【第3回】ディア・ドクター~日本映画史上最も有名な「偽医者」の物語
石原 藤樹 氏(北品川藤クリニック 院長)
医療という題材は、今や映画を語るうえで欠かせないひとつのカテゴリー(ジャンル)として浸透しています。医療従事者でも納得できる設定や描写をもつ素晴らしい作品がある一方、「こんなのあり得ない」と感じてしまうような詰めの甘い作品があるのもまた事実。
シリーズ「Dr.石原藤樹の『映画に医見!』」は、医師が医師のために作品の魅力を紹介し、作品にツッコミを入れる連載企画。執筆いただくのは、自身のブログで100本を超える映画レビューを書いてきた、北品川藤クリニック院長の石原藤樹氏です。
第2回の『午後8時の訪問者』に続き、今回は『ディア・ドクター』をご紹介いただきます。
現役医師だからこそ書ける、愛あるツッコミの数々をお楽しみください(皆さまからのツッコミも、「コメント欄」でお待ちしております!)。
映画『ディア・ドクター』の概要
今日ご紹介するのは、2009年公開の日本映画『ディア・ドクター』です。1カ所しか診療所のない山間の村で、たった1人の常勤の医師が姿を消すところから物語は始まります。実はその医者は真っ赤な偽物で、医師免許など持たない、ただの医療機器メーカーの販売担当者(ペースメーカーの営業)に過ぎなかったのです。しかし、物語が進むにつれ、その偽医者が、多くの患者さんや村人に信頼され、立派に医者としての「役割」を果たしていたことが明らかになって来ます。関係者の中には偽者であることを知っていて、それでも知らないふりをして、協力していた人もいたのです。一体本物と偽物とは何が違うのでしょうか? 偽医者は何故村から姿を消したのでしょうか? 思いもよらない深い人間ドラマが、描かれてゆきます。
見どころは奥の深い人間ドラマ
西川美和監督によるこの映画は、偽医者という切り口で、地域医療の問題点をあぶり出すという発想が極めて巧みで、主人公の偽医者を演じた笑福亭鶴瓶の飄々とした演技も高く評価され、興行的にもヒットを記録しました。偽医者の事件というのは、時々報道されてニュースにもなります。医療機関で医者が急に辞めてしまって、事務長が替わりに薬を処方していたり、柔道整復師が医者のふりをしていた、というようなケースもありました。医療機関に勤めていて、医師免許を偽造し、アルバイトの医師として働いていた、というようなケースもありましたね。
この映画はそうした事例を参考にしているのですが、一般の人が考える医師というのは、結局は1つの役割(ペルソナ)に過ぎない、という見方を取り入れ、偽物が葛藤しながらその役割を必死で果たして行く、というところに、切なく感動的なドラマを見いだしています。
何となく通常の診療所の医者と同じレベルで、患者さんに関わっていればそのまま偽医者を続けられたのかも知れないのですが、八千草薫演じる胃がんの老女の人生に、丸ごと責任を持とうとしたばかりに、その責任を負うことに耐えられなくなり、主人公は遁走してしまいます。普通の医者であれば、そのままでいられたのに、平均的な医者以上に良い医者であろうとしたばかりに、偽物とばれてしまう。この辺りに、私達医者に対する痛烈な皮肉があるように感じます。
偽医者にそこまでできるのか?
この映画は一応医療監修も付いているのですが、その割にはかなり医学的にツッコミどころの沢山ある映画でもあります。主人公は元々医療機器メーカーの営業に過ぎない人物のはずですが、1人で胃カメラをして生検までちゃんとしています(それも4カ所も正確に)。何処で覚えたのかしらと思いますし、介助なしのたった1人で生検までするのは、通常は不可能に近いと思います。両手とも素手で胃カメラを操作しているのも、偽医者とは言え如何なものかなと思いますし、そもそも何もない診療所に胃カメラだけあるのがとても不自然です。病理検査の報告書も、Malignancy! とビックリマークが付いているのがヘンテコです。この辺りは八千草薫が胃がんだと診断される、という設定を成立させるために、かなり無理が生じているのだと思います。
診療所にはレセコンがあるのですが、スタッフは看護師が1人だけで、患者さんの数は多く、呼び込みも介助も全てその看護師が行っているので、果たして会計を誰がいつやっているのか、それも非常に不思議です。
定番の緊急事態として、外傷による緊張性気胸の患者さんが担ぎ込まれ、救急車は崖崩れで来られない、という場面が描かれますが、レントゲンは隣の部屋にあるのにそこまで運ばないで、いきなり胸にサーフロを刺すというのも、ちょっと無理があるように思います。酸素飽和度は酸素をしないで89%と言っているので、そこまでの状態ではないですよね。レントゲンはあるはずなのに、レントゲン室もレントゲンフィルムも、全く登場しないというのもとても不自然です。何もないシャーカステンだけが診察室にあります。
映画から考える「医者」という存在
無医村の問題は地域医療の大きな課題で、1人診療所の院長が辞めて、代わりが見つからなかったり、見つかっても村の人達の要求が過剰で、すぐに辞めてしまう、というような話も稀ではありません。1人の医者に出来ることは実際には限られていますが、多くの一般の人は、医者という存在に「住民の安心」というもっと大きな役割を期待し、それが果たされないと容赦なく攻撃する、というような心理が働くようです。この映画の優れたところは、そうした医者の役割のギャップにも、きちんと切り込んでいるところだと思います。
皆さんは仮に今日からその地域に1人だけの医者になるとして、何処までの責任を患者さんに持つことが出来ますか? 何処までが自分に出来ることで、何処からが出来ないことという線引きをしますか?
この映画は私達のような医療者にとっても、医者という仕事の役割という、大切なことを考える契機を与えてくれているような気がします。
※映画『ディア・ドクター』の公式サイトはこちら。
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- 石原 藤樹(いしはら・ふじき)
- 1963年東京都渋谷区生まれ。信州大学医学部医学科大学院卒業。医学博士。信州大学医学部老年内科助手を経て、心療内科、小児科を研修後、1998年より六号通り診療所所長。2015年より北品川藤クリニック院長。診療の傍ら、医療系ブログ「北品川藤クリニック院長のブログ」をほぼ毎日更新。医療相談にも幅広く対応している。大学時代は映画と演劇漬け。
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