面ではなく空間に情報を表現できるVRなら、情報や知識、経験や技術を一人のもので終わらせず、その価値を社会で共有することが可能です。

 

患者の心に変化をもたらしたVR

杉本氏は医師に対してだけでなく、患者に対しても、彼らが病気を深く理解する手助けとしてVRを活用することでより多くの人の健康を支えようとしています。講演の中盤では、「機能の本質を感覚で再現する」VRが、患者に変化をもたらした例が紹介されました。

・子宮に会いに行く……40代女性

過去に杉本氏が講演を行った際、話しかけてきた観客の女性。数年前に、子宮がんで子宮と卵巣を全摘していました。彼女はCT画像で説明は受けたものの、よく分からず一度手術を拒否したことを後悔し、子宮と卵巣が無くなった自分は女性ではないと嘆いていたといいます。

そこで彼女に杉本氏が提案したのが、「子宮に会いに行こう」という企画でした。手術前のCTのデータを3D化し、ポリゴンデータに変換して内蔵表面の状態を分かるようにします。VRではがんにより子宮の形がいびつになっていた所や、出血の様子も再現され、女性はVRゴーグルを通して過去の自分の体と再会しました。

杉本氏は、彼女が自然と自分の子宮を掴む動作をしたことが印象に残っているといいます。「彼女は2つ素晴らしいことを言っていました。1つはやっぱり私は女性ですということ。もう1つは、悪いものがもうない、解放されたということ。後者は想像がつきませんでした」。彼女は今、がん予防の活動に関わっています。VRを通して得た経験が行動につながり、他者に共有されることによって、実際に社会的価値が生み出される瞬間でした。

この試みの映像は、第58回科学技術映像祭で部門優秀賞を受賞しました。「子宮に会いに行く」経験は、彼女にとってだけではなく、杉本氏にとっても素晴らしい時間となったようです。「感無量ですよね、本当に。患者さんの役に立つのは当たり前なんですけど、本来体験できなかったことをコーディネートすることで人のためになるというのは、本当に感極まると思います」。「再会」の経験を映像で振り返る間、杉本氏の眼差しはプレゼンテーションで見せる緊張感ある雰囲気ではなく、彼女を見守るあたたかさに満ちていました。涙ぐみながら話す杉本氏の姿は、医師として真摯に患者と向き合う尊さを感じさせるものでした。

・初めて子どもと全力で走ることができた……30代男性

杉本氏の友人である30代の男性は、幼い頃の事故が原因で、右足の膝上から先を失っていました。障害者という枠の中で、義足で生活していた彼は、知らず知らずのうちに「義足で走るのが大変だから」など、消極的になっていた部分があったそうです。心持ちが変わるきっかけは、杉本氏が彼と医学生と同行した登山でした。

登山の経験を経て彼が希望したのは、自ら走るための義足を作ることでした。ここで、VR技術が活躍します。動いた脚の形を、赤外線スキャンを使い自分で読み取り、さらにVRゴーグルをかぶって立体でデザインすることができます。ポリゴンデータとVR技術が、一見ハードルが高い印象の“自分で義足をデザインする”ことを可能にしたのです。

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義足のランナーとなった彼が、一番うれしかったこととして杉本氏に伝えたのは、初めて子どもと一緒に全力で走れた瞬間でした。VR技術がうれしさや楽しさを得るという社会的価値に貢献しています。

 

VRとAR、その先にあるMR

VRと同様に立体映像を体験できる技術に、AR(Augmented Reality、拡張現実感)とMR(Mixed Reality、複合現実感)があります。流行したポケモンGOはARを活用した例で、現実の情報にコンピュータで情報を付け加える(=拡張する)ことにより、現実世界に情報を付加して利用できるものです。

さらにARと対照的な概念(AV:Augmented Virtuality、拡張仮想感)も含んだ、位置情報など現実世界と整合性のとれた技術がMRです。Microsoft社のVRゴーグル、HoloLens(ホロレンズ)はMRを体験できる製品です。ホロレンズ同士で位置情報が共有できる、ジェスチャーで操作できるため手で触れる必要がないといった特性を生かし、杉本氏は手術のサポートに応用しています。

 

医師のキャリアと社会貢献を考える

病院で患者を治療するにとどまらず、起業家、開発者として病院を飛び出し、奔走する杉本氏。その事業は高く評価され、テクノロジーによるイノベーションの成果を表彰するMicrosoft Innovation Award2017の優秀賞、スポンサー賞に選出されています。

 

 

「医師って患者を治すのが役目じゃないんです。医師の役割は社会に貢献すること。患者さんを治し社会に復帰させることで、間接的に社会に貢献する存在です。だったら医師が直接社会に貢献をしてもいいんじゃないか。その方が早く実現できることだってあるはずです」。医者としてどのように社会貢献をしていくのか。直接的な社会貢献の方法を模索し、医者だからこそ医療を効率化したいという思いを抱いていたときTwitterを通してビジネスパートナーとなるエンジニアと出会い、現在に至ります。今、彼らは「患者さんのレントゲンや医療情報を、社会的価値に変えよう」という考えのもと、「医療画像で世の中を良くする」データベースを構築し、誰もがアクセスできる環境を提供しようとしています。

日本は、保険制度などの理由によりCTデータを活用しにくい諸外国と異なり、患者は病院で撮影したCTデータをもらうことができる恵まれた環境にあります。十数年、医療画像に注目し続けている杉本氏は、病院内にとどまり続けていては、見過ごされている資源を社会活用したいという理念を実現するのは難しい、という思いがあったそうです。

CT画像そのものは個人情報のため、データとして自由に扱うことはできません。ではどのようにデータベース構築を実現していくのか――それを可能にするのがポリゴンデータです。氏名や住所などの情報と関連しない座標のデータであるポリゴンからは、本人を特定するのは非常に難しくなります。そしてポリゴン化の際に少し工夫を加えるだけで、誰かは特定できない座標のデータとなり、例えば手術の経験を広めて役立てたい、という医師の「資源」を共有することができるようになります。

また、杉本氏は医療における新技術をいち早く試し、医師としてその良さや改善点に切り込むことも自らの使命としています。現役の医師として、新技術が医療現場でどのように役立つか見極め、広める役割ともいえるでしょう。かつて注目された3Dプリンタの臓器モデルの応用は、「もう広める活動は終わって多くの人に知ってもらったので、今は買う人が買う時期」だといいます。現在の主軸であるVRも、数年後には当たり前になるだろうと冷静に分析します。「私たちは、このような、今、一番開発の加速度がついている技術を扱うんです」。

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1つを極めて進んでいこう

医師、起業家、プレゼンターとして多忙な生活を送る杉本氏ですが、医師になったばかりの頃から起業を目指していたわけではありません。しかし、医師が病院で病気になった患者を待つのではなく、多くの人が医療を自分で見つけていき、健康でいられる社会が理想だと気づいたとき、それを実践するために病院の外へと動き出しました。

「僕は臨床を15年やって気づきました。日本の医療は最先端だと思っていましたが、想像より非効率だし、地域格差の存在も地方の病院に行ってよく分かりました。でも、なんとかしたいと思っても、病院の中にいると臨床業務でいっぱいいっぱいなんです。特に外科なんて。自分が食べていけて、生きがいを持って、それでいてちゃんとお金が入って、病院の中にいる以上に世の中の役に立っていれば良いんじゃないかと思うわけです。今、多分それができていると思います」。

杉本氏は、病院で勤務する医師でも、将来独立することを考えている医師でも、臨床の経験をしっかりと積むことが重要だといいます。医師として起業したにも関わらず臨床の現場に通じていないと、経営プランを示したところで、現場の医師たちが実情との乖離に不信感を抱いてしまいます。 「大事なのは、例えば私の場合だと『臨床15年やったから言える』ということです。臨床を知らないと、医師が耳を貸してくれません。何年かけてでも、まずは臨床の自分の領域で、なにかひとつ極めることが大切ではないでしょうか」。

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(文・エピロギ編集部)

 

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杉本 真樹(すぎもと・まき)
医学博士。帝京大学医学部卒。国立病院機構東京医療センター外科、米国カリフォルニア州退役軍人局パロアルト病院客員フェロー、神戸大学大学院医学研究科消化器内科 特務准教授を経て、国際医療福祉大学大学院准教授を務める。株式会社Mediaccel代表取締役CEO、Holoeyes株式会社取締役COO。外科医として臨床に向き合いつつ、医療画像処理ソフトOsiriX開発や医療ビジネス、医学教育にも注力。医療VRの第一人者として海外の評価も高く、Apple社世界を変え続けるイノベーター(2014)、Microsoftイノベーションアワード(2017)に選出された。TEDxスピーカーとしても活躍。著書に『VR/AR医療の衝撃』(株式会社ボーンデジタル)など。メディア出演多数。医師、開発者、起業家、教育者として多方面で活躍中。

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