【後編】日本で緩和ケアはどのように受容され、発展したのか
ホスピス・緩和ケアとは、生命を脅かす病気に直面している患者に対して、QOLの向上を目的に全人的アプローチを用いてケアを行うこと。日本でも1996年に緩和医療学会が設立されるなど、医療現場におけるホスピス・緩和ケアの普及が進んできました。1990年には全国で5施設しかなかった緩和ケア病棟も、2017年には394施設にまで増加しています(「日本ホスピス緩和ケア協会」調べ)。これまでの「緩和ケア研修会」を修了した医師は平成29年9月末時点で10万人を超えており、その数は全医師の約1/3にあたります(日本緩和医療学会「PEACE PROJECT」より)
臨床現場における普及が進む一方で、ホスピス・緩和ケアの歴史については詳しく知らないという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで、「ホスピス・緩和ケアの歴史」を前編・後編の2回に分けてご紹介します。前編ではホスピス・緩和ケアの歴史を振り返ってみました。後編では、日本でホスピス・緩和ケアがどのように受容され、発展したかについてお伝えします。
日本でのホスピス・緩和ケアの受容
1981年、静岡県浜松市の聖隷三方原病院に日本初の独立型ホスピスが誕生します。母体となったのは、1930年に有志のクリスチャンによって建てられた小さな病舎でした。その後、病舎の移転や増改築が繰り返され、1942年に聖隷三方原病院の前身となる附属病院が設立されました。1973年には、精神科医・柏木哲夫医師によって大阪市の淀川キリスト教病院に末期患者のケアを行う専門チームがつくられました。柏木医師は、末期がん患者と向き合う中で、精神的苦痛や社会・経済的苦痛などの複雑な痛みに医師1人で対処することは困難だと気づき、アメリカ留学で学んだ「OCDP(死にゆく患者への組織的ケア)」に着想を得てチームを発足させたのです。その後、柏木医師は一般病棟でのケアに限界を感じるようになり、1979年にホスピス設立準備委員会を設け、5年後の1984年に日本初の院内病棟型ホスピスを開設しました。
ホスピス・緩和ケアの日本の医療制度への組み込みとその後の普及
ホスピス・緩和ケアが日本の医療制度に組み込まれたのは1990年のこと。この年、診療報酬に「緩和ケア病棟入院料」が新設され、国が定めた基準を満たした場合に患者1人当たり2万5,000円が保険制度から支払われるようになりました。緩和ケア病棟の運営にあたって国からのインセンティブが生まれたことで、ホスピス・緩和ケア病棟設立の動きが全国に広がっていきます。
そして1994年、開設の手続き窓口が国から都道府県知事に移譲され、届出施設数は前年より増加。2002年には診療報酬に「緩和ケア診療加算」が新設され、緩和ケアチームを持つ病院は算定が可能になりました。しかし、実際は指定要件を満たすことが難しく、緩和ケアチームの数が大きく増えることはありませんでした。
緩和ケアチームが本格的に普及し始めたのは2006年以降です。この年に「がん対策基本法」が成立し、がん診療連携拠点病院への緩和ケアチームの設置が指定要件とされました(施行は2007年)。日本ホスピス緩和ケア協会によれば、2006年の緩和ケア診療加算届出受理施設数の累計は59でしたが、2017年には232に増加しています。
1980年代以降、日本人の死因1位は「がん」となっています。政府は「がんになっても安心して暮らせる社会」を築くため、緩和ケアを「がん対策」の一環として位置付け、緩和ケアの体制整備や普及活動を進めています。
日本のホスピス・緩和ケアの現状
ホスピス・緩和ケアの普及が進む一方で、課題もいくつか挙がっています。それは、緩和ケアは「終末期に行うもの」という誤解がまだ存在すること、在宅ケアや地域緩和ケアの体制が整っていないことです。また、疼痛コントロールの不十分さが指摘されることもあります。
市民への啓発や在宅ケアの普及の遅れ、疼痛緩和などが課題
緩和ケアは、本来はがんやエイズだけでなく、心不全や認知症などさまざまな疾患を対象としたものです。しかし、緩和ケアと聞くと終末期医療を思い浮かべる国民はいまだに多く、「専門家が担うもの」というイメージを持つ医療従事者も少なからずいるのが現状です。
また、緩和ケア病棟から緩和ケアチーム、在宅ケアやデイホスピスまでバランスよく発展している緩和ケアの先進国イギリスと比較すると、日本は在宅ケアの普及に遅れがあるといわれています。
そして、諸外国と比べて日本の疼痛コントロールには遅れがあると考えられます。医療用麻薬の消費量と疼痛緩和がそのまま紐づくわけではありませんが、2013~15年の日本の医療用麻薬消費量は欧米の1/11程度とされています(「国際麻薬統制委員会(INCB)報告」より)。この事実からは、日本では疼痛緩和のために適量の医療麻薬が使用されていない可能性があることが示されています。
課題に対する政府の取り組み
医療従事者を含め国民全体に「緩和ケア」の正しい認識を広めるため、政府によって普及・啓発活動が推進されています。例えば、日本緩和医療学会では厚生労働省の委任を受け、緩和ケア普及事業「オレンジバルーンプロジェクト」を行い、緩和ケアを普及啓発する動画を公開したり、市民講座を開催したりしています。また、日本ホスピス緩和ケア協会は「世界ホスピス緩和ケアデー」に合わせた「ホスピス緩和ケア週間」という普及活動を2006年度から始めており、セミナーや講演会、コンサートなどのイベントを実施しています。
また、2008年からは厚生労働省によって「緩和ケア普及のための地域プロジェクト(OPTIM)」が実施され、在宅緩和ケア・地域緩和ケアの普及が推進されています。在宅ケアに関して医師からよく聞かれるのが「24時間往診体制の実現が難しい」という声です。2018年度の診療報酬改定では「継続診療加算」が新設され、複数の医療機関と連携して24時間体制を整えた診療所も加算対象になることが決定しました。これにより、在宅ケアを行う診療所の届出数が増えるのではないかと予想されています。
なお、緩和ケアに関わる医療従事者の育成については、緩和ケアの質を高めることを目的に、「がん対策基本法」に基づく「がん対策推進基本計画」(2007年)の中で、がん診療に関わる医師の緩和ケア教育の実施が目標として掲げられました。それを受け、2008年度から厚生労働省と日本緩和医療学会によって「緩和ケア研修会(PEACEプロジェクト)」が実施されています。研修会は2日間相当のもので、修了者には「緩和ケア研修会修了者」と書かれたバッジが授与される仕組みです。看護師に対しては、アメリカの緩和ケア看護師が受けている教育プログラムの日本版「ELNEC-J」が実施されています。
疼痛緩和に関しては、がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会が公表している資料「がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会における議論の整理」によれば、国民の医療用麻薬への抵抗感が強いことや医療用麻薬に関する研究が不十分なことが課題として挙げられています。これらについて、今後は国民への適切な啓発や、医療用麻薬の適切な使用法の確立を目指した研究の推進、医療機関の院内研修の実施、在宅家緩和ケアでの医療麻薬の利用などが、実施・検討すべき事柄とされています。
日本の緩和ケアに求められるものとは
2015年、死の質を評価する「QOD(Quality of Death)指数」調査がエコノミスト誌によって行われました。前回調査(2010年)では、40カ国中1位がイギリス、日本は23位でしたが、2015年の調査では80カ国中1位はイギリス、日本は14位という結果に。2012年度からに改定された「がん対策推進基本計画」で、患者のこころのケアも含めた早期からの苦痛緩和ケアを盛り込んだことが評価されました。順位は上昇していますが、日本のホスピス・緩和ケアはまだ発展段階にあります。高齢化に伴い自宅や介護施設で療養する患者が増えることが予測されるため、国民全体の認知度と緩和ケアの質を高めるとともに、場所を問わないサービスの提供が今後はより一層求められるでしょう。
(文・エピロギ編集部)
<参考>
・柏木哲夫『定本 ホスピス・緩和ケア』(青海社、2007)
・日本ホスピス・在宅ケア研究会 編『ホスピス入門―その"全人的医療"の歴史、理念、実践』(行路社、2000)
・宮下光令『ナーシング・グラフィカ成人看護学⑥』緩和ケア(メディカ出版、2016)
・医療法人 長岡西病院「ビハーラ病棟」
・一般財団法人 本願寺ビハーラ医療福祉会 あそかビハーラ病院「ビハーラとは?」
・オールアバウト「QOD(クオリティ・オブ・デス)――死の質とは」
・OPTIM がん対策のための戦略研究「緩和ケア普及のための地域プロジェクト」
・厚生労働省「平成26年医療施設(静態・動態)調査」J77
・厚生労働省「平成28年度診療報酬改定の結果検証に係る特別調査(平成28年度調査)の報告案について」
・厚生労働省「がん診療連携拠点病院等」
・厚生労働省「がん対策推進基本計画」
・厚生労働省「中央社会保険医療協議会 総会(第202回)議事次第 がん対策、生活習慣病対策、感染症対策について」
・がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会「がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会における議論の整理」
・緩和ケア.net
・国立がん研究センター「最新がん緩和ケア 〜緩和ケアって、終末期医療だと誤解していませんか?〜」
・国立がん研究センター「がんの統計 '17」
・公共財団法人 日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団「ホスピス・緩和ケア白書2016」
・公共財団法人 日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団「ホスピス・緩和ケア白書2014」
・笹川記念保健協力財団 ホスピスケアQ&A
・笹川記念保健協力財団「エコノミスト『2015 QOD(Quality of Death 死の質)指数』」
・社会福祉法人 聖隷福祉事業団 総合病院 聖隷三方原病院
・宗教法人 在日本南プレスビテリアンミッション 淀川キリスト教病院
・日本緩和医療学会「PEACE PROJECT」
・日本緩和医療学会「ELNEC-J」
・日本緩和医療学会「がん疼痛の薬物療法に関するガイドライン2014年版」
・日本経済新聞「終末期医療などの質、日本14位に上昇 がん対策見直しを評価」
・日本ホスピス緩和ケア協会「緩和ケア病棟入院料届出受理施設数・病床数の年度推移」
・日本ホスピス緩和ケア協会からの提言「これからのホスピス緩和ケアについて」
・毎日新聞「診療報酬改定 かかりつけ医機能強化 24時間往診に加算」
・PROAS「【ニュース解説】診療報酬改定、ついに点数が決定!在宅医療、遠隔診療に注目して解説します」
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