第7話 「まともな指導も職場の理解もない…しかし、“本流”から外れてしまって大丈夫なのか…」3年目の医師が出した結論とは?
医師の長いキャリアには、重大な決断を迫られる場面が何度かあります。本連載「シリーズ・決断の時」では、それぞれの医師が「自身のキャリアに関する重要な局面でどのように考えて決断したのか」について、エピソード形式でご紹介します。
第7回となる今回は、28歳の後期研修医のエピソードです。今後のキャリアについての1つの参考になれば幸いです。
「疲れた……」忙しい上に、成長の実感も得られない後期研修の日々
高橋 美紀医師(仮名)28歳、後期研修1年目。
大学医局の関連病院で、腎臓内科専門医と総合内科専門医が取得可能な病院に勤務していた。
腎臓は全身の鏡である――高橋医師が在学中や初期研修中から何度も耳にしていた言葉だ。
腎臓内科では急性期から慢性期まで横断的に診断を行う必要があり、腎生検やカテーテル挿入などの「手技」も求められる。それゆえ敷居の高さを感じる医学生も少なくない中、高橋医師はすべてが「おもしろい」と思えた。
また同時に、臓器だけでなく患者の全身をくまなく診て、適切な治療を行っていきたい、とも考えており、総合内科専門医の取得も視野に入れていた。
そういう意味では、今勤務している後期研修中の病院は腎臓内科と総合内科どちらの専門医も取得できるため、条件は合っている。しかし……。
「疲れた……」普段はなるべく表に出さないようにしていても、一人になると高橋医師はよく、ため息をつくようになっていた。
奨学金を返済しなければならない高橋医師にとって、外勤アルバイトは欠かせない。そうなると、完全に休みとなるのは月1日、取れても2日しかない。
また、高橋医師の勤務先でも最近は出産育児のための休暇はとりやすくなったのだが、時短勤務や産休の医師の代わりに医師数が増えるわけでもなく、その分、高橋医師の負担はむしろ重くなっていた。
そのような状況のため、高橋医師のオーベンも自分の事で手一杯になっていた。
とてもまともな指導を受けられているとはいえず、自分が成長している実感はまったく得られなかった。
医局は自分のことを医師としても、人としても尊重していない
「もう少し指導に力を注いでほしい」
高橋医師は医局長に申し出た。
衝撃的だったのは、その時の返答だった。
「そんなに嫌なら、辞めてもらって全然構わんよ。どうせ子どもができたら辞めるんだろうし。」
『女性医師は出産まで働いてくれれば、それでいい』=戦力としては見なしていない
という時代錯誤の考えが医局内に根強く残っている事は以前から感づいていた。
しかし、「たとえ出産で一時期、現場を離れていても、出産後は早急に戻りたい。何よりも腎臓内科を中心としながらも、納得いくまで患者の全身管理を行って力になっていきたい」と強く思っていた高橋医師にとって、この言葉はすべてを否定されるにも等しかった。
とはいっても、医局を離れることは“本流”から外れるという思いも強く、一時の不満で辞めてしまっていいのだろうかと、高橋医師の迷いは続いた。
しかし、翌日以降もデリカシーのない言葉が平然と飛び交う。
「〇〇(同期の医師)、来月で辞めるみたいよ。お前も辞めちゃえば?」
と言われた時、高橋医師はとうとう我慢の限界に達した。そして、こう結論付けた。
「ここで自分は医師として、というより人として扱われていないんだな」と。
そこで、まずは外の世界を知ってみよう、と高橋医師は転職活動の第一歩を踏み出すことに決めた。
友人には相談できず……外勤で利用したことのある紹介会社を頼って
多忙を極める状況で、腎臓内科と総合内科の両方の指導体制が整っている医療機関を探すのは簡単ではなかった。また、友人医師の多くは、まだ大学病院の医局に残っている。色眼鏡で見られる不安もあり、「いい病院を教えて」とはなかなか切り出しにくかった。そこで、外勤アルバイトでお世話になっていた紹介会社に頼ってみることにした。
一旦、医師の転職の専門担当者と会うこととなった。約束していた喫茶店に行ってみると、その担当者ともう一名が待っていた。
高橋医師の相談に緊急性と切迫性を感じ、より迅速に高橋医師に合う医療機関を調査し、求人として提案する為に、あえて二名で来てくれたという。
「そういうものか」と思いつつ、最初から二人とも顔を見せてくれたことや、真摯に話を聞いてくれる姿勢に高橋医師は信頼感を覚え、少し安心することができた。
さらには、「匿名性はしっかりと維持した上で、今後、高橋先生が気になった医療機関には直接足を運んで、病院人事担当者と勤務開始後の先生の働き方だけでなく、その病院で可能なキャリアプランまですり合わせた上で、ご提案したい」という申し出を受けた。
正直、そこまでやってくれるとは期待していなかったが、入職してからもう二度と「こんなはずではなかった」とは思いたくない。高橋医師は全面的に頼ることにした。
採用の見送りもあった中、出会ったのは、自分のことを本気で考えてくれる病院
調査してもらったところ、自宅から通える距離で「腎臓内科専門医」と「総合内科専門医」が取得でき、なおかつしっかりした指導体制を敷いていて、今後のキャリア形成にもつながると感じられた医療機関は2施設。高橋医師はまずそれらの病院に足を運んだうえで、考えることにした。
1つ目の東央医療センター(仮名)は、いわゆる大規模ブランド病院。
対応してくれた医師、事務担当者達は丁寧で、人員体制も充実していると感じられた。
ただ、大学医局のように顔合わせで決まるのではなく、「選考」だった。何度も病院に足を運ぶように言われ、日程調整も難航していた。
紹介会社からの情報によると、どうやらベテランの候補者が他にいて、その医師を採用する流れになりつつあるという。結局、東央医療センターからは「採用を見送る」との連絡があったが、「確かに、即戦力になるような先生をとるよね」とあまりショックはなかった。
2つ目の幸活会総合病院(仮名)は、地域に根付いてクリニック、老健なども展開している中堅規模の総合病院。
最初に日程を調整している時に、紹介会社を通して病院からの要望を伝えられた。なんと、1日かけて見学に来て欲しいのだそうだ。
高橋医師が驚いていると、紹介会社の担当者はすかさず幸活会総合病院からの言葉を伝えてくれた。
「できるだけ病院のことを知った上で検討してもらいたいので、腎臓内科部長、総合内科部長それぞれと会ってもらいます。もちろん、施設見学をして設備はもちろん、関係する先生方、医療スタッフ達とも会ってもらいたいですし、トップの理事長から経営理念を伝えた上で、高橋先生の今後のキャリア形成に役立てるか、じっくり検討してもらいたいと思っています」
その言葉を聞きながら、『子どもができるまでの使い捨て』と言われるような現職との違いに、つくづく感じ入ってしまった。
「医師としての“本流”を外れるのではないか?」という不安から解放された瞬間
そして訪問日当日。
実は転職活動をしながらも、心の奥では「医師としての“本流”から外れる」ということがいつも引っかかっていた。
しかし、幸活会総合病院を実際に見に行って、そういった考えはいい意味で裏切られた。
大学病院でいつも感じていた教授を頂点としたヒエラルキーが、まったく感じられない。なにしろ、どの常勤医も学閥に属していない。
腎臓を集中的に学びたいということで、昨年、はるばる四国から転職した40代の医師もいるそうだ。今は、内科を横断的に診ながらについて腎臓内科の勉強をしているという(いわば、高橋医師の2まわり先のキャリアを歩んでいるようなものだ)。
「つまらないしがらみや利権に縛られた医療ではなく、先生方一人ひとりが自分のやりたいことを伸び伸びとやって、それが結果的に患者さんのために繋がっている。こんな病院もあるんだ……いい病院だな」
この日の訪問を終え、高橋医師は長年の胸のつかえが取れたような気持ちになった。
自分で納得して踏み出した道だからこそ、迷わずに歩いていける
紹介会社の担当者曰く、幸いにも、高橋医師に対する病院からの評価もとても高かったようだ。どうやら、患者さんの全身をくまなく診たい、という気持ちをしっかり伝えることができたらしい。
内定をもらった高橋医師は、改めて幸活会総合病院を訪問した日のことを思い返していた。
「若手医師をじっくり育てたい」という言葉に嘘偽りはなかった。1日病院を見学していて、一緒に地域医療を支えていこうという強い想いが随所で感じられた。また、同時にそれを裏付ける体制が盤石であることも十分な説明を受けることができた。
「この病院ならずっと働ける」
高橋医師のこの気持ちは、確信に変わっていた。
病院へ高橋医師の内定承諾の知らせが伝えられたのは、訪問の日からわずか4日後のことだった。
*
高橋医師の新たな病院での勤務が開始して3か月後。
紹介会社の担当者が電話した際の高橋医師の声は、驚くほど明るかった。
「他科の先生もとても話しやすく、科目を越えた様々なアプローチを日々、学ばせてもらっています。大学医局に残らなければ“本流から外れる”なんて今考えたら、ホント狭い視点でしたが、あのまま無理に残っていれば、おかしくなっちゃっていたかもしれませんね。あぁ、今は心配いりませんよ。」
忙しさと医局内の人間関係で徒労感ばかり募らせていた頃からは、今のやる気と自信に満ちた高橋医師の様子は想像もつかなかっただろう。
やりたいことを思う存分できる環境が、ある。
それを支えてくれる人たちが、いる。
小さなこだわりを捨てた先に高橋医師を待っていたのは、自分に本当に正直でいられる、心からの居場所だった。
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- 森川 幸司(もりかわ・こうじ)
- 大手の出版関連企業から転職して株式会社メディウェルに入社後、関東を中心にコンサルタントとして300人以上の医師のキャリア支援に従事する。「自分が先生の立場だったら、家族の立場だったら…」という想いから、「自分事としてとことん本気になる」ということを仕事上の信条とする。
2011年5月、ステージIVの大腸がんとそこから転移した肝臓がんの診断が下り、それ以降は手術と抗がん剤による闘病生活が始まる。肝臓がんの再発や肺への転移なども経験し、入退院を繰り返しながら、現在は管理部門に所属し他のコンサルタントの支援を行なっている。
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